2015/09/26 - 2015/09/27
43位(同エリア75件中)
naoさん
広島県府中市は、福山市の福山駅と三次市の塩町駅を結ぶJR福塩線の、福山駅から45分ほどの距離にある府中駅を中心に広がる町で、律令時代に国府が置かれた場所を示す「府中」と云う地名から判るように、大化の改新後に備後国の国府が置かれ、政治、経済、文化の中心地として、実に1300年にも及ぶ歴史を誇っています。
中世末期以降、「一日市」や「六日市」など在郷の市場町として賑わっていた府中は、元和5年(1619年)に水野氏が福山藩に入府し、福山城城下町の建設が本格化すると、府中の商人や職人の多くが強制的に城下町に移住させられ、その結果、市場としての機能を失った府中は一挙に衰退してしまいます。
しかし、その後の福山城城下町を頂点とする在郷の市場町の再編により、府中は再び活気を取り戻すと、石見銀山からの銀の運搬路である銀山街道(別名 石州街道)の要衝として、寛永年間(1624年〜44年)には宿場町として賑わうようになります。
漆喰塗り込めの虫籠窓や卯建をあげた重厚な町家が点在する現在の府中の中でも、特に、中国山地の山道を抜けてやっと平地に出たと云う安堵の気持ちを込めて「出口通り」と名付けられた、町の西側を南北に延びるかつての銀山街道(別名 石州街道)沿いには、往時の面影を残す伝統的な様式の町家が軒を連ねる、見ごたえのある町並が続いています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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お祭り広場にある駐車場に車を停めさせてもらって、府中駅へやって来ました。
では、ここから町歩きを始めます。 -
1階は使いやすいようにと、今風に改修されていますが、2階は漆喰塗り込めの虫籠窓やなまこ壁が重厚な町家です。
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備後国の国府が置かれ、政治、経済、文化の中心地として1300年にも及ぶ歴史を誇る府中の町並みには、現代の生活に合わせて部分的な改修がなされてはいるものの・・・
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歴史を感じさせる、漆喰塗り込めの虫籠窓やなまこ壁、さらに卯建をあげた重厚な町家がそこかしこに点在しています。
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同じような外観の町家、と云うより長屋が並んでいます。
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これは、日本一と称される石燈籠です。
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さすが日本一と称されるだけあって、高さは9メートルで、笠石の面積は畳にして4畳半にも及ぶそうです。
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こちらは、明治5年創業の料理旅館です。
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当時としては異例と思われる「恋しき」と云う、何ともロマンティックな名前が付けられています。
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大正から昭和にかけて、数多くの文化人や政治家が投宿した記録が残っているそうです。
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現在は、カフェやレストランなどの複合施設として活躍しているそうです。
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重厚な虫籠窓のある町家です。
1階には駒寄せが設けられています。 -
黒漆喰の壁に、瓦を黒漆喰で塗り固めたなまこ壁と、全身黒ずくめの町家です。
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虫籠窓に大きな出格子のついた町家です。
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浅黄色の荒壁を見にまとった町家が2棟。
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片や切妻屋根、片や入母屋屋根が架かっています。
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狭い町並みを西側に向かって歩いていると・・・
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大きな石燈籠が待っていてくれました。
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同じ「精進堂」の看板を掲げた、向かい合わせの町家は・・・
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小さな店構えながら、府中では名だたる老舗の和菓子屋さんだそうです。
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道幅が狭いので、間口の広い町家を正面から捉えようにも、全然フレームに入ってくれません。
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この通りの少し先には、町の西側を南北に延びるかつての銀山街道(別名 石州街道)が通っています。
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銀山街道(別名 石州街道)が旧上本町と交わる三叉路にやってきました。
この交差点には、「北 上下 石州道」の文字が見てとれる道標が立っています。
これから判るように、銀山街道(別名 石州街道)は、石見銀山から上下の町を経由して府中に至り、さらに尾道や笠岡にまで通じています。 -
道標の西側の、出口川の対岸には・・・
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三社のお社の名前が刻まれた常夜灯が立っています。
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出口川に面して・・・
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頑丈な塀を巡らせたお屋敷があります。
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この三叉路から北側へ延びる道路が、「出口通り」と名付けられたかつての銀山街道(別名 石州街道)になります。
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出口通りに面する町家には・・・
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通行する人のために、秋の風情を感じさせてくれる心づかいがなされています。
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こちらの伝統的な町家は、かつて藍染を生業としておられたお宅です。
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卯建を上げた町家。
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藍染を生業としておられたお宅を振り返って見たところです。
