2016/03/19 - 2016/03/19
281位(同エリア1384件中)
エスペラさん
お彼岸は田舎に帰省。いつもは福岡空港から往復するが、たまには長崎空港の方から帰ってみた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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相変わらず雨のスタート。
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たまたま路傍で見つけた石仏。
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すぐ後ろには「峯阿乗の碑」というものがあった。
長崎大村における、江戸時代前のキリスト教勃興期である1574年(天正二年)、藩内のキリシタンたちは寺社を破壊していた。当時の住職峯阿乗は嬉野方面へと逃亡する途中でキリシタンに見つかり惨殺され、遺体は便所に埋められたという。その場所がここだということだ。
長崎のキリスト教はその迫害の歴史ばかりがフィーチャーされるが、こうした闇の部分もあったことを改めて知った。 -
現在も大事に信仰されているようだ。
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長崎街道松原宿。
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1960年まで営業されていたという旧松屋旅館。現在は資料館となっていた。
少し歩いてみようと自転車を引いて歩いていると、ぜひ見て行ってくださいと声をかけられた。 -
中には立派なおひな様があった。
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年配の女性たちが忙しく歩き回っては掃除をしたり何かを用意したりしていた。
この次の日に、ここで結婚式があるのだという。町おこしを兼ねてだと思うが、見てみたいものだと思った。 -
「相撲取り墓」。まつられている力士はどのような人だったか分からないらしい。
大村はすもうに縁があるようで、先ほどの峯阿乗の碑の前にも土俵があり、学校の校庭にも土俵をよく見かけた。
そういえば、力道山も、大村出身ということになっていたらしい。 -
千綿駅ではカフェのようなイベントが行われていた。
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「道の駅彼杵の荘」と同じ敷地にあるひさご塚古墳。
九州北部はあきれるほどたくさんの古墳があるが、その状態は両極端だ。 -
古民家も復元されていた。公開はちょっと先とのことだった。たぶん、今頃は公開されているのだろう。
同じ敷地内に歴史民俗資料館もある。ちょうどこの日は企画展「長岡安平没後90周年記念展」が開催されていた。どんな人か分からず入ってみたら、明治期に多数の公園を設計した人だということだった。小さな展示だったが、非常に充実していて面白かった。 -
片島魚雷発射場。
川棚町が大きな軍事工場だったということは、恥ずかしながら最近まで知らなかった。 -
片島魚雷発射場のすぐそばにある、ほこらが取り去られた神社。
どういった由来があるのだろうか? -
訓練所付属病院の門だということだった。
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特攻殉国の碑。
木造の小型艇に爆薬を装着して体当たり攻撃を行っていたという。
その訓練場がこの近辺にあったということだった。 -
「震洋」という名前だったいうこと。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2016/04/04 05:11:15
- 川棚海軍工廠
- エスペラさま、おはようございます。
旅行記を拝見させて頂き、エスペラさまが川棚のご出身だったと知って驚いております。
仰せの通り、川棚海軍工廠は佐世保海軍工廠の分工場として開設され、三菱重工長崎工場浦上分工場で製造された艦艇用魚雷本体を川棚に移送し組立を行っておりました。
当時の海軍艦艇用魚雷本体は、全国で長崎以外では名古屋でしか製造出来ず、川棚で組立てられた魚雷は、貨車で佐世保と呉に送られました。
その為に、現在東京で保存されている、当時の運輸省の空襲記録で、大村線に対する空襲は、南九州と同じ程度でズバ抜けた回数を記録しており、川棚駅も機銃掃射で全焼しております。
横浜臨海公園
- エスペラさん からの返信 2016/04/04 23:31:56
- RE: 川棚海軍工廠
- 横浜臨海公園さん、コメントありがとうございます。
また、詳しい情報をありがとうございます。
ちょっと誤解をさせてしまったようですが、私の実家は川棚ではなく、山一つ越えた武雄市になります。途中で訪ねた場所の旅行記でした。
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