2016/04/09 - 2016/04/09
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miharashiさん
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ポーランド南部のタトラ山地に、クロッカスの花で覆われる谷(Chocholowska,ホホウォフスカの谷)があるということを知り、タンポポの咲くスピシュ城へも行きたいということで、今回のポーランドとスロバキアの旅を思い立ちました。まず最初にポーランドのクラクフに入り、翌日にザコパネまでレンタカーで移動して、ホホウォフスカの谷を訪れると、狙い通りにクロッカスが咲き乱れていました。その後、ポーランドから国境を越えてスロバキアに入り、スピシュ城とバルデヨフを訪れました。この旅行記は、その後再びポーランドに入り、ザリピエを訪れた次の日に、ヴィエリチカ岩塩抗を訪れた時のものです。(表紙写真は、ヴィエリチカ岩塩抗の地下に造られた聖キンガ礼拝堂)
旅行全体のスケジュールは以下の通りです。
4月4日 成田ー(アムステルダム経由)−クラクフ(泊)
4月5日 クラクフ空港でレンタカー借り出し。
クラクフー>ザコパネ。ホホウォフスカの谷トレッキング(山小屋泊)
4月6日 ホホウォフスカの谷ー>クズニチェ(ロープウェイで山頂まで)
(ザコパネ泊)
4月7日 ザコパネー>(スロバキアへ)−>スピシュ城
−>バルデヨフ(泊)
4月8日 バルデヨフー>(ポーランドへ)−>ザリピエ
−>ニエポウォミチェ(泊)
4月9日 ニエポウォミチェー>ヴィエリチカ(岩塩抗見学)
−>リプニツァ・ムロバナ(木造教会)−>ザコパネ(泊)
4月10日 ザコパネー>(スロバキアへ)−>オラフスキー城
−>リプトフスキー・ヤン(泊)
4月11日 ー>ヴィソケー・タトリー>(ポーランドへ)
−>ザコパネ(泊)
4月12日 ザコパネー>クラクフ空港(レンタカー返却)
−>クラクフ市内へ(市内見学&宿泊)
4月13日 クラクフ市内見学後空港へ
クラクフー>アムステルダムー>キュウケンホフ(泊)
4月14日 キュウケンホフ入園ー>アムステルダム空港へ
アムステルダムー>成田(4月15日朝着)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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クラクフ郊外の最大の観光名所・ヴィエリチカ岩塩抗。Wikipediaによると、11世紀半ばから岩塩の採掘がおこなわれていたが、1250年に国有化され、1996年まで岩塩の採掘がおこなわれていた。現存する岩塩抗としては世界最古。1978年に世界遺産登録。国有化のきっかけを作ったのは、1239年にハンガリー王家からポーランド王家に嫁いだキンガ妃と言い伝えられている。彼女は嫁ぐのが嫌で、ハンガリーの岩塩抗に婚約指輪を捨ててしまったが、後になり、この指輪がヴィエリチカで見つかることに。当時ポーランドはハンガリーから大量の岩塩を輸入していて、ヴィエリチカはその岩塩の貯蔵庫になっていた。ポーランド王室は因縁めいたものを感じて、ヴィエリチカを掘り進めると、膨大な岩塩があることがわかり、国有化されたと言う。当時、岩塩は金と同じ価値を持つものとされ、キンガ妃は信仰の対象になり、地下には聖キンガ礼拝堂(写真)が作られた。岩塩抗観光の最大の見どころとなっている。
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4月9日、朝から雨模様。予報通りの悪天候だ。泊まったホテルの朝食は、すばらしかった。ここに限らず、ポーランドのホテルの朝食はどこも豪華で、おいしかった。ホテル代も考慮すると、多分ヨーロッパでも最高の部類だろう。
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今日の走行ルートをグレーの線で示す。最初にヴィエリチカ岩塩抗を見学した後、ムロバナの木造教会を見学して、再びザコパネに戻り宿泊する予定だ。
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ヴィエリチカの町はホテルから12、3キロしか離れていないので、9時前にはヴィエリチカの町に到着。しかし、カーナビに岩塩抗がセットできず、車を街の駐車場に止めて、居合わせた人に岩塩抗への行き方を尋ねたら、その人の車で岩塩抗の駐車場まで先導してくれた。駐車場の周りは公園緑地になっていて、そこを上がっていくと、岩塩抗の入り口に到着。
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チケット売り場。入場料は一人64ズロチ(1800円ほど)。写真撮影には別料金が必要なことに気づき、後であわてて10ズロチ追加して撮影許可シールをもらう。朝のうちでまだ空いていたので、あまり待たずに、9時半の最初の英語ツアーで坑内に入ることができた。
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坑内はガイド付きのツアーで周るようになっていた。300段以上もの階段をひたすら下り、地下の坑道へ入る。坑道の天井と壁は、頑丈な丸太で支えられていた。
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坑内には、ところどころに当時の設備や道具を再現した展示がされていた。写真は最初の展示。採掘した岩塩の塊を運び出す道具か?
