プロヴァンスアルプコートダジュール地方旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅行の期間は、2015年9月21日から28日まで。コートダジュールを旅行したのは、21日から24日までです。<br />フランスのエクス・アン・プロバンスに到着後、列車でアンティーブ、ニースを巡り、ニースから飛行機でジュネーブへ。ジュネーブから列車でシャモニーモンブラン、ツェルマット、グリンデルワルト、ジュネーブを回ってきました。<br />この旅行記は、そのうち、コートダジュールの旅行記です。<br />エクスアンプロバンスではグラネ美術館、アンティーブではピカソ美術館を訪問しました。<br />また、ニース市内とサン・ポール・ド・ヴァンス、ヴァンスを観光しました。<br />

コートダジュール・ヨーロッパアルプスへ!(1)コートダジュール編

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2015/09/21 - 2015/09/24

988位(同エリア2183件中)

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八福神

八福神さん

旅行の期間は、2015年9月21日から28日まで。コートダジュールを旅行したのは、21日から24日までです。
フランスのエクス・アン・プロバンスに到着後、列車でアンティーブ、ニースを巡り、ニースから飛行機でジュネーブへ。ジュネーブから列車でシャモニーモンブラン、ツェルマット、グリンデルワルト、ジュネーブを回ってきました。
この旅行記は、そのうち、コートダジュールの旅行記です。
エクスアンプロバンスではグラネ美術館、アンティーブではピカソ美術館を訪問しました。
また、ニース市内とサン・ポール・ド・ヴァンス、ヴァンスを観光しました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
3.5
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
ルフトハンザドイツ航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • 9月21日(月)午前10時15分関空発フランクフルト経由エクス・アン・プロバンス同日(月)午後6時30分に到着。<br />機内では隣にイタリア人グループがいて、異常に陽気でした。ヘッドホンのジャックが2つあるのに、入れる方が1つしかないので「どうすればいいのだ〜」とえんえんグループ全員で盛り上がっていました。(正解は、2つのジャックのうちの一つを折り曲げて、1つのジャックにして差し込む、でした。)<br />フランクフルト空港からマルセイユ・プロバンス空港までは快晴で、視界を邪魔する雲がなく、飛行機の窓からヨーロッパアルプス(モンブラン、モンテローザなどなど)が夕陽に照らされているのがきれいに見えて感動しました。<br />空港を出たすぐのところに市内へのバスが止まっていて、それに乗ってエクス・アン・プロバンスのバスターミナルへ。そこから徒歩15分くらいのところのホテルに宿泊です。<br />移動で疲れていたので、日本から持ってきた弁当を食べてすぐに寝ました。<br />9月22日(火)はアンティーブへ移動する鉄道に乗るまで、エクス・アン・プロバンスを散策しました。<br />この写真は、サン・ソヴール大聖堂です。朝のミサをしていて、真剣な厳かな雰囲気でした。信者の高齢化が著しく、洋の東西を問わず、伝統宗教はどこも同じ悩みを抱えています。

    9月21日(月)午前10時15分関空発フランクフルト経由エクス・アン・プロバンス同日(月)午後6時30分に到着。
    機内では隣にイタリア人グループがいて、異常に陽気でした。ヘッドホンのジャックが2つあるのに、入れる方が1つしかないので「どうすればいいのだ〜」とえんえんグループ全員で盛り上がっていました。(正解は、2つのジャックのうちの一つを折り曲げて、1つのジャックにして差し込む、でした。)
    フランクフルト空港からマルセイユ・プロバンス空港までは快晴で、視界を邪魔する雲がなく、飛行機の窓からヨーロッパアルプス(モンブラン、モンテローザなどなど)が夕陽に照らされているのがきれいに見えて感動しました。
    空港を出たすぐのところに市内へのバスが止まっていて、それに乗ってエクス・アン・プロバンスのバスターミナルへ。そこから徒歩15分くらいのところのホテルに宿泊です。
    移動で疲れていたので、日本から持ってきた弁当を食べてすぐに寝ました。
    9月22日(火)はアンティーブへ移動する鉄道に乗るまで、エクス・アン・プロバンスを散策しました。
    この写真は、サン・ソヴール大聖堂です。朝のミサをしていて、真剣な厳かな雰囲気でした。信者の高齢化が著しく、洋の東西を問わず、伝統宗教はどこも同じ悩みを抱えています。

