2015/09/16 - 2015/09/28
8位(同エリア69件中)
mondeさん
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- 旅行記95冊
- クチコミ30件
- Q&A回答81件
- 114,545アクセス
- フォロワー34人
滞在期間:2015年9月23日~2015年9月26日
サンタフェのホテルからエアポートシャトルのSandia Shuttle Expressにてアルバカーキ国際空港へ向かい、ヒューストンを経由してブルースの故郷メンフィス へのフライトとなりました。
二度目の訪問です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ユナイテッド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
サンタフェからフリーウェイをひた走り、約1時間程でアルバカーキ国際空港に到着しました。
-
いつも通り、自動チェックイン機で手続きをします。
-
荷物はカウンターで預けます。
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911のテロ事件の際にも活躍した救助犬の写真が飾られていました。
-
空港内のショップにレッドチリとグリーンチリがありましたが、グリーンチリを買いました。
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UA460 アルバカーキ11:30発 ヒューストン14:39着
A319 -
搭乗ゲートはA1で、定時出発です。
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10:50より、搭乗開始です。
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ホットコーヒーをいただきました。
アルコールは、有料です。 -
ユナイテッド航空のハブ空港のヒューストンジョージブッシュ国際空港です。
ANAも就航しましたね。 -
Skywayで、Bタ ーミナルへ移動します。
-
UA4406 ヒューストン16:00発 メンフィス17:52着
CRJ-700
16時発が16時31分発に変更になりました。 -
写真が無くてすみません。
メンフィス国際空港は、デルタ航空のハブ空港と聞いていたので、飛行機もたくさん駐機しており、賑わっているイメージでしたが、搭乗ゲートはたくさんあるのに、飛行機は数機しか駐機しておらず、ターミナルも閑散としている。ターミナル外には、車も殆んど無く、本当にテネシー州第二の都市の空港なの?って感じ。
予約していたエアポートシャトルも指定場所に一向に来ないので電話をすると、『直ぐに迎えに行くから待っていてくれ』との返事がある。しかし、暫く待っても来ない。再度電話をすると、『今どこにいるのか?』と訊いてくるので、『指定場所にいる』と答えると、『出発階にいるので、こっちに来てくれ』との返事。いい加減にしてくれと口からでかかったが、堪えて出発階に向かう、体格のいい兄ちゃんが笑顔で待っており、まぁいいっか'!
20分位で、無事、ホリデーインメンフィスダウンタウンに到着しました。 -
リノベーションされた部屋は快適です。
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ホテル近くのレストランFLYING FISHで夕食をとりました。
全米数ヶ所にあるシーフードレストランです。
店に入ったら、カウンターで料理を注文し、アルコール等は自分で冷蔵庫から出して、代金を払います。 -
テネシーと言えば、キャットフィッシュです。
以前、ナッシュビル郊外に住んでいたときは、よく食べていました。 -
店の中は、ローカルレストランそのものです。
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手や口のまわりの汚れを拭く為に、ロールペーパーが置いてあります。
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フィッシング関係の写真が至るところに飾ってあります。
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鱒のこんなものも飾ってあります。
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ホテルからの朝の景色です。
天気は良さそう。 -
隣は、メンフィスを代表するピーボディホテルです。
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部屋に戻りレストルームに入ったら、よくあるこんな飾りつけがされていました。
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ミシシッピ川沿いにある観光案内所です。
観光する前にまず寄ってみる価値がありますので、メンフィスを訪れた際には寄ってみてください。 -
観光案内所のシンボルです。
