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過去2回この街を訪れた時には<br />いずれも近郊の街からの日帰りでした。<br />今回じっくりと街歩きをしてみて<br />たしかにこの街の主な観光スポットは<br />徒歩圏内にあり近郊の街と組み合わせ<br />で回るには良い具合なのだなぁとも感じました。<br /><br />そんな訳で“あの街から”は<br />ロミオとジュリエットの舞台となった街<br />のイメージしか持っておらず(;´ェ`)<br />ここまできていました。<br /><br />今回、ドロミーティへのルートを計画した時に<br />このところヴェネチア経由が続いたので<br />今回は別ルートにしょうと地図を広げたところ<br />ベローナ〜ガルダ湖ルート〜ドロミーティ<br />あまり聞かないルートだし<br />面白そうだ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ということで<br />ベローナ経由としこのこの街で中世の面影を<br />たっぷり味わうことができました。<br />

ベローナの夏の日~ 1泊2日で街歩き

112いいね!

2015/07/01 - 2015/07/02

7位(同エリア589件中)

3

89

あの街から

あの街からさん

過去2回この街を訪れた時には
いずれも近郊の街からの日帰りでした。
今回じっくりと街歩きをしてみて
たしかにこの街の主な観光スポットは
徒歩圏内にあり近郊の街と組み合わせ
で回るには良い具合なのだなぁとも感じました。

そんな訳で“あの街から”は
ロミオとジュリエットの舞台となった街
のイメージしか持っておらず(;´ェ`)
ここまできていました。

今回、ドロミーティへのルートを計画した時に
このところヴェネチア経由が続いたので
今回は別ルートにしょうと地図を広げたところ
ベローナ〜ガルダ湖ルート〜ドロミーティ
あまり聞かないルートだし
面白そうだ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ということで
ベローナ経由としこのこの街で中世の面影を
たっぷり味わうことができました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • ベローナに“あの街から”が訪れたのは<br />2003年7月が初めてでした。<br />ミラノから列車でやって来て夕方には<br />ベネチアへ向かいました。<br />4T会員の以前の旅でしたから<br />写真を撮るといえばその殆どが( ̄ー ̄)<br />風景を背景にした人物(;´ェ`)写真でしたので<br />旅行記には・・・していませんでした。<br /><br />この時に訪れたシニョーリ広場には<br />ダンテの像があります。<br />ダンテは生まれ故郷のフィレンツェを政変により追放され<br />ラヴェンナで亡くなるまでイタリア北部の都市で<br />亡命生活を送りました。<br />ここヴェローナには1312年から1318年まで<br />スカラ家の庇護を受けて滞在しました。<br />この時期にかの「神曲」を執筆していたということです。

    ベローナに“あの街から”が訪れたのは
    2003年7月が初めてでした。
    ミラノから列車でやって来て夕方には
    ベネチアへ向かいました。
    4T会員の以前の旅でしたから
    写真を撮るといえばその殆どが( ̄ー ̄)
    風景を背景にした人物(;´ェ`)写真でしたので
    旅行記には・・・していませんでした。

    この時に訪れたシニョーリ広場には
    ダンテの像があります。
    ダンテは生まれ故郷のフィレンツェを政変により追放され
    ラヴェンナで亡くなるまでイタリア北部の都市で
    亡命生活を送りました。
    ここヴェローナには1312年から1318年まで
    スカラ家の庇護を受けて滞在しました。
    この時期にかの「神曲」を執筆していたということです。

  • その次に訪れたのは2013年8月<br />ベネチアから鉄道でドイツのミュンヘンへ<br />向かう途中、たまたまベローナで乗り換え時間<br />が2時間ほどあり

    その次に訪れたのは2013年8月
    ベネチアから鉄道でドイツのミュンヘンへ
    向かう途中、たまたまベローナで乗り換え時間
    が2時間ほどあり

  • 駅前で「パバロッティ」の公演<br />ポスターを眺めていたら<br />せっかく来たのだから<br />ジュリエットの家へ行って<br />みょうか。と

    駅前で「パバロッティ」の公演
    ポスターを眺めていたら
    せっかく来たのだから
    ジュリエットの家へ行って
    みょうか。と

  • 駅前広場で待機していたタクシーの<br />運転手さんに「往復1時間半で<br />戻ってきたいが」と交渉<br /><br />☆手元のメモ書きを見ると<br />タクシー代は往復24ユーロ(プラス・チップ)<br />でした。

    駅前広場で待機していたタクシーの
    運転手さんに「往復1時間半で
    戻ってきたいが」と交渉

    ☆手元のメモ書きを見ると
    タクシー代は往復24ユーロ(プラス・チップ)
    でした。

  • 午前8時を回った頃でしたので<br />まだ閑散としていました。<br /><br />☆タクシーはこの先は通れないと<br /> 言うことで門の前で待っていてもらいました。<br />

    午前8時を回った頃でしたので
    まだ閑散としていました。

    ☆タクシーはこの先は通れないと
     言うことで門の前で待っていてもらいました。

  • 午前8時を回った頃でしたので<br />まだ閑散としていました。

    午前8時を回った頃でしたので
    まだ閑散としていました。

  • ジュリエットの家は<br />まだ開館時間の前で<br />開くまで少しの時間待っていました。<br />開館と同時に入場<br />警備員以外は誰もいないがら〜んと<br />した中庭に佇み<br />慌ただしく駅に戻ったのでした。<br />この2回は旅行記は作成しませんでした<br />ので、ここに載せてみました。<br />

    ジュリエットの家は
    まだ開館時間の前で
    開くまで少しの時間待っていました。
    開館と同時に入場
    警備員以外は誰もいないがら〜んと
    した中庭に佇み
    慌ただしく駅に戻ったのでした。
    この2回は旅行記は作成しませんでした
    ので、ここに載せてみました。

