2015/09/26 - 2015/09/27
93位(同エリア212件中)
naoさん
9月最後の土日を利用して広島を訪れました。
旅の行程
9月26日 白市、西条
9月27日 上下、府中
広島県東広島市高屋町白市は、JR山陽本線白市駅から北西に約2kmの距離にある、白山城跡の西麓の斜面に広がる小さな町です。
鎌倉幕府の御家人だった平賀氏の15代当主平賀弘保は、文亀年間(1501年〜1503年)に、現在の高屋町にあったそれまでの御薗宇城に代わって、より防御に適した白山(現・城山)に山城を築いて本拠を移します。
白山城の築城に合せて、城の西側に「御土居」を築き、これを守りの要として、現在の白市の礎となる城下町が整備されていきます。
古くから交通の要衝として多くの街道が集まっていた白市は、広島、呉、竹原、尾道、三次などの町に近かったこともあって、城下町の形成とともに人々の往来が増加し、宿場町としても栄えることとなります。
また、すでに文亀3年(1503年)には始まっていたと伝えられる牛馬市は、最盛期には500頭にも及ぶ牛馬の取引が行われたと云われ、露店が立ち並ぶ市の日には、近郊から多くの人々で賑わう盛況ぶりで、明治以降、伯耆大山、備後久井と並んで、三大牛馬市と称されるまでになります。
さらに、江戸時代後期には鋳物作りが盛んになり、京都御所の灯籠や厳島神社の大燈籠をはじめ、白市で作られた鋳物製品は全国各地に存在するそうです。
このように、牛馬市や宿場町などの発展により、この地方の経済の中心地として賑わった白市は、周辺の集落には見られない伝統的な町家が連なる、独特の風情をたたえた町並みが形成されます。
南北の通りを本町、東西の通りを西町と呼ぶ主要な通り沿いには、今も伝統的な様式でしつらえられた大きな町屋が軒を連ね、往時の面影を垣間見ることができます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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東広島市の白市へやってきました。
観光用駐車場に車を停めて町歩きを始めます。 -
白山城の築城と合せて築かれた「御土居」を切り裂くように、新しい県道351号線が造られています。
今の世は平和な時代ですからね〜! -
法面に彼岸花が咲いているのを見つけました。
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白市は山城の斜面にあるので、坂道に沿って町並みが続いています。
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では、町並みを歩きます。
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屋根を支える木組みには、彫刻を施した入念な仕事がなされています。
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荒壁の良さが残る町家が売りに出されていました。
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納屋たっだ建物は、ガレージとして使われているようです。
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坂道に沿って連なる町並みです。
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細工瓦の鳩も町並みを見つめています。
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玄関とは別に、土塀にも出入口が開けられています。
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東広島市の汚水枡の蓋。
市の花のツツジと市の木のマツをモチーフに、真ん中の市章の周りを取り囲んでいます。
さらに、東広島市にある広島大学を象徴するペンと鉛筆も配されています。 -
この辺りから坂道の勾配が急になってきました。
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「通り抜け出来ません」の看板が立っていますが、良い雰囲気の路地だろうことが容易に想像されるので、行ける所まで行ってみます。
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路地に一歩入ると、思っていた通りの良い光景が広がっています。
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妻面を板張りにした町家。
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瓜型の枠取りを入れたすりガラスに、赤い屋根瓦の姿を映しています。
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良い光景の路地を見せてくれた町家は、自身も風情あるたたずまいを見せています。
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こちらは勝田家住宅です。
外壁を白く改修されていますが、建物そのものは江戸時代中頃のものだそうです。
この先に脇道があるので、先ずは東側の町並みへ向かいます。 -
新しく建てられた町家のようですが、伝統様式を踏まえて建てられています。
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間口の全面に窓を開けた町家。
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次は、西側の町並みです。
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この大きな土蔵は、交差点からもよく目立っていました。
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こちらは酒造業を営んでいた重満家住宅です。
江戸末期の建物だそうです。 -
1階の下屋の出が非常に大きい町家です。
2階建の本体部分より奥行きがあるんじゃないかと思うほどです。 -
こちらは歯科診療所さん。
建物左角の「歯」の看板が面白いですね。 -
屋根の上の天窓の両側に上がる卯建と云い、赤いベンガラ壁の×印と云い、なかなか奇抜なデザインの町家です。
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×印は、削り出した木材を組み合わせて作られています。
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玄関前に置かれた、流し掛けの壺。
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こちらは木原家住宅です。
寛文5年(1665年)の鬼瓦があることから、江戸時代初期に建てられたものと推測され、西国で最も古い町家の一つと云われています。 -
建物は切妻屋根の一部二階建てで、主屋の背後に角屋を設けています。
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元々平賀氏の一族だったと伝えられている木原家は、江戸時代の始めから酒造業や製塩業などを営み、近年に至るまで豪商として繁栄しました。
ちなみに、白市の町家は赤い石州瓦で葺かれていますが、なぜか木原家住宅だけが黒い本瓦で葺かれています。 -
