2015/10/11 - 2015/10/12
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■雨天でもGOGO! ≪秋の山陰車旅≫ 鳥取県江府町〜島根県江津市
大山の麓に甦った弥生時代の国邑、妻木晩田遺跡と隠岐の神塚 の巻
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木晩田遺跡とは?
中国地方の最高峰・大山の麓に甦った弥生時代の国邑、それが妻木晩田遺跡です。
遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられます。
現在、全体のおよそ1/10が発掘調査されています。その結果、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)〜古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡420棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓34基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。
・妻木晩田のムラの移り変わり
妻木晩田遺跡に人々が住みはじめるのは、弥生時代中期末頃(西暦1世紀前半)です。
弥生時代後期初頭(1世紀中頃)になると、洞ノ原西側丘陵に環壕が掘られ、洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)がつくられます。
このとき、妻木晩田遺跡に住んだ人々は、ここから東に700mほど離れた妻木新山地区、妻木山地区、松尾頭地区に住まいを構えました(図1)。
その後、ムラの人口が増えるにつれて住まいの範囲は広がっていき、妻木晩田遺跡が最盛期を迎える弥生時代後期後葉(2世紀後半)には、住まいの範囲が遺跡全体に広がります。
この時期をさかいに、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていき、古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなるのです。
・むきばんだの時代
妻木晩田遺跡は弥生時代中期後葉(紀元前1世紀)にムラづくりが始まり、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されている倭国乱の時代(2世紀後半)に最盛期を迎えます。
激動の時代を生きた弥生時代の人々の暮らしぶりが、この遺跡には残されています。
・倭国乱れる時代とは?
出土人骨西暦178年から数年にわたって倭国に戦乱があったことが「魏志倭人伝」に記されています。
この争いは、卑弥呼を女王として擁立することで鎮められたとされています。このときの争いは、どのようなものであったのでしょうか。このなぞを知る鍵が、最近、鳥取県気高郡青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかっています。
青谷上寺地遺跡では、弥生時代後期後半(紀元2世紀後半)の溝から大量の人骨(約90体以上)が散乱した状態で発見されました。
この中には、鋭い武器で刺されたり切られたりした傷跡の残る人骨もあります。また、人骨から性別や年齢を調べた結果、女性や10歳ぐらいの子供も含まれていることがわかりました。
この青谷上寺地遺跡で見つかった人骨は、争いの犠牲者であったかもしれません。とするならば、女性や子供までもまきこまれるような激しい争いがあったのでしょうか。これらの人骨が倭国の戦乱によるものかどうかはっきりとはわかりません。
しかし、弥生時代の争いを現代に伝える貴重な発見として、これからの研究が期待されます。 〜とりネットより。
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」/鳥取県西伯郡大山町
元弘3年(1333)、元弘の変によって配流の身となった後醍醐天皇が隠岐の島を脱出し辿り着いた場所として、御来屋漁港にある「後醍醐天皇お腰掛けの岩」がありますが、一説によれば、後醍醐天皇の上陸地は御来屋漁港ではなく、少し東側にあった逢坂港であったとも言われています。
逢坂港に辿り着いた天皇は塚の上で休まれ、のどが渇いたと申されたため、村人が清水を運んで差し上げたと伝わっています。その場所が「隠岐の神塚」です。
現在、逢坂の海岸近くにある「隠岐の神塚」には、昭和8年に船上山義挙600年を記念し「後醍醐天皇御着船地」の碑が建立されています。また、塚には小さな祠がありますが、その御祭神は後醍醐天皇であると伝えられています。
≪1日目≫
▼広島市の自宅出発
▼県道37号線⇒国道183号線⇒国道181号線
▼御机の茅葺小屋/鳥取県日野郡江府町御机
▼大山環状道路(視界不良)
▼奥大山スキー場/鳥取県日野郡江府町御机
▼鍵掛峠/鳥取県日野郡江府町大河原
▼山の駅大山望/鳥取県西伯郡伯耆町
▼とっとり花回廊/鳥取県西伯郡南部町
▼天の真名井(美水の郷)/鳥取県米子市淀江町
▼伯耆古代の丘公園/鳥取県米子市淀江町
▼妻木晩田遺跡/鳥取県西伯郡大山町
▼退休寺/鳥取県西伯郡大山町
▼道の駅大山恵みの里/鳥取県西伯郡大山町
▼隠岐の神塚/鳥取県西伯郡大山町
▼米子駅前H泊
≪2日目≫
▼米子駅前H出発
▼山陰道(米子西〜東出雲)⇒国道9号線
▼松江武家屋敷/島根県松江市北堀町
▼松江城/島根県松江市殿町
▼道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
▼温泉津やきもの館・登り窯/島根県大田市温泉津町
▼江津本町古い町並み/島根県江津市江津町
▼山陰道(江津〜浜田)⇒浜田自動車道
▼帰宅
【手記】
