2016/03/03 - 2016/03/05
3位(同エリア2388件中)
montsaintmichelさん
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宮島でトリッキーかつスピリチュアルな寺院と言えば、大聖院が代表格になります。古色ゆかしい山門を潜ると、目の前の大階段に設けられた手摺にはチベット仏教の摩尼車がずらりと並んでいます。また、敷地内には多彩なお堂と地蔵尊、仏像などが祀られ、お寺のアミューズメントパークみたいになっており、じっくり見て回るには1日あっても足りないほどです。(兵庫県にある須磨寺と似た性格の寺院です。)
調べてみるとなんとなく判ってきました。大聖院は宮島で最古の歴史を持つ京都 仁和寺を総本山とする真言宗御室派の大本山の寺院であり、平安時代に空海が弥山の上で修行して開基したと伝えられています。その空海は唐に渡って密教を修行した仏僧です。ですから大陸由来の摩尼車があったり、金色の涅槃像があったりするのも不思議ではありません。また、中国三十三観音第十四番札所、山陽花の寺二十四ヶ寺第一番札所、広島新四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所にもなっている寺院ですから、石段に五百羅漢があったり、地蔵尊が多く祀られているのです。
大聖院のHPです。
http://www.galilei.ne.jp/daisyoin/
<1日目>
新大阪駅(新幹線)===福山駅---錦帯橋(昼食+散策)
---津和野(案内人と一緒に散策)---萩グランドホテル天空
<2日目>
萩グランドホテル天空---松陰神社(ボランティアの方と一緒に散策)
---旧萩藩校明倫館(同じ)---萩城下町(同じ)
---蒲鉾店(ショッピング)---海鮮村北長門(昼食)
---青海島(クルーズコース・島上陸コース・金子みすゞ記念館コースから選択)
---秋吉台---瑠璃光寺---湯本観光ホテル西京(オプション:大谷山荘宿泊)
<3日目>
湯本観光ホテル西京---宮島口===宮島(昼食+散策:3時間)===宮島口
---尾道===千光寺公園(ロープウェイ)---千光寺公園(山頂)
---福山駅(新幹線)===新大阪駅
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
宮島 大聖院
正式名は、多喜山水精寺大聖院です。霊峰 弥山の麓にある真言宗御室派の大本山で、神仏分離令までは12坊の末寺を持ち、厳島神社の法会祭事を司る総本坊でした。
寺伝によると、806(大同元)年に空海が唐からの帰途に三鬼大権現を勧請し、弥山で求聞持の百日修法を修めて開創したとしています。本堂は鳥羽天皇の勅願道場として創建されたことから、鳥羽天皇の第5皇子である覚性法親王が門跡を務めた京都 仁和寺や歴代皇室との結びつきが深く、安土桃山時代には後奈良天皇の御子で仁和寺第20世任助法親王が法流相伝のために逗留し、明治天皇の厳島行幸の際には行在所ともなりました。また、天下統一を果たした豊臣秀吉がここで盛大な歌会を催し、不動堂を再建して念持仏の波切不動明王像を奉納しています。 -
宮島 大聖院 仁王門
元からあった大聖院の建物は1887(明治20)年の大火で大師堂を残してほとんど焼失し、現在の建物のほとんどは昭和期に再建されています。この仁王門も、1939(昭和14)年の再建です。
三手先の組物に支えられた豪壮な仁王門には、精巧な彫物が施された蟇股が随所に見られます。また、楼上には、大きな草鞋(わらじ)が吊り下げられています。 -
宮島 大聖院 仁王門
左の阿形の金剛力士像は口を開けている分、鋭く睨みを利かせています。
朱色が鮮やかに残り、玉眼が嵌められ、表情には険しいものがあります。 -
宮島 大聖院 仁王門
向拝虹梁にある龍の彫刻の迫力ある形相には圧倒されます。
目には玉眼が入れられ、睨みを利かせています。 -
宮島 大聖院 仁王門
裏側から見ても、随所に散り嵌められた彫刻の躍動感や意匠に魅了されます。 -
宮島 大聖院
仁王門の先には長い石段があり、中央にある手摺には円筒形の摩尼車というチベット仏教で用いられる仏具が設けられています。側面にマントラを刻み、内部にはロール状の経文を納め、右回りに回転させるとその数だけお経を唱えたのと同じ功徳があるとされています。三蔵法師が600巻の大般若経筒をインドから持ち帰ったことが由来だそうです。
