2015/09/13 - 2015/09/15
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chikuouさん
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軍艦島という小説「作者は韓国人 韓 水山(ハン スサン)」をだいぶ前に読んでいて、今回世界遺産に登録されたので、ぜひとも行ってみたいとツアーに入りました。ツアーのほうが上陸などのべんりがいいとおもったからです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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初日、新大阪駅で新幹線に乗ると直ぐにこの書類を渡されました。軍艦島へ上陸するための誓約書です。仰々しいなと思いながらも記入しました。いよいよ軍艦島に向けて出発です。
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乗船場には切符売り場があって、個々に切符を買う人もいるようです。私達はツアーのグループなので切符入りません。
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五島列島へ行く船もあります。
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こんな船もあります。どこへ行くのでしょうか。名前は観光丸となっています。
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船はほぼ定時に出向しました。長崎湾の中を進みます。これがあの有名な世界遺産のクレーンではないかと思います。
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グラバー邸から海が見えました。ということは海からもグラバー邸が見えるということを知りました。本当に景色のいいところにあるのですね。
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ここではLPGを運ぶタンカーと豪華客船がつくられていました。
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大きな造船場があります。こちらでも大きな豪華客船が作られていました。
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長崎湾を渡る大きな橋が二つあります。
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出発して15分ほどすると島影が見えてきました。右側は高島のようです。高島炭鉱も閉鎖されて、今は温泉などもあるリゾート地になっているようです。
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大きく見えてきました。
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建物の形がはっきりと見えてきました。
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いよいよ接岸です。無事に上陸できそうです。
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この高い建物は幹部職員のアパートだそうです。中は3DKだったそうです。もちろん羨望の的だったのでしょうね。
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上陸すると直ぐに見えるのは瓦礫の山です。放置されて約50年はたっています。
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上陸を許可された人たちは3班に分けられて説明を受けます。殆どの人たちは写真撮影に夢中です。
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掘り出した石炭を集めるところだったそうです。ここの石炭は質が良くて旧八幡製鉄所などで使われたそうです。日本の近代化に貢献したのですね。今、朝ドラもこの近くが舞台になりそうですね。
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説明されるボランティアの方は3名おられ、それぞれ分担して説明してくださいます。主に、最盛期の話です。その時(昭和30年代中ごろ)島の人口は5000名ほど、各家にはいわゆるその当時の3種に神器があったそうです。庶民の家にはテレビがなかったころの話です。湯治、大学でhの1か月の給料は1万円の頃、個々の炭鉱夫さんたちは4万円もらっていたそうです。
仕事は地下1000m、気温35度、湿度95%のところで石炭を掘り、8時間交代だったそうです。給料はいいが大変きつい仕事だったようです。
ボランティアの人たちは質問しない限り強制連行された人たちのことは言いませんでした。しかしそういう歴史もあったということは伝える必要はあると思います。 -
一番上は貯水槽だったそうです。その隣の白い建物は東大ですが、閉山後に作られたそうです。炭鉱が営業しているときは夜でも明るくかは焼いていて、照明の必要はなかったのです。
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石炭を積みだすところだそうです。
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貯炭場です。
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一般の炭鉱夫の宿舎です。
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掘り出した石炭を出すところのようです。
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かすかに人が見えますが、彼らは補修見回りの人たちです。黄色の人はボランティアで説明してくださる人です。ここで働いていた人ではないそうです。いつ崩壊するか分からないので、厳しく入場を規制するのは分かる気がします。
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時代を物語っています。
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先ほども言いましたが、幹部職員の宿舎です。
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これが小・中学校です。屋根が落ちているところは体育館の跡です。1階から3階までは小学校、4階から6階までは中学校。最盛期には5000人の人たちがいたそうです。昭和30年代中ごろ。
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ちょっと分かりずらいのですが、奥の建物の7階が幼稚園だったそうです。土地がないもので、幼稚園児は7階まで歩いて通ったそうです。
たぶんその手前が運動場だったのではないかと思います。狭いのでボールを投げる向きも決められていたそうです。 -
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どこを見ても瓦礫ばかりです。エネルギーが石炭から石油に変わったのでこのようになったのですね。
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白く見えるのは神社です。ここにはほとんどのものがあって、なかったのは二つだけ、焼き場と墓だけだったそうです。
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見学者は追い出され、次の船が港に着きました。私たちの船はもう少し大きかったです。
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帰りは直ぐに港へ戻るのではなく、島の周りを遊覧して見せてくれます。だから一方の側へ行く必要はありませんでした。
まんなかの木が倒れているように見えるのはお寺の跡らしいです。そしてこの宿舎は防波堤の役も兼ねていたということです。 -
いろんな角度から見ることができます。
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だんだんと島から離れていきます。
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左の端っこが病院の跡らしいです。
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さらに小さくなっていきます。
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後ろの島は高島です。
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さようなら軍艦島。
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私達は幸いにも島に上陸できたのですが、上陸できない場合はこの高島によって、軍艦島の模型を見て説明を受けるそうです。このことは9月6日出発の方の4トラベルで知りました。
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完全に離れてしまいました。
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