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2016年3月18日から23日までベルギーおよびオランダ旅行へ行ってまいりました。ご存知の通り、ベルギーからのまさに出国予定日となる22日、悲劇のテロ事件が発生してしまったのです。<br /><br />私が搭乗する予定だったベルギーからのフライトが14時だったため、まさに市内から空港へ向かうために滞在先ホテルをチェックアウトするところで、この非常事態の重き状況を知りました。あと数時間フライトがずれていたら…もっと前倒しで空港へ向かっていたら…もし移動途中でトローヌ駅を使っていたら…と思うと背筋が凍る思いです。<br /><br />今回の事件で被害に遭われた方、巻き込まれてしまった方のご冥福と、心穏やかな生活が世界にいち早く訪れる事を心から祈りつつ、今回の事件を通して改めて色々な事を感じ、考えさせられる旅行となった事を忘れないためにも、写真だけでも早くアップしておこうと思います。<br /><br />この旅行記をアップしている今は、3月27日。昨日、自宅に無事に戻る事が出来た安堵に包まれた気持ちです。

ベルギー・ブリュッセル編 テロ事件を身近に感じて…

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2016/03/18 - 2016/03/25

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にじ色のカバン

にじ色のカバンさん

2016年3月18日から23日までベルギーおよびオランダ旅行へ行ってまいりました。ご存知の通り、ベルギーからのまさに出国予定日となる22日、悲劇のテロ事件が発生してしまったのです。

私が搭乗する予定だったベルギーからのフライトが14時だったため、まさに市内から空港へ向かうために滞在先ホテルをチェックアウトするところで、この非常事態の重き状況を知りました。あと数時間フライトがずれていたら…もっと前倒しで空港へ向かっていたら…もし移動途中でトローヌ駅を使っていたら…と思うと背筋が凍る思いです。

今回の事件で被害に遭われた方、巻き込まれてしまった方のご冥福と、心穏やかな生活が世界にいち早く訪れる事を心から祈りつつ、今回の事件を通して改めて色々な事を感じ、考えさせられる旅行となった事を忘れないためにも、写真だけでも早くアップしておこうと思います。

この旅行記をアップしている今は、3月27日。昨日、自宅に無事に戻る事が出来た安堵に包まれた気持ちです。

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  • 現地時間の22日14時にエミレーツ航空でブリュッセル発、ドバイ経由で23日に羽田到着する予定だった。<br /><br />この日はブリュッセル空港のラウンジも使ってみたかったため、お昼前には市内ホテルを出発する予定だった。<br /><br />その前に最後のグランプラスを目に焼き付けようと、ホテルから散歩に出た。この時点では、特にTVも見ていないし、ホテルのロビーや出かける前に挨拶したレセプションも変わらぬ応対のため、テロ事件が発生しているなどと知る由もなかった。<br /><br />通り掛かりの地下道にスーパーがあり、どうせ10時頃でないと開店しないだろうと思いきや、地下を降りて立ち寄ってみると、すでに朝8時からオープンしていた。そこでチョコレートなどを物色し、また数件の開いているブティックなどを横目にグランプラスまで散策。お天気はちょっと曇り気味で空気は冷たいが気持ちよい。<br /><br />市内中心部まで徒歩でふらふらしていると、突然街中にけたたましいサイレンが鳴り始めた。何かよく分からずにいたが、どうせいつものお決まりの警告音か何かだろうと、特に深くは気にとめなかった。街中は人気もそれなりにあった。しかし既に開店しているお店の店員が、長時間鳴り響くサイレンに異常を感じたのか、表へ出てくる人がいた。グランプラスへ到着すると、兵士の数が非常に多くいて、この時点で、ただ事でないと察知できた。とりあえず、街中へ出ても情報が得られないため、急ぎ足でホテルへ戻った。グランプラスからは早足でも15分はかかる。先ほどまで開いていたほとんどのお店やスーパーは全てガレージが降り、この小一時間の間に封鎖されていた。<br /><br />

    現地時間の22日14時にエミレーツ航空でブリュッセル発、ドバイ経由で23日に羽田到着する予定だった。

    この日はブリュッセル空港のラウンジも使ってみたかったため、お昼前には市内ホテルを出発する予定だった。

    その前に最後のグランプラスを目に焼き付けようと、ホテルから散歩に出た。この時点では、特にTVも見ていないし、ホテルのロビーや出かける前に挨拶したレセプションも変わらぬ応対のため、テロ事件が発生しているなどと知る由もなかった。

    通り掛かりの地下道にスーパーがあり、どうせ10時頃でないと開店しないだろうと思いきや、地下を降りて立ち寄ってみると、すでに朝8時からオープンしていた。そこでチョコレートなどを物色し、また数件の開いているブティックなどを横目にグランプラスまで散策。お天気はちょっと曇り気味で空気は冷たいが気持ちよい。