  • さて、<br />今回はドロミーティへの前に<br />ルートに良いベローナをチョイス。<br /><br />私たちはドライヴの旅でしたが<br />鉄道を使う場合にのアクセスは<br />ミラノからだと ECで約1時間20分程<br />ヴェネツィアからだと ESで約1時間10分程<br />フィレンツェからだと AV(アルタ・ヴェロチタ)で<br />約1時間30分程です。<br />

    さて、
    今回はドロミーティへの前に
    ルートに良いベローナをチョイス。

    私たちはドライヴの旅でしたが
    鉄道を使う場合にのアクセスは
    ミラノからだと ECで約1時間20分程
    ヴェネツィアからだと ESで約1時間10分程
    フィレンツェからだと AV(アルタ・ヴェロチタ)で
    約1時間30分程です。

  • 3度目の正直<br />この機会にベローナをゆっくり味わいたい<br />と、1泊2日の滞在としました。<br /><br />ベローナ着 13:10(高速出口)

    3度目の正直
    この機会にベローナをゆっくり味わいたい
    と、1泊2日の滞在としました。

    ベローナ着 13:10(高速出口)

  • 石畳に続くブラ広場ポルトーニ・大門<br />手前を左に入り1方通行を旧市街を回り込んで<br />今夜のホテルに向かいました。<br />

    石畳に続くブラ広場ポルトーニ・大門
    手前を左に入り1方通行を旧市街を回り込んで
    今夜のホテルに向かいました。

  • 旧市街の真ん中で車の移動には<br />やや不便ですが<br />立地が良く主な見所には<br />徒歩で行くことができました。<br /><br />☆ホテル <br /> チェックインは13:50でしたが<br /> 即部屋に通してもらえました。<br /><br />バスタブも有り水回り良好<br />Wi-fiはフリー 机・金庫もあり<br />部屋は静か<br />充分満足できたホテルでした。

    旧市街の真ん中で車の移動には
    やや不便ですが
    立地が良く主な見所には
    徒歩で行くことができました。

    ☆ホテル 
     チェックインは13:50でしたが
     即部屋に通してもらえました。

    バスタブも有り水回り良好
    Wi-fiはフリー 机・金庫もあり
    部屋は静か
    充分満足できたホテルでした。

  • ホテルで少し休憩をして<br />14:30を回った頃<br />車はホテルの駐車場に停め<br />街に出ました。

    ホテルで少し休憩をして
    14:30を回った頃
    車はホテルの駐車場に停め
    街に出ました。

  • 市庁舎を右に見て

    市庁舎を右に見て

  • アレーナ前の広場では<br />エジプトの仕掛けものが並んでいました。<br />これは、この夏アレーナで催されている<br />オペラの大道具かもしれません。

    アレーナ前の広場では
    エジプトの仕掛けものが並んでいました。
    これは、この夏アレーナで催されている
    オペラの大道具かもしれません。

  • アレーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)<br />円形闘技場は、紀元前1世紀に作られたとされ<br />ローマのコロッセオ、カプアの円形闘技場に次いで<br />イタリアでは3番目の規模です。<br />6月中旬から8月末頃まで<br />野外オペラの上演ばかりではなく<br />パバロッティ公演のような<br />色々なLIVEも開催されています。<br /><br /><br />

    アレーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)
    円形闘技場は、紀元前1世紀に作られたとされ
    ローマのコロッセオ、カプアの円形闘技場に次いで
    イタリアでは3番目の規模です。
    6月中旬から8月末頃まで
    野外オペラの上演ばかりではなく
    パバロッティ公演のような
    色々なLIVEも開催されています。


    アレーナ ディ ヴェローナ 劇場・ホール・ショー

    紀元前1世紀アレーナが現役で活躍している姿を! by あの街からさん
  • ブラ広場の一角に建つ<br />ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像<br />には観光の皆さんが休憩中。

    ブラ広場の一角に建つ
    ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像
    には観光の皆さんが休憩中。

  • そのアレーナの公演ポスターが<br />公園のあちらこちらに張り出されていました。

    そのアレーナの公演ポスターが
    公園のあちらこちらに張り出されていました。

  • そのアレーナの公演ポスターが<br />公園のあちらこちらに張り出されていました。

    そのアレーナの公演ポスターが
    公園のあちらこちらに張り出されていました。

  • そのアレーナの公演ポスターが<br />公園のあちらこちらに張り出されていました。

    そのアレーナの公演ポスターが
    公園のあちらこちらに張り出されていました。

  • この先広場に面してずーっと<br />カフェレストランが並んでいます。<br />やはりこういった広場のレストランは<br />人であふれていたほうがパワーがあっていいなぁ〜。

    この先広場に面してずーっと
    カフェレストランが並んでいます。
    やはりこういった広場のレストランは
    人であふれていたほうがパワーがあっていいなぁ〜。

  • 少し遅めのランチタイム!<br />お腹が空いてきました。( ̄ー ̄)

    少し遅めのランチタイム!
    お腹が空いてきました。( ̄ー ̄)

  • ソフトクリームにも魅かれましたが

    ソフトクリームにも魅かれましたが

  • お姉さんに呼び込みに<br />引かれて(笑)<br />この店で少し遅めのランチに<br />しました。

    お姉さんに呼び込みに
    引かれて(笑)
    この店で少し遅めのランチに
    しました。

  • 1人は<br />トマト味のボンゴレ

    1人は
    トマト味のボンゴレ

  • 1人はポモドーロを。<br /><br />やや行楽地料金でしたが<br />モチモチ生パスタが美味しかったのと<br />イタリアの中世の広場を行き交う人を<br />眺めながら旅空の雰囲気をも味わうことが<br />できたので良しとしましょう。( ̄ー ̄)

    1人はポモドーロを。

    やや行楽地料金でしたが
    モチモチ生パスタが美味しかったのと
    イタリアの中世の広場を行き交う人を
    眺めながら旅空の雰囲気をも味わうことが
    できたので良しとしましょう。( ̄ー ̄)

