宮島・厳島神社 旅行記(ブログ) 一覧に戻る
太古の昔から島全体が自然信仰の対象として崇められてきた宮島は、朱塗りの厳島神社以外にも歴史のある神社・仏閣が目白押しです。再訪問になる今回のミッションは、そんな歴史と神々の息吹を感じながら宮島を探索することです。<br />仏教の伝来以降、日本古来の神々と仏を結びつ付け、仏や菩薩が人々を救うために様々な神の姿を借りて出現するという本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広まり、神仏習合が進展しました。ここ神の島「宮島」でも明治元年の神仏分離令までは、神社と寺院が密接に結び付けられて独自の文化を築き上げてきました。島内に点在する数多くの神社仏閣を巡れば、さらに深く宮島の歴史に触れることができます。<br />本編では、山辺の古径、五重塔、豊国神社にスポットを当てました。<br />前回訪問時の厳島神社の旅行記は次を参照してください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10797008<br />弥山の旅行記は次を参照してください。<br />http://4travel.jp/travelogue/10797220<br /><br />今回お世話になった宮島観光マップです。<br />http://www.miyajima-wch.jp/common/img/guide/miyajima_map_ja.pdf<br />http://pleasure-luck.com/wp-content/uploads/2015/11/map1.pdf<br /><1日目><br />新大阪駅(新幹線)===福山駅---錦帯橋(昼食+散策)<br />---津和野(案内人と一緒に散策)---萩グランドホテル天空<br /><2日目><br />萩グランドホテル天空---松陰神社(ボランティアの方と一緒に散策)<br />---旧萩藩校明倫館(同じ)---萩城下町(同じ)<br />---蒲鉾店(ショッピング)---海鮮村北長門(昼食)<br />---青海島(クルーズコース・島上陸コース・金子みすゞ記念館コースから選択)<br />---秋吉台---瑠璃光寺---湯本観光ホテル西京(オプション:大谷山荘宿泊)<br /><3日目><br />湯本観光ホテル西京---宮島口===宮島(昼食+散策:3時間)===宮島口<br />---尾道===千光寺公園(ロープウェイ)---千光寺公園(山頂)<br />---福山駅(新幹線)===新大阪駅

早春賦 西国放浪記⑩宮島(山辺の古径・五重塔・豊国神社)

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2016/03/03 - 2016/03/05

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    67

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん

    太古の昔から島全体が自然信仰の対象として崇められてきた宮島は、朱塗りの厳島神社以外にも歴史のある神社・仏閣が目白押しです。再訪問になる今回のミッションは、そんな歴史と神々の息吹を感じながら宮島を探索することです。
    仏教の伝来以降、日本古来の神々と仏を結びつ付け、仏や菩薩が人々を救うために様々な神の姿を借りて出現するという本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広まり、神仏習合が進展しました。ここ神の島「宮島」でも明治元年の神仏分離令までは、神社と寺院が密接に結び付けられて独自の文化を築き上げてきました。島内に点在する数多くの神社仏閣を巡れば、さらに深く宮島の歴史に触れることができます。
    本編では、山辺の古径、五重塔、豊国神社にスポットを当てました。
    前回訪問時の厳島神社の旅行記は次を参照してください。
    http://4travel.jp/travelogue/10797008
    弥山の旅行記は次を参照してください。
    http://4travel.jp/travelogue/10797220

    今回お世話になった宮島観光マップです。
    http://www.miyajima-wch.jp/common/img/guide/miyajima_map_ja.pdf
    http://pleasure-luck.com/wp-content/uploads/2015/11/map1.pdf
    <1日目>
    新大阪駅(新幹線)===福山駅---錦帯橋(昼食+散策)
    ---津和野(案内人と一緒に散策)---萩グランドホテル天空
    <2日目>
    萩グランドホテル天空---松陰神社(ボランティアの方と一緒に散策)
    ---旧萩藩校明倫館(同じ)---萩城下町(同じ)
    ---蒲鉾店(ショッピング)---海鮮村北長門(昼食)
    ---青海島(クルーズコース・島上陸コース・金子みすゞ記念館コースから選択)
    ---秋吉台---瑠璃光寺---湯本観光ホテル西京(オプション:大谷山荘宿泊)
    <3日目>
    湯本観光ホテル西京---宮島口===宮島(昼食+散策:3時間)===宮島口
    ---尾道===千光寺公園(ロープウェイ)---千光寺公園(山頂)
    ---福山駅(新幹線)===新大阪駅