    市内中心部まで徒歩でふらふらしていると、突然街中にけたたましいサイレンが鳴り始めた。何かよく分からずにいたが、どうせいつものお決まりの警告音か何かだろうと、特に深くは気にとめなかった。街中は人気もそれなりにあった。しかし既に開店しているお店の店員が、長時間鳴り響くサイレンに異常を感じたのか、表へ出てくる人がいた。グランプラスへ到着すると、兵士の数が非常に多くいて、この時点で、ただ事でないと察知できた。とりあえず、街中へ出ても情報が得られないため、急ぎ足でホテルへ戻った。グランプラスからは早足でも15分はかかる。先ほどまで開いていたほとんどのお店やスーパーは全てガレージが降り、この小一時間の間に封鎖されていた。

  • ホテルへ戻ると、ロビーにたくさんの旅行者やビジネス客がいた。レセプションで何事かと聞き、この時点で始めて、空港および駅でテロが発生した事を知る。だが詳しく情報はローカルであるホテルスタッフさえもまだ掴めていなかった。<br /><br />ホテルの自分の部屋へ戻り、急いでNHKを付けるが、なぜかチャンネルがつかない。そこでwifiを繋ぐと、日本から安否を心配する連絡が入っていた。とにかくこの時点では、テロが発生した事と、それもかなりの大事であることだけしか分からなかった。そこでとにかく情報収集に邁進するため、チェックアウト体勢を整え、全ての荷物を持ってロビーへ向かった。アジア人はもとより、日本人など誰ひとりいないが、より多くの情報をいち早く得るためには、部屋へ閉じる籠るよりベターだと判断した。<br /><br />ここから数時間経って、空港も駅も全て閉鎖され、国際列車でも出国ができず、ホテルから身動きが一切取れない状況だとわかった。ベルギーの日本大使館へ電話しても、「こちらも混乱状態で何も分からない。自己責任で判断して動いてくれ。」としか繰り返さない。確かに地図で確認すると、地下鉄で爆発があった駅から日本大使館は非常に近い場所に位置していた。搭乗予定だったエミレーツ航空へ電話するも、全く通じず。またロビーでも色々な憶測や情報が飛び交い、それが、何が真実か、どう行動すべきかが分かりづらくしていた。頼りになるのはネットでのBBCニュースとCNNくらいしかなかった。<br /><br /><br /><br />

    ホテルへ戻ると、ロビーにたくさんの旅行者やビジネス客がいた。レセプションで何事かと聞き、この時点で始めて、空港および駅でテロが発生した事を知る。だが詳しく情報はローカルであるホテルスタッフさえもまだ掴めていなかった。

    ホテルの自分の部屋へ戻り、急いでNHKを付けるが、なぜかチャンネルがつかない。そこでwifiを繋ぐと、日本から安否を心配する連絡が入っていた。とにかくこの時点では、テロが発生した事と、それもかなりの大事であることだけしか分からなかった。そこでとにかく情報収集に邁進するため、チェックアウト体勢を整え、全ての荷物を持ってロビーへ向かった。アジア人はもとより、日本人など誰ひとりいないが、より多くの情報をいち早く得るためには、部屋へ閉じる籠るよりベターだと判断した。

    ここから数時間経って、空港も駅も全て閉鎖され、国際列車でも出国ができず、ホテルから身動きが一切取れない状況だとわかった。ベルギーの日本大使館へ電話しても、「こちらも混乱状態で何も分からない。自己責任で判断して動いてくれ。」としか繰り返さない。確かに地図で確認すると、地下鉄で爆発があった駅から日本大使館は非常に近い場所に位置していた。搭乗予定だったエミレーツ航空へ電話するも、全く通じず。またロビーでも色々な憶測や情報が飛び交い、それが、何が真実か、どう行動すべきかが分かりづらくしていた。頼りになるのはネットでのBBCニュースとCNNくらいしかなかった。



  • 日本へ連絡すべき先にメールを入れ、ともかく現在は怪我もなく無事であること、本来のスケジュールでは帰国できず、またその目処も立たない事を伝達した。<br /><br />ニュースやネットでの調べものをしたり、各所への連絡などで、気づくと時間は既に夕方を回り、ホテルのロビーでヘトヘトになっていた。<br /><br />ここで一人のインド出身のサウジアラビアのおやじと知り合う。彼はビジネスで来ており、明日帰国予定だが、フライトは全面キャンセル、どうすべきか困っていた。<br /><br />お互いの得た情報を共有し合い、明日の公共交通機関の復旧を鑑みて、出国をした方が良さそうだと判断した。とりあえず今日はホテルに待機する事にする。私は既にチェックアウト済みでホテルの部屋がないため、ロビーのソファーで夜を過ごす予定だったが、そのサウジのおやじが、部屋を無料でシェアしてくれると言う。彼の身元や職業、家族や宗教の話など一通りしていたため、ある程度信頼はよせていたが、数時間前に出会った男性の部屋に上がり込むなど、正気の私には考えられず断った。しかし数時間して、またそのおやじがロビーへ戻ってきて、少しだけでも休んだ方がよいと言うため、とても疲弊していた私はお茶を一杯だけ頂くという体裁で、部屋へ行った。結局、彼は紳士で、その日はベッドは別々だが、1日同じ部屋で過ごさせてもらい、シャワーまで借りられ、大変助かった。<br />

