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休暇旅行、時間の経つのは速い。初日はなんとか、強行軍でホテルにたどり着き、翌日は体力時差調整しながら、宿泊したアパートホテルで飲み食い。さて、今日はもう少し街に入り込んでみましょうか、といっても、外食とか、、、散歩ぐらいですが。引き続きお付き合いくださると幸いです。

年末の休暇をフランスで過ごす(2)

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2015/12/26 - 2016/01/01

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108JETさん

休暇旅行、時間の経つのは速い。初日はなんとか、強行軍でホテルにたどり着き、翌日は体力時差調整しながら、宿泊したアパートホテルで飲み食い。さて、今日はもう少し街に入り込んでみましょうか、といっても、外食とか、、、散歩ぐらいですが。引き続きお付き合いくださると幸いです。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • お菓子屋さんの前に、マカロンで飾った屋台。こういう飾り付けはフランス人、相変わらずうまい。日本のほうが洗練されてていい部分もあるが、まあ、世の東西、地球の裏側はいまでも随分違います。

    お菓子屋さんの前に、マカロンで飾った屋台。こういう飾り付けはフランス人、相変わらずうまい。日本のほうが洗練されてていい部分もあるが、まあ、世の東西、地球の裏側はいまでも随分違います。

  • ルーアンの街は中心部付近でも比較的新しい無味乾燥な街並みが続く。ノルマンディーからドイツへ、第二次世界大戦の連合軍が進んだ道は草木も残らず、そういう歴史に巻き込まれた街。ルーアンも例外ではなく、1944年4月頃になると連合国、特に、英国空軍の爆撃が激しくなり、なかでも1944年4月19日は、猛爆撃を受けて、大聖堂を含む市街地は壊滅、市民816人が亡くなり、2万人が家を失った。<br /><br />欧米、特にイギリスとアメリカは、戦争になると国家とか都市を壊す、ということでは容赦無いし、その「技」は比類ない。日本は、多くの指揮官が戦争とは軍隊同士の戦いである、と思っていたフシがある。でもアメリカやイギリスは違った。戦争に勝つには問答無用、市民も巻き込んだ無差別爆撃と戦車を前面に市街戦を繰り返し、経済力と士気を奪い去る。ルーアンにどんな人がいるか、なんて考えていなかったんだろう。だから、ルーアンは壊滅したし、ドレスデン、ハンブルグ、東京、広島、長崎、といった都市も(物理的に)消滅してしまった。今、旅行者のひとりとして、フランスの地方都市はのどかで美しい、なんて感傷に浸ってるのは、全く的外れのような気がしてきた。<br />

    ルーアンの街は中心部付近でも比較的新しい無味乾燥な街並みが続く。ノルマンディーからドイツへ、第二次世界大戦の連合軍が進んだ道は草木も残らず、そういう歴史に巻き込まれた街。ルーアンも例外ではなく、1944年4月頃になると連合国、特に、英国空軍の爆撃が激しくなり、なかでも1944年4月19日は、猛爆撃を受けて、大聖堂を含む市街地は壊滅、市民816人が亡くなり、2万人が家を失った。

    欧米、特にイギリスとアメリカは、戦争になると国家とか都市を壊す、ということでは容赦無いし、その「技」は比類ない。日本は、多くの指揮官が戦争とは軍隊同士の戦いである、と思っていたフシがある。でもアメリカやイギリスは違った。戦争に勝つには問答無用、市民も巻き込んだ無差別爆撃と戦車を前面に市街戦を繰り返し、経済力と士気を奪い去る。ルーアンにどんな人がいるか、なんて考えていなかったんだろう。だから、ルーアンは壊滅したし、ドレスデン、ハンブルグ、東京、広島、長崎、といった都市も(物理的に)消滅してしまった。今、旅行者のひとりとして、フランスの地方都市はのどかで美しい、なんて感傷に浸ってるのは、全く的外れのような気がしてきた。