    同行者
    カップル・夫婦
    交通手段
    観光バス 新幹線
    利用旅行会社
    ツアー(添乗員同行あり)
    旅行の満足度
    5.0
    観光
    5.0

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    • 宮島口<br />宮島口から厳島へ渡る手段は連絡船です。所要時間は約10分、JR西日本と松大汽船(広電グループ)の2社が競合して運行しています。便の多さや柔軟性では松大汽船に分があると思いますが、JR連絡船は厳島の大鳥居に大接近して航行するというサービスがあります。絶好のシャッターチャンスでもあります。<br />しかし、残念ながら今回も乗船したのはこの松大汽船でした。

      宮島口
      宮島口から厳島へ渡る手段は連絡船です。所要時間は約10分、JR西日本と松大汽船(広電グループ)の2社が競合して運行しています。便の多さや柔軟性では松大汽船に分があると思いますが、JR連絡船は厳島の大鳥居に大接近して航行するというサービスがあります。絶好のシャッターチャンスでもあります。
      しかし、残念ながら今回も乗船したのはこの松大汽船でした。

    • 宮島口<br />往路に厳島神社を海側から眺めたい場合は、3階デッキの進行方向右側に座られることをお勧めいたします。<br />連絡船は、乗船した状態でそのまま真っ直ぐに進みます。

      宮島口
      往路に厳島神社を海側から眺めたい場合は、3階デッキの進行方向右側に座られることをお勧めいたします。
      連絡船は、乗船した状態でそのまま真っ直ぐに進みます。

    • 宮島<br />厳島の名は、日本神話に登場する、アマテラスとスサノオノミコトとの誓約から生まれた三女神の一柱「市杵島姫(イチキシマヒメ)」に由来します。「イチキシマ」が転じて「イツクシマ」となったと言われています。市杵島姫は、音楽や芸術の神、財宝をもたらす金運の神、また弁財天とも称され、厳島神社ではその本殿に空海作と伝わる秘仏 厳島弁財天を祀っていました。

      宮島
      厳島の名は、日本神話に登場する、アマテラスとスサノオノミコトとの誓約から生まれた三女神の一柱「市杵島姫(イチキシマヒメ)」に由来します。「イチキシマ」が転じて「イツクシマ」となったと言われています。市杵島姫は、音楽や芸術の神、財宝をもたらす金運の神、また弁財天とも称され、厳島神社ではその本殿に空海作と伝わる秘仏 厳島弁財天を祀っていました。

    • 宮島<br />厳島では、農耕は一切禁じられていました。何故なら、島全体を神聖なものとして鉄の農具を土に立てることを忌避したからです。また、古来より女性の仕事の象徴とされた機織りや布晒しも禁忌とされていました。<br />島に死人が出た時は、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬られ、現在でも住民の先祖の墓地は島内にはないそうです。こうしたことから、古来より神聖な領域と崇められていたことが窺えます。

      宮島
      厳島では、農耕は一切禁じられていました。何故なら、島全体を神聖なものとして鉄の農具を土に立てることを忌避したからです。また、古来より女性の仕事の象徴とされた機織りや布晒しも禁忌とされていました。
      島に死人が出た時は、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬られ、現在でも住民の先祖の墓地は島内にはないそうです。こうしたことから、古来より神聖な領域と崇められていたことが窺えます。