  • ごちそうさまをして

    ごちそうさまをして

  • 広場を眺めながらの<br />カフェ・レストランでの<br />このひと時が旅の醍醐味です。

    広場を眺めながらの
    カフェ・レストランでの
    このひと時が旅の醍醐味です。

  • 竪琴を弾くパフォーマーに<br />しばし釘付けい〜い音♪でしたぁ。

    竪琴を弾くパフォーマーに
    しばし釘付けい〜い音♪でしたぁ。

  • 街角のパフォーマーが奏でるって<br />なんと贅沢なのだろう<br />

    街角のパフォーマーが奏でるって
    なんと贅沢なのだろう

  • アレーナの回りには<br />何やら人垣が

    イチオシ

    アレーナの回りには
    何やら人垣が

  • 広場にも人があふれています。

    広場にも人があふれています。

  • 10代〜20代の人たちを<br />中心に

    10代〜20代の人たちを
    中心に

  • 今夜のLIVEは

    今夜のLIVEは

  • 10代〜20代の人たちを<br />中心にぐるりと並んでいました。

    10代〜20代の人たちを
    中心にぐるりと並んでいました。

  • べローナの代表的な商店街<br />ヴィア・マッツィーニに入ります。

    べローナの代表的な商店街
    ヴィア・マッツィーニに入ります。

  • べェローナの代表的な商店街<br />ヴィア・マッツィーニ<br />奥にエルベ広場のランベルティの塔が。<br />

    べェローナの代表的な商店街
    ヴィア・マッツィーニ
    奥にエルベ広場のランベルティの塔が。

  • ブランド店や地元のあらゆる店が<br />並んでいます。

    ブランド店や地元のあらゆる店が
    並んでいます。

  • 表参道のように<br />裏通りにもオシャレな店が<br />点在しています。

    表参道のように
    裏通りにもオシャレな店が
    点在しています。

  • “ベローナ”と聞いて誰もが思い浮かべるのが<br />シェイクスピアの〈ロミオとジュリエット〉でしょうか。<br />やはり、ベローナ観光の超目玉!<br />でしょうね。<br /><br />ジュリエットの家にやってきました。<br />前回は朝1で訪れたのでまだ<br />誰〜もいませんでしたが、今日は<br />中庭いっぱい人・人・人でした。<br /><br />観光地はがら〜んとしているより<br />混み合っているぐらいがヽ( ̄▽ ̄)ノ  <br />のかな。 <br />

    “ベローナ”と聞いて誰もが思い浮かべるのが
    シェイクスピアの〈ロミオとジュリエット〉でしょうか。
    やはり、ベローナ観光の超目玉!
    でしょうね。

    ジュリエットの家にやってきました。
    前回は朝1で訪れたのでまだ
    誰〜もいませんでしたが、今日は
    中庭いっぱい人・人・人でした。

    観光地はがら〜んとしているより
    混み合っているぐらいがヽ( ̄▽ ̄)ノ  
    のかな。 

  • ご存知「ロミオとジュリエット」<br />はシエクスピアの小説として有名ですが<br />ベローナ近郊の作家ルイジ・タ・ボルト(1485年〜1529年)<br />が、ベローナに伝わる実話に基づいた話を小説にし<br />それが英訳されてイギリスに渡りシエクスピアの目に止まり<br />演劇として世に広まったのでした。<br /><br />14世紀神聖ローマ帝国が衰退し、イタリアの多くの街では<br />皇帝派(ロミオ)と教皇派(ジュリエット)が<br />骨肉の争いを続けていました。<br />その時代両家に生まれた2人の<br />“ ピュア”ゆえに“ 一途”な哀しい恋の物語<br />『ロミオとジュリエット』<br />ロンドンでの舞台劇を始めとして全世界で<br />これまで数多く取り上げられてきましたよね。<br />ほんの少し有名所を挙げてみても<br />日本の舞台では 蜷川幸雄演出<br />ロミオ〜藤原竜也 ジュリエット〜鈴木杏や<br />宝塚でも演目に。<br />ブロードウェイでは<br />20世紀後半のアメリカ ニューヨークに舞台を移して<br />イタリア系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との<br />2つの異なる少年ギャング団の争いと、そこで出会った<br />2人の悲恋物語として1957年初演。<br />「ウエストサイド物語」として誕生。<br />1961年同名の映画化されこちらも大ヒットとなりました。<br />

    ご存知「ロミオとジュリエット」
    はシエクスピアの小説として有名ですが
    ベローナ近郊の作家ルイジ・タ・ボルト(1485年〜1529年)
    が、ベローナに伝わる実話に基づいた話を小説にし
    それが英訳されてイギリスに渡りシエクスピアの目に止まり
    演劇として世に広まったのでした。

    14世紀神聖ローマ帝国が衰退し、イタリアの多くの街では
    皇帝派(ロミオ)と教皇派(ジュリエット)が
    骨肉の争いを続けていました。
    その時代両家に生まれた2人の
    “ ピュア”ゆえに“ 一途”な哀しい恋の物語
    『ロミオとジュリエット』
    ロンドンでの舞台劇を始めとして全世界で
    これまで数多く取り上げられてきましたよね。
    ほんの少し有名所を挙げてみても
    日本の舞台では 蜷川幸雄演出
    ロミオ〜藤原竜也 ジュリエット〜鈴木杏や
    宝塚でも演目に。
    ブロードウェイでは
    20世紀後半のアメリカ ニューヨークに舞台を移して
    イタリア系アメリカ人とプエルトリコ系アメリカ人との
    2つの異なる少年ギャング団の争いと、そこで出会った
    2人の悲恋物語として1957年初演。
    「ウエストサイド物語」として誕生。
    1961年同名の映画化されこちらも大ヒットとなりました。

    ジュリエットの家 建造物

  • バレイでは<br />ルドルフ・ヌレエフ振り付けパリ・オペラ座バレイ団<br />やミラノ・スカラ座バレイ団等数限りなくあります。<br />日本でも人気の熊川哲也バレイ団が記憶に新しいところですね。<br />さて<br />大の映画ファンの1人「あの街から」としては<br />ベローナにやってきたからには<br />「ロミオとジュリエット」を載せずにはゆきませんね。<br /><br />☆画像はジュリエットが愛をささやいたとされる<br /> バルコニー