    日本へ連絡すべき先にメールを入れ、ともかく現在は怪我もなく無事であること、本来のスケジュールでは帰国できず、またその目処も立たない事を伝達した。

    ニュースやネットでの調べものをしたり、各所への連絡などで、気づくと時間は既に夕方を回り、ホテルのロビーでヘトヘトになっていた。

    ここで一人のインド出身のサウジアラビアのおやじと知り合う。彼はビジネスで来ており、明日帰国予定だが、フライトは全面キャンセル、どうすべきか困っていた。

    お互いの得た情報を共有し合い、明日の公共交通機関の復旧を鑑みて、出国をした方が良さそうだと判断した。とりあえず今日はホテルに待機する事にする。私は既にチェックアウト済みでホテルの部屋がないため、ロビーのソファーで夜を過ごす予定だったが、そのサウジのおやじが、部屋を無料でシェアしてくれると言う。彼の身元や職業、家族や宗教の話など一通りしていたため、ある程度信頼はよせていたが、数時間前に出会った男性の部屋に上がり込むなど、正気の私には考えられず断った。しかし数時間して、またそのおやじがロビーへ戻ってきて、少しだけでも休んだ方がよいと言うため、とても疲弊していた私はお茶を一杯だけ頂くという体裁で、部屋へ行った。結局、彼は紳士で、その日はベッドは別々だが、1日同じ部屋で過ごさせてもらい、シャワーまで借りられ、大変助かった。

  • ホテルで待機して1日経過した。昨夜はパトカーや救急車の音で物々しい状況である事がホテルに居ても分かった。だが、朝になって街は静まりかえっている。<br /><br />ともかくサウジのおやじに感謝して、先にロビーへ行くと伝えた。再び情報収集を開始すると、エミレーツがパリかアムステルダムかデュッセルドルフで振替輸送をしているとの情報が入った。ブリュッセルの空港は数日閉鎖で機能しない。それであれば、やはりベルギーから出てフライトを取り直そうと、再度エミレーツへ連絡を試みる。ようやく繋がったが、なぜかフレンチでしか対応してくれない。そのためホテルスタッフへ依頼し、チケットの確認をしてもらう。すると、事前にどこの空港から何時の便で乗りたいかを決めてくれないと、コンファメーションできないと言っているらしい。じゃあ到着できた先の空港で直近のフライトを取れるのかと聞くと、「いやそれはできない。事前に予約を入れてくれ」と言う。最悪だ。交通機関が機能しない以上、出国できるかも分からない不確定な状況で、フライトなど決められるはずもないだろう。何て融通が利かないんだ。<br /><br />悶々とした状況でしばらくすると、国際列車が数本運行し始めているとの情報が入手できた。だがどこ行きの何の列車が何時に出発するのか、そもそも切符は事前予約が必要なのかも、現地のスタッフでさえ分からないとの事。彼らからのアドバイスは、駅で直接確認するのが確実だと言う。しかし、市内や、おそらく人がごった返している駅など、またしてもテロの標的になるのではとの恐怖心もある。どうすべきか悩んだ。<br /><br />サウジのおやじとも再びロビーで落ち合い相談する。彼はトルコ航空でパリ市内へ向かいたいと言うが、その前にブリュッセル市内のトルコ航空支店へ直近赴き、チケット確認すると言う。サウジのおやじは一人行動より一緒がいいと言うが、彼の決断スピードが少し遅い事にも違和感を感じ、私は意を決して、一人で国際列車の起点となるmidi駅へ向かう事にした。<br /><br />ホテルスタッフによると最寄りの地下鉄は封鎖されていたが、機能し始めた駅を使ったmidi駅までの最短ルートを地図に書いて教えてくれた。正直、ホテルから出るのも怖かったが、現地へ行かないと正しい情報がリアルタイムに得られない事の方が怖かった。<br /><br />ホテルを出発して、スーツケースをゴロゴロしながら30分程歩いた。その時の街中の様子がこの写真だ。もの凄い数のポリスと兵士がいて銃を構えてそこら中を警備していた。そして追悼式を行っている広場には、おびただしい数の報道陣がいた。犠牲者の安らかな眠りを祈りつつ、この異常な状況を忘れてはならない、そしていつもこのような事態がどこであろうと隣合わせである事を刻むため、カメラを向けさせてもらった。<br /><br />スタッフの教えてくれた、運行開始している地下鉄の入口へ到着した。しかし、その入口周辺には銃を持った兵士が10人程いて、keep outのテープが貼られ、物々しい雰囲気だった。地下鉄を使えばものの5分程で到着できそうだったが、昨日の爆発もあって、どうしても足が進まなかった。そのまま、地上ルートで足でmidi駅に向かう事にした。<br />