    • 宮島 だいこん屋<br />12時には少し早いのですが、まずは宮島名物「牡蠣御膳」で腹ごしらえです。<br />商店街のほぼ西端にある「だいこん屋」というもみじ饅頭店の2階でいただきます。さすがに新鮮な牡蠣を使っているだけあり、牡蠣フライですが濃厚さが全く違うのには吃驚ポンです!ご覧のように焼きたてのもみじ饅頭がデザートです。<br /><br />宮島滞在の時間は、食事を含めて2時間30分強でした。(パンフレットにある3時間滞在は、宮島口起点の計算のようです。)

      宮島 だいこん屋
      12時には少し早いのですが、まずは宮島名物「牡蠣御膳」で腹ごしらえです。
      商店街のほぼ西端にある「だいこん屋」というもみじ饅頭店の2階でいただきます。さすがに新鮮な牡蠣を使っているだけあり、牡蠣フライですが濃厚さが全く違うのには吃驚ポンです!ご覧のように焼きたてのもみじ饅頭がデザートです。

      宮島滞在の時間は、食事を含めて2時間30分強でした。(パンフレットにある3時間滞在は、宮島口起点の計算のようです。)

    • 宮島 だいこん屋<br />「だいこん屋」の裏庭です。<br />とてもよく手入れされていて見応えがあります。<br />お店に立ち寄られた際には、覗いてみてください。

      宮島 だいこん屋
      「だいこん屋」の裏庭です。
      とてもよく手入れされていて見応えがあります。
      お店に立ち寄られた際には、覗いてみてください。

    • 宮島 表参道商店街 大杓子(おおじゃくし)<br />樹齢270年の欅からつくられた、長さ7.7m、最大幅2.7m、質量2.5トンもある大杓子です。<br />伝統工芸の宮島細工を後世に遺すと共に、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして1983年に3年近くの歳月をかけて制作された、世界一の大きさを誇る大杓子です。<br />つくってはみたものの、大きすぎて展示場所が決まらず、その後14年間お蔵入りして日の目を見ることがなかったそうです。1996年12月に厳島神社が世界遺産に登録されたことを記念し、この場所に展示されるようになったそうです。<br /><br />宮島の名産品 杓子の由来は次のように伝えられています。<br />江戸時代寛政期に 誓信(せいしん)が厳島弁財天の夢を見たことから始まります。弁天の持仏琵琶に着目し、その琵琶の形から杓子を考案し、神木を使ってそれを作ることを島の人々に教えました。こうして作られた杓子は旅人に喜ばれ、杓子作りが盛んになったそうです。神木の杓子でご飯をよそえば「敵をメシ取る」「幸運をすくい取る」といった福徳が得られ、日清・日露戦争時には「敵を召し捕る」といった具合に縁起物として宮島を代表する名産品になりました。商売繁盛・勝運のお守りとされたり、飯粒がつかないという特性から実用面でも重宝されています。<br />春の選抜高校野球が開幕しましたが、甲子園球場で地元高校の大応援団が使う「めしとりしゃもじ」には、こうした由来があります。

      宮島 表参道商店街 大杓子(おおじゃくし)
      樹齢270年の欅からつくられた、長さ7.7m、最大幅2.7m、質量2.5トンもある大杓子です。
      伝統工芸の宮島細工を後世に遺すと共に、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして1983年に3年近くの歳月をかけて制作された、世界一の大きさを誇る大杓子です。
      つくってはみたものの、大きすぎて展示場所が決まらず、その後14年間お蔵入りして日の目を見ることがなかったそうです。1996年12月に厳島神社が世界遺産に登録されたことを記念し、この場所に展示されるようになったそうです。

