2015/08/11 - 2015/08/11
1202位(同エリア2515件中)
TOMISLAVさん
- TOMISLAVさんTOP
- 旅行記29冊
- クチコミ21件
- Q&A回答0件
- 97,780アクセス
- フォロワー6人
1944年7月20日深夜 否、21日に入っていただろうか。
この写真の場所で、即決裁判の名の元、4人の将校が「処刑」された。
そのうちの一人の名は
クラウス・フォン・シュタウフェンベルグ大佐
ヒトラー暗殺未遂事件の実行犯だ。
銃殺された場所は、もともと国防軍のオフィスがある場所で通称「ベントレー街」と言われたが、
今はこの通りは、彼の名を冠してStauffenberg Strasse(シュタウフェンベルグ通り)と呼ばれる。
この通りについては、私が見た限り日本の旅行ガイドブックには載っていない。もちろん某D社のガイドブックにも載っていない。歴史的な現場として見ておきたいと思い、事前にここを訪れた先人の皆さんのブログなどで調べてから行った。ガイドブックに載っていない場所は、自分で懸命に情報収集をするせいか行った後の記憶も明白だ。
ただここも現代史の事項のため、まだ自分の中で消化しきれていないが、自己の記録と思い、旅行記にしてみた。読んでいて飽きたらどうぞこの旅行記を閉じてください。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
にぎやかなポツダム通りからナショナルギャラリーを横に進むと
「stauffenberg strasse(シュタウフェンベルグ通り)がある。日本のガイドブックに通りの名前すらないせいか、観光客のいない静かな通りだ。 -
いきなり、話が横道にそれます。シュタウフェンベルグ通りにあった、
オートバイ
KAWASAKI ZEPHYR750
だ。昔この同型に乗っていたためこれを見かけてうれしくなった。
ベルリンで他にもホンダCBFなどもみかけた。
ドイツのオートバイはBMWばかりだとイメージしていたが、日本製のオートバイも時々みかけて少しうれしくなった。
はい、本題に戻ります。 -
既述の通り、シュタウフェンベルグ通りは、旧ドイツ国防軍のオフィスがあり、ベントレー街と呼ばれていた。
旧ドイツ国防軍のオフィスの跡は、現在はドイツ連邦軍国防省のオフィスへと継承されている。 -
ドイツ連邦軍のオフィスの横の門をくぐってみる。
そのの中庭に面した建物に「抵抗博物館」があるので入ってみる。 -
ヒトラー暗殺計画は、いくつもありいろいろな人々が試みたが成功はしなかった。暗殺計画の最たるものは、ドイツ国防軍大佐 クラウス・フォン・シュタウフェンベルグによるものだろう。
-
シュタウフェンベルグ伯爵家の三男に生まれた(写真真ん中)。兄のベルトルトは法律家。双子の弟アレキサンダーは歴史家になるというまさしく名家。
クラウスも国家有為の人物となるべく軍人のみちを選んだ。 -
家庭にも恵まれ、5人の子供を儲けた。
仕事もでき、立派な家庭を営む。元伍長の誰かとは比べ物にならないくらい、模範的なドイツ人であった。 -
ドイツの軍人は政治に関心を持たずに、自己の職務(軍務)に忠実であるべきである。政治は「今ビスマルク」に任せればよい。
というのが、ドイツ軍人の理想像であったろう。ビスマルク(政治)とモルトケ(軍事)の分業がドイツ第二帝国の時代にはあった。
しかし、第一次大戦からの総力戦の時代にあっては、政治が軍事を巻き込む政軍関係の変容が避けられないだろう。
ヒトラー総統が軍事を政治の道具として巻き込んでいくとき、国防軍の将軍たちとの間に不和が生じていく。
ベック大将も1938年のズデーテン問題以降、総統の采配に疑念をいだくようになる。ベック将軍は、のちに反ヒトラーグループ、いわゆる「黒い礼拝堂」の中心人物のひとりとなる。 -