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エルヴィス・プレスリーの銅像もあります。
ダウンタウンのメインストリートとビール通りとの角にもあります。 -
ブルース界の大御所B.B.キングの銅像もあります。昨年、ラスベガスでお亡くなりになりました。
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以前はアリーナでしたが、フェデラルフォーラムができたので、アウトドア商品を扱うバスプロショップスになっています。
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中は非常に広大で、スパニッシュモスが装飾されています。フィッシングボートから服まであらゆる物が売られており、1日中遊べそうです。ホテルもあります。
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エルヴィス・プレスリーが通っていた1919年創業のメンフィス最古のカフェ『アーケード』というレストランです。
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』等映画に登場しています。
アムトラックのセントラル駅近くのサウスメインアートディスクトリクトと呼ばれる再開発のアート街にあります。Arcade カフェ
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店員にお願いして中に入り、エルヴィス・プレスリーがよく座っていたプレスリーブースに座ってみました。
エルヴィス・プレスリーがここに座り、好んで食べていたのは、ピーナッツバターとバナナのホットサンド7.95ドルです。
既に座っていた方が『席を譲るよ』と言ってくれましたが、『写真を撮りたいだけだから』と答えて写真を撮り、お礼を言ってレストランを出てきました。Arcade カフェ
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昔のメンフィスは、ニューヨークの様に賑わっていました。
Arcade カフェ
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アムトラックのセントラル駅です。
現在は、ニューオリンズを結ぶ列車が1日1便だけなのでホームはひとつですが、昔はいくつかありました。その名残の車止めが残っています。 -
これが車止めです。
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セントラル駅の中です。
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1989年の映画『ミステリートレイン』で、永瀬正敏と工藤由貴が駅のベンチに座っているシーンがでてきますが、この場所です。
二人がこの駅に降り立ち、サンスタジオまでたどり着く内容です。サンスタジオでガイドしているのが、『若草物語』でジョー役を演じ、アカデミー主演女優賞候補になったウィノナ・ライダーです。 -
昔のセントラル駅の写真が飾られていました。
10本もホームがあったそうです。 -
国立公民権博物館(ロレインモーテル)です。
今は、博物館になっています。
中には入りませんでしたが、中に入るには入場料が10ドルかかります。国立公民権博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1968年4月4日、マルチン・ルーサー・キング牧師が、ロレインモーテル306号室で支援者と打ち合わせをして、食事に行こうとバルコニーに出てきたところ、通りの向かいにある建物からライフル銃で狙撃されて暗殺されました。犯人のジェームズ・アールレインがいた当時下宿屋のバスルームは、窓が少し開いていますのですぐわかります。
手前の車は、メンフィスに来た際に乗っていたキャデラックです。国立公民権博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1968年4月3日のキング牧師のスピーチが装飾されています。
『私は、多分あなた達と一緒に行けないかも知れません。しかし、あなた達に知って欲しいのは、私達は人間としてその約束の地に行けるだろう』 -
キング牧師が暗殺されたロレインモーテルは、アパートでもあったが、1988年に建物を博物館にするために住民は立ち退きを迫られたが、これに断固と反対したのが、当時モーテルに住み込んでいたジャクラーヌ・スミスさんです。
彼女の主張は、『キング牧師は、苦境にあえぐ貧しい者達のために働いていた。モーテルは、そんなキング牧師の真の使命を反映する場所として使うべき。キング牧師とその教えを記憶する場所にすべき。たとえば、ホームレスのための避難所や中毒患者のためのクリニックや虐げられた者達のセンターとして使うべき』だった。彼女は、立ち退きに応じず、居残って抵抗を続けてたが、1988年3月2日、強制的にモーテルから持ち物もろとも連れ出され、モーテル前の歩道に放り出されました。
以後、彼女はずっとモーテル前の路上で生活しています。 -
ギターのトップブランドのギブソンです。ナッシュビルにも工場があります。