  • 1944年4月19日に受けた爆撃、この日を忘れないためであろう、市内に「1944年4月19日広場」がある。<br /><br />連合軍は、フランスを占領していたドイツ軍の要衝を事前に空爆で破壊、補給を断ちながら、満を持して同年6月6日、ノルマンディー海岸に上陸作戦を決行する。連合軍は上陸作戦こそ、ドイツ側の油断もあって早々に拠点を確保、成功するが、その後の進撃は遅れに遅れ、連合軍、ドイツ軍、そして、占領地フランスの市民に多くの犠牲を出しながらベルリンを目指すことになる。<br /><br />特に北部地域を進軍したイギリス、カナダの混成軍は、ドイツ軍の抵抗に加え、漫然とした作戦行動もあって、カーン、ルーアンといった本来の要衝の早期奪還が成功せず、いたずらに時間と人命を空費した。ルーアンにカナダ軍が侵入、拠点を確保したのは1944年8月30日であり、それまでの間、ルーアン市街はさらに大きな被害を受けた。<br /><br />そのころ、南部から回りこんだ米軍は一気にパリに到達、ルーアン制圧前の8月25日にはドゴール将軍率いる自由フランス軍とともにパリを「解放」する。映画「パリは燃えているか」にあるように、まさに象徴的にパリは破壊されることなく連合軍は奪還する。その他の地方都市とは大きな違いである。<br /><br />いつもながら、日本のガイドブックは、そういった近代の歴史すらきちんと把握しておらず、また評価も下していない。否、歴史書も、乏しい情報しかない。戦争の意味を理解する前に事実を知るだけでも大変である。<br /><br />ちなみに、第2次大戦中、海外で再起を期していたド・ゴール率いる自由フランス軍は、その「国旗」として、このルーアンで刑死したジャンヌ・ダルクが用いていた紋章「ロレーヌの十字架」を掲げていた。

    1944年4月19日に受けた爆撃、この日を忘れないためであろう、市内に「1944年4月19日広場」がある。

    連合軍は、フランスを占領していたドイツ軍の要衝を事前に空爆で破壊、補給を断ちながら、満を持して同年6月6日、ノルマンディー海岸に上陸作戦を決行する。連合軍は上陸作戦こそ、ドイツ側の油断もあって早々に拠点を確保、成功するが、その後の進撃は遅れに遅れ、連合軍、ドイツ軍、そして、占領地フランスの市民に多くの犠牲を出しながらベルリンを目指すことになる。

    特に北部地域を進軍したイギリス、カナダの混成軍は、ドイツ軍の抵抗に加え、漫然とした作戦行動もあって、カーン、ルーアンといった本来の要衝の早期奪還が成功せず、いたずらに時間と人命を空費した。ルーアンにカナダ軍が侵入、拠点を確保したのは1944年8月30日であり、それまでの間、ルーアン市街はさらに大きな被害を受けた。

    そのころ、南部から回りこんだ米軍は一気にパリに到達、ルーアン制圧前の8月25日にはドゴール将軍率いる自由フランス軍とともにパリを「解放」する。映画「パリは燃えているか」にあるように、まさに象徴的にパリは破壊されることなく連合軍は奪還する。その他の地方都市とは大きな違いである。

    いつもながら、日本のガイドブックは、そういった近代の歴史すらきちんと把握しておらず、また評価も下していない。否、歴史書も、乏しい情報しかない。戦争の意味を理解する前に事実を知るだけでも大変である。

    ちなみに、第2次大戦中、海外で再起を期していたド・ゴール率いる自由フランス軍は、その「国旗」として、このルーアンで刑死したジャンヌ・ダルクが用いていた紋章「ロレーヌの十字架」を掲げていた。