    ホテルで待機して1日経過した。昨夜はパトカーや救急車の音で物々しい状況である事がホテルに居ても分かった。だが、朝になって街は静まりかえっている。

    ともかくサウジのおやじに感謝して、先にロビーへ行くと伝えた。再び情報収集を開始すると、エミレーツがパリかアムステルダムかデュッセルドルフで振替輸送をしているとの情報が入った。ブリュッセルの空港は数日閉鎖で機能しない。それであれば、やはりベルギーから出てフライトを取り直そうと、再度エミレーツへ連絡を試みる。ようやく繋がったが、なぜかフレンチでしか対応してくれない。そのためホテルスタッフへ依頼し、チケットの確認をしてもらう。すると、事前にどこの空港から何時の便で乗りたいかを決めてくれないと、コンファメーションできないと言っているらしい。じゃあ到着できた先の空港で直近のフライトを取れるのかと聞くと、「いやそれはできない。事前に予約を入れてくれ」と言う。最悪だ。交通機関が機能しない以上、出国できるかも分からない不確定な状況で、フライトなど決められるはずもないだろう。何て融通が利かないんだ。

    悶々とした状況でしばらくすると、国際列車が数本運行し始めているとの情報が入手できた。だがどこ行きの何の列車が何時に出発するのか、そもそも切符は事前予約が必要なのかも、現地のスタッフでさえ分からないとの事。彼らからのアドバイスは、駅で直接確認するのが確実だと言う。しかし、市内や、おそらく人がごった返している駅など、またしてもテロの標的になるのではとの恐怖心もある。どうすべきか悩んだ。

    サウジのおやじとも再びロビーで落ち合い相談する。彼はトルコ航空でパリ市内へ向かいたいと言うが、その前にブリュッセル市内のトルコ航空支店へ直近赴き、チケット確認すると言う。サウジのおやじは一人行動より一緒がいいと言うが、彼の決断スピードが少し遅い事にも違和感を感じ、私は意を決して、一人で国際列車の起点となるmidi駅へ向かう事にした。

    ホテルスタッフによると最寄りの地下鉄は封鎖されていたが、機能し始めた駅を使ったmidi駅までの最短ルートを地図に書いて教えてくれた。正直、ホテルから出るのも怖かったが、現地へ行かないと正しい情報がリアルタイムに得られない事の方が怖かった。

    ホテルを出発して、スーツケースをゴロゴロしながら30分程歩いた。その時の街中の様子がこの写真だ。もの凄い数のポリスと兵士がいて銃を構えてそこら中を警備していた。そして追悼式を行っている広場には、おびただしい数の報道陣がいた。犠牲者の安らかな眠りを祈りつつ、この異常な状況を忘れてはならない、そしていつもこのような事態がどこであろうと隣合わせである事を刻むため、カメラを向けさせてもらった。

    スタッフの教えてくれた、運行開始している地下鉄の入口へ到着した。しかし、その入口周辺には銃を持った兵士が10人程いて、keep outのテープが貼られ、物々しい雰囲気だった。地下鉄を使えばものの5分程で到着できそうだったが、昨日の爆発もあって、どうしても足が進まなかった。そのまま、地上ルートで足でmidi駅に向かう事にした。

  • 1時間は歩いた。駅への方向は地図を頼りに何となく分かるが、とにかく一人で街を歩いているのが怖くなり、同じくスーツケースを転がして歩いていた男性に話しかけ、彼もmidi駅へ行くというので、付いていかせてもらった。彼はフランス人でパリへ向けた列車に乗りたいらしい。<br /><br />しばらくして、無事に駅へ着いた。ここでフランス男性と別れた。やはり、空港が機能しなくなったため、こちらの駅に、その分の人がなだれ込んでおり、たくさんの人がいた。ポリスや兵士の量も非常に多かった。<br /><br />列車のチケットを入手すべく、長蛇の列に並んだ。国際列車の運行状況にもよるが、この列に並んでいる時点で、振替輸送を行っている3つの国際空港のうち、向かうべき都市の候補順は決めていた。多重テロが起きにくそうな場所、かつブリュッセルから物理的な距離が近い所。必然的に、アムステルダム、デュッセルドルフ、パリの順になった。<br /><br />チケットオフィスでは番号が渡された。スクリーンに自分の受け取った番号が表示されれば、その脇に書いてあるカウンター番号へ行くシステムだ。ようやく自分の番になり、確認を取ったところ、運良くアムステルダム行きの国際列車が約1時間後に出発予定だと言う。そのチケットを無事に購入し、列車に乗り込んだ。可能な事ならタリスで、至急ベルギーから離れたかったかが、ICしかチケットが取れなかった。約4時間の緊張感漂う列車移動だった。<br /><br />停車する全ての駅でポリスが列車をくまなくチェックし、どこの駅のホームにもポリスが警備していた。車中アナウンスでオランダへ入った事を聞き、こわばっていた顔が少し緩んだ。だが、オランダへ入っても警備の厳戒態勢は強い状況だった。