1階にショップがあり、工場見学ができます。ギブソン ギター 文化・芸術・歴史
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ロックンソウル博物館です。
ワシントンDCにあるスミソニアン協会と提携しています。
詳細は、Part2の中でご紹介いたします。メンフィス ロックンソウル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ミシシッピブルースの歴史跡地でミシシッピ州で始まり、ブルースの誕生、成長、および影響と関連した最も著しい歴史サイトに置くために、2006年にミシシッピブルース委員会により作成された看板です。跡地は、ナチェズ、ヴィクスバーグ、ジャクソン、リーランド、グリーンウッド、クラークスデール、チュニカ族、グレナダ、オックスフォード、コロンバス、メリディアン、および多くの他のポイントへのいくつかのハイウェーに沿って拡張されています。跡地の最も多くは、ミシシッピデルタにあるが、他の地域にもたくさんあります。
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2004年9月にメンフィス市によって完成されました。設計者はエラーブ・ベケットです。ネーミングライツはメンフィスで最も有名な企業の貨物航空会社フェデックス社が取得しました。座席数は約19,000席で、コートサイドには1,000席あります。
アメリカプロバスケットボールリーグNBAのメンフィス・グリズリーズと、NCAAのメンフィス大学タイガースの本拠地として利用されています。フェデックス フォーラム スタジアム・スポーツ観戦
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ロックンロールのパイオニア的存在であるサム・フィリップスが、1950年1月3日にユニオン・アヴェニュー703にオープンした録音スタジオです。元々の名称は「メンフィス・レコーディング・サービス」で、サン・レコード・レーベルと同じ建物で営業していました。1951年に最初のロックンロール・シングルと評されるジャッキー・ブレンストン&デルタ・キャッツの「ロケット88」がレコーディングされ、1950年代前半にはハウリン・ウルフや、ジュニア・パーカー、リトル・ミルトン、B.B.キング、ジェイムズ・コットン、ルーファス・トーマス、ロスコー・ゴードンなどのブルースやR&Bのアーティストもレコーディングでこのスタジオを使用していました。一時期、スタジオではレコーディングやレーベル関連の活動はなくなったが、エルヴィス・プレスリーの没後10年の1987年にサン・レコード・レーベルとメンフィス・レコーディング・サービスが入っていた元々の建物が、ゲイリー・ハーディーの手によって「サン・スタジオ」の名で再オープンして、U2やデフ・レパード、ボニー・レイット、リンゴ・スターなど多くの著名アーティストに利用され、2003年、アメリカ合衆国国定歴史建造物に認定されました。
サンスタジオ 建造物
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1953年7月の暑い日に、高校卒業後トラックの運転手をしていたエルヴィス・プレスリーが4ドルを握りしめて、自分のデモテープを録音するためこのスタジオに入りました。
サンスタジオ 建造物
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隣はカフェで、今は土産物売り場になっています。
サンスタジオ 建造物
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エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュの4人、1956年のミリオン・ダラー・カルテットの写真が飾られています。1956年12月4日にこのスタジオで即興のジャム・セッションが偶然に行なわれました。
サンスタジオ 建造物
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1922年5月に食料品店業界の大物で、全米で70店舗を展開したピグリーウィクリーの創業者クラレンス・サンダースがメンフィス、テネシー州の東の周辺に宮殿を建てることを、彼の代表的なセンスとファンファーレでマスコミに発表しました。41歳のサンダースは、波状の食料雑貨チェーンの創設者であり、彼はメンフィスの最も永続的なランドマークの一つ、ピンクパレス博物館なるものの構築を開始しました。
ピンク パレス 博物館・美術館・ギャラリー
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その夢の家は、ピンクパレス家族のためのメンフィスピンク宮殿博物館です。 Memphiansは、この宮殿を一見するために、日曜日には中央通りに車で詰めかけ、建設中の建物に魅了されました。36500平方フィートのこの建物は、ピンクのジョージアの大理石のCla-ル・クレア」にちなんで、名前を付けられますが、Memphiansはそれを愛称「ピンクパレス」と呼びました。この家は、パイプオルガンを持つ大規模なエントリのロビーをフィーチャーしましたバンケットルーム(宴会場)、屋内スイミングプール、射的、ボーリング場、8寝室、独自の専用バスルーム付の部屋等々が作られました。悲しいことに、サンダースの家族がこの邸宅に住むことはありませんでした。 1923年にサンダースは、投資に失敗し、未完成の家は彼の債権者の手に落ちました。