階段の途中には霊宝館があり、そこには不動明王坐像が鎮座されています。大正時代に仁和寺の塔頭 真乗院から移され、その後、弥山 大日堂に安置されていた明王像です。像高は98.7cm、檜の一木造で、10世紀後半の作と推定されています。まとめた総髪を左側に垂らし(弁髪)、頭頂部に蓮の花を載せる「弘法大師」の不動明王像です。大聖院は真言宗御室派の寺院なので、巻髪タイプでなく総髪タイプの不動明王ということのようです。 -
宮島 大聖院 五百羅漢庭園
階段の左手にある参道を見下ろすと、様々な表情をした五百羅漢がお揃いの毛糸の帽子を被ってずらりと並んでいます。
五百羅漢は仏教の高僧で、仏典結集(けつじゅう)という釈迦の教えをまとめる作業のために集まった500人の弟子たちがモデルだそうです。 -
宮島 大聖院 五百羅漢庭園
素朴な自然の中でゆったりと瞑想の旅を続けておられる五百人の羅漢のうちには、親に似た顔が必ずあると言われています。きっと誰かに似た方がおられ、叶わぬ願いはないのだとか…。
こちらの羅漢は、ゆるりとストレッチをなされていますが・・・。
余談ですが、世界で最も活躍の著しい日本人アーティストのひとりである村上隆氏の「五百羅漢図展」が六本木 森美術館で開催されていました。日本の「オタク文化」を世界に発信している奇才が、東日本大震災を機に制作した、高さ3m、全長100mもの超絵画大作です。画題は宗教的ですが、500体描かれた羅漢や龍、虎などがアニメ風なのは奇を衒う村上流です。水木しげる氏のキャラクターたちをデフォルメしたように感じたのは当方だけでしょうか?
カタールのマヤッサ女王(イスラム教徒のはず・・・)から展覧会の依頼を受けて制作に臨み、美大生など200人のアシスタントを動員して突貫工事で完成させた作品だそうです。ですから、それぞれの筆に異なった感情移入がなされた展示用作品とも言え、鎮魂を逆撫でする道化との論調もあります。「五百羅漢」から条件反射される仏教的なものを期待された方には、表層的で哀れな作品としか映らなかったかも知れません。同じモチーフの狩野一信や長沢芦雪筆の「五百羅漢」とは対照的です。また、ピカソの『ゲルニカ』に例える論調もありますが、個人的には「Spring Sentence」で流行の「○○の極み」の類と捉えています。噂では、ベルサイユ宮殿での氏の作品展もマヤッサ女王から展示資金が提供されたそうですので、氏のパトロンなのかもしれません。
東京五輪のメインスタジアムのデザインやエンブレムで表面化したように、「仏つくって魂入れず」や「パクリ」は悲しいかな現代アートの世界では当たり前の風潮のようです。また、こうした奇を衒った作品が本質を知らない世界でパッションだけで受けてしまうのは、アート自体の世界観が凋落しているからかもしれません。
森美術館のHPで紹介された「五百羅漢図」です。
http://www.mori.art.museum/contents/tm500/exhibition.html
狩野一信の「五百羅漢図」はこちらを参照ください。
http://www.zojoji.or.jp/takara/event/ -
宮島 大聖院 御成門
石段を上りきった所に構えるのが御成門です。1914(大正3)年に再建された総檜造、唐破風、檜皮葺の勅使門です。大聖院は、真言宗御室派の大本山で、仁和寺とは本山と末寺という結び付き以前に脇門跡、仁和寺院室、厳島御室などの称号を賜ったという深い係わりがあります。 -
宮島 大聖院 御成門
この御成門から俯瞰する景色は、宮島随一と言われています。
眼下には千畳閣と五重塔が望めます。 -
宮島 大聖院 観音堂
御成門の右手にあるのが、境内で最も大きな建造物となる、1932(昭和7)年に再建された観音堂です。 -
宮島 大聖院 観音堂
向拝虹梁の龍の彫刻や木鼻の彫刻も大きく迫力があります。 -
宮島 大聖院 観音堂
観音堂には、厳島神社の本地仏で行基作と伝わる十一面観世音菩薩が安置されています。神仏分離以前は、厳島神社の本地堂に安置されていた観音で、県の重文に指定されています。像高は194cmあり、寄木造で玉眼が入れられ、鎌倉〜南北朝期の制作と推定されています。
因みに、平清盛らが書写したという国宝の平家納経は、この本尊に向けて奉納されたと伝えられていますが、制作時期から察すると伝説あるいは先代の観音様と思われます。 -
宮島 大聖院 観音堂 十一面観世音菩薩像