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人形?かと思ったら本物の人間だった。
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岩塩を運び上げるためのリフト。これは人手で曳くものだ。
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坑内のツアーの様子。左から2番目の黒い服の女性がガイド。参加者は受信機を渡され、特定のチャンネルに合わせると、自分のツアーのガイドの説明を聞けるようになっていたが、時々聞きずらくなることも。英語もあまりはっきりせず、正直説明はあまり真面目には聞いていなかった。写真の彫像は、地動説を初めて唱えたコペルニクス。彼はポーランドの天文学者だったのだ。
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その次に現れた彫像の展示。ガイドの説明ではいまひとつ意味がつかめなかったが。後で調べると、これは、キンガ妃が、自分が捨てた指輪が見つかって驚いている様子をモチーフにしたという。彫像はすべて岩塩で作られたものだ。
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坑内に充満するガスを減らすためのたいまつの展示。たいまつの火でガスが燃え上がる様子を再現したデモンストレーションも行われた。
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人手で岩塩を運ぶ様子の再現。
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馬が曳く巨大なリフト。
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国有化された時のポーランド国王の彫像だろうか?
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天井から染み出ている岩塩。指でこすってなめると、確かにしょっぱかった。
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塩分を大量に含んだ地下水。なめると異常にしょっぱかった。とても飲める代物ではない。
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坑内の様子をおとぎ話風に再現?
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お目当ての地下礼拝堂の前にやってきた。
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シャンデリアも岩塩でできているようだ。
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上から眺めた聖キンガ礼拝堂。よくぞこれだけの空間を地下に造ったものだ。
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岩塩のシャンデリアが床に反射して映し出される様は壮観だ。
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祭壇付近を拡大。祭壇の前では大勢の人が見学中。
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下に降りる階段の上から撮影。
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階段を降りて、礼拝堂に入る。そこから、祭壇の方向を撮影。
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祭壇の拡大。
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反対側から祭壇を見る。
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祭壇の前のキリスト像。
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祭壇の左側側面には、岩塩に彫られた最後の晩餐。本物より立体的だ。
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祭壇右側の側面にあったマリア像。幻想的だ。
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側面の彫像。
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かなり精巧な彫像だ。
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礼拝堂の出口の方向。
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礼拝堂で記念撮影。祭壇前の人垣がじゃまだ。
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だいぶ人が減ってきたが、ガイドが礼拝堂を出て行こうとしたので、あわてて写真を撮ってそのあとについていくことに。もう少し礼拝堂の中にいたかった。
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礼拝堂から出ると、そのあとには地底湖。
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木枠でできた巨大な矢倉のような構造物。岩塩抗は新しいものほど、地下深くに掘られていったようだ。
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側面から。
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ここで、トイレ休憩。土産物や飲み物などが売られていた。
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トイレ休憩のあとで、地底湖の上の照明のアトラクションに誘導された。ショパンの練習曲(別れの曲)が流れていたが、意味はよくわからない。
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さらに地下深く下っていく。
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ここが一番深い坑道らしい。水がたまっていて、中まで入ることはなかった(以前は船で入っていたようだが)。
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そのあと、意味がよくわからない映像アトラクションを見せられ、最後に巨大なホールに到着して、ツアーは終了。ホールの上部に上がる専用エレベーターがあったが、有料のようだったのでパス。
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ホールに展示されていた、様々な色の岩塩の結晶。まるで水晶のようだ。