プロパティを取得した債権者は、博物館として使用するためにメンフィス市にこの宮殿を寄贈しました。市は、建物や建物の周りを完成させるために$ 150,000を投資しました。印象的なロビーは大理石の床、壁、階段で仕上げられ、シールベアリング大理石の暖炉は、サンダース家のリビングルームとなったであろう隣の部屋に設置されました。
この邸宅は、1930年3月に自然史・産業芸術のメンフィス博物館としてオープンした博物館の見どころは、地域や自然の歴史、教育、工芸でした。 Cossittライブラリコレクションから多くの成果物は、トロフィー動物の頭のレイニーコレクションを含め、博物館に移されました。地元のものだけでなく、世界中から装飾品や工芸品が集められました。エルナンド・デ・ソトを描いた3壁画は、ロビーの北側の壁に掛けられました。博物館は、1950年代にプラネタリウム、ベリーB.ブルックスアフリカホール、精巧な鉱物の展示を追加しました。クライドパークのミニチュアのサーカスは、後年に追加されました。
1967年に正式にメンフィスピンク故宮博物院となりました。1977年に完成した拡張プロジェクトによって博物館の展示は、邸宅に隣接するより大きな新しい建物に移動しました。1900から1960年からメンフィスの歴史に焦点を当てたメンフィスの歴史の展示は、1階の復元された10の部屋にあります。
「ピンクパレスマンションは、そのピンクの大理石の壁内の訪問者の足音を感じる興奮の声を聞き、好奇心の視線を感じます。ピンクパレス博物館は、世界中から観光客を集め、発見の畏敬の念を起こさせる世界となっています。クラレンス・サンダースはこのピンクパレス博物館を誇りに思うだろう」
2015年に創立85周年を迎えました。ピンク パレス 博物館・美術館・ギャラリー
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1956年5月20日に彼の両親と引っ越してきた家です。この家には、1年程しか住んでいなかったそうです。
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スプーン曲げで有名となった超能力者ユリ・ゲラーもこの家のオークションで入札したそうです。
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スタックス・アメリカンソウル博物館へ行く途中で、ベトナム料理のレストランに入りました。
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ベトナム料理の定番のフォーを注文しました。
中身は、シーフードにしてもらいました。
写真はありませんが、前菜は春巻きでした。 -
2003年にオープンしたスタックス・アメリカンソウル博物館です。
1989年に取り壊されたスタックス・スタジオを再現して、同じ場所に建設されました。
博物館の隣には、音楽アカデミーがあります。
入場料は12ドルで、写真撮影は禁止です。 -
スタックス・レコーディング・スタジオでは、1960年から70年代にかけて、カーラー・トーマス、アルバート・キング、アル・グリーン、アレサフランクリン、ザ・バーケイズなど超大物がレコーディングをしました。
スタックス・レコードは、メンフィスに拠点を置いていたレコード・レーベルで、1957年に設立されましたが、1975年末に倒産しました。しかし、2006年末にレーベルの権利を保有するコンコード・レコードにより復活しました。
社名のスタックスは、当時のレーベル・オーナーであるジム・スチュワートとエステル・アクストンの姓をあわせてつけられました。 -
この博物館の周辺は、ソウルミュージシャンゆかりの場所がたくさんあり、Soulsville USAと呼ばれています。この辺りは、日中はよほどのことがない限り大丈夫だと思いますが、治安が悪い場所もあるので注意してください。
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貧しい方が住んでいた公共住宅で、昔、エルヴィス・プレスリーが13歳から歌手デビューするまで4年間この2階に住んでいました。
アップタウンスクウェアと呼ばれています。
今は、レトロな賃貸アパートとなっています。
予約をすれば見学可能で、宿泊できる部屋もあるそうです。エルヴィスの部屋も宿泊客がいなければ見学ができます。 -
建物の中庭です。
予約を忘れて、中には入れませんでした。 -
建物の中に若き日のエルヴィスが、銃を構えてこの中庭で撮った写真が展示されています。
このブルーの足跡に自分の足を乗せると、当時のエルヴィスになりきって写真が撮れます。 -
エルヴィス・プレスリーが、家族や友人と過ごしたグレースランドを訪れました。
プラチナツアーチケットには、グレースマンション、自動車博物館、リサ・マリー号等の自家用機、ハワイコンサートムービーの鑑賞等全てのアトラクションが含まれており、料金は37ドルです。