大聖院観音堂の本尊として内陣須弥壇上の厨子内に安置され、寄木造で像高194cmある大きなものです。正面の清楚な表情や豊潤な身体は精彩に富み、均整のとれたプロポーションや頭上仏面の面貌も丁寧に仕上げられています。
本像は、元々は厳島神社本地堂に祀られていたものですが、明治初年の神仏分離により大聖院に移されています。 -
宮島 大聖院 観音堂
観音堂の天井は、このように百花繚乱です。
欄間の彫刻も見事です。また、内陣左手には仏像や宝物などが沢山並べられています。 -
宮島 大聖院 観音堂
内陣右手には、2006年に弥山開創1200年記念の際に講演した、ダライ・ラマ14世法王の写真が掲げられています。その時に開眼供養されたチベット風の金色の弥勒菩薩も安置され、その弥勒菩薩の手前の床にはチベット密教の僧によって制作された青い砂曼荼羅が祀られています。 -
宮島 大聖院 観音堂
着色した砂で曼荼羅を描いたものです。通常は、描き上げたら1時間以内に掃き消してしまうものだそうですが ここでは固めて保存されています。 -
宮島 大聖院 観音堂
「撫で仏」が祀られています。
正式には、賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)と呼ばれ、十六羅漢の筆頭弟子で神通力に優れています。像全体が赤く塗られていたり、赤い前掛けをしていたり、赤い着物を着ていたりします。顔には独特の表情があり、撫でられて塗装が落ちていたりするため、少々不気味に映ります。外国からの観光客にはどんな印象なのか、興味深いところです。
自分の体の弱っている所と同じ所を撫でると治癒すると言われているため、撫で仏とも呼ばれています。 -
宮島 大聖院 観音堂
観音堂の回廊には、大きな達磨が置かれ、「目出しダルマ」と記されています。撫でると沢山の福を授かるそうです。
ダルマは達磨大師が由来で、インドの王子として生まれてその後出家し、釈迦から28代目の法を継いで中国に渡り、少林寺で9年間座禅をされました。達磨大師由来の目出しダルマはこのように目が出ているところから、開運招福・心願成就に通じているそうです。 -
宮島 大聖院 観音堂 狸僧
ユーモラスな狸の置物の体の各部分には、人生を成功に導くための教えが刻まれています。
腹には「物事に対して寛大で太っ腹、しかし大胆かつ沈着な決断も必要」、金袋には「金運」、笠は「災難から身を守る」、通帳は「この世は信用第一」という意味があります。狸僧は、このような知恵・利益を授けるため僧侶の衣を身に纏って説法されているお姿です。 -
宮島 大聖院 観音堂
回廊の一角にある奉納された絵には、「豊臣秀吉が天正18年(1590年)8月25日 大聖院に於いて和歌会を催した図」とあります。秀吉は、細川幽斎など当代一流の歌人を招いて幾度か盛大な歌会を催していたそうです。 -
宮島 大聖院 観音堂
何でもありの大聖院ですが、大天使聖ミカエルまで登場し、お願い事なら全てここで間に合ってしまいそうです。邪悪な悪魔を剣で一撃する構えです。
実は廿日市市は、2009年にモン・サン=ミッシェルと観光友好都市提携に調印しています。モン・サン=ミッシェルの守護神と言えばこの聖ミカエルです。
宮島を訪れる外国人が増えているのですが、2014年の統計によると、1位がフランスで22902人、2位は米国で21040人でした。過半数を欧米人が占めるという人気ぶりで、日本全体の訪日外客数の比率とは大きく異なります。
モン・サン=ミッシェルの旅行記は次のサイトを参照ください。
http://4travel.jp/travelogue/10622722 -
宮島 大聖院
観音堂の右側にある庭には、このウルトラマンの父をはじめ「円谷プロ」の人気者たちがあちらこちらに隠れています。
童心に戻って、かくれんぼを愉しんでみてください。 -
宮島 大聖院 勅願堂
御成門の正面に構えるのが、鳥羽天皇が勅願道場として創建したと伝わる大聖院の本堂に当たる勅願堂です。
現在の本堂は、1910(明治43)年に再建されたものです。
堂内では毎日、家内安全・心願成就等の護摩祈願が行われています。 -
宮島 大聖院 勅願堂
本堂の入口にある階段の傍らには、大般若経に係わりの深い十六善神、常啼・法誦菩薩、玄奘三蔵、深沙大将像などが安置されています。 -
宮島 大聖院 勅願堂
豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄の役:1592〜6年)の折、必勝と海上安全を祈るため軍船宝丸の守護念持仏とした念持仏 波切不動明王を、天下統一後に奉納し、それが本尊となっています。
秀吉は、九州へ赴く途中、宮島に立ち寄って大聖院で連歌の会を催しています。 -
宮島 大聖院 勅願堂
本尊を取り囲むように並べられた百体不動と千体不動明王像が整然と並ぶ姿は圧巻です。
よく見ると1体1体手彫りです。
不動明王の眷属・使者である「三十六人の童子」も安置されています。 -
宮島 大聖院 勅願堂
堂宇の前にある絵馬です。
多彩な神様が祀られているからか、奉納された絵馬も色々な種類があり、お願い事も様々です。杓子の絵馬は合格祈願が多いのですが、これは宮島ならではの風景です。
英語で書かれたものも結構あります。
全部叶うといいですね! -
宮島 大聖院 摩尼殿
摩尼殿は、弥山三鬼大権現の祈祷所となっています。
弥山にある三鬼堂と同じく、時眉鬼神(大日如来の化身)、追帳鬼神(虚空蔵菩薩の化身)、魔羅鬼神(不動明王の化身)の三鬼神を全国唯一祀っており、初代総理大臣 伊藤博文も篤く信仰したと言われています。摩尼は福寿とも訳し、幸せな日々の暮らしと健康・長寿などを願う参拝者が絶えません。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
1976年に建てられた弥山の守護神 三鬼大権現の本坊 魔尼殿の前には、巨大な烏天狗の像があります。
魔尼殿三鬼大権現は、多くの天狗を従えて神通力を操り、衆生を救うという鬼神で最強のパワーの持ち主です。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
摩尼殿の前に長く突き出た唐破風向拝虹梁の木鼻には、よく見かける獅子や獏とは異なる、龍のような空想上の動物と思われる彫刻が施されています。
上下2層構造になっており、複雑な5手先の組物が荘厳、重厚さを際立たせています。全体的な造りもさることながら、軒下の組物の複雑さと美しさは一見の価値ありです。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
龍虎が対峙する彫刻には迫力が漲っています。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
こちらは、少しおっとりとした鳳凰です。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
木鼻の彫刻も侮れず、見所満載です。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
2階の摩尼殿菩提所には、阿弥陀仏千体が祀られ、奉納施主の永代供養がなされています。
このように一面に千体が並ぶと壮観です。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
摩尼殿菩提所から眺める景色です。
対岸の風景も見ることができます。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
菩提所の中にも組物が見られます。
禅宗寺院様の花頭窓が雰囲気を醸しています。 -
宮島 大聖院 摩尼殿
弥山への登山道も見下ろせます。 -
宮島 大聖院 遍照窟
天井一面を埋め尽くす燈籠から発せられる淡い光が広がる、幻想的な異空間です。
大師堂の地下にあり、四国八十八ケ所の本尊が安置されています。遍照窟とは世の中を平和にするため、幸せの火をあまねく(遍)てらす(照)道場(窟)の意です。本尊前には各四国八十八ヶ所霊場の砂が埋めてあり、お砂踏みをすると四国霊場巡りと同じだけのご利益があると言われます。
順路の足下に四角いプレートがあり、この下に各霊場の砂が埋められています。この上を歩くことで、巡礼をしたのと同じ効果が得られるという仕組みです。出入口が別々になっており、明らかに人間の動線を意識した造りであり、厳粛な巡礼空間と言えます。
天井から吊るされた無数の燈篭が独特の雰囲気を醸しており、院内で最もインパクトのある施設です。 -
宮島 大聖院 遍照窟
このように入口と出口は異なっています。
この上には、大師堂が建てられています。 -
宮島 大聖院 仁王門
隈なく見て回る時間的余裕もなく、後ろ髪を引かれる思いで大聖院を後にします。
吽形の金剛力士像は、「さようなら〜」と手を振って見送ってくださっています!?