実はこの車旅を決めたのはその日の朝方午前4時ころ。(いつも早起きなもんですから^^)突然旅虫が騒ぎ出して5時半にはもう家を出発していました。
昨年の同時期に行った山陰車旅は、運悪くスーパー台風19号が中国地方に最接近するということで、仕方なく日帰りドライブに変更した経緯があります。大した内容の旅行にもならず、残念な思いをした記憶があります。
なので、今年こそは「大山周辺の里山景色を楽しみながらウロチョロと走り回って日本海まで走り抜けて行き、訪問したいところ(妻木晩田遺跡・天の真名井・宍道湖に沈む夕日)もあったので1泊2日の旅行ができればいいな…」と考えていました。
…なのですが、残念なことにまたまた天気が〜!生憎の雨模様。
と言うことで、今回も毎度お馴染みの行くアテのない車旅と相成りました。また、宿泊先は米子駅前のHになりました。部屋が偶然にも一つ空いていたので車中泊をせずにすみました。
久しぶりに松江で宍道湖に沈む夕日を見てみたかったのですが、天候が悪かったので撮影を諦めて米子泊と相成りました。以下、雨天進行!雨の中のGOGO〜山陰車旅日記です。
なお、トップの写真は妻木晩田遺跡の竪穴住居跡です。
【追記】
今が旬の旅日記を優先してアップしているため昔の車旅編が後まわしになっています。作成する時間が少なく執りかかれない日々が続いております。毎朝早起きなので、ちょっとずつツツいて作成しております。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
■雨天でもGOGO! ≪秋の山陰車旅≫ 鳥取県江府町〜島根県江津市
大山の麓に甦った弥生時代の国邑、妻木晩田遺跡と隠岐の神塚〜の巻
実はこの車旅を決めたのはその日の朝方午前4時ころ。突然旅虫が騒ぎ出して5時半にはもう家を出発していました。 -
∇伯耆古代の丘公園/鳥取県米子市淀江町
「天の真名井、清らかな湧水は大山の神々からの贈り物」の巻のつづきです。
天の真名井&退休寺の巻 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/11066890 -
∇伯耆古代の丘公園/鳥取県米子市淀江町
案内マップ
広島市内⇒御机の茅葺小屋⇒大山鍵掛峠⇒とっとり花回廊⇒淀江町天の真名井⇒西伯郡大山町へと移動してきました。
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∇上淀白鳳の丘展示館/鳥取県米子市淀江町
国指定史跡上淀廃寺跡を紹介するガイダンス施設です。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
いつの日か訪れてみたかった妻木晩田遺跡の展示館へ到着しました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
弥生の館むきばんだは中国地方最高峰「大山」のふもとに位置する、国内最大級の弥生時代の集落跡を公開しているフィールドミュージアムです。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
復元した竪穴住居や高床倉庫で再現した弥生のムラや、四隅が突き出た独特な形の墳丘墓群、本物の竪穴住居跡を保存した「遺構展示館」を見ることができます。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
復元した竪穴住居 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
妻木晩田遺跡は弥生時代中期後葉(紀元前1世紀)にムラづくりが始まり、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記されている倭国乱の時代(2世紀後半)に最盛期を迎えます。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
激動の時代を生きた弥生時代の人々の暮らしぶりが、この遺跡には残されています。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
西暦178年から数年にわたって倭国に戦乱があったことが「魏志倭人伝」に記されています。この争いは、卑弥呼を女王として擁立することで鎮められたとされています。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
桶 高杯・椀 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
鉄器・石器・玉づくり -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・弥生の館むきばんだ
妻木山地区弥生のムラへ歩いて向かいました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田遺跡とは?
中国地方の最高峰・大山の麓に甦った弥生時代の国邑、それが妻木晩田遺跡です。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田遺跡とは?
遺跡のひろがりは鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよび、弥生時代に大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったと考えられます。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田遺跡とは?
現在、全体のおよそ1/10が発掘調査されています。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田遺跡とは?