ヘニング・フォン・トレスコウ少将(最終階級)もヒトラーに対して反感を抱き、反ヒトラーグループの一員になる。彼は、東部戦線での参謀勤務が長かったせいか、クルーゲ元帥やマンシュタイン元帥などの上官に反ヒトラー計画をほのめかして抱きこもうとするも失敗。ヒトラー暗殺失敗当時の1944年7月に計画の失敗を聞き、前線で自殺。
-
国防軍国内予備軍副司令官フリードリッヒ・オルブリヒト少将も反ヒトラーグループの一員で、シュタウフェンベルグを国内予備軍参謀への異動を図り、彼がヒトラーに近づける時を待ち、7月20日の暗殺計画のお膳立てをする。
-
戦局が悪化する中でヒトラーの采配に対する疑念、ユダヤ人などへの扱いなどナチス党のかつてのよきドイツとは違った傍若無人な振る舞いへの反感などから、シュタウフェンベルグもヒトラーを排して、米英と和睦すべきと考えるようになる。
良家に生まれて、よき軍人として、よきドイツ人としてありたいと思う彼は今の異状を正し、かつてのよきドイツを取り戻すため、総統の暗殺を決意する。
う〜む、
彼の人格はおそらく総統よりも高潔ではあろうが、この決意の方向がいいか悪いかは評価が難しいですね。現代史は本当に難しくやっかいだ。 -
シュタウフェンベルグ(左)と国内予備軍参謀 キルンハイム大佐(右)。業務の合間に中庭で一服か?
それにしても、シュタウフェンベルグの笑顔がまぶしい。しかし、このあと、この二人に降りかかる非命を考えると、暗澹たる思いにとらわれる。 -
そして、1944年7月20日。国内予備軍参謀長 シュタウフェンベルグ大佐が、総統への予備兵力状況報告のため、総統戦時本営(狼の巣)に出頭する機会を得る。
細かい部分は省きますが、シュタウフェンベルグ大佐は、爆弾入りのカバンを持参し、作戦会議中のヒトラーのそばに置いて、時限装置を作動させ、部屋を退出。そのままベルリンへ。会議はそのまま続けられるが、カバンに気づいた陸軍参謀本作戦課長ブラント大佐が邪魔だとおもい、みんなで取り囲んでいる大机の脚の裏にカバンを移動させたため、爆発はしたが総統は一命をとりとめたとのこと。なお、ブラント大佐は死亡…。 -
ヒトラー暗殺に失敗したが、ワルキューレ作戦(国内予備軍から各軍管区への重要拠点制圧指示発出)が発動される。
写真は、ワルキューレ作戦の発信案文とのこと。
結果を端折っていうと、ワルキューレ作戦による指示が総統戦時本営にも発出されていて露見したため情報戦で後れを取り、また、ナチスやヒトラーに反感をもっていたとしても軍人が反乱を起こすことに違和感を抱く各地の国防軍将軍たちの静観によって、ワルキューレ作戦は失敗に終わる。 -
ワルキューレ作戦が失敗に終わり、軟禁されていた国内予備軍司令官 フロム大将の手が、今回の計画に加わった者たちに伸びていく。
写真左から
国内予備軍参謀長 クラウス・フォン・シュタウフェンベルグ大佐
国内予備軍副司令官 フリードリッヒ・オルブリヒト少将
国内予備軍参謀 キルンハイム大佐
下へ
シュタウフェンベルグの副官 ヘフテン大尉
の4名が中庭に連行される…。
シュタウフェンベルグは、暗殺未遂犯として、
オルブリヒトとキルンハイムはワルキューレ作戦をフロム大将の名を勝手に使い発動した名目で。
右下のベック将軍は、フロム大将の元上司だったこともあり、自決を認められる
(実際には、うまく自決できず部下に撃たせたという説もあり)。 -
もう、日付は7月21日だろうか、
上記の4名は中庭に連れ出される。
深夜のため、軍用車のライトで照らし出された。 -
7月21日 0:15ごろ、花輪の場所に4名を立たせて、銃殺が行われたとのこと。銃を構える兵が立ったであろう場所から花輪を看る。
当時も窓があったとすると一人一人立たせて撃ったのだろうか。 -
射殺が行われたとのプレート。
-