      宮島の名産品 杓子の由来は次のように伝えられています。
      江戸時代寛政期に 誓信(せいしん)が厳島弁財天の夢を見たことから始まります。弁天の持仏琵琶に着目し、その琵琶の形から杓子を考案し、神木を使ってそれを作ることを島の人々に教えました。こうして作られた杓子は旅人に喜ばれ、杓子作りが盛んになったそうです。神木の杓子でご飯をよそえば「敵をメシ取る」「幸運をすくい取る」といった福徳が得られ、日清・日露戦争時には「敵を召し捕る」といった具合に縁起物として宮島を代表する名産品になりました。商売繁盛・勝運のお守りとされたり、飯粒がつかないという特性から実用面でも重宝されています。
      春の選抜高校野球が開幕しましたが、甲子園球場で地元高校の大応援団が使う「めしとりしゃもじ」には、こうした由来があります。

    • 宮島 宮尾城跡<br />加福食堂まで戻り、その右側にある急峻な階段を登り詰めると要害山山頂の宮尾城跡に辿り着きます。現在は曲輪や堀切が僅かに城の面影を残すだけですが、山頂には今伊勢神社が建てられています。<br />宮尾城は、毛利元就が陶晴賢を誘き寄せるために築いた囮城です。「日本三大奇襲戦」のひとつである「厳島合戦」の舞台になった城として知られ、往時は三方が海に面した海城でした。ここから、陶軍が本陣を構えた塔の岡(五重塔の建つ岡)を凝視していたことでしょう。<br />尚、元就は厳島合戦で神域を汚したことを忸怩たる思いで厳粛に受け留め、流血で汚れた土砂は全て削り取って海中に投じ、血で汚れた回廊の一部は板を新しく取り替え、戦前の姿に戻したそうです。

      宮島 宮尾城跡
      加福食堂まで戻り、その右側にある急峻な階段を登り詰めると要害山山頂の宮尾城跡に辿り着きます。現在は曲輪や堀切が僅かに城の面影を残すだけですが、山頂には今伊勢神社が建てられています。
      宮尾城は、毛利元就が陶晴賢を誘き寄せるために築いた囮城です。「日本三大奇襲戦」のひとつである「厳島合戦」の舞台になった城として知られ、往時は三方が海に面した海城でした。ここから、陶軍が本陣を構えた塔の岡(五重塔の建つ岡)を凝視していたことでしょう。
      尚、元就は厳島合戦で神域を汚したことを忸怩たる思いで厳粛に受け留め、流血で汚れた土砂は全て削り取って海中に投じ、血で汚れた回廊の一部は板を新しく取り替え、戦前の姿に戻したそうです。

    • 宮島 宮尾城跡<br />1555(弘治元)年、毛利元就と陶晴賢の両軍合わせて35000人が戦ったのが「日本三大義戦」のひとつとされる厳島合戦です。そのきっかけとなったのが、大寧寺の変でした。出雲 尼子攻めの敗戦により政務への興味をなくし、享楽に耽って領民のことを顧みない大内義隆が許せず、重臣 陶晴賢がクーデターを決起したのです。義隆は数十人の部下に護られながら深川の大寧寺に逃れ、和尚の戒を受けて45歳で自刃しました。31代の永きに亘って栄えた西国の雄 大内氏がここに滅亡したのでした。<br />因みに、「義戦」のひとつに数えられているのですが、重臣 陶晴賢が主君 大内義隆にクーデターを仕掛けて自刃に追いやった大寧寺の変では、毛利元就も陶軍につきました。では何故厳島合戦を「義戦」と呼ぶかと言うと、晴賢が元就と交わした約束を守らなかったからです。その約束とは、義隆を隠居させて子の義尊に家督を継がせることでした。しかし、結果的に親子を自刃に追いやったために「義戦」と解釈されています。<br /><br />1553(天文22)年、吉田(広島県)城主 毛利元就は、主君を討った逆臣 陶晴賢を討伐する勅命を受けました。元就は、多勢に無勢で陶軍を破るには野戦では不利と考え、宮島に誘き寄せるために宮尾(要害山)に小城を築き、己斐豊後守に数百の兵を与えて守らせました。ある夜、城中に招いた琵琶法師が陶のスパイである事を見抜き、「宮島に城を築いた事は失策であった。もし、陶の大軍に包囲されたなら、我軍の勝利は望めない」と敵を欺きました。そして晴賢は元就の策略に騙され、3万人以上もの大軍を宮島に上陸させて塔の岡に本陣を構えました。<br />元就は、3千人の兵を率いて対岸の地御前に陣取り、夜中、暴風雨に荒れ狂う怒涛の中へ出陣しました。家臣 小早川隆景の一隊は敵の正面へ乗り入れ、怪しむ敵に「筑前の宗像秋月の船で、御味方にまいった者です」と舟を進めました。一方、元就率いる本隊は、宮島の東北岸に上陸し、敵の本陣である塔の岡の背後へ兵を進めました。これが「日本三奇襲戦」と言われる所以です。<br />かくして陶軍の本陣は総崩れとなり、神社裏へ雪崩をうって敗走しました。陶軍は前後に敵を受け、戦う精根も尽きて大元から海岸線を伝って江浦に逃れるも、舟は一隻もなく、最早これまでと高安ヶ原に引き返し、谷川の水を汲んで名残の宴を開いた後、自刃しました。<br />「何を惜しみ 何を恨みん もとよりも このありさまの 定まれる身に」が晴賢の辞世の歌です。享年35歳。その首級は従者の手によって岩の間に隠されましたが、毛利軍の執拗なローラー作戦により発見され、対岸の洞雲寺に埋葬され、ねんごろに供養されました。この合戦を契機に、毛利氏の中国地方における地位は急上昇し、同民の厳島神社に対する信仰も日増しに篤くなっていったのです。