その結果、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)〜古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡420棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓34基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田のムラの移り変わり
妻木晩田遺跡に人々が住みはじめるのは、弥生時代中期末頃(西暦1世紀前半)です。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田のムラの移り変わり
弥生時代後期初頭(1世紀中頃)になると、洞ノ原西側丘陵に環壕が掘られ、洞ノ原東側丘陵に四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)がつくられます。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田のムラの移り変わり
このとき、妻木晩田遺跡に住んだ人々は、ここから東に700mほど離れた妻木新山地区、妻木山地区、松尾頭地区に住まいを構えました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田のムラの移り変わり
その後、ムラの人口が増えるにつれて住まいの範囲は広がっていき、妻木晩田遺跡が最盛期を迎える弥生時代後期後葉(2世紀後半)には、住まいの範囲が遺跡全体に広がります。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 妻木晩田のムラの移り変わり
この時期をさかいに、妻木晩田のムラは少しずつ衰えていき、古墳時代の初め頃には住まいがほとんど見られなくなるのです。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
竪穴住居は地面に穴を掘って床をつくり、柱を掘り立てた上に屋根を葺いた建物です。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
ムラ人が日常的に寝起きする住まいと考えられています。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
ここでは、いろいろな形の竪穴住居跡が見つかりました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
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∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
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∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
学生さんかな?なにかロケの練習っぽいことをやっていました。 -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区 弥生土器を焼く -
∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
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∇妻木晩田(むきばんだ)遺跡/鳥取県西伯郡大山町
・妻木山地区
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∇道の駅大山恵みの里/鳥取県西伯郡大山町
休憩〜 準ベジタリアンなので昼食にブロッコリーコロッケ定食(だったかな?)を食った。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
伯耆は風の国 隠岐の神塚近くの風力発電機 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
風力発電機 日本海から吹く風の力を利用して電力を作っています。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
海岸沿いに建てられた風力発電の巨大風車 クリーンエネルギーです。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
ところで隠岐の神塚はどこだ。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
景色がいいですねー。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
案内板が見つからず、場所がよくわからない。畑の中を探しまわりました。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
大山 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」近く/鳥取県西伯郡大山町
田圃の中にぽつんと少し小高い雑草の茂った場所がありました。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」/鳥取県西伯郡大山町
ここです!塚の頂上に小さな祠と後醍醐天皇御着船地の碑が建っています。小さな祠の御祭神は後醍醐天皇であると伝えられています。 -
∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」/鳥取県西伯郡大山町
元弘3年(1333)、元弘の変によって配流の身となった後醍醐天皇が隠岐の島を脱出し辿り着いた場所として、御来屋漁港にある「後醍醐天皇お腰掛けの岩」がありますが、一説によれば、後醍醐天皇の上陸地は御来屋漁港ではなく、少し東側にあった逢坂港であったとも言われています。
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∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」/鳥取県西伯郡大山町
逢坂港に辿り着いた天皇は塚の上で休まれ、のどが渇いたと申されたため、村人が清水を運んで差し上げたと伝わっています。その場所が「隠岐の神塚」です。
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∇後醍醐天皇上陸候補地「隠岐の神塚」/鳥取県西伯郡大山町
現在、逢坂の海岸近くにある「隠岐の神塚」には、昭和8年に船上山義挙600年を記念し「後醍醐天皇御着船地」の碑が建立されています。 -
∇道中の景色/山陰道
久しぶりに松江で宍道湖に沈む夕日を見てみたかったのですが、天候が悪かったので撮影を諦めて米子駅へ。宿泊先は米子駅前のHになりました。部屋が偶然にも一つ空いていたので車中泊をせずにすみました。
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∇米子駅/鳥取県米子市弥生町
米子駅前のモニュメント「空を駆ける鉄道」
次の旅日記は「松江歴史館・武家屋敷通り・松江城」編です。
オヤジひとり、気ままな車旅です。どこへでも行っちゃいまーす^^;
THE END. それでは、また〜。
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この旅行記へのコメント (2)
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- お黙り!さん 2015/12/19 09:35:17
- 凄いですね
- Mecha Godzilla?&703さん
初めましてこんにちは。
私の旅行記に投票いただきありがとうございました。
私は兵庫県の北(但馬地方出身)なので、わりと鳥取県は身近に思っていました。でも、ぜんぜん知りませんでした。
「妻木晩田遺跡」
弥生時代ですか・・・・・・凄いですね。歴史はサッパリの私ですが、なんか、心が落ち着きました(笑)
朝4時に旅を決めて、5時には出発なんて、これも凄い!(@_@)
織田マリー・アントワNET
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2015/12/19 18:33:16
- RE: 凄いですね
- oda marieさん こんばんは。メールありがとうございました。
箱根記へお邪魔させていただきました。料理満載で美味しそうですねー。箱根七湯ビールって独特の味がするのでしょうか?わたくしも旅先でそう言った地場ビールをよく飲みます。
まだ仕事をしており帰宅も遅いのですけれども毎日早起きで困っております。^^;考古遺跡好きなもんで遺跡巡りとかで時間を使うことが多いです。箱根に活気がもどればいいですネ。それでは、またよろしくお願いいたします。
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