筋肉隆々ですが、どこか愛嬌が感じられるのは、クリクリした目のせいでしょうか? -
宮島 あせび歩道
大聖院から大元神社までは、「あせび歩道」と呼ばれる自然散策路が700m程続いています。また、散策路の下の谷間は、桃林(もんばやし)と呼ばれる桜の名所でもあります。桜の季節には賑やかなことでしょう。
高台を通る小径ですので、見晴らしが抜群です。眼下に町屋の瓦や瀬戸内を眺めながら森林浴を満喫できます。
ご覧のように名の由来は、このアセビです。しかし、秋には紅葉も愉しめます。
アセビは、ツツジ科アセビ属の常緑低木です。馬酔木の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」から付いた名前です。鹿もこの木の葉を食べないため、アセビが相対的に多くなっています。 -
宮島 あせび歩道 多宝塔(重文)
厳島神社の西の丘に建つ高さ15.6mの杮葺の多宝塔は、1523(大永3)年に薬師如来像を祀るために僧 周歓が創建したと伝えられ、通称「二重の塔」と呼ばれています。
1555(弘治元)年の厳島合戦で陶晴賢が真っ先に陣を張った見晴らしの良い場所にあり、大内義興が築城した勝山城の跡地でもあります。この塔は厳島合戦の約30年前に建てられていることから、陶晴賢もこの塔を見上げていたはずです。
多宝塔は、日本へ仏塔を伝えた中国や朝鮮半島にはなく、日本で創始された形式と言われています。ここの多宝塔の特徴は、純和様を基調としながらも、上層部に天竺様、内部には禅宗様を取り入れていることです。初層は方形、二層は柱を円筒形に配列し、その屋根を方形とした珍しい構造です。初層の屋根と二層の間は、饅頭型の亀腹と称する漆喰塗りで繋いでいます。また、貫の鼻が拳鼻になっているなど、大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られます。相輪は宝永年間(江戸時代中期)の修理時に改鋳されたものです。 -
宮島 あせび歩道 多宝塔
初層の中央間4面の蟇股には、梵字が彫刻されています。
「ウーン」と読む、五大明王の東を担当する降三世明王でしょうか?
多宝塔は、1880(明治13)年に町内の有志により加藤清正を祀って宝山神社と改称しましたが、その後1919(大正8)年に清正を豊国神社に合祀しています。秀吉から2度の朝鮮出兵の大将を任ぜられたのが、法華経大信者だった武将 加藤清正だったそうです。 -
宮島 あせび歩道 勝山城跡
築城年代は定かではありませんが、1524(大永4)年頃に大内義興によって築かれたと伝えられています。
1555(天文24)年の厳島合戦で、陶晴賢は毛利方の宮尾城を攻略するために厳島に上陸し、真っ先にこの勝山城に本陣を構えました。その後、本陣を塔の岡へと移して宮尾城攻略を図りましたが、包ヶ浦に上陸して博奕尾を越えて襲いかかった毛利元就の奇襲軍勢に敗れ、晴賢は自刃して果てました。
少し前まではこの先にある高台から多宝塔を見下ろせたようですが、現在は立ち入りが禁じられています。 -
宮島 あせび歩道 聚景荘横の展望台
桜の季節には、旅館「聚景荘」の脇にある展望台からの眺めが最高だそうです。きっと桜の花の中に塔が浮かぶ、幻想的な光景が見られるのでしょうね!