    1時間は歩いた。駅への方向は地図を頼りに何となく分かるが、とにかく一人で街を歩いているのが怖くなり、同じくスーツケースを転がして歩いていた男性に話しかけ、彼もmidi駅へ行くというので、付いていかせてもらった。彼はフランス人でパリへ向けた列車に乗りたいらしい。

    しばらくして、無事に駅へ着いた。ここでフランス男性と別れた。やはり、空港が機能しなくなったため、こちらの駅に、その分の人がなだれ込んでおり、たくさんの人がいた。ポリスや兵士の量も非常に多かった。

    列車のチケットを入手すべく、長蛇の列に並んだ。国際列車の運行状況にもよるが、この列に並んでいる時点で、振替輸送を行っている3つの国際空港のうち、向かうべき都市の候補順は決めていた。多重テロが起きにくそうな場所、かつブリュッセルから物理的な距離が近い所。必然的に、アムステルダム、デュッセルドルフ、パリの順になった。

    チケットオフィスでは番号が渡された。スクリーンに自分の受け取った番号が表示されれば、その脇に書いてあるカウンター番号へ行くシステムだ。ようやく自分の番になり、確認を取ったところ、運良くアムステルダム行きの国際列車が約1時間後に出発予定だと言う。そのチケットを無事に購入し、列車に乗り込んだ。可能な事ならタリスで、至急ベルギーから離れたかったかが、ICしかチケットが取れなかった。約4時間の緊張感漂う列車移動だった。

    停車する全ての駅でポリスが列車をくまなくチェックし、どこの駅のホームにもポリスが警備していた。車中アナウンスでオランダへ入った事を聞き、こわばっていた顔が少し緩んだ。だが、オランダへ入っても警備の厳戒態勢は強い状況だった。

  • アムステルダム郊外にあるスキポール空港へ着いたのは午後3時を回っていた。急いでエミレーツのカウンターへ行く。スキポールは多くの飛行機が乗り入れる、ヨーロッパのハブとなる大型空港だが、ターミナルが別れておらず、1つにまとまっている。空港構造的には非常に先駆的かつ高機能な優れた空港と言われている。しかしそれがゆえに、空港内での足での移動距離が結構あった。エミレーツは列車を降りた所から一番端にあった。スーツケースを転がしてやっと辿り着くと、カウンターはクローズされていた。付近の別航空のスタッフに聞く所、エミレーツの次のフライトが深夜となるため、18時半までカウンターはオープンしないと言う。こんな非常事態の時に何と言う気ままさなんだと呆れた。チケットが取れるか取れないのか、気持ちが落ち着かないまま、スキポール空港内も厳戒態勢は強いものの、行き交う人々の平和な様子を目にして、安堵が広がった。<br /><br />朝からベルギーで購入したチョコレートしか食べていなかったため、お腹がとても空いている事に気付いた。18時半までまだ時間があるため、気持ちを落ち着けるためにも、空港内のレストランで食事を取った。腹が減っては何も出来ないので、すごい量の食事を取ってエネルギーを付けた。<br /><br />18時を回り、早めにカウンターの前を陣取り、係の者が来るのを待った。時間きっかりに、3人の係員が来て、カウンターオープンへ向けた準備をしだした。ようやく18時45分頃になってエミレーツの大柄な男性スタッフに事情を説明してフライトを確認してもらった。だが彼が言うには「ドバイまでは今日の22時発の便が取れます。しかしドバイで6日のトランジットが必要です。」との事。提示できる一番早いものはそれだけだと言う。しかしそんなフライトはあり得ない、もっと早い便で一刻も早く帰国する必要があると伝え、それならば他会社のチケットを探してくれとネゴる。男性はPCでチケットを探してくれた。<br /><br />30分は待った。ようやく、明日の10時発のオーストリア航空で、ウィーン経由の成田着フライトを取ってくれた。これで帰宅できるとホッとしたが、明日の朝までどうしよう。まずはオーストリア航空のカウンターでスーツケースを預け、保安区域に入れないかと確認する事にした。ラウンジで過ごせれば空港を出る必要もない。ところが明日のフライト分の荷物は事前に預かる事は出来ないと言う。会社のポリシーだとの事。仕方なく、空港付近のホテルをネットで探し、何とかibisが取れた。空港から無料シャトルバスも運行している。今日の所は大人しくホテルで疲れを癒し、明日また出直す事にした。<br />

    アムステルダム郊外にあるスキポール空港へ着いたのは午後3時を回っていた。急いでエミレーツのカウンターへ行く。スキポールは多くの飛行機が乗り入れる、ヨーロッパのハブとなる大型空港だが、ターミナルが別れておらず、1つにまとまっている。空港構造的には非常に先駆的かつ高機能な優れた空港と言われている。しかしそれがゆえに、空港内での足での移動距離が結構あった。エミレーツは列車を降りた所から一番端にあった。スーツケースを転がしてやっと辿り着くと、カウンターはクローズされていた。付近の別航空のスタッフに聞く所、エミレーツの次のフライトが深夜となるため、18時半までカウンターはオープンしないと言う。こんな非常事態の時に何と言う気ままさなんだと呆れた。チケットが取れるか取れないのか、気持ちが落ち着かないまま、スキポール空港内も厳戒態勢は強いものの、行き交う人々の平和な様子を目にして、安堵が広がった。