  • クリスマス限定か、巨大な観覧車。乗りたいところだが、、、こういう大胆な企画、日本でもやればいいと思うんですけどねえ。

    クリスマス限定か、巨大な観覧車。乗りたいところだが、、、こういう大胆な企画、日本でもやればいいと思うんですけどねえ。

  • さて、昼食。初の外食。いくつかレストランを見て回るも、これ!!!というのはなかなかない。結構、平凡なメニューが多いし、お客さんも入ってない。お客さんが多い店に失敗はない、というのが定説ですが、そりゃ12時丁度に昼ごはん食べるのは日本人くらいですからね。12時半、13時くらいがみなさんの外食お昼の時間帯かな、フランスは。で、意を決して飛び込む(そんな大げさな話ではない)。<br /><br />で、今日の特別料理の黒板、読んで理解、いやアルファベット、分かんない、なんていう感じですね。「食前酒は?」と聞かれ、反射的に「ビール」と言ってしまう、黒板読みたいし。昼から飲み過ぎだよね。

    さて、昼食。初の外食。いくつかレストランを見て回るも、これ!!!というのはなかなかない。結構、平凡なメニューが多いし、お客さんも入ってない。お客さんが多い店に失敗はない、というのが定説ですが、そりゃ12時丁度に昼ごはん食べるのは日本人くらいですからね。12時半、13時くらいがみなさんの外食お昼の時間帯かな、フランスは。で、意を決して飛び込む(そんな大げさな話ではない)。

    で、今日の特別料理の黒板、読んで理解、いやアルファベット、分かんない、なんていう感じですね。「食前酒は?」と聞かれ、反射的に「ビール」と言ってしまう、黒板読みたいし。昼から飲み過ぎだよね。

  • で、オードブルは、鶏肝のテリーヌ。ワイン、う〜んケチったらイマイチだったかな?テリーヌは極めて伝統的な味。これはいいかも。

    で、オードブルは、鶏肝のテリーヌ。ワイン、う〜んケチったらイマイチだったかな?テリーヌは極めて伝統的な味。これはいいかも。

  • メインは、ルーアンでは「お約束」の鴨。焼け具合はいい。付け合せのじゃがいものグラタンは、最近では珍しいニンニクの香りをかなり効かせたもの。<br /><br />ひたすら切り、噛み、飲み込み、そしてワインも飲む。体力いります、肉食系は。鴨はいい感じのものだったけど、言葉に表しにくいんですね。肉としてはやや硬いし、味わいは深いけど甘みとか臭みとかの印象はない。きちんと血の味がする、でも上品、そんなところでしょうか。

    メインは、ルーアンでは「お約束」の鴨。焼け具合はいい。付け合せのじゃがいものグラタンは、最近では珍しいニンニクの香りをかなり効かせたもの。

    ひたすら切り、噛み、飲み込み、そしてワインも飲む。体力いります、肉食系は。鴨はいい感じのものだったけど、言葉に表しにくいんですね。肉としてはやや硬いし、味わいは深いけど甘みとか臭みとかの印象はない。きちんと血の味がする、でも上品、そんなところでしょうか。

  • デザートもいきます!私定番のシャーベット。一番好きなカシスが見えないんで、匙をつけたあとの写真、スミマセン。一番下に入ってました。

    デザートもいきます!私定番のシャーベット。一番好きなカシスが見えないんで、匙をつけたあとの写真、スミマセン。一番下に入ってました。

  • 入店した時のレストラン。ガランとしてますが、12時半にはほぼ満席。老若男女、様々な人で満ち溢れ、いい感じでした。スタッフの動きもキビキビしてて、感じいい店。で、帰り道、他の店も覗いたけど、空いてるんですね、大丈夫かなあ。というか、当たりの店だった、ということにしましょう。特に、鴨料理をガラスの皿で出すのは、なかなかいいセンス、でした。サプライズだけど、味や食後感に影響を及ぼさないので。

    入店した時のレストラン。ガランとしてますが、12時半にはほぼ満席。老若男女、様々な人で満ち溢れ、いい感じでした。スタッフの動きもキビキビしてて、感じいい店。で、帰り道、他の店も覗いたけど、空いてるんですね、大丈夫かなあ。というか、当たりの店だった、ということにしましょう。特に、鴨料理をガラスの皿で出すのは、なかなかいいセンス、でした。サプライズだけど、味や食後感に影響を及ぼさないので。