多宝塔は神仏分離令で管理者がいなくなり、一時は崩壊寸前だったそうですが、篤志家によって救済され、本尊 薬師如来像は大願寺に遷されています。また、周辺は桜の名所でもあり、対岸の景色も見られるため、隠れたビュースポットとなっています。 -
宮島 あせび歩道 聚景荘横の展望台
厳島神社をはじめ五重塔、豊国神社が一望できます。 -
宮島 あせび歩道 聚景荘横の展望台
ここまで来ると、それまでの喧騒が何であったのかと不思議に思えるほどに人影も疎らで静寂な世界となります。 -
宮島 あせび歩道 聚景荘横の展望台
山辺の古径の誓真大徳碑記念碑から見た角度から、ほぼ180°の位置になります。 -
宮島 大元神社 拝殿
大元神社がある境内は大元公園の一画にあり、江戸時代には大元桜が咲く厳島八景のひとつでした。また、このように海岸線近くの低地に樅の古木が群生しているのは、世界的にも珍しいことだそうです。
毎年1月20日には、争い事をしないことを念じて弓矢で的を射る百手祭(ももてさい)が開催されます。「甲」「乙」と「ム」を「鬼」っぽく組み合わせた字を裏に貼った的を弓矢で射ることで、「甲乙」=敵味方、「ム」=無、つまり「敵味方無し」ということで、「喧嘩するなよ」、「争い事はやめようぜ」と訴える奇祭です。 -
宮島 大元神社 拝殿
今治市の大山祇神社にある古文書『三島宮御鎮座本禄』によると、仲哀天皇・神功皇后の時代、異国に塵倫という暴れ者がおり、長門の豊浦へ攻め渡って来たと記されています。そこで外敵を撃退するために朝廷から派遣されたのが大山祇神である5代目祭神 小千三並(越智氏の先祖)でした。
因みに、塵輪は、背中に翼があり、黒雲に乗って虚空を自由に飛び回る神通自在の鬼(大将軍)とされ、国々村里を荒らし、多くの人民を滅ぼしていました。新羅国の人とも、九州の氏族とも考えられています。
小千三並は、戦に行く前に大山祇神の神体である「神鉾」を借り、その神威を授かって挑みました。その神鉾を鎮座したのが「安芸の霧島」、つまり現在の大元神社だったそうです。戦に勝利し、塵輪を追い払った後も小千三並はこの土地に留まりました。そして大山祇神が去る時、この場所を「大元神社」と名付けたとされています。 大元は「元居たところ」という意味とも、「山のふもと」という意味とも言われています。 -
宮島 大元神社 拝殿
拝殿の中には「御島巡」という文字の絵馬が掲げられています。また、毎年5月15日に船で島を一周し、浦々にある9社を参拝する「御島巡式」の最終地がこの神社で、御島巡式を無事成就したお礼に奉納された報賽額が多数掲げられています。
中には奉納された赤い親子の木馬もあります。それらを合わせてシンプルにしたものが現代の絵馬とされています。 -
宮島 大元神社 本殿(重文)
創建は厳島神社よりも古い地主神です。国常立尊(くにとこたちのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、さらに厳島神社の初代神主 佐伯鞍職を祀り、宮島の地主神として人々の信仰を集めてきました。
屋根は大元葺と呼ばれる異例の長板葺で、中世の絵巻物にこそ見られるものの、他に類例を見ないという日本唯一の「六枚重三段葺」の貴重な建物です。
現在の社殿の建造は、戦国時代の1523(大永3)年と伝わり、創建は謎に包まれています。 -
宮島 大元神社
宮島の鹿は野生ですので、餌をあげないでください。また、知らない間に食べられてしまうので、紙の手提げ袋も禁物です。添乗員さんによれば、お土産屋さんで「福沢諭吉」を食い逃げされてしまったツアー客もおられたそうです。とにかく油断禁物です!