      宮島 宮尾城跡
      1555(弘治元)年、毛利元就と陶晴賢の両軍合わせて35000人が戦ったのが「日本三大義戦」のひとつとされる厳島合戦です。そのきっかけとなったのが、大寧寺の変でした。出雲 尼子攻めの敗戦により政務への興味をなくし、享楽に耽って領民のことを顧みない大内義隆が許せず、重臣 陶晴賢がクーデターを決起したのです。義隆は数十人の部下に護られながら深川の大寧寺に逃れ、和尚の戒を受けて45歳で自刃しました。31代の永きに亘って栄えた西国の雄 大内氏がここに滅亡したのでした。
      因みに、「義戦」のひとつに数えられているのですが、重臣 陶晴賢が主君 大内義隆にクーデターを仕掛けて自刃に追いやった大寧寺の変では、毛利元就も陶軍につきました。では何故厳島合戦を「義戦」と呼ぶかと言うと、晴賢が元就と交わした約束を守らなかったからです。その約束とは、義隆を隠居させて子の義尊に家督を継がせることでした。しかし、結果的に親子を自刃に追いやったために「義戦」と解釈されています。

      1553(天文22)年、吉田(広島県)城主 毛利元就は、主君を討った逆臣 陶晴賢を討伐する勅命を受けました。元就は、多勢に無勢で陶軍を破るには野戦では不利と考え、宮島に誘き寄せるために宮尾(要害山)に小城を築き、己斐豊後守に数百の兵を与えて守らせました。ある夜、城中に招いた琵琶法師が陶のスパイである事を見抜き、「宮島に城を築いた事は失策であった。もし、陶の大軍に包囲されたなら、我軍の勝利は望めない」と敵を欺きました。そして晴賢は元就の策略に騙され、3万人以上もの大軍を宮島に上陸させて塔の岡に本陣を構えました。
      元就は、3千人の兵を率いて対岸の地御前に陣取り、夜中、暴風雨に荒れ狂う怒涛の中へ出陣しました。家臣 小早川隆景の一隊は敵の正面へ乗り入れ、怪しむ敵に「筑前の宗像秋月の船で、御味方にまいった者です」と舟を進めました。一方、元就率いる本隊は、宮島の東北岸に上陸し、敵の本陣である塔の岡の背後へ兵を進めました。これが「日本三奇襲戦」と言われる所以です。
      かくして陶軍の本陣は総崩れとなり、神社裏へ雪崩をうって敗走しました。陶軍は前後に敵を受け、戦う精根も尽きて大元から海岸線を伝って江浦に逃れるも、舟は一隻もなく、最早これまでと高安ヶ原に引き返し、谷川の水を汲んで名残の宴を開いた後、自刃しました。
      「何を惜しみ 何を恨みん もとよりも このありさまの 定まれる身に」が晴賢の辞世の歌です。享年35歳。その首級は従者の手によって岩の間に隠されましたが、毛利軍の執拗なローラー作戦により発見され、対岸の洞雲寺に埋葬され、ねんごろに供養されました。この合戦を契機に、毛利氏の中国地方における地位は急上昇し、同民の厳島神社に対する信仰も日増しに篤くなっていったのです。