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ホールから出てそのまま坑道を歩いていくと、坑道の出口に出たが、ロープが張られていて、しばらく待機させられた。人がまとまってくると許可が出て、一斉に坑道を歩いていくと、古いエレベータの前に出た。これで地上に上がるのだった。エレベータに乗れる人数に制限があるので、勝手には出られないのだろう。
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岩塩抗の見学を終えて、外に出たところで撮った岩塩抗の上の建物。
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再びチケット売り場(右)とツアー入口(左)に戻ってきた。来たときよりもはるかに混雑していた。岩塩抗の中は、テーマパークのように展示が豊富で、やや演出過剰なところもあったが、それでも地下礼拝堂は圧巻だった。ただ、とにかく見学客が多いので、朝早くに入場するのがベストだろう。
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駐車場に戻るときに見えた、黒い奇妙な建物。入場チケットの絵柄にもなっていて、Graduation Towerと書かれていた。調べてみると、ヴィエリチカ岩塩抗では、塩に殺菌力があるというので、呼吸器疾患の治療もおこなわれていて、これはそのための吸気塔の建物らしい。
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今日の目的地はザコパネだが、まだお昼前で時間の余裕があるので、ヴィエリチカから少し南東にあるムロバナの木造教会に寄ることにした。カーナビに教会のある町リプニツァ・ムロバナをセットして出発。最初は高速A4、次は並走する94号を東に走ったあと、ボチニアの手前で965に入り南に走る。しばらくして、趣のある街並みに入ったので、ここで小休止。Nowy Wisniczという町だった。ポーランドには、Nowy xxxxx という名前の町が多いので、最初不思議に思ったが、Nowyはポーランド語のNewにあたることがわかり、納得。
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立派な教会が見えたので、その教会へ。
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教会の中にも入ってみた。
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立派な祭壇だった。
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美しいステンドグラスもあった。
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同上。
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教会を出ると、そこから霧の中にお城らしき建物が見えた。後で調べると、Zamek Wisniczとあった。Zamekは城の意味なので、やはりお城だった。天気が良ければもっときれいな写真になったのに、残念。
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町の広場に面した建物。市庁舎? 広場も雰囲気があった。
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さらにリプニツァ・ムロバナを目指す。道は少し狭い山道になり、どうもショートカットの抜け道を走っているようだった。途中で木造教会の看板を見かけたので、この町に木造教会があることは確かなようだが、町についてもどこにあるのかが見当もつかない。何人かの人に聞くと、どうやら通り過ぎてしまったらしい。来た道を戻ると、写真の看板が目についた。小さいので、来るときは気が付かなかったらしい。教会に入る道が狭そうなので、逆に右に入って車を止め(看板には駐車場は右となっていた)、教会への道を歩いて入ると、なんと教会の前にもかなり広い駐車スペースがあった。ツアーで訪れる客が多いためと思われるが、それにしても看板の駐車場の表示は疑問だ。
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これがムロバナの木造教会。正式な名前は、St Leonard's Church in Lipnica Murowana。
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教会前の説明用案内板。英語でも書かれていて、この教会は15世紀の終わりごろ建造され、Malopolska地方(クラクフを含むポーランド南部の地方)で最も古い木造教会のひとつで、2003年に世界遺産に登録された、と記されている。
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残念ながら扉は閉まっていて、中には入れなかった。
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その代わりに、案内板にあった教会内部の写真を撮影。
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木造教会をあとにして、965号に戻りさらに南下。28号に出てから西に走り、47号線に出たあと、さらに南に走って、ザコパネを目指す。47号に出る直前に、突然大きな木造教会が現れたので、あわてて写真を撮ったが、全部入りきらなかった。後で調べると、Rabkaという町の Muzeum im. Wladyslawa Orkna という名前の建物だった。何かの博物館になっているのか?
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47号線をザコパネに向かって走るが、霧で全く視界が効かなかった。5日に走った時には、前方にタトラ山地を見ながら走る絶景道路だったのに、今日は残念。
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今日のホテルの前に到着。6日に泊まったホテルからかなり近いところにあった。ザコパネはポーランドを代表する山岳リゾートだけあって、数多くあるホテルやペンションのどれもがかなり立派な造りの建物なので、驚いてしまった。
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新しいホテルらしく、部屋の中もしゃれていた。
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ハーフボードで予約したので、宿のレストランで夕食。前菜のスープはあつあつでとてもおいしかった。
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メイン。豚肉のシュニッツェルでシンプルだが食べやすくておいしかった。今日は今までで一番悪い天気だった。あす以降は少しは良くなることを期待しよう。今日一日の走行距離は177キロ。総走行距離819キロ。
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