2015/10/19 - 2015/10/20
416位(同エリア1181件中)
ひらしまさん
沖縄の海を楽しむ前に、まず行かなくっちゃ。
旅のテーマの1つ目「戦後70年の沖縄」で訪ねたのは…
第1日 平和祈念公園(糸満) 糸数アブチラガマ(南城)
第2日 米軍普天間基地(宜野湾) 嘉手納基地(嘉手納) 辺野古(名護)
夜のお楽しみはライブハウス島唄のネーネーズです。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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那覇空港を出るとニッポンレンタカーのバスが来ていて大勢乗り込んでいるので続こうとすると、係のお兄ちゃんにあんたはこのバスじゃないよと止められ、次のバスで連れて行かれた営業所はがら空きで、空港で買ってきた寿司を食べ始めたらすぐに呼ばれてしまいました。
那覇空港のレンタカーはすごく混むって覚悟してたのですが夏休みの話だったのか、営業所によるのか。
でも昼食はしっかり済ませて、青のフィットに乗り、まずは沖縄島南端の糸満市にある平和祈念公園にやってきました。 -
太平洋に面して放射状に広がって建つ「平和の礎」。
沖縄戦などで亡くなった24万の方々の名前が分かる範囲のすべて、米国などの外国人も含めて刻まれています。 -
「平和の広場」に立ち青い海を眺めると、いろんな思いが胸をよぎります。
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70年前、沖縄島中部に上陸した米軍に対し、在沖縄日本軍は本土防衛の捨て石という使命を与えられ、激烈な戦闘を繰り返しながら南部に後退。
この公園内の摩文仁の丘に移した司令部が壊滅した後も降伏命令はなく戦闘は続き、日米双方多くの兵士が亡くなり傷つきました。
住民も徴用を命ぜられ、老人と子ども以外は避難が許されなかったこともあり、鉄の暴風と形容される米軍の猛烈な砲撃・爆撃などで9万4千人が亡くなったのでした。 -
平和祈念資料館。沖縄戦の実相を写真や遺物、手記などで学ぶことができました。ただし、展示の写真撮影はできません。
摩文仁の丘に登ったあと、平和祈念公園を出て糸数アブチラガマへと向かいます。 -
しかし、レンタカーのナビで行けると思っていたのに、ナビにはアブチラガマは出てきません。スマホ検索して南城市にあることは分かったので、南城市役所にお邪魔して道を教えてもらいました。
ガマは自由に見学できるのかと思ったらそうではなくて、この南部観光総合案内センターという土産物屋さんみたいな名前の実は真面目な施設に、事前に申込みしてガイドさんについてもらう必要があったのです。
幸いにもすぐ来てくださったガイドさんの案内でガマに入ります。ちなみに、ガイド料はたったの1000円でした。 -
ガマとは洞窟のこと。沖縄島南部にはガマが多く、それが住民の避難壕や日本軍の壕として利用されました。
糸数アブチラガマの場合も、最初は住民の避難壕であったものが軍の陣地壕とされ、さらに南風原陸軍病院の分室となりました。
ガイドさんに続いてガマに入ると、中は真っ暗で、懐中電灯の光で照らせるのはごく一部です。
当時は一部に明かり取りの穴があったけれど、米軍の攻撃を受けるときにふさいでしまったそうです。
全長270mのガマの中には600人の負傷兵が収容され、手術台は明かりとりの下に、回復の望めない重篤患者は奥の真っ暗な場所というように分けていたそうです。
ガマの中にはきれいな泉があります。そのためひめゆり学徒隊員が外に水くみに行かなくてすんだのは幸いでした。
病院撤退後は、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となり、米軍の攻撃に遭いながらも生き残った住民と負傷兵は8月にようやく投降しました。
壕に入ろうとした避難民を日本軍が射殺する悲劇もあったそうです。
ガマの中には当時の飯ごうなどの遺物もありましたが、現在写真撮影は禁止されています。
多くの人が亡くなった場所であり、また修学旅行生などがガイドの説明に集中しないなどの事情があってのことだそうで、残念です。
写真は見学者出口を上から撮ったものです。
戦争の悲劇を若者や本土の人たちにしっかり伝えたいという、地元の方たちのお気持ちを強く感じたアブチラガマ見学でした。 -
那覇のホテルにチェックインしてすぐに国際通りのライブハウス島唄へ。沖縄ポップスのビッグネーム、ネーネーズのライブです。