中庭に立っていた「抵抗の戦士」の銅像だろうか。
容姿はいかにも、シュタウフェンベルグを意識したものだろう。
良心を持ったドイツ軍人、ドイツ騎士として称賛するためだろう。
現在のドイツが彼を持ち上げるのも、ナチスとの決別を強調したいためであろう。
しかし、ひねくれたことをいうと、シュタウフェンベルグによる暗殺が成功したして、果たして手放しに誉めることができるだろうか。
ヒトラーの政権は授権法などによって、政治の過程をゆがめたといっても一応は選挙で勝利得て政権を合法的に獲得した選出勢力である。
それに対して、シュタウフェンベルグ一党がいかに高邁な理想を抱いていたとしても武力をもって政治の過程に不可逆的な結果をもたらすことは、ヒトラー達よりも罪が深いだろう。
また、私の考えででは、仮にヒトラーを暗殺し、ワルキューレ作戦を発動したとして、シュタウフェンベルグたちの思惑通りにいったか疑問である。まず、ワルキューレ作戦に対してどれだけの各地のドイツ国防軍人達が呼応するかは疑問である。「軍人は政治に関与するべきではない」というモルトケ時代からのドイツ軍人の美学が彼らを縛り、「反乱」に加担するには勇気がいり、「反乱はけしからん」と思うのが楽な選択、よくて中立という感じで、ドイツ軍相撃つ状況にもなりかかねないのではないか。
もし、うまく政権を奪取したとして、彼らの考え通り米英と和睦して、ソ連にともにあたることができるだろうか。もうノルマンディー上陸も果たしてしまっている米英にとって軍事政権と手を結ぶかは微妙だろう。
また米英と和睦ができてソ連を撃退して新生ドイツができたとしてメデタシメデタシになるだろうか。シュタウフェンベルグ達は一応「民主的」ドイツを目指したそうだが、コアメンバーはともかく、軍がドイツを救ったと自負する向きがすんなりと民主化に協力するだろうか?しかも、クーデターで政権を作ったという先例あり。今回のクーデターで一時的にきれいな政権ができたとしても、将来に禍根を残すであろう。 -
柄にもなく考え事をしていたら、
ドイツ連邦軍のオフィスから50代くらいの男性将校が3〜4人中庭にきて、休憩のためかタバコを吸い始めた。階級は大佐か少将あたりか。
彼らはもうこの場所を見飽きているのか、花輪の方を一顧だにしない。彼らにシュタウフェンベルグ等の行動についてどう思うか?と聞きたいところだが私は全くドイツ語が話せない…。ただ、心中で
「たしかに政治的には傷があるにしろ、彼らは苦悩の末にこの手段を選んだ。その思いをたまには後輩として思い出してあげてくださいよ。」と念じつつ「ベントレー街」を後にした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- kids560さん 2025/02/10 14:11:52
- 歴史にifがあるのならに思いをはせて
- 旧ドイツ国防軍のオフィスの跡
この跡地からここまで話を膨らませることができるとは流石です。
あちらこちらに移動してあれ食べこれ飲みお土産はこれです。という旅行記はもはやテンプレで今回のようにまず思いがありそれをもとに観光地に行って改めて考えるというのも面白いと思いました。
わたしも結論から言うと暗殺には反対の立場です。
「天権法利非」という言葉があります。非は理に勝てず理は法に勝てず法は時の権力によって曲げられその権力も天運には勝てない。
非は理もしくは法によって正すもので暗殺やテロは卑怯です。でも成功していたらどうなっていたんですかね。結局、権も天に勝てず降伏することになるのですがその結果何が残ったのか。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ベルリン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
20