    朝からベルギーで購入したチョコレートしか食べていなかったため、お腹がとても空いている事に気付いた。18時半までまだ時間があるため、気持ちを落ち着けるためにも、空港内のレストランで食事を取った。腹が減っては何も出来ないので、すごい量の食事を取ってエネルギーを付けた。

    18時を回り、早めにカウンターの前を陣取り、係の者が来るのを待った。時間きっかりに、3人の係員が来て、カウンターオープンへ向けた準備をしだした。ようやく18時45分頃になってエミレーツの大柄な男性スタッフに事情を説明してフライトを確認してもらった。だが彼が言うには「ドバイまでは今日の22時発の便が取れます。しかしドバイで6日のトランジットが必要です。」との事。提示できる一番早いものはそれだけだと言う。しかしそんなフライトはあり得ない、もっと早い便で一刻も早く帰国する必要があると伝え、それならば他会社のチケットを探してくれとネゴる。男性はPCでチケットを探してくれた。

    30分は待った。ようやく、明日の10時発のオーストリア航空で、ウィーン経由の成田着フライトを取ってくれた。これで帰宅できるとホッとしたが、明日の朝までどうしよう。まずはオーストリア航空のカウンターでスーツケースを預け、保安区域に入れないかと確認する事にした。ラウンジで過ごせれば空港を出る必要もない。ところが明日のフライト分の荷物は事前に預かる事は出来ないと言う。会社のポリシーだとの事。仕方なく、空港付近のホテルをネットで探し、何とかibisが取れた。空港から無料シャトルバスも運行している。今日の所は大人しくホテルで疲れを癒し、明日また出直す事にした。

  • 翌朝、4時には目が覚めた。シャワーに入り、6時には空港へ向けて出発した。ここからは何事もなく、スムーズに飛行機へ搭乗でき、かなりタイトながらウィーンにて無事に成田行きの便に乗り換えることができた。<br /><br />22日、身近で起こったテロ事件発生から、ここに書ききれていないものの、ものすごく色々な事があった。家族や友人にもたくさん心配を掛けた。そして待機していたブリュッセルのホテルスタッフやそこに居合わせ人々にもたくさん助けてもらった。<br /><br />ただ言えるのは、いざと言う時に最後に頼りにできる、信じられるのは自分しかないという事。どんな事でもそうだが、自分で小さな判断を繰り返しながら、答えに辿り着くしかない。その答えが間違っていても、自分で下した判断は後悔してはいけないし、責任を持たねばならない。それを強く感じた。<br />

    翌朝、4時には目が覚めた。シャワーに入り、6時には空港へ向けて出発した。ここからは何事もなく、スムーズに飛行機へ搭乗でき、かなりタイトながらウィーンにて無事に成田行きの便に乗り換えることができた。

    22日、身近で起こったテロ事件発生から、ここに書ききれていないものの、ものすごく色々な事があった。家族や友人にもたくさん心配を掛けた。そして待機していたブリュッセルのホテルスタッフやそこに居合わせ人々にもたくさん助けてもらった。

    ただ言えるのは、いざと言う時に最後に頼りにできる、信じられるのは自分しかないという事。どんな事でもそうだが、自分で小さな判断を繰り返しながら、答えに辿り着くしかない。その答えが間違っていても、自分で下した判断は後悔してはいけないし、責任を持たねばならない。それを強く感じた。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • のんびりママさん 2016/03/29 16:17:57
    貴重な御体験を書いて下さりありがとうございます
    はじめまして
    旅行記拝見させていただきました
    そして涙が出てしまいました

    私も夏にブリュッセルに行く予定でした
    1年前から企画しておりました
    企画した当初は、ブリュッセルに行けることまた近隣国に行けることを楽しみにしておりました
    パリでテロが起き日程を変更しました
    今回テロが起き、おそらくキャンセルすることにすると思います
    テロの標的となってしまったブリュッセル空港を経由しようと言ったのは私で、まさに自分の言葉の重み責任を感じました

    今でもニュースを見ると涙が出ます
    本当にテロの犠牲になられた方の御冥福をお祈りいたします

    御忙しいことと存じますので、御返事いりませんので、少しでもお身体の程御自愛くださいませ

    何よりも御無事でいらっしゃったことを教えて下さり、ありがとうございました

    にじ色のカバン

    にじ色のカバンさん からの返信 2016/03/30 00:24:28
    RE: 貴重な御体験を書いて下さりありがとうございます
    のんびりママさん

    はじめまして。
    メッセージ頂き、ありがとうございました。またお顔も存ぜぬ中でのやり取りにも関わらず、温かなお言葉を頂戴しありがたいです。このブログを訪れる、旅行が大好きな方々にとって、わずかながらでも、安全管理を考えるきっかけとなって頂ければ、この旅行記を綴った目的が少しでも果たされたと救われる思いです。