    バレイでは
    ルドルフ・ヌレエフ振り付けパリ・オペラ座バレイ団
    やミラノ・スカラ座バレイ団等数限りなくあります。
    日本でも人気の熊川哲也バレイ団が記憶に新しいところですね。
    さて
    大の映画ファンの1人「あの街から」としては
    ベローナにやってきたからには
    「ロミオとジュリエット」を載せずにはゆきませんね。

    ☆画像はジュリエットが愛をささやいたとされる
     バルコニー

  • 映画化された作品を紐をといてみたら<br />これまた遥か昔から沢山の作品がありました。<br />ごく1部を挙げてみますと<br />1954年 イギリス <br />ローレンス・ハーヴェイ&スーザン・シェントール主演作品は<br />当時の最新テクニカラーで初映画化<br />第15回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞しました。<br /><br />それから、オードリー・ヘプバーン主演で<br />「マイ・フェア・レディ」を撮った<br />ジョージ・キューカー監督が<br />ノーマ・シアラーとレスリー・ハワード主演<br />で撮っています。<br />この監督は女性を描いたら右にでる<br />人がいないと言われていた名監督です。<br /><br />新しいところでは、1996年に<br />バズ・ラーマン監督が<br />まだ美少年の面影を残していた<br />レオナルド・ディカプリオ主演で<br />舞台を現代に変え、いがみ合うモンタギュー家と<br />キャピュレット家をギャングに設定するという<br />思い切ったリメーク版としてヒットさせました。<br />(この作品の後再びディカプリオとタッグを組んで<br />あの「華麗なるギャツビー」も撮りました。<br /><br />しかし<br />「あの街から」をしっかり捉えた作品は<br /> 1968年度作品<br />監督:フランコ・ゼフィレッリ<br />  (Franco Zeffirelli&#39;s)作品版です。<br /><br />つい先ごろイタリア発のニュースに驚いた人も多いと思いますが<br />『レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館の<br />アレサンドロ・ベッツォーシ館長<br />と国際ダビンチ協会の会長は<br />フィレンツェで開かれた記者会見で<br />ダビンチの存命する間接的な血縁関係にある<br />35人ほどの人物が判明。<br />この中の1人に映画やオペラなどで活躍した監督・脚本家の<br />フランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli)氏も<br />含まれている。』と発表しました。

    映画化された作品を紐をといてみたら
    これまた遥か昔から沢山の作品がありました。
    ごく1部を挙げてみますと
    1954年 イギリス 
    ローレンス・ハーヴェイ&スーザン・シェントール主演作品は
    当時の最新テクニカラーで初映画化
    第15回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞しました。

    それから、オードリー・ヘプバーン主演で
    「マイ・フェア・レディ」を撮った
    ジョージ・キューカー監督が
    ノーマ・シアラーとレスリー・ハワード主演
    で撮っています。
    この監督は女性を描いたら右にでる
    人がいないと言われていた名監督です。

    新しいところでは、1996年に
    バズ・ラーマン監督が
    まだ美少年の面影を残していた
    レオナルド・ディカプリオ主演で
    舞台を現代に変え、いがみ合うモンタギュー家と
    キャピュレット家をギャングに設定するという
    思い切ったリメーク版としてヒットさせました。
    (この作品の後再びディカプリオとタッグを組んで
    あの「華麗なるギャツビー」も撮りました。

    しかし
    「あの街から」をしっかり捉えた作品は
    1968年度作品
    監督:フランコ・ゼフィレッリ
      (Franco Zeffirelli's)作品版です。

    つい先ごろイタリア発のニュースに驚いた人も多いと思いますが
    『レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館の
    アレサンドロ・ベッツォーシ館長
    と国際ダビンチ協会の会長は
    フィレンツェで開かれた記者会見で
    ダビンチの存命する間接的な血縁関係にある
    35人ほどの人物が判明。
    この中の1人に映画やオペラなどで活躍した監督・脚本家の
    フランコ・ゼフィレッリ(Franco Zeffirelli)氏も
    含まれている。』と発表しました。

  • フランコ・ゼフィレッリ監督作品『ロミオとジュリエット』<br />当時15歳の無名に近いオリビア・ハッセーをジュリエットに<br />18歳のレナード・ホワイティングをロミオに配し<br />人を思う純粋な姿をオペラの舞台演出家でもある<br />フランコ・ゼフィレッリならでは<br />の映像美にあふれる名作に仕上げました。<br /><br />☆画像左は、あっと言う間に消えていった<br />「レーザーディスク」盤(画質はブルーレイをも凌ぐ綺麗さがあります。)<br />画像右は、アナログLP盤(オリジナル・サウンドトラック)<br />

    フランコ・ゼフィレッリ監督作品『ロミオとジュリエット』
    当時15歳の無名に近いオリビア・ハッセーをジュリエットに
    18歳のレナード・ホワイティングをロミオに配し
    人を思う純粋な姿をオペラの舞台演出家でもある
    フランコ・ゼフィレッリならでは
    の映像美にあふれる名作に仕上げました。

    ☆画像左は、あっと言う間に消えていった
    「レーザーディスク」盤(画質はブルーレイをも凌ぐ綺麗さがあります。)
    画像右は、アナログLP盤(オリジナル・サウンドトラック)

  • 全編に流れるニーノ・ロータのメロディが<br />ピュアな思いを伝えてくれました。<br />中でもロミオとジュリエットが出会う<br />舞踏会で流れる歌が印象に残っていて<br />後年サウンド・トラックのアルバムを買いました。<br />その後、作曲者のニーノ・ロータのオーケストラ盤<br />でまた違ったアレンジでも聴きたくなりました。<br />TVで再放映するとまたまた見直し( ̄ー ̄)<br />ある日、別本を探しに神田の古本屋街に出かけた際に<br />雑誌「スクリーン」誌の特集号を目にし<br />やや日焼けし暦年劣化したものでしたが<br />買って帰りました。(笑)<br /><br />右画像は、CD の「ロミオとジュリエット」サウンド・トラック盤<br />右下画像が、作曲者ニーノ・ロータ指揮のオーケストラ盤<br />☆ニーノ・ロータはご存知「ゴット・ファーザー」で<br />有名ですが、イタリア映画にはなくてはならない作曲家で<br />古くは、「道」「山猫」「太陽がいっぱい」の作曲家でもあります。<br /> 