これは木原家住宅の真向かいの町家ですが・・・
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隣家ともども赤い石州瓦で葺かれています。
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坂道を上った三叉路から、今まで歩いて来た南の方角を振り返った光景です。
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その三叉路から西側に延びる町並みです。
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こちらは伊原惣十郎家住宅です。
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伊原惣十郎家は鋳物製造業を営み・・・
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京都御所の灯籠や厳島神社の大灯籠など、鋳物製品の製作で幅広く活躍しました。
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出窓の窓枠に取り付けられた装飾金物。
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かつては、裏手の小高い所に鋳造炉が設けられていたそうです。
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こちらは今も現役の住宅として使われている伊原八郎家住宅です。
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大工技術のピークと言われた、大正4年建築の建物は、使われている建築材料はもとより、大工や左官など、職人技の粋を見ることができるそうです。
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東側の町並みです。
ちなみに、左が伊原惣十郎家住宅で、右が伊原八郎家住宅です。 -
伊原八郎家住宅を過ぎて暫く歩くと、今度は急な下り坂になっています。
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見事なまでに美しい石積みの町家です。
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見上げると、まるで城郭の様なたたずまいです。
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この町には、秋の気配が忍び寄っています。
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な〜んて、感傷に浸っていると、こんな物に出くわしました。
やばい、退散々々! -
黒い釉薬瓦の、冠木門のある町家が・・・
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向かい合って建っています。
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門は黒い瓦でも、主屋は赤い石州瓦です。
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ここにも秋の気配が花開いています。
町並みを見つめるコスモス。 -
県道351号線に出ました。
どうやら、町並みをぐるっと廻って、「御土居」の北西側に来たようです。 -
風にそよぐコスモスの可憐さは・・・
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いつ見ても変わりません。
では、来た道を引き返します。 -
町並みを外れた脇道のこの先には、500頭にも及ぶ牛馬の取引が行われたこともあったと云われる牛場市が立っていたようです。
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事前の情報で痕跡は残っていないのは判っていたんですが・・・
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恐らくこの辺りだろうと思われる所で、左右に注意しながら歩いている私が居ました。
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でも、やっぱりそれらしき痕跡は見られませんでした。
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では、この辺りで町並みへ戻ります。
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町並みへ戻る途中で、素晴らしい光景に出くわしました。
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そこには、秋の装いをまとった民家がたたずんでいました。
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代表的な秋の実りの一つですね。
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町並みへ戻ってきました。
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伊原惣十郎家住宅と伊原八郎家住宅。
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木原家住宅の上の三叉路まで戻ってきました。
その角に建つ町家は・・・ -
とても桁行き方向に長い建物です。
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内庭を竹垣で囲った町家。
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町並みの向こうに石燈籠が見えてきました。
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石灯籠が立っていたのは、白市の守り神、土宮神社でした。
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土宮神社の鳥居の扁額は、とてもユニークな書体で書かれています。
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秋の気配を感じる傍らで、芙蓉の花が行く夏を惜しんでいます。
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幾重にも重なる屋根のある重厚な町家。
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石碑を背負って、そろりそろりと歩いているような亀さん。
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劣化して崩れたブロック塀の笠木が、思いがけずも面白い景色を作っています。
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初めて訪れた白市ですが、こんなにも見ごたえのある町だったなんて思いもしませんでした。
広島の山間まで訪ねてきた甲斐がありました。
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