15時スタートのツアーに参加しました。
事前に手荷物やビデオカメラは、ロッカールームに預けます。チケットに記載されたツアー番号のアナウンスが流れたら、バス乗場の列に並びます。記念撮影後、バスに乗る前にiPadが渡されます。このiPadで説明を聴きながら、グレースマンションを廻ります。日本語の解説も選択ができます。 -
1939年にルーズ・ブラウンとトーマス・ムアー夫妻が建てた家で、夫人の叔母グレースに因んで、グレースランドと名付けられました。エルヴィスは、1957年に夫人から購入しました。
ここから、グレースマンションの中に入り、邸宅ツアーのスタートです。
2階には上がれないので、この写真で説明するが、右:2つの窓がエルヴィスの寝室、中央がバスルーム、左側が衣装と着替えの部屋です。
2006年に国定史跡に認定されました。 -
玄関の間の階段にエルヴィスの肖像画があります。写真を基にした油彩です。
1957年以降、普段は髪を黒く染めていたが、本来の茶色っぽいブロンドになっています。これば軍役中の1958年にテキサス州の駐屯地で撮った写真を基にしているからです。
この階段より上は、家族しか進めません。 -
リビングルームです。ブルーのカーテンと1957年に特注した5メートル近いソファーが目につきます。
一時期は、赤色で統一されていましたが、公開前に昔の家具に戻されました。
リビングルームの終わりには、1974年に取り付けられた孔雀をあしらった2つのステンドグラスがあり、それを抜けると音楽室があります。
1974年から使用していたストーリー&クラーク製の小型グランドピアノがあります。
エルヴィスは一人でも弾いて歌っていたそうです。 -
玄関の反対側にはダイニングルームがあります。まず目を引くのは、マリアテラス型のシャンデリアです。自分の家族と10人から12人のいつもの仲間や同僚達、またその妻や女友達とこの食卓で夕食を共にしました。
メニューは南部らしい田舎料理だったそうです。 -
ダイニングルームにはテレビもありました。
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玄関の奥にはゆったりとした寝室と浴室があります。エルヴィスの両親ヴァーノンとグラディスの部屋で、1957年の入居時から使用されていました。化粧台にはグラディスのバッグの中身が並んでいます。
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料理人とハウスキーパーの仕事場のキッチンルームです。エルヴィスの家族や仕事仲間、ゲストに通年食事を出していました。
内装は50年代に流行したメタル仕様だったが、現在の内装は70年代半ばの改装時のものです。食器や電子レンジも当時のままです。当時はレストラン並の忙しさだったそうです。これは実際に見れませんが、引き出しの中には娘のリサ・マリーが子供の頃にいたずらで書いたサインがあります。 -
遊び場のジャングルルームです。
1960年初めに邸宅の改装時にキッチンルームの裏手に増築されました。
1976年2月と10月にこの部屋が簡易スタジオとして使用されて連夜録音が行われました。 -
エキゾチックな木彫りでジャングルの様であり、エルヴィスが好きだったハワイのムードもある部屋です。
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地下には部屋が2つあります。
階段下の右側がビリヤードルームで左側はテレビルームです。
リラックスする場として使用されました。
内装は1974年恋人であったリンダ・トンプソンと地元のデザイナーが協力しています。
このホームバーは70年代様式の再現です。 -
テレビルームは壁一面に娯楽機器のセットが並び、現在も当時のままです。装飾に施された雷のデザインは、TCBロゴから取ったものです。
70年代の黄色、濃紺、白の超モダンルックだったそうです。
奥の壁には左から右にステレオ、3台並んだテレビ、ジュークボックスの音は邸宅中のスピーカーで聞こえました。
3台もテレビを置いたのは、ジョンソン大統領が各局のニュースを一度に見ているからことを知ったからだそうです。 -
1974に改装されたビリヤードルームです。
アジア、インド、70年代のアメリカのタッチの内装です。まず特徴的なのが布地をあしらった装飾です。テーブルの照明はメンフィスのステンドグラス店の特製品です。
ステンドグラスの一部は球が当たって角が割れています。
エルヴィスはここで仲間と年中遊んでおり、腕前は良かったが時々ズルをしたそうです。
フェルト地の一部が破けているが、友人がトリックショットで破いたと言われています。 -
駐車場ですが、今は車はありません。
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父親ヴァーノンの事務室です。
トム・パーカー大佐がマネージャーであったが、個人的な分野は父親が担当していました。
エルヴィスの買い物の請求書は、ここにきていました。
見学では見えないトイレのドアにジョークがはられています。
HE OR SHE BUT ONE AT THE TIME
THE BOSS V.E.P.