    全編に流れるニーノ・ロータのメロディが
    ピュアな思いを伝えてくれました。
    中でもロミオとジュリエットが出会う
    舞踏会で流れる歌が印象に残っていて
    後年サウンド・トラックのアルバムを買いました。
    その後、作曲者のニーノ・ロータのオーケストラ盤
    でまた違ったアレンジでも聴きたくなりました。
    TVで再放映するとまたまた見直し( ̄ー ̄)
    ある日、別本を探しに神田の古本屋街に出かけた際に
    雑誌「スクリーン」誌の特集号を目にし
    やや日焼けし暦年劣化したものでしたが
    買って帰りました。(笑)

    右画像は、CD の「ロミオとジュリエット」サウンド・トラック盤
    右下画像が、作曲者ニーノ・ロータ指揮のオーケストラ盤
    ☆ニーノ・ロータはご存知「ゴット・ファーザー」で
    有名ですが、イタリア映画にはなくてはならない作曲家で
    古くは、「道」「山猫」「太陽がいっぱい」の作曲家でもあります。
     

  • そこでせっかくですからここで<br />雑誌「スクリーン」誌の特集号から制作時の<br />逸話や当時の映画評論家の話しをかいつまんで<br />載せてみます。<br />〜ジュリエット役のオリビア・ハッセーはオーディションに<br />自身の写真を送って〈剣を胸に突き刺して死ぬシーンを演じ〉<br />300名の候補者から選ばれました。<br />一方ロミオ役のレナード・ホワイティングは、<br />ロンドンのウエストエンド(NYで言えばブロードウェイ)の舞台で<br />「オリバー!」に出演していて後にモンキーズのメンバーとなった<br />デイビー・ジョーンズの演じていた役を引き継いで<br />1年3ヶ月約450回も演じ後に<br />ロンドン演劇界の最高劇団「オールド・ヴィック座」の<br />シェイクスピア劇を演じ西ドイツ・モスクワ公演にも<br />参加していましたがその頃<br />ロミオ役を探していた<br />ゼフィレッリ監督の目に止まりました。

    そこでせっかくですからここで
    雑誌「スクリーン」誌の特集号から制作時の
    逸話や当時の映画評論家の話しをかいつまんで
    載せてみます。
    〜ジュリエット役のオリビア・ハッセーはオーディションに
    自身の写真を送って〈剣を胸に突き刺して死ぬシーンを演じ〉
    300名の候補者から選ばれました。
    一方ロミオ役のレナード・ホワイティングは、
    ロンドンのウエストエンド(NYで言えばブロードウェイ)の舞台で
    「オリバー!」に出演していて後にモンキーズのメンバーとなった
    デイビー・ジョーンズの演じていた役を引き継いで
    1年3ヶ月約450回も演じ後に
    ロンドン演劇界の最高劇団「オールド・ヴィック座」の
    シェイクスピア劇を演じ西ドイツ・モスクワ公演にも
    参加していましたがその頃
    ロミオ役を探していた
    ゼフィレッリ監督の目に止まりました。

  • さて、当時シェークスピア作品の映画化にあたり<br />原作通りの現地での撮影はごくまれなことでした。<br />オペラの舞台演出家でもある<br />ゼフィレッリ監督はどの様に作品に仕立てていったのか?<br />撮影(ロケ地)が気になります。<br /><br />ゼフィレッリ監督の作品では<br />美術監督がリーダーとするロケ班隊が<br />トスカーナ地方を中心におよそ半年をかけ<br />古城・寺院を見て回りました。<br />60ヶ所の候補地をリストアップ。<br />監督はその全候補地をヘリコプターと<br />車で回り最終的には<br />その大半を中世の建物が沢山保存されていた<br />シエナで撮影地に選びカメラを回しました。<br />他には、舞踏会のシーンはローマ郊外の邸宅で<br />「決闘シーンはシエナのサンピエトロ寺院前の<br />広場以外の考えられなかった。」<br />という記述が残っていました。<br />ベローナで撮影されたのかなぁと思って<br />いましたので少し意外でしたが<br />しかし<br />こうしてベローナの街角に立ってみると<br />ベローナも中世の建物がいっぱいあるのですが<br />スクリーンには現代風なカフェ等写っては<br />ロケにはならないのですね。<br />

    さて、当時シェークスピア作品の映画化にあたり
    原作通りの現地での撮影はごくまれなことでした。
    オペラの舞台演出家でもある
    ゼフィレッリ監督はどの様に作品に仕立てていったのか?
    撮影(ロケ地)が気になります。

    ゼフィレッリ監督の作品では
    美術監督がリーダーとするロケ班隊が
    トスカーナ地方を中心におよそ半年をかけ
    古城・寺院を見て回りました。
    60ヶ所の候補地をリストアップ。
    監督はその全候補地をヘリコプターと
    車で回り最終的には
    その大半を中世の建物が沢山保存されていた
    シエナで撮影地に選びカメラを回しました。
    他には、舞踏会のシーンはローマ郊外の邸宅で
    「決闘シーンはシエナのサンピエトロ寺院前の
    広場以外の考えられなかった。」
    という記述が残っていました。
    ベローナで撮影されたのかなぁと思って
    いましたので少し意外でしたが
    しかし
    こうしてベローナの街角に立ってみると
    ベローナも中世の建物がいっぱいあるのですが
    スクリーンには現代風なカフェ等写っては
    ロケにはならないのですね。