    のんびりママさんは、1年前から旅行の企画をされていたのですね。さぞ楽しみになさっていた事とお察し致します。いつどこに居ても何も保障されぬ世の中ですが、ベルギーへの旅行を控えられるというご判断をするにしても、大変勇気のいる事かと思います。どうかご納得される答えを、のんびりママさんが見つけられますことをお祈りいたします。

    日本でもテロ事件発生直後では、衝撃的なニュースとして大々的に報道されていたようですが、数日経過して帰国してみると、ほとんど事件が取り上げられる事もなく、シマウマ逃走劇がニュースになるほどの気楽ぶりで、あの緊迫した数日間を振り返ると、まさか同じ次元で起こっている事とは思えない程です。そしてまた同時に、日本での生活に戻り、あの異常な恐怖と緊迫感の経験を以てしても、この記憶が薄れ、再び平和呆けの感覚に戻りつつある自分にも嫌気がさします。今も背中と隣合わせの恐怖に震える人々の生活があり、また自分にもいつそのような人災、災害にまた遭遇するか分からないと言うのに。

    今回の非常事態に遭遇した事は、あまりに平和呆けしている自分への戒めとも捉え、ここで直面した経験を、わすがながらでも、これからの自分の人生の知恵、糧として活かし、また忘れず心に留めたいと思っております。

    にじ色のカバン
  • 白うさぎさん 2016/03/28 22:53:59
    貴重な記録です
    初めまして、白うさぎです。

    貴重な旅行記読ませて頂きました。
    いつもお気楽な旅行をしている身としては
    震え上がる思いです。

    つたない英語しか理解できない自分が
    にじ色のかばんさんのような状況に
    陥ったらどうなるのか・・・もはや恐怖です。
    帰国なんか出来ないんじゃなかろうかと
    思いました。

    じつはこのGWにチェコとパリに行く予定です。
    個人旅行なのですが、11月のパリに続いて今回のテロ。
    流石のお気楽白うさぎも・・・ちょっと考えてしまいました。

    大変な思いをされて旅行記を
    UPして下さりありがとうございました。

    にじ色のカバン

    にじ色のカバンさん からの返信 2016/03/30 00:15:56
    RE: 貴重な記録です
    白うさぎさん

    はじめまして。
    メッセージ頂き、ありがとうございました。このブログを訪れる、旅行が大好きな方々にとって、わずかながらでも、安全管理を考えるきっかけとなって頂ければ、旅行記を綴った目的が少しでも果たされたと救われる思いです。

    日本でもテロ事件発生直後では、衝撃的なニュースとして大々的に報道されていたようですが、数日経過して帰国してみると、ほとんど事件が取り上げられる事もなく、シマウマ逃走劇がニュースになるほどの気楽ぶりで、あの緊迫した数日間を振り返ると、まさか同じ次元で起こっている事とは思えない程です。そしてまた同時に、日本での生活に戻り、あの異常な恐怖と緊迫感の経験を以てしても、この記憶が薄れ、再び平和呆けの感覚に戻りつつある自分にも嫌気がさします。今も背中と隣合わせの恐怖に震える人々の生活があり、また自分にもいつそのような人災、災害にまた遭遇するか分からないと言うのに。

    今回の非常事態に遭遇した事は、あまりに平和呆けしている自分への戒めとも捉え、ここで直面した経験を、わすがながらでも、これからの自分の人生の知恵、糧として活かし、また忘れず心に留めたいと思っております。

    チェコとパリ、素敵な旅行先ですね。もし行かれるようでしたら、どうか十分お気を付けて、行かれてくださいませ!またご連絡お待ち申し上げております。

    にじ色のカバン
  • みっちゃんさん 2016/03/28 22:34:39
    4/20にベルギーオランダツアーに参加します。
    ドキドキしながら読ませて貰いました。
    1月下旬に旅行を決めた時には ベルギーがテロの巣窟であるなどとは考えてもいませんでした。パリのテロ犯の事とか考える前に チューリップの花咲く景色とか屋根のない美術館など綺麗な言葉に現実を忘れていました。外務省の危険情報のスポット情報のメールが次々と入りテロ危険度4になりこれは大変な事になってしまったと、JTBに電話をした所 この事態でもキャンセルした場合はキャンセル料が発生するとの返事で、
    危険だと思うなら旅行に行く方がキャンセル料を払ってキャンセルしろと言っている様なものだと口惜しく思ってます。にじ色さんは語学が堪能で情報も端的に処理する能力に長けていらっしゃる様ですね。
    英語出来ない パソコンも操れない こんな私と夫の2人はいくらツアーでも不安です。
    現在はツアーに参加者は7名で添乗員が成田から添乗します。今の所テロ後にキャンセルが出ていないと言っています。果たしてツアーに参加しても大丈夫でしょうか?
    緊迫の口コミを読んで 思わず書いてしまいました。