    • 宮島 町家通り<br />京都の法観寺八坂の塔を見上げる清水寺への参道を彷彿とさせる風景です。<br />江戸時代初期に埋め立てられ、宮島が最も華やいだ時代のメインストリートだったのが本町筋と呼ばれていた町家通りです。『厳島図会』には、商家や旅籠が立ち並ぶ通りに参拝客や酔客が楽しげに行き交う様子が描かれています。現在の幸町東表や中之町表、北之町表といった町名も、この一帯がかつて表通りだったことの証です。しかし戦後には映画館やカフェなどの娯楽施設が姿を消し、島の住人たちの生活通りに一変しました。通りが再び脚光を浴びるようになったのは最近のことだそうです。2001年に始まった「みやじま雛めぐり」がきっかけで、通りに点在する江戸時代から戦前までの古い町家が注目され始めました。伝統的な町家建築に現代的な感覚をプラスしたレトロモダンな宿や商店、ギャラリーなどが登場し、また、昭和30年代にタイムスリップしたような昔ながらの商店や民家も未だ健在であり、それがまたいい味を添えています。歴史を感じさせる町並み、そしてそこに暮らす人々の息づかいや体温が伝わってくるのが町家通りの魅力と言えます。

      宮島 町家通り
      京都の法観寺八坂の塔を見上げる清水寺への参道を彷彿とさせる風景です。
      江戸時代初期に埋め立てられ、宮島が最も華やいだ時代のメインストリートだったのが本町筋と呼ばれていた町家通りです。『厳島図会』には、商家や旅籠が立ち並ぶ通りに参拝客や酔客が楽しげに行き交う様子が描かれています。現在の幸町東表や中之町表、北之町表といった町名も、この一帯がかつて表通りだったことの証です。しかし戦後には映画館やカフェなどの娯楽施設が姿を消し、島の住人たちの生活通りに一変しました。通りが再び脚光を浴びるようになったのは最近のことだそうです。2001年に始まった「みやじま雛めぐり」がきっかけで、通りに点在する江戸時代から戦前までの古い町家が注目され始めました。伝統的な町家建築に現代的な感覚をプラスしたレトロモダンな宿や商店、ギャラリーなどが登場し、また、昭和30年代にタイムスリップしたような昔ながらの商店や民家も未だ健在であり、それがまたいい味を添えています。歴史を感じさせる町並み、そしてそこに暮らす人々の息づかいや体温が伝わってくるのが町家通りの魅力と言えます。

    • 宮島 小路 鬼隠(かくれんぼ)<br />大杓子のあった筋を山側へ上り、町屋通りの先の筋を左に折れてすぐの所に小路があります。「鬼隠」といった心憎い名が付けられています。本当に狭い路地ですので見落とされるかもしれません。<br />因みに、もう少し下の方には、鬼遊(おにごっこ)という小路もあります。<br />時間があればセットで巡りたい小路です。<br /><br />小路はGoogleマップには表示されませんので、次のサイトで場所をチェック願います。<br />https://www.kankou.pref.hiroshima.jp/benri/pamphlet/sanpo/documents/2010summerp10-11.pdf