  • セザンヌの生家です。

    セザンヌの生家です。

  • セザンヌとエミール・ゾラが通った小学校です。<br />このあと、グラネ美術館を訪れました。<br />企画展でアメリカの現代美術をやっていましたが、時間がないのでパス。<br />セザンヌの奥様の肖像画があり、やさしい表情に仕上がっていて、セザンヌの奥様への愛情をうかがうことができます。展示作品は多くはありませんが、エクスに関係する作品が多くあります。画家の生誕地にある絵画は、それぞれが生き生きとしてそこにいることを喜んでいるように感じます。

    セザンヌとエミール・ゾラが通った小学校です。
    このあと、グラネ美術館を訪れました。
    企画展でアメリカの現代美術をやっていましたが、時間がないのでパス。
    セザンヌの奥様の肖像画があり、やさしい表情に仕上がっていて、セザンヌの奥様への愛情をうかがうことができます。展示作品は多くはありませんが、エクスに関係する作品が多くあります。画家の生誕地にある絵画は、それぞれが生き生きとしてそこにいることを喜んでいるように感じます。

  • エクス・アン・プロヴァンスからアンティーブへ列車で移動。エクス→マルセイユは時間通りでしたが、マルセイユからの列車が45分位遅延しました。これくらいの遅れはヨーロッパでは当たり前のようです。エクス→マルセイユの列車は寝台車として作られたもので通気性が悪く大変暑かったです。<br />アンティーブでは駅でコインロッカーがなく、大きな荷物を持ってピカソ美術館まで徒歩20分程度移動しました。グリマルディ城が美術館になっていて、建物に趣があり、また、海に面したテラスには彫刻が並べられていて、すばらしい空間でした。<br />美術館のお目当てはピカソの”生きるよろこび”です。<br />絵のテーマは、バッカスのお祭りです。真ん中でニンフが踊っており、ケンタウルスとファウヌスが音楽を奏でています。背景にはアンティーブの海が描かれています。曲線中心のダイナミックな作品で、ニンフの踊りのエネルギーが作品全体に満ち溢れています。<br />この日はアンティーブからニースに列車で移動し、宿泊しました。<br />ニースのトラムでは”Naruto”の仏訳を熱心に読んでいる少女がいました。日本の漫画のどんなところに魅力を感じるのでしょう? 聞いてみればよかったのですが。<br /><br />(2020/10/24追記)<br />コロナでヨーロッパに行けないため、旅行中のメモを読み返していました。生きるよろこびの英語の説明文を和訳したものを発見ました。いい内容だと思うので、ここに記述したいと思います。<br /><br />生きるよろこび<br />ビーチで古風な祭りが執り行われている。2人の音楽家――1人は左のケンタウルス、もう1人は右側のファウヌス――そしてニンフと2匹の雌ヤギがそばにいる。ピカソは再びバッカスの祭りという古典的なテーマを探求している。端にはブドウの木があり、ワインを想起させる。しかし、バッカスの祭りというよりは太陽神の祭りであり、ピカソが1944年8月、パリ解放の間、ニコラス=プシンに続いて描いた作品よりも平和に満ちている。しかし、ここでもまた、テーマは戦後すぐの夏に得られた幸せであり、取り戻された平和である。<br />作品の背景に、ピカソは“アンティポリス”――ギリシャ語の“アンティーブ”――を描いた。この作品でピカソは2つの全く異なる時代を同時に持ち込んで私たちに見せてくれる。一つは古代であり、新たに獲得した人々の自由の神話の時代である。もう一つは現在――それはピカソにとっては地中海の人々との再会であり、友人とともに海を泳いだことであり、“生きるよろこび”の中心部分に描かれた人物であるフランシス=ジローへの愛――である。<br />この作品は、作品の主題と構成要素から判断して、間違いなく、1905年に作成されたマティスの“生きる幸せ”への遅れに遅れた返事でもあるといえる。ピカソとマティスはフランシスとともに1946年3月に再会している。マティスが思い描いたフランシスの姿は、緑の髪と青っぽい身体であって、ここで私たちが見ている“花の女”の特徴が始まっていたとは知らなかったのであった。<br />作品制作中を撮ったミシェル=シマの写真や絵の具の下から見える重ね塗り以前の形象が示すところによれば、この作品は何度か改訂されていることがうかがわれる。ピカソは当初かなり固く体格の大きな人物像を配置していたが、スレンダーな人物に変更している。ピカソは直線中心で動きのないスタイルから曲線中心のダイナミックなスタイルに変更しており、それは風景にも及ぶ。そうすることで、ニンフの踊りのエネルギーが作品全体に満ちている。風景の中に配された人物はカラフルな色によって生き生きと統合され、それが作品に強い統一感をもたらしている。作品は極めて巧妙に構成されたものである。色のついた領域の段丘構造は、2つの強い斜線とつりあっている。このようにして中心に配された人物は黒い面で強く固定された大きな三角形に囲まれている。ステージ上のプロジェクターの光に囲まれているかのようである。そのステージとは私たちの前にある作品であり、その上で祭りが執り行われているのである。<br />作品の複合性、作品が歴史を背景としているだけでなく現代史によりどころを持っていることとの複合的な関係が“生きるよろこび”をピカソの代表作の一つたるものとしているのである。<br />