  • 「ジュリエットの家」の前の道(カッペッロ通り)を<br />数分歩くと、エルベ広場の南東の端に出ます。<br /><br />エルベ広場(Piazza delle Erbe)に出ました。<br />長方形の広場に白い屋根のテントを張った店が立ち並んでいます。<br />古代ローマ時代からこの場所に公共市場があったそうです。<br /><br />エルベとは ハーブの意味ということで<br />当初は野菜の市場として出発したらしいのですが<br />今では肉,花,みやげ物屋などの店が並び<br />地元の人ばかりではなく観光客にも人気の<br />スポットとなっています。

    「ジュリエットの家」の前の道(カッペッロ通り)を
    数分歩くと、エルベ広場の南東の端に出ます。

    エルベ広場(Piazza delle Erbe)に出ました。
    長方形の広場に白い屋根のテントを張った店が立ち並んでいます。
    古代ローマ時代からこの場所に公共市場があったそうです。

    エルベとは ハーブの意味ということで
    当初は野菜の市場として出発したらしいのですが
    今では肉,花,みやげ物屋などの店が並び
    地元の人ばかりではなく観光客にも人気の
    スポットとなっています。

    エルベ広場 広場・公園

    古代ローマ時代からの公共市場ですが今では観光客にも人気のスポットです by あの街からさん
  • そのエルベ広場の一角にあるのが<br />高さは84メートルとも86メートルとも<br />言われいる『ランベルティの塔』です。<br />煙のように高い所が大好きな“あの街から”(笑)<br /><br />世界遺産の街を一望できる<br />塔と知ったら登らずにいられません。ヽ( ̄▽ ̄)ノ

    イチオシ

    地図を見る

    そのエルベ広場の一角にあるのが
    高さは84メートルとも86メートルとも
    言われいる『ランベルティの塔』です。
    煙のように高い所が大好きな“あの街から”(笑)

    世界遺産の街を一望できる
    塔と知ったら登らずにいられません。ヽ( ̄▽ ̄)ノ

    ランベルティの塔 建造物

    世界遺産のベローナの街を一望! ベローナ観光には外せない所です by あの街からさん
  • 途中までエレベータで<br />その上は階段を登ってきましたぁ。<br /><br />ランベルティ家が1172年に建設を始め<br />15世紀に完成しました。 <br />しかし、その後 落雷に逢う等して<br />数度に渡って増改築され凝灰岩・レンガ・大理石など<br />その時代時代のさまざまな建築材が使用された痕跡が<br />残っています。<br />

    途中までエレベータで
    その上は階段を登ってきましたぁ。

    ランベルティ家が1172年に建設を始め
    15世紀に完成しました。 
    しかし、その後 落雷に逢う等して
    数度に渡って増改築され凝灰岩・レンガ・大理石など
    その時代時代のさまざまな建築材が使用された痕跡が
    残っています。

  • 後に(16世紀になってから)<br />大小2つの鐘が取り付けられました。<br />大きい方の鐘は「レンゴ」と呼ばれ、 <br />市議会の招集や戦争時等緊急時に市民召集する役割をし<br />小さい方の鐘はヴェローナの方言で大工を意味する<br />「マランゴーナ」の名で親しまれ、<br />労働時間と火事を知らせる役割をし<br />市民生活と密接な役割を果たしてきました。<br />

    後に(16世紀になってから)
    大小2つの鐘が取り付けられました。
    大きい方の鐘は「レンゴ」と呼ばれ、
    市議会の招集や戦争時等緊急時に市民召集する役割をし
    小さい方の鐘はヴェローナの方言で大工を意味する
    「マランゴーナ」の名で親しまれ、
    労働時間と火事を知らせる役割をし
    市民生活と密接な役割を果たしてきました。

  • 眼下にはエルベ広場が。<br />北側に見える白い建物、マッフェイ邸で<br />その横にある塔が<br />ガルデッリ塔(torre del Gardello)<br />です。<br />

    イチオシ

    眼下にはエルベ広場が。
    北側に見える白い建物、マッフェイ邸で
    その横にある塔が
    ガルデッリ塔(torre del Gardello)
    です。

  • ぐるり<br />階段を上がった所には<br />世界遺産の街が広がっていました。<br />しばし、じっくりと<br />その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)

    ぐるり
    階段を上がった所には
    世界遺産の街が広がっていました。
    しばし、じっくりと
    その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)

  • ぐるり<br />階段を上がった所には<br />世界遺産の街が広がっていました。<br />しばし、じっくりと<br />その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)<br />

    ぐるり
    階段を上がった所には
    世界遺産の街が広がっていました。
    しばし、じっくりと
    その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)

  • ぐるり<br />階段を上がった所には<br />世界遺産の街が広がっていました。<br />しばし、じっくりと<br />その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)

    ぐるり
    階段を上がった所には
    世界遺産の街が広がっていました。
    しばし、じっくりと
    その風景を楽しみました。( ̄ー ̄)

  • べローナはイタリアの北部にある<br />人口およそ25万人の都市です。<br />多くの歴史的建造物と<br />この様な中世の街並みが残っており<br />町全体が世界遺産として登録されました。

    べローナはイタリアの北部にある
    人口およそ25万人の都市です。
    多くの歴史的建造物と
    この様な中世の街並みが残っており
    町全体が世界遺産として登録されました。

  • ローマ時代からミラノ、ヴェネツィア間の<br />幹線道路の要衝として栄えたべローナ。<br />紀元前1世紀中ごろにはローマ帝国の中に組み込まれ<br />発展をとげ、その後幾度となく紆余曲折があり<br />1405年にヴェネツィアの支配下となり<br />商業、文化都市として発展しました。

    ローマ時代からミラノ、ヴェネツィア間の
    幹線道路の要衝として栄えたべローナ。
    紀元前1世紀中ごろにはローマ帝国の中に組み込まれ
    発展をとげ、その後幾度となく紆余曲折があり
    1405年にヴェネツィアの支配下となり
    商業、文化都市として発展しました。

  • やがて1797年には、<br />ナポレオンがヴェネツィア共和国を制圧し<br />べローナは一時フランス軍の支配下に入り<br />その後オーストリア領になり 以降<br />1866年には、イタリア王国に編入される<br />など歴史を刻んできました。