デビュー以来5代目になるというネーネーズ。メンバーがみな若いのに驚きました。はつらつとした歌声で、衣装も含めとても華やかなステージです。 -
本村理恵。太鼓担当。石垣島出身。
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世持葵。進行の中心になっていたのはこの人。石垣島出身。
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上原渚。世持さんにつっこむ役。那覇市出身。
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沖山美鈴。最年少20歳。南大東島出身。
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曲の合間には、ミミガー、ゴーヤーチャンプルー、海ぶどう、島豆腐のサラダなどおいしい沖縄料理で空腹を満たします。
また、客席も安里屋ユンタを歌わされたり、カチャーシーを習ったりという楽しみもあります。でも、カチャーシーって難しいですね。
ステージは3回あり、入れ替え制ではないので通して楽しむこともできます。
我々は明日起きられなくなると困るので、2回目のステージまでで引き上げました。2人で1万円ほどでした。 -
賑わう国際通り。
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外壁に緑がたくさん見えるしゃれた建物はなにかと地図を見たら那覇市役所でした。この脇を通ってホテルに帰ります。
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2日目。米軍普天間基地を見下ろせる嘉数高台公園めざして出発…のはずが、またまたカーナビに拒否されました。
まあ、2日間6000円の格安プランだから、ナビがおバカでもいいですよ。
宿のコンシェルジュにお願いするとさっと調べて入力してくれました。さすがANAクラウンプラザです。
おかげさまですんなり到着。
70年前の沖縄戦で、米軍はまず慶良間諸島を制圧し、次いで嘉手納海岸から沖縄島に上陸しました。
日本軍は高台に陣を構築して迎え撃つ戦術をとったので、最初の激戦地となったのがここ嘉数高台でした。 -
公園の説明板によれば、嘉数集落には日米両軍の銃弾・砲弾が雨あられのごとく降りそそぎ、住民の半数以上が亡くなったそうです。
移築展示されている民家の塀にそのときの弾痕が多数残っています。 -
高台の中腹に、日本軍の地下壕入口の一つを見ることができます。
高台地下に縦横に張り巡らされた壕を使っての反撃は米軍にも大きな損害を与えたといいます。 -
このときヘリコプターの轟音が近づいてきました。
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あれがオスプレイ?
ちょうど遊びに来ていた保育園の保育士さんに尋ねるとやはりそうでした。
「オスプレイの音を聞くと子どもたちが不安がって寄ってくるんです」とおっしゃってました。 -
高台頂上の展望台に登ると、市街地の向こうに米軍普天間基地が見えました。
市街地の真ん中にある世界一危険な基地といわれ、実際2004年には隣接する大学にヘリが墜落炎上する事故を起こしています。 -
宜野湾市の案内板は一日も早い基地返還によってまちづくりをすすめたいと訴えます。
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基地周辺の住民が起こした普天間基地爆音訴訟で、2010年の高裁判決は、ヘリコプターから出る低周波音の健康被害を認定し、日米間の騒音防止協定も守られていないと認めて3億6000万円の損害賠償を命じました。
しかし、住民が何より求めた夜間早朝の飛行差し止めは棄却しました。
米軍も日本政府も約束を守らず健康被害を引き起こしているという事実を認め、賠償を認めても、その原因である米軍機の飛行を野放しにしたら意味ないじゃん。なんのための裁判所なんじゃ。
実はこれは、本土の厚木基地や岩国基地の訴訟でも、同じように被害事実は認めて賠償は命じておきながら、米軍機の飛行差し止めは認めないのです。
しかも、自衛隊が共同使用している厚木基地の訴訟では、自衛隊機の深夜早朝の飛行差し止めを認めているのです。
自衛隊機の飛行差し止めはできるのに、被害がはるかに深刻な米軍機の飛行差し止めはできないってなぜ? どうして!