  • 店の外観。店の名は「Restaurant le Rive Droit」、地味ですが、良心的な店でした。ワイン、ボトルで頼んだので支払いは50ユーロ弱。チト高いかな?でも、年金生活と思われるご老人や、赤ちゃんを連れたグループなど、みなさん明るく満足気でした。<br /><br />

    店の外観。店の名は「Restaurant le Rive Droit」、地味ですが、良心的な店でした。ワイン、ボトルで頼んだので支払いは50ユーロ弱。チト高いかな?でも、年金生活と思われるご老人や、赤ちゃんを連れたグループなど、みなさん明るく満足気でした。

  • 午後になり、それなりの人出。でも日本の地方都市と比べても静か、閑散。こういう町がどうやって自立しているのか、興味あります。でも、日本ではそのへんの情報って、入らないんですね。少子高齢化、日本の財政逼迫、とかいっても、ルーアンのほうがよほど大変だと思うんですよ、日本の先行ってますから。<br /><br />Wikipediaなどのデータでは、市の中心部の人口は12万人、周辺部まで入れると65万人くらいの、フランスとしては大きな街で、でも日本でもそうだけど、それくらいの規模の地方都市って、一番経済的に難しいと思う。他の地方都市同様、レストランやお店も多いが、少し離れると比較的新し目の「空きビル」も多々見られる(wikiでも有力企業の転出、といった記述がある)。失業率も高いらしい。でも、地元の人達は、明るく、静かな中でも「活きてる」熱が溢れてるんです。<br /><br />戦争で破壊された都市の復興、という意味では、日本のほうがよほど苦労したんだと思う、そして、立派な国に蘇った。原爆まで落とされたのに。でも、ずっと一杯一杯の張り詰めた人生を受け入れる国民がいたからできたのだろう。<br /><br />

    午後になり、それなりの人出。でも日本の地方都市と比べても静か、閑散。こういう町がどうやって自立しているのか、興味あります。でも、日本ではそのへんの情報って、入らないんですね。少子高齢化、日本の財政逼迫、とかいっても、ルーアンのほうがよほど大変だと思うんですよ、日本の先行ってますから。

    Wikipediaなどのデータでは、市の中心部の人口は12万人、周辺部まで入れると65万人くらいの、フランスとしては大きな街で、でも日本でもそうだけど、それくらいの規模の地方都市って、一番経済的に難しいと思う。他の地方都市同様、レストランやお店も多いが、少し離れると比較的新し目の「空きビル」も多々見られる(wikiでも有力企業の転出、といった記述がある)。失業率も高いらしい。でも、地元の人達は、明るく、静かな中でも「活きてる」熱が溢れてるんです。

    戦争で破壊された都市の復興、という意味では、日本のほうがよほど苦労したんだと思う、そして、立派な国に蘇った。原爆まで落とされたのに。でも、ずっと一杯一杯の張り詰めた人生を受け入れる国民がいたからできたのだろう。

  • ダラダラと午後を過ごしつつ、昼食が重かったので、夕食はどうしようか、悩む。が、予定通り、部屋に買い込んだ食材で自炊することに。といっても簡単。まずはスモークサーモン、パックを開けてお皿に載せるだけ。

    ダラダラと午後を過ごしつつ、昼食が重かったので、夕食はどうしようか、悩む。が、予定通り、部屋に買い込んだ食材で自炊することに。といっても簡単。まずはスモークサーモン、パックを開けてお皿に載せるだけ。

  • そして、リ・ド・ヴォー。これもパックで下処理された状態で売っていて、1cmくらいに切って、粉を付けてバターで焼く。もう少し焦げ目ががあったほうがいいですね、電熱のコンロはどうもうまくいかない。付属のソースを絡めて出来上がり。付け合せも、缶詰の豆と人参を温めたもの。

    そして、リ・ド・ヴォー。これもパックで下処理された状態で売っていて、1cmくらいに切って、粉を付けてバターで焼く。もう少し焦げ目ががあったほうがいいですね、電熱のコンロはどうもうまくいかない。付属のソースを絡めて出来上がり。付け合せも、缶詰の豆と人参を温めたもの。