    やがて1797年には、
    ナポレオンがヴェネツィア共和国を制圧し
    べローナは一時フランス軍の支配下に入り
    その後オーストリア領になり 以降
    1866年には、イタリア王国に編入される
    など歴史を刻んできました。

  • 夏の陽光に赤茶色の煉瓦がまぶしい<br />この街は<br />こんな時の流れの中を歩んできたのだぁ<br />などと<br />思いを馳せながら<br />

    夏の陽光に赤茶色の煉瓦がまぶしい
    この街は
    こんな時の流れの中を歩んできたのだぁ
    などと
    思いを馳せながら

  • 世界遺産の街並みを見ていました。<br />(●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) <br />奥に見えるアディジェ川は<br />イタリア第2の長流でアドリア海へと注いでます。

    イチオシ

    世界遺産の街並みを見ていました。
    (●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) 
    奥に見えるアディジェ川は
    イタリア第2の長流でアドリア海へと注いでます。

  • ドゥオーモヽ( ̄▽ ̄)ノ を臨みます。

    ドゥオーモヽ( ̄▽ ̄)ノ を臨みます。

  • 方向を変えるごと<br />その陽光も微妙に変化し<br />美しく迫ってきました。

    方向を変えるごと
    その陽光も微妙に変化し
    美しく迫ってきました。

  • 方向を変えるごと<br />その陽光も微妙に変化し<br />美しく迫ってきました。

    方向を変えるごと
    その陽光も微妙に変化し
    美しく迫ってきました。

  • こちらは東側からの眺め<br />サンタナスターシャ教会を臨みます。

    こちらは東側からの眺め
    サンタナスターシャ教会を臨みます。

  • 方向を変えるごと<br />その陽光も微妙に変化し<br />美しく迫ってきました。

    方向を変えるごと
    その陽光も微妙に変化し
    美しく迫ってきました。

  • サンタナスタシア教会の高い鐘楼<br />繰り返し見てみてもその美しさは<br />赤茶色の街並に映えています。

    サンタナスタシア教会の高い鐘楼
    繰り返し見てみてもその美しさは
    赤茶色の街並に映えています。

  • アディジェ川も見えます。<br />ヽ( ̄▽ ̄)ノ 

    アディジェ川も見えます。
    ヽ( ̄▽ ̄)ノ 

  • 奥に見える、緑に埋もれたサン・ピエトロの丘が<br />べローナ発祥の地といわれます。<br />

    奥に見える、緑に埋もれたサン・ピエトロの丘が
    べローナ発祥の地といわれます。

  • 奥に見える、緑に埋もれたサン・ピエトロの丘が<br />べローナ発祥の地といわれます。<br />

    奥に見える、緑に埋もれたサン・ピエトロの丘が
    べローナ発祥の地といわれます。

  • 世界遺産の街並み<br />(●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) 

    イチオシ

    世界遺産の街並み
    (●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) 

  • 世界遺産の街並み<br />(●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) 

    イチオシ

    世界遺産の街並み
    (●´ー`●) (●´ー`●) (●´ー`●) 

  • さて、ランベルティの塔で<br />世界遺産の街の全景を楽しんだ後<br />やって来たのは<br />スカリジェロ橋 (Ponte Scaligero)<br />ベローナの主な見所は徒歩圏にあるのです。<br />夏の陽光の照らされた赤煉瓦の街並みも<br />素敵でしたが<br /><br />

    イチオシ

    地図を見る

    さて、ランベルティの塔で
    世界遺産の街の全景を楽しんだ後
    やって来たのは
    スカリジェロ橋 (Ponte Scaligero)
    ベローナの主な見所は徒歩圏にあるのです。
    夏の陽光の照らされた赤煉瓦の街並みも
    素敵でしたが

    カステルヴェッキオとスカリジェロ橋 建造物

    中世の香りがぷんぷん撮影ポイントでもあります by あの街からさん
  • アディジェ川沿いを散策しながら<br />やって来ました。

    アディジェ川沿いを散策しながら
    やって来ました。

  • 撮影ポイントでもあります。<br />♪♪ ヽ(´ー`)ノ ♪♪

    撮影ポイントでもあります。
    ♪♪ ヽ(´ー`)ノ ♪♪

  • 橋に隣接して古城「カステルヴェッキオ」<br />現在では、市立美術館となっています。

    橋に隣接して古城「カステルヴェッキオ」
    現在では、市立美術館となっています。

  • スカリジェロ橋はべローナを支配していた<br />スカラ家にちなんで付けられた名前だそうで<br />14世紀半ばの建造ということです。

    スカリジェロ橋はべローナを支配していた
    スカラ家にちなんで付けられた名前だそうで
    14世紀半ばの建造ということです。

    カステルヴェッキオとスカリジェロ橋 建造物

    中世の香りがぷんぷん撮影ポイントでもあります by あの街からさん
  • この煉瓦1枚1枚が<br />どんな歴史を見てきたのでしょうね。

    この煉瓦1枚1枚が
    どんな歴史を見てきたのでしょうね。

  • この煉瓦1枚1枚が<br />どんな歴史を見てきたのでしょうね。

    この煉瓦1枚1枚が
    どんな歴史を見てきたのでしょうね。

  • 撮影ポイントでもあります。<br />♪♪ ヽ(´ー`)ノ ♪♪

    撮影ポイントでもあります。
    ♪♪ ヽ(´ー`)ノ ♪♪

  • まさに中世の世界でした。

    イチオシ

    まさに中世の世界でした。

  • アディジェ川に架かる橋でもあり

    アディジェ川に架かる橋でもあり

  • 歓声と水音に<br />目をやればアディジェ川で<br />楽しそうに水浴びをしている人たちが

    歓声と水音に
    目をやればアディジェ川で
    楽しそうに水浴びをしている人たちが

  • 誰もいなくなった荘厳な石造りの壁や<br />見張りの塔から旧市街を望みながら<br />しばし中世にタイムスリップ。<br />

    誰もいなくなった荘厳な石造りの壁や
    見張りの塔から旧市街を望みながら
    しばし中世にタイムスリップ。

  • 誰もいなくなった荘厳な石造りの壁や<br />見張りの塔から旧市街を望みながら<br />しばし中世にタイムスリップ。<br />

    誰もいなくなった荘厳な石造りの壁や
    見張りの塔から旧市街を望みながら
    しばし中世にタイムスリップ。

  • さて、アディジェ川を散策しながら<br />ホテルに戻ります。

    さて、アディジェ川を散策しながら
    ホテルに戻ります。

  • 一幅の絵画を見ているような<br />素敵な散策路でした。(●´ー`●) 