その理由は、1993年の最高裁判決によれば、「米軍は第三者なのでその飛行を制限する権限が日本政府にないから」だそうです。
だとすると、日本における米軍は、裁判所も手が届かない、法律も憲法も超越した絶対的な存在といえそうです。
これでは、夜間早朝も米軍機の爆音で苦しめられている住民の人権はいったいどこで守られるのでしょうか。
日本は実質的には、いまだに米軍に占領されたままなのかもしれません。
私は言いたい。日本を取り戻せ! -
左方向を見れば東シナ海。湾の向こうは米軍が上陸した嘉手納の海岸があり、そして米軍嘉手納基地があります。
次はその嘉手納基地を見に行きます。 -
基地の北にある道の駅かでなの展望台に来ました。
県道の向こう側は、見渡す限り米空軍嘉手納基地です。
3700m滑走路が2本もあり、成田空港の滑走路4000mと2500mを上回る規模というのを知って驚きました。
そのために嘉手納町は町面積の82%を基地として強制的に接収され、住民は残されたわずかな土地での生活を余儀なくされ、生産活動もままならなかったといいます。 -
KC135空中給油機でしょうか。大きいです。
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F15イーグル戦闘機のようです。
ベトナム戦争当時は嘉手納弾薬庫を中心に1200発もの核兵器が貯蔵されていました。 -
道の駅の前には騒音表示板が設置されていました。
道の駅の食堂で昼食をすませ、次は一路辺野古へ。 -
やってきました、辺野古テント村。辺野古新基地建設反対運動の象徴的存在です。
「座り込み4202日」の看板が迎えてくれました。 -
中の人に挨拶しカンパを手渡します。壁には写真や資料がびっしり貼られており、それを拝見します。
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那覇からのバスが着いたらしく大勢の人が現れ、レクチャーが始まったので一緒に聞きます。
説明者の後方が辺野古漁港で、さらにその後方が新基地建設が計画されている海岸です。 -
名護市長選、県知事選、そして衆院選。いずれの選挙でも辺野古が争点となり、すべて基地反対派候補が当選しました。
「民意は新基地建設NO」は明確です。
もしこれが沖縄以外の都道府県だったら、これだけ反対の民意が示されれば、とっくに白紙撤回されていたはずです。
沖縄差別という声が沖縄県民から出てくるのは当然に思えます。 -
漁港の向こうは米軍キャンプシュワブ。
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基地のフェンスには新基地建設反対のメッセージが結わえ付けられています。
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沖縄人の決意表明、全国からの思い思いの連帯メッセージが青空に映えます。
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沖縄戦で米軍に占領され、基地にされたこと自体はどうしようもなかったと思います。
しかし、それから70年がたちました。
70年たっても未だに米軍が支配し、返してほしければ代替基地を用意しろと言われて困っている現状は、独立国としてどうなんでしょう。
私を含め多くの日本人にとって、米軍基地は生まれる前から国内に存在していて、米兵や米軍機による被害が身近にない人は、米軍基地があるのが当たり前という意識になっているのかもしれません。
でも考えてみれば、国内に外国軍基地がある国は世界では例外的です。
仮に現時点で外国軍基地を置くことをやむを得ないとしても、では未来永劫日本に外国軍基地を置くのか。
そうでないとしたら、どうやって外国軍基地をなくしていけるのかを考え実行していく責任が、政治家には、そして国民にもあると思います。
そんな思いを強くした、戦後70年の沖縄の旅でした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- スタリモストさん 2016/06/30 15:43:39
- ひらしまさんの立ち位置にとても共感
- ひらしまさん
はじめまして
私も2015年の節目の年、沖縄を訪れました。
エイサーが好きなので、9月の「全島エイサー祭」の開催に合わせて戦跡を巡りました。
ひめゆりの塔/魂魄の塔/平和祈念公園/南風原陸軍病院20壕群/嘉数高台/ドライブイン嘉手納・・・・と。(これを一日で回りましたから、とっても疲れてしまいましたが(^^;)。。。)
やはり現地に立ってわかることがありますね。
詳細なレポートなので、「あ、そうだったんだ」と理解を深めることが出来て有り難いです。
ひらしまさんの立ち位置にとても共感します。
スタリモスト
- ひらしまさん からの返信 2016/07/01 17:53:52
- 弱い者いじめの構図
スタリモストさん、メッセージありがとうございます。
私の旅は、美しい土地を訪ね、おいしいものを食べ、土地の人の親切に甘え、少々のお金とひきかえにいいところだけを味わって帰ってくる旅に過ぎません。