  • おなか一杯。僅かな隙間にチーズを入れて、夕食を終える。歩き疲れたからか、この日も早めの就寝、翌朝、早朝に目覚めてしまう。

    おなか一杯。僅かな隙間にチーズを入れて、夕食を終える。歩き疲れたからか、この日も早めの就寝、翌朝、早朝に目覚めてしまう。

  • ルーアン4日目。Place du Vieux Marché、昨日の昼食を摂った広場。この建物で朝市が催される。1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクが刑死した広場。これも有名なジャンヌ・ダルク教会、モダンな建物がそびえているが、中では、フランスではお馴染みのマルシェも開いている。<br /><br />しかし、日本でもジャンヌ・ダルクは、とても有名で、もちろんフランスでも知らない人はいないヒロイン。だけど、彼女が亡くなったのは1431年、なんと「百年戦争」の末期ですよ。ずっとではないけど13世紀から100年間、そりゃあ最終的には自国の国境を決める戦いだったから両者(3者とも)引くに引けないのはわかるけど、フランスとかイギリスは、これにかぎらず、今に至るまで、ず〜っとどこかで戦争してたんですね、で、今も。<br /><br />でも自分の国内の戦いの時は、第2次対戦の時も含め激しく戦うけど、植民地の場合は一発やりあうけど、比較的さっさと終わらせる。植民地を得るときは、一撃で、無抵抗な住民を虐殺する事がほとんど。ほんと好き勝手します。だから、アフリカとか中東とか、今、いろいろ騒がれている地域の国々の国境は定規で引いたように「直線」ということがよくある。「まあ、このへんで」として独立させてあとは知らない、なんてのもある。<br /><br />日本は数少ない欧米の植民地にならなかった国だし、戦争も本格的なのは日露戦争と、中国戦いに端を発した第二次大戦。どちらも大変な犠牲者が出たけれど、独立を(一応)保って来たことは誇るべき歴史だと思います。父、祖父の世代の皆様に感謝。。。<br /><br />とにかく戦争ばっかりやって、領土の線引も何回もやったから、「フランスの歴史」なんてのは、ないに等しい。「ヨーロッパはこうでした」というような、キリスト教とかをベースにした歴史しか無い。EUとかもそう考えれば、一生懸命維持している理由がわかる。遠く離れた日本人はそんなこと考える余裕はない。「シャルルマーニュの戴冠が西暦800年、そこからヨーロッパは始まったのです」とか言われてもピンときませんね。でも、EUが作ったヨーロッパの歴史の教科書はやはり西暦800年から始まってる、、、んです。そのあとは、戦争半分、植民地関係半分、そんな歴史です。<br />

    ルーアン4日目。Place du Vieux Marché、昨日の昼食を摂った広場。この建物で朝市が催される。1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクが刑死した広場。これも有名なジャンヌ・ダルク教会、モダンな建物がそびえているが、中では、フランスではお馴染みのマルシェも開いている。

    しかし、日本でもジャンヌ・ダルクは、とても有名で、もちろんフランスでも知らない人はいないヒロイン。だけど、彼女が亡くなったのは1431年、なんと「百年戦争」の末期ですよ。ずっとではないけど13世紀から100年間、そりゃあ最終的には自国の国境を決める戦いだったから両者(3者とも)引くに引けないのはわかるけど、フランスとかイギリスは、これにかぎらず、今に至るまで、ず〜っとどこかで戦争してたんですね、で、今も。

    でも自分の国内の戦いの時は、第2次対戦の時も含め激しく戦うけど、植民地の場合は一発やりあうけど、比較的さっさと終わらせる。植民地を得るときは、一撃で、無抵抗な住民を虐殺する事がほとんど。ほんと好き勝手します。だから、アフリカとか中東とか、今、いろいろ騒がれている地域の国々の国境は定規で引いたように「直線」ということがよくある。「まあ、このへんで」として独立させてあとは知らない、なんてのもある。

    日本は数少ない欧米の植民地にならなかった国だし、戦争も本格的なのは日露戦争と、中国戦いに端を発した第二次大戦。どちらも大変な犠牲者が出たけれど、独立を(一応)保って来たことは誇るべき歴史だと思います。父、祖父の世代の皆様に感謝。。。