『男女兼用、でも一人づつに限る』 -
トロフィールームです。
1982年の一般公開にあたって改装されました。
エルヴィスの業績を公開しています。 -
ここから中に入ります。
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ゴールドとプラチナ・レコードや他の音楽賞の展示です。
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ここからはゴールドレコードが並びます。
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ゴールドレコードです。
何時のものか確認するのを忘れてしまいました。 -
トロフィーも飾られています
グラミー賞は3回受賞しており、3回は全てゴスペルでした。 -
数々のレコードが展示されており、ここは圧巻です。
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映画でのコスチュームと記念品です。
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1966年公開映画『ハワイアン・パラダイス』のポスターです。
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1967年劇場未公開映画『ダブル・トラブル』のポスターです。
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1975年に屋敷の裏庭にラケットボールのコート施設を建設しました。
二層になったラウンジエリアにはピンボール台も置かれています。 -
その下のレベルは居間で快適なソファーとイスがあります。ピアノとステレオ装置もあります。隣には化粧室がありますが非公開です。
浴室や更衣室もあり、複数のシャワーとスチームバスがあります。水回りは金メッキが施されています。 -
階下に戻るとコートになり、1971年から没年の1977年までの展示エリアがあります。
1992年8月RCAレコードと全米レコード協会は壁一面のゴールド&プラチナレコードを製作して、一同にディスプレイしました。 -
注目すべきものは、この時期のステージ衣装です。1968年の特別番組の衣装に始まり、晩年までの衣装の殆どと普段着はビル・ペールのデザインチームが担当していました。
最初は空手着から発送したビル・ペールのシンプルなデザインのジャンプスーツでしたが、金属やガラスの飾りをつけたベルトとケープに凝ったデザインになっていきました。 -
衣装は時期により変更されるそうです。
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エルヴィスは1977年8月16日の午前0時すぎに歯の治療から帰宅してツアーに出る準備を始めました。夜明け頃、娘のリサ・マリーは父親であるエルヴィスに出くわし、ふたりは会話を交わし、キスをして寝室に戻りました。
それが父エルヴィスとの最後の別れとなりました。
エルヴィスがピアノを弾いて『アンチェインド・メロディ』を歌い、いとこビリーの妻のジョーがリクエストした『雨の別離』を歌う。
夜がすっかり明けてエルヴィスは屋敷に戻り、家族と言葉を交わして寝室へ。午後、恋人のジンジャーが浴室の床に倒れているエルヴィスを発見しました。
数時間後にメディアより訃報が流されました。
『エルヴィス・プレスリー、ロックンロールの王様死去』42歳でした。 -
少し見にくいですが、レンガの壁にあるキリスト教のステンドグラスは親友から送られたものです。
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邸宅最後の見学場所となる『瞑想の庭』です。
ひとりで静かに霊感を得る場所を意図して、
1965年に造園されました。
噴水の周りにエルヴィスファミリーのお墓が並んでいます。 -
エルヴィスの遺体は別の場所に埋葬されましたが、セキュリティ上から敷地内に再埋葬されました。両親のヴァーノンやグラディス、父方の祖母ミニー、死産だった双子の兄弟の墓もここにあります。
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最後にハワイアンムービーを鑑賞して終了。
エルヴィスの功績は死後も高く評価され、1986年ロックの殿堂入りを果たし、1998年カントリー・ミュージック協会の最高の栄誉カントリーの殿堂入り、2001年ゴスペルの殿堂入りも果たしました。唯一、3つの殿堂入りアーティストです。 -
このバスに乗ってビジターセンターに戻ります。
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飛行機見学はここから入ります。
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建物の中は受付と土産物売場になっています。
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プライベートジェット機のリサ・マリー号です。娘の名に因んでつけられました。
1975年4月に購入した58年製のコンベア880です。機体番号はエルヴィスが要請して、N880EPとつけられました。EPはエルヴィス・プレスリーのイニシャルです。
主にツアーの移動用に使用されました。 -
この機体は元デルタ航空の所有で96席あり、価格は25万ドルで改修に80万ドルかかりました。
