
2015/10/31 - 2015/11/08
49位(同エリア384件中)
クリスさん
2015年の秋、アブルッツォ州を中心にレンタカーで周遊した。
サント・ステーファノ・ディ・セッサーニオ (Santo Stefano di Sessanio)。イタリアの最も美しい村協会に加盟の村である。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ショッピング
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
アルバ・フチェンスから約80km。高速をアクイラ(L’Aquila)でおり、東に向かう。
2009年4月6日に発生たラクイラ地震は、まだ記憶に新しい。周辺の町村にも被害をもたらしたが、6年経過した今でも、ラクイラ周辺の教会や博物館などは閉鎖されたままの物が多い。
時間があればラクイラ市内も見たいと思ったが、日没も迫り、目当ての教会も内部は見学出来ない事はわかっていたため、ホテルに直行となった。 -
サント・ステーファノ・ディ・セッサーニオの朝。
以下の写真は朝の散歩での光景を撮影したものである。 -
2009年のアクイラ地震でこの村も被害を受けている。街の建物の多くが修復途中であり、木枠で補強された様子が確認できる。
-
これは泊まった宿を撮ったもの、レジデンツ・イル・パラッツォ(Residence Il Palazzo)という。
-
-
村名の由来は囚人が6年(sei anni)の間、投獄(ローマ帝国時代、盗人の刑期が6年という決まりがあったようだ)された事にちなむという。つまり、元々は囚人集落だったという事だろう。
-
-
-
-
19世紀以降、村の人口は激減し現在の住民は117名だという。
-
市門。ここから中が旧市街となる。
-
市門にあるのはメデイチ家の紋章。
1579年にメディチ家が村全体を購入したという。 -
こちらは、中側から見た市門。
-
左手はまだ城外の周回道路で、外の風景が見える。
-
-
-
これは、ポルティコといってもまるでトンネルの様だ。上は住居になっている。
-
-
これは村の西端になる。この一画は村では一番有名なホテル、セクタンティオ・アルベルゴ・ディフゥゾ(Sextantio Albergo Diffuso)の敷地。
-
私たちが歩いているのを見つけ、犬が吠えながらやって来た。
-
-
-
こちらのアーチも次の通りに出る通路になっている。
-
見てのとおり、人一人がやっと通れる幅。
-
中世的な街並みが色濃く残り、中に入り込むと迷路のような小道ばかり。いつの間にか方向を見失う。
-
-
-
-
朝だからまだ開いてはいないが、ようやくお店らしい家屋を見つけた。
-
-
-
-
いつの間にかメディチ家の塔があった場所に出る。地震前までこの場所に石造りの塔が村のシンボルとしてそびえていた。
まだ復興への資金集めをしている段階なので、再建の見通しは今のところたっていない。 -
-
-
-
村の外にある小さな湖。
-
二連の半円アーチをもつ住居。
-
-
-
市街区を抜け湖の方角に向かう。
-
-
-
-
先に見える小さな森の中は、この村のキャンプ場になる。
-
-
池のほとりにあるのは、マドンナ・デル・ラーゴ(Madonna del Lago)とよばれる17世紀の教会。これも地震のため閉鎖中。側壁を木材で補強しているがそれ以上の手はついていない。
-
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
クリスさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
49