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この町家は、千本格子とともに、大屋根の飾り破風がアクセントになっています。
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町並みの表情を引き締めるかのような、立派な山門が建っている慶照寺。
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出口通りの町並みです。
町並みに面して味噌の工場が見えます。 -
こちらの町家は、出口通りの風情を壊さないようにと・・・
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配慮の行きとどいた改修をされています。
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空き缶を再利用した手づくりの風車が・・・
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あちこちの町家の軒先で揺れています。
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こちらの町家の軒先には、手づくりの風車とともに・・・
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手づくりのかわいい人形が・・・
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吊られています。
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人形にばかり気を取られていましたが、よく見ると卯建の上がった重厚な町家です。
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さらに、北側に連なるこちらの町家にも・・・
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手づくり人形達が、そのかわいさを競い合っています。
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この辺りから先は・・・
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幾分か通りが狭くなってきました。
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ここが出口通りの北の端にあたります。
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標識にもあるように、銀山街道(別名 石州街道)は峠を越えて上下の町に通じています。
では、来た道を引き返します。 -
出口通りを少し東に入ると、福山藩時代に置かれていた番所跡があります。
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今は石垣しか残っていませんが、当時は人や物資の出入に監視の目を光らせていたそうです。
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四角い虫籠窓と千本格子が特徴の町家。
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足元になまこ壁をしつらえた、立派な卯建を上げた町家です。
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かつて名工と称えられた、福山藩主お抱えの刀鍛冶の生家だそうです。
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出口通りの南側の町並みです。
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郵便ポストも町並みを見つめています。
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町家と町家の間にたたずむ、胡神社の鬼瓦。
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さて、そろそろ出口通りを抜けて・・・
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道標の立っている、旧上本町との三叉路まで戻ってきました。
では、ここからお祭り広場へ戻ります。 -
こちらは出口通りに工場のあった老舗の味噌屋さんです。
豊かな自然に抱かれ、良質な大豆、最上級の米、清澄な水に恵まれた府中は、古くから醸造が盛んだった所で、元和2年(1616年)には、すでに商品として味噌の販売が始められたと云われています。 -
味噌の醸造の盛んな土地柄からか、味噌を使ったお菓子も作られているようです。
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こちらは、風情ある町家を使ったアパートのようです。
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こちらの2階には、洋館風に手摺を巡らせたバルコニーが設けられています。
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1階はシャッターに改修されていますが、2階は伝統様式のしつらえがそのまま残っています。
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こちらの重厚な町家は呉服屋さんです。
緑青のふいた銅板で覆われた虫籠窓には目を見張らされます。 -
こちらの町家は、介護施設として活用されています。
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こちらの外壁には銅板が使われており、まるで緑青の館の様相を呈しています。
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NPO法人の事務所として再生された呉服店。
府中のコミュニティ施設として、様々なイベントが開催されているそうです。 -
この辺りの通りは「マイ・TOWNほんどーり」と名付けられているようで、街灯ごとに小旗が掲げられています。
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そんなモダンな名前の付いた通りにも、風情のある町家を使ったお店があります。
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「マイ・TOWNほんどーり」で見つけた府中市の汚水桝の蓋。
昭和55年(1980年)に発見されたオオムラサキがモチーフになっています。 -
ここにも、手摺のついたバルコニーのある町家がありました。
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2階のアーチ窓が印象的です。
さて、そろそろ「マイ・TOWNほんどーり」も終わりのようで、後は駐車場を目指すのみです。 -
駐車場へ向かう歩道にもオオムラサキの絵が描かれています。
府中市では、オオムラサキが発見されて以来、「オオムラサキの里」として保護活動を続けておられます。
さて、今回は広島県東部の町々を歩きましたが、どの町でも良い町並みを見ることができて、とても満足できる旅になりました。
では、この辺りで家路につきます。
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