      宮島 小路 鬼隠(かくれんぼ)
      大杓子のあった筋を山側へ上り、町屋通りの先の筋を左に折れてすぐの所に小路があります。「鬼隠」といった心憎い名が付けられています。本当に狭い路地ですので見落とされるかもしれません。
      因みに、もう少し下の方には、鬼遊(おにごっこ)という小路もあります。
      時間があればセットで巡りたい小路です。

      小路はGoogleマップには表示されませんので、次のサイトで場所をチェック願います。
      https://www.kankou.pref.hiroshima.jp/benri/pamphlet/sanpo/documents/2010summerp10-11.pdf

    • 宮島 小路 鬼隠<br />昭和時代のノスタルジーが漂う、なんとも心ときめかされる路地です。<br />ここを上り詰めると「山辺の古径」に突き当たります。<br />宮島はかつては宮千軒と呼ばれ、1000軒近くの家が建ち並び、その民家の軒下の迷路のような小路は子供たちの格好の遊び場だったそうです。そんな昔懐かしい空気が感じられる小粋なネーミングがなされた小路をそぞろ歩くのも一興です。

      宮島 小路 鬼隠
      昭和時代のノスタルジーが漂う、なんとも心ときめかされる路地です。
      ここを上り詰めると「山辺の古径」に突き当たります。
      宮島はかつては宮千軒と呼ばれ、1000軒近くの家が建ち並び、その民家の軒下の迷路のような小路は子供たちの格好の遊び場だったそうです。そんな昔懐かしい空気が感じられる小粋なネーミングがなされた小路をそぞろ歩くのも一興です。

    • 宮島 小路 鬼隠<br />最後は少し急な苔生した階段を登ります。

      宮島 小路 鬼隠
      最後は少し急な苔生した階段を登ります。

    • 宮島 山辺の古径 女人坂 乳地蔵<br />鬼隠小路を登ると目の前で出迎えてくれるのが乳地蔵尊です。<br />女性が母乳が沢山でますようにと祈願する地蔵尊です。宝寿院本堂の左脇にひっそりと祀られていることから、出産しておめでたいこととはいえ、母乳の出がよくないことを人に知られたくないという女性心理を捉えているように感じます。<br />江戸時代の『芸州厳島図会』にも宝寿院の隣にこの乳地蔵が描かれているそうで、この地蔵が古くから宮島の人たちを高台から見守っていたことが窺えます。<br />嫁いだ娘のために、しっかりとお祈りさせていただきました。

      宮島 山辺の古径 女人坂 乳地蔵
      鬼隠小路を登ると目の前で出迎えてくれるのが乳地蔵尊です。
      女性が母乳が沢山でますようにと祈願する地蔵尊です。宝寿院本堂の左脇にひっそりと祀られていることから、出産しておめでたいこととはいえ、母乳の出がよくないことを人に知られたくないという女性心理を捉えているように感じます。
      江戸時代の『芸州厳島図会』にも宝寿院の隣にこの乳地蔵が描かれているそうで、この地蔵が古くから宮島の人たちを高台から見守っていたことが窺えます。
      嫁いだ娘のために、しっかりとお祈りさせていただきました。

    • 宮島 山辺の古径 女人坂 乳地蔵<br />穏やかでやさしいお顔をなされていますので、古くから信仰されているのが判るような気がします。

      宮島 山辺の古径 女人坂 乳地蔵
      穏やかでやさしいお顔をなされていますので、古くから信仰されているのが判るような気がします。

    • 宮島 山辺の古径<br />ここから少し高台になった「山辺の古径」ルートに入ります。<br />まず、東端にある不動堂へ向かうため、「山辺の古径」を左へ進みます。<br />不動堂へ寄らないのであれば、右方向へ道なりに進めば光明院に突き当たります。