この付近は大元浦と呼ばれ、厳島合戦において陶晴賢が上陸した場所です。晴賢はここから多宝塔付近、そして五重塔のある岡まで赴き、そこに陣を張りました。しかし毛利元就の奇襲作戦によって陶軍は壞滅し、再び大元浦に戻るも、島から抜ける船もなく山中で自刃したと伝わっています。 -
宮島 大鳥居
潮が完全に引いてから鳥居の下を潜ってご利益に与ろうとする人たちでごった返しています。浜に降りて100m程の距離ですからすぐに行けます。大鳥居まで歩いて行ける、そして大鳥居に触れることができるというのはある意味すごい体験です。
最近は、鳥居に付着したフジツボやちょっとした窪み、木の切れ目などに硬貨を差し込む人が増えているそうです。お賽銭のつもりなのか、あるいはトレビの泉にコインを投げるような感覚か判りませんが、何らかのご利益を期待してのことのようです。 -
宮島 厳島神社
厳島神社は完全に潮が引いています。
しかし、干潮と言っても海底部分はぬかるんでいて靴に水が染みますから、サンダルか濡れてもいい靴を用意されるのがベターと思います。
また、干満の時間をチェックしておかれると重宝するかもしれません。
宮島観光協会の年間潮汐表です。
http://www.miyajima.or.jp/sio/sio01.html -
宮島 厳島神社 反橋(重文)
厳島神社境内にあるこの反橋は、前回訪れた際には解体修理中でした。2014年12月に修理が終わり、美しいアーチを描いています。
この反り橋は「勅使橋」という別名を持ち、かつては勅使が参拝する際に使用した橋です。長さ21m、幅4mあります。しかし、橋の反りが結構大きくてそのままでは渡る事が困難なため、実際にこの橋が使われる際には、床板の上に仮設の階段が設けられたそうです。
また、この反橋は鎌倉時代からあり、現存する最古の擬宝珠が付けられており、そこには1557(弘治3)年に毛利元就・隆元親子が再建した旨の銘があります。
反橋は現在は通路としては使われておらず、立入禁止です。貴重な文化財、装飾的な橋として、厳島神社の優美な情景を更に引き立てています。
厳島神社といえば海上に浮かぶ大鳥居や廻廊、国宝の本殿・平舞台・高舞台などが特に有名なため、それらに比べると反橋はあまり知られていませんが、是非反橋も併せてご見学下さい。 -
宮島 厳島神社
大鳥居を神社の外から真正面に見られるのが、この位置になります。 -
宮島 大鳥居
復路の松大汽船から眺める大鳥居です。
大行列になっています。
全員が鳥居の下を潜る前に潮が満ちてくるのではないかと心配してしまうほどです。 -
宮島のお土産の定番と言えば、「もみじ饅頭」です。
今回は食べ比べをしてみました。ネットで選りすぐった逸品ぞろいですので、どれも外れはなく、美味しかったです。
その中で敢えて優劣をつけるとなれば、やまだ屋の「クリームチーズもみじ」と「千福 吟醸チョコもみじ」が大人の味でGoodでした。どちらも大人のスイーツと言っても遜色ないほどです!
ただし、人によって好みが違いますので、試食をして気に入ったものを買うのが間違いないと思います。ただし、空腹時や疲れた時の試食はお勧めしません。どれも美味しく感じてしまうので・・・。
宮島口からは、本ツアーの最終観光地となる尾道「千光寺公園」に向います。
この続きは、早春賦 西国放浪記⑫尾道(千光寺公園)エピローグでお届けいたします。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こあひるさん 2016/03/24 10:49:14
- 興味深いお寺ですね〜!
- montsaintmichelさん、こんにちは。
宮島にこんな面白い寺があるとは知りませんでした。
さすがに今でもけっこう広い伽藍のようですが、あれこれエキゾチックな香りがして、なかなか興味深いところだな〜と思いました。なんでもあり!のところは日本らしくていいですね。
撮影もできるところが多く、その点もなかなかいいな〜と思っちゃいました。
宮島に行く機会があったら、ぜひここもはずせませんね!
こあひる
- montsaintmichelさん からの返信 2016/03/25 18:40:42
- RE: 興味深いお寺ですね〜!
- こあひるさま、こんばんは!
旅行記にアクセスいただきありがとうございました。
また、大聖院の面白さに共感いただき嬉しく思っています。
当方も半分ほどしか回れていませんが、宮島を訪れる際には是非お立ち寄り下さい。
montsaintmichel
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