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1975年11月に改修作業が終わり、エルヴィスが初乗りをしました。
コックピットを抜けると、調理室、化粧室、贅沢なラウンジへと続きます。 -
会議室の座席はゲスト用の寝台になります。
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機体後部の寝室です。
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テレビもありました。
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化粧室です。
この機体には4チャンネルの8トラックのオーディオシステム、内線電話、地上にかけられる電話もあったそうです。
エルヴィスは『空飛ぶグレースランド』、『プレスリー航空機』と呼んでいました。
航空無線でのコールは、『ハウンド・ドック・ワン』でした。 -
2台目のプライベートジェット機は『ハウンド・ドック2』です。
1975年9月に90万ドル弱で購入しました。 -
内装は当時の流行色の黄色と緑色を基調に特注され、ステレオなどの装置も完備されていました。この機体は短距離用で、主な乗り手はマネージャーのトム・パーカー大佐でした。
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コックピットです。
エルヴィスの死後、父親によってリサ・マリー号と共に売却されました。 -
この壁画は多くのエルヴィスファンの写真で描かれています。
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記念写真スポットのギターとエルヴィス。
プレスリー自動車博物館の手前にあります。 -
エルヴィスの道楽は、車やバイクを買うことでした。所謂趣味でした。
そうした多くの車が集められたプレスリー自動車博物館です。 -
最後に運転した56年型キャデラック・エンドラド・コンバーチブルです。
-
1975年製フェラーリディノです。
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1966年製ロールスロイスです。
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73年型スタッズ・ブラックホークです。
内装は赤の革張りで金のあしらいがされています。 -
長年エルヴィスの愛車として使用されました。
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グレースランドを離れ、ビール通りに寄ってみました。
-
B.Bキングの店です。
-
ここの通りは、B.Bキングの名前がついています。
-
シンデレラ気分が味わえる馬車です。
メンフィスを訪れた際には是非乗ってみてください。 -
この店に寄ってみました。
-
南部料理のガンボスープとバドライトを注文しました。ガンボとは西アフリカのある地方の言葉でオクラのことらしいです。
おすすめ料理です。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- Antonioさん 2017/05/07 11:27:15
- メンフィスとグレースランド
- こんにちは。
10年ほど前に一度行きましたが、写真等を見た限りでは、あんまり変わっていなく、懐かしいです。
今年になってGraceland周辺に新しい施設ができたようです。来月に駆け足になりますが、再訪する機会があり、楽しみにしています。あのリブのお店にもぜひ行きたいと思います。
- mondeさん からの返信 2017/05/07 12:35:25
- RE: メンフィスとグレースランド
- Antonioさん
こんにちは 、mondeです。
メッセージありがとうございました。
メンフィスは余り変わりはないですね?
グレースランドのツアーでタブレットを使用する事
になった事くらいで、町並みは以前のままです。
私もナッシュビルに住んでいた当時以来の訪問でし
た。来月、気をつけ行ってらして下さい。
午後とも宜しくお願い致します。
> こんにちは。
>
> 10年ほど前に一度行きましたが、写真等を見た限りでは、あんまり変わっていなく、懐かしいです。
>
> 今年になってGraceland周辺に新しい施設ができたようです。来月に駆け足になりますが、再訪する機会があり、楽しみにしています。あのリブのお店にもぜひ行きたいと思います。
- mondeさん からの返信 2017/05/07 12:35:36
- RE: メンフィスとグレースランド
- Antonioさん
こんにちは 、mondeです。
メッセージありがとうございました。
メンフィスは余り変わりはないですね?
グレースランドのツアーでタブレットを使用する事
になった事くらいで、町並みは以前のままです。
私もナッシュビルに住んでいた当時以来の訪問でし
た。来月、気をつけ行ってらして下さい。
午後とも宜しくお願い致します。
> こんにちは。
>
> 10年ほど前に一度行きましたが、写真等を見た限りでは、あんまり変わっていなく、懐かしいです。
>
> 今年になってGraceland周辺に新しい施設ができたようです。来月に駆け足になりますが、再訪する機会があり、楽しみにしています。あのリブのお店にもぜひ行きたいと思います。
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