    にじ色のカバン

    にじ色のカバンさん からの返信 2016/03/30 00:37:21
    RE: 4/20にベルギーオランダツアーに参加します。
    みっちゃんさん

    はじめまして。
    メッセージ頂き、ありがとうございました。また最後までお読み頂き、ありがとうございます。このブログを訪れる、旅行が大好きな方々にとって、わずかながらでも、安全管理を考えるきっかけとなって頂ければ、旅行記を綴った目的が少しでも果たされたと救われる思いです。

    みっちゃんさんは、来月にベルギーへご旅行される予定でいらっしゃるのですね。さぞ楽しみになさっている事とお察し致します。情報収集と安全管理を万全にして思い切って行ってみるのもありと思いますし、また不安定な欧州旅行を今回のタイミングでは控えられるというご判断もまた、大変勇気のいるご決断と思います。今回ブリュッセルの地下鉄で発生したテロは、市内のグランプラスからも2kmにも満たない場所で起こりました。日本大使館にもEU本部にも非常に近く、もはや人が多いから大丈夫だろう、何とかなるだろうという常識や考えは、まったく通用しないような衝撃的な事件でした。そして1つだけお伝えしたいことは、例え日本政府でもどんなに親切な人でも、結局は誰も助けてくれないのだということ。私も今回の事件を通して、痛切に感じました。いつどこに居ても何も保障されぬ世の中ですが、どうかご納得される答えを見つけられますことをお祈りいたします。

    日本でもテロ事件発生直後では、衝撃的なニュースとして大々的に報道されていたようですが、数日経過して帰国してみると、ほとんど事件が取り上げられる事もなく、シマウマ逃走劇がニュースになるほどの気楽ぶりで、あの緊迫した数日間を振り返ると、まさか同じ次元で起こっている事とは思えない程です。そしてまた同時に、日本での生活に戻り、あの異常な恐怖と緊迫感の経験を以てしても、この記憶が薄れ、再び平和呆けの感覚に戻りつつある自分にも嫌気がさします。今も背中と隣合わせの恐怖に震える人々の生活があり、また自分にもいつそのような人災、災害にまた遭遇するか分からないと言うのに。

    今回の非常事態に遭遇した事は、あまりに平和呆けしている自分への戒めとも捉え、ここで直面した経験を、わすがながらでも、これからの自分の人生の知恵、糧として活かし、また忘れず心に留めたいと思っております。

    大変長文のメールとなってしまい、失礼いたしました。今後とも宜しくお願い致します。

    にじ色のカバン
  • みちこさん 2016/03/27 16:25:34
    私も
    3月18日から22日まで、娘(30代)とANAの直行便でベルギーに行ってました。グランプラスのイビスホテルに3泊して、ブルージュ、アントワープに行き、ブリュッセルでは、ムール貝、牛肉のビール煮、娘の好きなビールを楽しみ、21日の夜8時50分のANAで帰国しました。
    前日の夜には、出発ロビーのカフェでお茶していました。
    成田に着く直前にテロがあったわけです。自宅に帰って知りました。
    不謹慎ですが、運が良かったと思いました。
    ベルギーの人達は皆親切でした。つたない英語で道を聞いても教えてくれました。本当にお気の毒です。

    にじ色のカバン

    にじ色のカバンさん からの返信 2016/03/27 23:16:57
    RE: 私も
    > 3月18日から22日まで、娘(30代)とANAの直行便でベルギーに行ってました。グランプラスのイビスホテルに3泊して、ブルージュ、アントワープに行き、ブリュッセルでは、ムール貝、牛肉のビール煮、娘の好きなビールを楽しみ、21日の夜8時50分のANAで帰国しました。
    > 前日の夜には、出発ロビーのカフェでお茶していました。
    > 成田に着く直前にテロがあったわけです。自宅に帰って知りました。
    > 不謹慎ですが、運が良かったと思いました。
    > ベルギーの人達は皆親切でした。つたない英語で道を聞いても教えてくれました。本当にお気の毒です。

    みちこさん

    メッセージ頂き、ありがとうございました。みちこさんもこのタイミングでベルギーに行かれていらしたのですね。テロ事件発生前に飛び立たれていたとは、本当に間一髪の状況でしたね…。帰国されて事実をお知りになった際は、さぞ驚かれた事とお察し致します。

    私も不幸中の幸いで、事件発生前にはブルージュ、アントワープ、そしてオランダにも訪問し、素晴らしい観光をたくさん楽しみました。みちこさんも、娘さんと気ままな親子旅、楽しい思い出となったのでしょうね。そして親孝行な娘さん、ステキです。

    素晴らしい遺産や人々の穏やかな暮らしを脅かすこのような残虐な事件が、ブリュッセルで勃発後も尚、同様の人災が続いていますね。本当に残念でなりませんね。この非常事態に遭遇した事は、あまりに平和呆けしている自分への戒めとも捉え、ここで直面した経験を、わすがながらでも、これからの自分の人生の知恵として活かし、また忘れず心に留めたいと思っています。

    にじ色のカバン

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