    とにかく戦争ばっかりやって、領土の線引も何回もやったから、「フランスの歴史」なんてのは、ないに等しい。「ヨーロッパはこうでした」というような、キリスト教とかをベースにした歴史しか無い。EUとかもそう考えれば、一生懸命維持している理由がわかる。遠く離れた日本人はそんなこと考える余裕はない。「シャルルマーニュの戴冠が西暦800年、そこからヨーロッパは始まったのです」とか言われてもピンときませんね。でも、EUが作ったヨーロッパの歴史の教科書はやはり西暦800年から始まってる、、、んです。そのあとは、戦争半分、植民地関係半分、そんな歴史です。

  • マルシェの規模はそれほど大きくないが、生鮮品、チーズなど、一通りの物が買える。年末、ごく普通の賑わいで、市民の食生活の一端に触れることができる。この店でチーズを買う。

    マルシェの規模はそれほど大きくないが、生鮮品、チーズなど、一通りの物が買える。年末、ごく普通の賑わいで、市民の食生活の一端に触れることができる。この店でチーズを買う。

  • 昼ごはん、どうしようか、、、と広場の周りを散策。昨日の店は悪くなかったが、同じような店も芸がない(フランスのレストランは地方色が出ている店も多いが、結構どこも同じ、という店も多い)。なにかちょっと変わった店はないか?と探すと、各種ハム(と若干のチーズ)専門のレストランを見つけた。<br /><br />犬が客引き(?)、客のほうが引くような大きさだが、優しげな風情。<br /><br />生ハムのプレートがざっと20種類弱。10ユーロ台後半の値付けとすると、量も多そうだが、面白そう。他の店ももう一度覗いた上で入店。

    昼ごはん、どうしようか、、、と広場の周りを散策。昨日の店は悪くなかったが、同じような店も芸がない(フランスのレストランは地方色が出ている店も多いが、結構どこも同じ、という店も多い)。なにかちょっと変わった店はないか?と探すと、各種ハム(と若干のチーズ)専門のレストランを見つけた。

    犬が客引き(?)、客のほうが引くような大きさだが、優しげな風情。

    生ハムのプレートがざっと20種類弱。10ユーロ台後半の値付けとすると、量も多そうだが、面白そう。他の店ももう一度覗いた上で入店。

  • 店内は、ハム、ソーセージ類を扱う店を模した造り。もちろんハム類は本物で、料理はここで準備される。開店早々、客は少ないが、どんなものが出てくるか。「コルシカ島ハムとソーセージの盛り合わせ」を頼む。ルーアンにては邪道だが、イタリアワインも注文。

    店内は、ハム、ソーセージ類を扱う店を模した造り。もちろんハム類は本物で、料理はここで準備される。開店早々、客は少ないが、どんなものが出てくるか。「コルシカ島ハムとソーセージの盛り合わせ」を頼む。ルーアンにては邪道だが、イタリアワインも注文。

  • 来ましたよ!やはり予想通り、大皿が見えなくなるような生ハムとサラミの盛り合わせ、4種類くらい確認。チーズとジャガイモの丸焼きが添えられている。もちろん、ごく薄くスライスしてあるので、ボリュームはあるがさほど負担感はない。当たり前だが塩が強いので、ワインなどの飲み物がないとつらい。<br /><br />くだんの大型犬は、店内に入りたくて仕方がないようだったためか、結局店員に連れられて散歩に出て行かされてしまった。

    来ましたよ!やはり予想通り、大皿が見えなくなるような生ハムとサラミの盛り合わせ、4種類くらい確認。チーズとジャガイモの丸焼きが添えられている。もちろん、ごく薄くスライスしてあるので、ボリュームはあるがさほど負担感はない。当たり前だが塩が強いので、ワインなどの飲み物がないとつらい。