でも、沖縄については、消費するだけの旅にはしたくないという思いがありました。
つたない旅行記であっても、それを通して若い方に少しでも沖縄と日本の戦後史に関心を持っていただき、また、ほかの方とも交流し考えを深めていければと思いました。
おかげさまで、私の旅行記にしては投票もメッセージも多くいただいていて、とりあえず投稿した意味はあったかなと思っています。
しかし今年に入っても、第二の加害者は本土の人たちだと厳しい発言が出るほど、沖縄は追い詰められているように感じます。
本土の人間として、弱い者いじめの政治の構図を変えるために、できることをしていきたいと思います。
ところで、私もスタリモストさんの旅行記を共感して読ませていただいています。
ミャンマーもイランも次に行きたい国の最有力候補ですので、じっくり読んで参考にさせてください。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
ひらしま
-
- 琉球熱さん 2016/02/20 22:26:04
- はじめまして
- ひらしまさん、はじめまして
旅行記のタイトルに反応してしまいました。
沖縄の海に魅せられ、以来毎年通うようになってから、自然とその歴史に目が行くようになり、王朝時代の遺跡史跡や戦跡を訪ね歩くようになりました。
私も報道されている現地を自分の目で見たいと思い、あの海岸に足を運びました。本土で報道されている内容と肌で感じたモノとの違和感、諦めに似た寂寥感は今も続いています。
http://4travel.jp/travelogue/10855716
戦跡を訪ね歩いた記録はなかなか旅行記としては紹介しにくく、クチコミとしてアップしています。もしよろしければご笑覧ください。
http://4travel.jp/traveler/sham203/tips?utf8=%E2%9C%93&view_mode=&dmos=dm&level1=11&level2=58&level3=360&category=&sort=new
それにしても、糸数壕はガイドなしでは入れなくなったのですね。私が行った時は300円位を払って懐中電灯を借り、単独で入れました。もちろん写真撮影も自由でした。
ガイドが付くのは良いことだと思いますが、それが「必須」となると少々窮屈ですね。
白梅の塔にある地蔵が盗まれたり、摩文仁の丘で「平和の礎」には目もくれず能天気に記念撮影する観光客が多かったり、魂魄の塔の周囲で無断駐車する連中がいたりと、不謹慎な連中も多いので、糸数壕でも何かあったのかもしれませんね。
沖縄が強いられた悲劇と今なお続く負担は肝に銘じておきたいものです。
長文、失礼いたしました。
- ひらしまさん からの返信 2016/02/21 14:00:54
- RE: はじめまして
琉球熱さん、ご訪問ありがとうございます。
さっそく戦跡のクチコミを拝見して、琉球熱さんの真摯なお気持ちが強く伝わってきました。
白梅の塔やバクナー中将慰霊碑など、行くべきところはもっとあったのだと気づかされました。
戦争の犠牲となった人たちに寄り添う視点の明確な貴重なクチコミだと思います。
ありがとうございました。
沖縄が今なお苦悩を強いられている現状は複雑ですよね。
個人や小さな地域が強大な国と相対した時にその意志を貫くことはどんなに難しいことかと思います。
ある意味ではしがらみの少ない他の地域の人間の方が自由に動けるでしょうし、そういう連帯もまた意味のあることではないかと思っています。
熱のこもった琉球レポート、楽しみに読ませていただきます。
これからもよろしくお願いします。
ひらしま
-
- sanaboさん 2015/12/06 22:22:58
- 沖縄
- ひらしまさん、
沖縄旅行記、大変素晴らしい内容でいろいろと勉強になりました。
私自身、ニュースで見ているだけの他人事のようでしたし
こうして生のレポートを拝見すると、いかに沖縄県民が
犠牲を強いられているかがわかります。
住民の損害賠償は認めつつ、米軍の飛行差し止めは
日本の法の及ばぬ範囲とは、なんとももどかしい話ですね。
オスプレイの轟音に不安がる保育園児たちのエピソードは
身につまされる思いがします。
ガマと呼ばれる洞窟の存在は全く知りませんでしたし
アブラチガマの名前も初めて聞きました。
戦時中のそのような大変な歴史がある所だったのですね。
平和ボケの私の頭にも、強いインパクトを与えていただきました。
sanabo
- ひらしまさん からの返信 2015/12/06 23:18:36
- RE: 沖縄
sanaboさん、沖縄旅行記にご訪問ありがとうございます。
旅って、その現場に身を置いて何かを感じたり考えたりすることだと思うので、そういう意味ではもっと早く行きたかった沖縄でした。
sanaboさんに丁寧に読み、受けとめていただいて大変うれしいです。
ネット上には、沖縄をめぐっても非常に攻撃的な発言が目立つ昨今です。
でも、ぼくも含め自分に心地よい事象だけを見るのでなく、違う角度からの意見と交流することによって、お互いに考えを深めていけないかなあと思っています。
ひらしま
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