    一幅の絵画を見ているような
    素敵な散策路でした。(●´ー`●) 

  • 一幅の絵画を見ているような<br />素敵な散策路でした。(●´ー`●) 

    一幅の絵画を見ているような
    素敵な散策路でした。(●´ー`●) 

  • あまりに素敵な風景でしたから<br />翌朝、ガルダ湖へ立つ前に<br />もう1度やって来ました。

    あまりに素敵な風景でしたから
    翌朝、ガルダ湖へ立つ前に
    もう1度やって来ました。

  • あまりに素敵な風景でしたから<br />翌朝、ガルダ湖へ立つ前に<br />もう1度やって来ました。

    あまりに素敵な風景でしたから
    翌朝、ガルダ湖へ立つ前に
    もう1度やって来ました。

  • アディジェ河の向こうに広がる<br />サン・ピエトロの丘を目に焼き付けて<br />ガルダ湖へと出発しました。<br /><br />この中世の街を味わい尽くすには<br />1泊2日でも足りないくらい<br />素敵な街でした。

    イチオシ

    アディジェ河の向こうに広がる
    サン・ピエトロの丘を目に焼き付けて
    ガルダ湖へと出発しました。

    この中世の街を味わい尽くすには
    1泊2日でも足りないくらい
    素敵な街でした。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • ポテのお散歩さん 2021/04/02 22:28:37
    ヴェローナ♪
    あの街からさん こんばんは。

    やっと ゆっくり旅行記を拝見させて頂けるようになりました。
    イタリアへは また行きたいなと思う、憧れの地です。
    ヴェローナはヴェニスやミラノから鉄道で行きやすいので
    行きたい街の一つです。

    やはりロミオとジュリエットのイメージが強い街ですが、
    中世の面影が まだまだ残っていて素敵ですね。
    それに活気のある街だな~と感じました。
    ロミオ&ジュリエットの街。。。というだけでなく、
    魅力のある街だという事が旅行記から伝わってきました。
    宿泊したからこそ 分かる魅力ですね。
    高い塔から見渡した街並みが 歴史を語っていて、
    新しい発見でした。

      ポテ

    あの街から

    あの街からさん からの返信 2021/04/05 08:44:41
    RE: 旅ポテさん お久しぶり お元気でしたか ありがとうございます
    旅ポテさん
    ありがとうございます。
    お久しぶりです。
    旅ポテさんの足跡を見た時にはとてもうれしく驚きました。

    イタリアい〜いですよね。
    このところバーチャル旅にと、これまで歩いてきた
    街や村や山々の旅行記を取り出してみていますが
    イタリアの日々はやはり
    トップグループを占めることになりました。(^ー^)

    昨年の緊急事態宣言以降週3回のスタジオ通いが
    7カ月の長いと休みと再開後も時折りの休みが続き
    一方続けていた講座で本格的なリモートを初体験したりと
    コロナ禍で暮らしも変わってしまいました。
    “あの街から“の「旅」は
    このところ家の周りのウォーキングの旅と化していますが
    昨年 「京都」への思いが募り数年ぶりで一週間程滞在してきました。
    京都に降り立った時に、旅ポテさんお元気だろうかと
    どこかですれ違ったりしないだろか。とか思い浮かべておりました。

    数年前、相方さんが突然ICUで治療を要する体調崩し以降改めて
    日々を大切にしつつ、元気の素としての「旅」の存在に
    思いを馳せるようになりました。
    そんなところにコロナ禍。
    慎重になる相方さんの気持ちを尊重し
    なかなか旅もままならないのですが
    こんな時だからこそ「旅」Powerの翼に乗り
    楽しいイメージで頭を満たし、
    この際にと(笑)何パターンもの計画をたて
    元気に暮らしています。

    「旅ポテ」さんのところに久しぶりに飛んでいって
    続きのコミも交わしたいと思っています。
    ありがとうございます。
    また!ね♪

    あの街から




    ポテのお散歩

    ポテのお散歩さん からの返信 2021/04/05 09:54:32
    返信 ありがとうございます。
    あの街からさん おはようございます。
    返信 ありがとうございます。

    イタリア、いいですよね。
    行けば行くほど 魅力に引き込まれる国です。
    旅行記を拝見していて、京都の旅行記も多いなと感じ
    次は京都編を拝見しようと楽しみにしています。
    その時、我慢できずに 数冊チラリと流し読みしたんです。
    そしたら。。。私の住んでいる町を歩いて下さっていたのです。
    そう、ベランダから手を振ったら見える道を。。。
    いつも歩くその道を、ちょっと特別な気持ちで歩いています(*^^*)
    詳しく書くと見る人が見ると すぐ分かるので
    あまりに個人情報過ぎてコメントを書くときに、
    書こうか迷っていたのですが、今回は長い文章の一部だから
    このくらいだったら あの街からさん以外に この文章に
    気付く人はいないかな? と、書いてみました(*^^*)
    これから ゆっくり京都編へ、お邪魔しますね。
    奥様の事、ご心配ですね。 あの街からさんの存在は大きな支えと思います。
    私も体調を崩したのでよくわかります。
    本当にコロナ。。。いつ終息するんでしょうね!
    不安な中 京都を歩いて下さった事、嬉しく思います。
    焦らず ゆっくり。。。今 出来る事を お互い楽しみましょうね♪

      ポテ

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