    くだんの大型犬は、店内に入りたくて仕方がないようだったためか、結局店員に連れられて散歩に出て行かされてしまった。

  • デザートにティラミスを頼む。フォアグラなどが入っている瓶に入って出てきたのには笑う。スプーンを立てて撮影してしまったのは私の失態、行儀悪いですね。出てきた時は当然スプーンは横に添えられていました。<br /><br />満腹して、ひとまずホテルへ戻る。

    デザートにティラミスを頼む。フォアグラなどが入っている瓶に入って出てきたのには笑う。スプーンを立てて撮影してしまったのは私の失態、行儀悪いですね。出てきた時は当然スプーンは横に添えられていました。

    満腹して、ひとまずホテルへ戻る。

  • これも、ジャンヌ・ダルクの塔のそばにある第2次世界大戦の犠牲者を悼む記念碑。碑文には、「ここに、強制収容所に送られ亡くなった人々の遺灰を埋める」とある。横に、「解説文」があるが、ナチスのホロコーストもさることながら、当時、ドイツに敗北後の和平協定でフランス国家を運営することとなったペタン元帥を首相とする「ヴィシー政権(フランス国)」が「フランス国家の名のもとに」行われたことを非難したものとなっている。

    これも、ジャンヌ・ダルクの塔のそばにある第2次世界大戦の犠牲者を悼む記念碑。碑文には、「ここに、強制収容所に送られ亡くなった人々の遺灰を埋める」とある。横に、「解説文」があるが、ナチスのホロコーストもさることながら、当時、ドイツに敗北後の和平協定でフランス国家を運営することとなったペタン元帥を首相とする「ヴィシー政権(フランス国)」が「フランス国家の名のもとに」行われたことを非難したものとなっている。

  • 明日は、このルーアン駅(ルーアン=リヴ=ドロワ駅Gare de Rouen-Rive-Droite)から列車でパリへ、そして帰国。アール・ヌーボー様式のデザインだが、フランス国鉄の駅としては効率的な設計になっていて、使いやすい、ことはいまや全くなくて、エレベーターやエスカレーターも乏しく、列車に乗るまでが一苦労である。駅前広場も石畳が残り、歩きにくい。

    明日は、このルーアン駅(ルーアン=リヴ=ドロワ駅Gare de Rouen-Rive-Droite)から列車でパリへ、そして帰国。アール・ヌーボー様式のデザインだが、フランス国鉄の駅としては効率的な設計になっていて、使いやすい、ことはいまや全くなくて、エレベーターやエスカレーターも乏しく、列車に乗るまでが一苦労である。駅前広場も石畳が残り、歩きにくい。

  • この駅は、開業時の駅がひどく使い勝手が悪かったために15年以上かけて改築され、今の姿になった(今よりひどい、というのは相当なものだったのだろう)。1928年7月4日の新駅開業の日にはガストン・ドゥメルグ共和国大統領が臨席した、とある。

    この駅は、開業時の駅がひどく使い勝手が悪かったために15年以上かけて改築され、今の姿になった(今よりひどい、というのは相当なものだったのだろう)。1928年7月4日の新駅開業の日にはガストン・ドゥメルグ共和国大統領が臨席した、とある。

  • これまた第二次世界大戦で犠牲になったルーアンの鉄道関係者の慰霊碑。一人ひとりの名前が記されている。<br /><br />フランス、あるいはフランス人の定義は難しいのだが、20世紀以降のフランス人は、「戦争に負けたことがない」強国の国民という意識が大変強かったし、今も強いように思える。だから一時的にとは言え、ドイツに降伏(正確には休戦)し、アメリカやイギリスの手を借りながらド・ゴール将軍率いる自由フランス軍が戻ってくるまで、国土が蹂躙され、多くのフランス人が死んだことはよほど許せないんだろう。あたりまえのように思えるが、実はその多くの部分が連合国側の空爆や陸上での戦闘によるものであったし、あっさり負けちゃったのも、過去の栄光にすがってドイツを挑発しながら、一方で軍の改革を怠り、オマケに頼りのイギリス軍も歴史に残る「大撤退」であっさりフランスを見捨てて本国に帰ってしまった、、、のですが。<br /><br />ヴィシー政権の首相を務めたペタン元帥は、第一次大戦の英雄で、第二次大戦で早々と降伏したフランスの国家としての体裁をなんとか保ったのだが(そりゃあ戦後非難されるようなことも多かったようではありますが)、戦後はドイツへの協力者として死刑宣告→恩赦で終身刑となり、最後まで釈放されることはなかった。フランスとはそういう国、なんです。「そういう国」って?きちんと説明できたら学者か政治家になってます。。。