      宮島 山辺の古径
      ここから少し高台になった「山辺の古径」ルートに入ります。
      まず、東端にある不動堂へ向かうため、「山辺の古径」を左へ進みます。
      不動堂へ寄らないのであれば、右方向へ道なりに進めば光明院に突き当たります。

    • 宮島 山辺の古径 不動堂<br />厳島神社の鬼門鎮護のために建てられた堂宇で、毘沙門天や不動明王、弘法大師が祀られています。<br />参拝した後は、来た道を乳地蔵尊まで戻ります。

      宮島 山辺の古径 不動堂
      厳島神社の鬼門鎮護のために建てられた堂宇で、毘沙門天や不動明王、弘法大師が祀られています。
      参拝した後は、来た道を乳地蔵尊まで戻ります。

    • 宮島 山辺の古径 <br />この道は、現在の表参道が海の底だった頃、厳島神社への参詣者が歩いたという最古の参道です。スタート地点は、朱塗りの大鳥居や五重塔、町並みの瓦の波を一望できるビュースポットです。不動堂の前を通って緑豊かで静かな山沿いの道を辿れば、寿山亭の土壁に安置された女人像や乳地蔵のある女人坂へと導かれます。更に進んで左手にある石段を登ると通称「あせび寺」と呼ばれる宝寿院があり、その一帯は魚之棚町と呼ばれ、かつては魚の荷の揚げ下ろしが行われた浜辺であり、魚市場も立っていたそうです。<br />山沿いの道のため一部勾配がきつい箇所もありますが、坂の上の高台から俯瞰する景色は息を呑むほど美しく、また古い石垣や桜の老木、小さなお堂など思わず足を止めて見入ってしまう小さな発見が待っています。さらに歩を進めると浄土宗の古刹 光明院前の石畳の坂道に突き当たり、そこを下れば五重塔や千畳閣のある塔の岡に至ります。祈りの道に相応しい落ち着きと風情が湛えられた古径です。

      宮島 山辺の古径
      この道は、現在の表参道が海の底だった頃、厳島神社への参詣者が歩いたという最古の参道です。スタート地点は、朱塗りの大鳥居や五重塔、町並みの瓦の波を一望できるビュースポットです。不動堂の前を通って緑豊かで静かな山沿いの道を辿れば、寿山亭の土壁に安置された女人像や乳地蔵のある女人坂へと導かれます。更に進んで左手にある石段を登ると通称「あせび寺」と呼ばれる宝寿院があり、その一帯は魚之棚町と呼ばれ、かつては魚の荷の揚げ下ろしが行われた浜辺であり、魚市場も立っていたそうです。
      山沿いの道のため一部勾配がきつい箇所もありますが、坂の上の高台から俯瞰する景色は息を呑むほど美しく、また古い石垣や桜の老木、小さなお堂など思わず足を止めて見入ってしまう小さな発見が待っています。さらに歩を進めると浄土宗の古刹 光明院前の石畳の坂道に突き当たり、そこを下れば五重塔や千畳閣のある塔の岡に至ります。祈りの道に相応しい落ち着きと風情が湛えられた古径です。

    • 宮島 山辺の古径 女人坂<br />寿山亭の土壁に安置された女人像です。<br />女人坂は、女性を模ったと思われる何体かの古い石仏や地蔵尊が点在し、長い歴史が感じられる趣のあるゆったりとした坂道です。<br />

      宮島 山辺の古径 女人坂
      寿山亭の土壁に安置された女人像です。
      女人坂は、女性を模ったと思われる何体かの古い石仏や地蔵尊が点在し、長い歴史が感じられる趣のあるゆったりとした坂道です。

    • 宮島 山辺の古径 女人坂<br />ここには宮島で有名な女人像が佇んでいます。<br />「女人坂」の名の由来ともなった、女人像のレリーフ「宮島のビーナス像」です。<br />

      宮島 山辺の古径 女人坂
      ここには宮島で有名な女人像が佇んでいます。
      「女人坂」の名の由来ともなった、女人像のレリーフ「宮島のビーナス像」です。

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