    これまた第二次世界大戦で犠牲になったルーアンの鉄道関係者の慰霊碑。一人ひとりの名前が記されている。

    フランス、あるいはフランス人の定義は難しいのだが、20世紀以降のフランス人は、「戦争に負けたことがない」強国の国民という意識が大変強かったし、今も強いように思える。だから一時的にとは言え、ドイツに降伏(正確には休戦)し、アメリカやイギリスの手を借りながらド・ゴール将軍率いる自由フランス軍が戻ってくるまで、国土が蹂躙され、多くのフランス人が死んだことはよほど許せないんだろう。あたりまえのように思えるが、実はその多くの部分が連合国側の空爆や陸上での戦闘によるものであったし、あっさり負けちゃったのも、過去の栄光にすがってドイツを挑発しながら、一方で軍の改革を怠り、オマケに頼りのイギリス軍も歴史に残る「大撤退」であっさりフランスを見捨てて本国に帰ってしまった、、、のですが。

    ヴィシー政権の首相を務めたペタン元帥は、第一次大戦の英雄で、第二次大戦で早々と降伏したフランスの国家としての体裁をなんとか保ったのだが(そりゃあ戦後非難されるようなことも多かったようではありますが)、戦後はドイツへの協力者として死刑宣告→恩赦で終身刑となり、最後まで釈放されることはなかった。フランスとはそういう国、なんです。「そういう国」って?きちんと説明できたら学者か政治家になってます。。。

  • 翌日、ルーアンからサン・ラザール駅に到着した列車。誇り高きフランス国鉄の新型の地域高速列車。行きの客車列車とは雲泥の差、なのは見てくれだけで、一部2階建てなのだが、荷物多いと階段が急で狭いので、ご高齢の方とか登れない人が続出するし、挙句は「ちょっとした不調」で20分強、途中駅で動けず。本来ルーアンからパリまで停車しない列車なので、「予告無しで発車するから降りないで下さい」との車内アナウンスには笑えた。<br /><br />写真に撮り忘れたのだが、ルーアンの駅で「ノルマンディー地方の列車の定時運航率(遅れが10分以下の列車運行率)は91%です」とポスターが貼ってあり、大きな遅れの原因を言い訳がましく書いていたが、なんか釈然としないものを感じた。日本の場合、3分を越えると「輸送障害」、30分を越えるか運休は「重大な輸送障害」となり、ダイヤを書き換えて記録に残し(重大な障害は都度お上に報告)、続くとお役所に怒られるらしい。まあ、どっちもどっちですけどね。

    翌日、ルーアンからサン・ラザール駅に到着した列車。誇り高きフランス国鉄の新型の地域高速列車。行きの客車列車とは雲泥の差、なのは見てくれだけで、一部2階建てなのだが、荷物多いと階段が急で狭いので、ご高齢の方とか登れない人が続出するし、挙句は「ちょっとした不調」で20分強、途中駅で動けず。本来ルーアンからパリまで停車しない列車なので、「予告無しで発車するから降りないで下さい」との車内アナウンスには笑えた。

    写真に撮り忘れたのだが、ルーアンの駅で「ノルマンディー地方の列車の定時運航率(遅れが10分以下の列車運行率)は91%です」とポスターが貼ってあり、大きな遅れの原因を言い訳がましく書いていたが、なんか釈然としないものを感じた。日本の場合、3分を越えると「輸送障害」、30分を越えるか運休は「重大な輸送障害」となり、ダイヤを書き換えて記録に残し(重大な障害は都度お上に報告)、続くとお役所に怒られるらしい。まあ、どっちもどっちですけどね。

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