    エクス・アン・プロヴァンスからアンティーブへ列車で移動。エクス→マルセイユは時間通りでしたが、マルセイユからの列車が45分位遅延しました。これくらいの遅れはヨーロッパでは当たり前のようです。エクス→マルセイユの列車は寝台車として作られたもので通気性が悪く大変暑かったです。
    アンティーブでは駅でコインロッカーがなく、大きな荷物を持ってピカソ美術館まで徒歩20分程度移動しました。グリマルディ城が美術館になっていて、建物に趣があり、また、海に面したテラスには彫刻が並べられていて、すばらしい空間でした。
    美術館のお目当てはピカソの”生きるよろこび”です。
    絵のテーマは、バッカスのお祭りです。真ん中でニンフが踊っており、ケンタウルスとファウヌスが音楽を奏でています。背景にはアンティーブの海が描かれています。曲線中心のダイナミックな作品で、ニンフの踊りのエネルギーが作品全体に満ち溢れています。
    この日はアンティーブからニースに列車で移動し、宿泊しました。
    ニースのトラムでは”Naruto”の仏訳を熱心に読んでいる少女がいました。日本の漫画のどんなところに魅力を感じるのでしょう? 聞いてみればよかったのですが。

    (2020/10/24追記)
    コロナでヨーロッパに行けないため、旅行中のメモを読み返していました。生きるよろこびの英語の説明文を和訳したものを発見ました。いい内容だと思うので、ここに記述したいと思います。

    生きるよろこび
    ビーチで古風な祭りが執り行われている。2人の音楽家――1人は左のケンタウルス、もう1人は右側のファウヌス――そしてニンフと2匹の雌ヤギがそばにいる。ピカソは再びバッカスの祭りという古典的なテーマを探求している。端にはブドウの木があり、ワインを想起させる。しかし、バッカスの祭りというよりは太陽神の祭りであり、ピカソが1944年8月、パリ解放の間、ニコラス=プシンに続いて描いた作品よりも平和に満ちている。しかし、ここでもまた、テーマは戦後すぐの夏に得られた幸せであり、取り戻された平和である。
    作品の背景に、ピカソは“アンティポリス”――ギリシャ語の“アンティーブ”――を描いた。この作品でピカソは2つの全く異なる時代を同時に持ち込んで私たちに見せてくれる。一つは古代であり、新たに獲得した人々の自由の神話の時代である。もう一つは現在――それはピカソにとっては地中海の人々との再会であり、友人とともに海を泳いだことであり、“生きるよろこび”の中心部分に描かれた人物であるフランシス=ジローへの愛――である。
    この作品は、作品の主題と構成要素から判断して、間違いなく、1905年に作成されたマティスの“生きる幸せ”への遅れに遅れた返事でもあるといえる。ピカソとマティスはフランシスとともに1946年3月に再会している。マティスが思い描いたフランシスの姿は、緑の髪と青っぽい身体であって、ここで私たちが見ている“花の女”の特徴が始まっていたとは知らなかったのであった。
    作品制作中を撮ったミシェル=シマの写真や絵の具の下から見える重ね塗り以前の形象が示すところによれば、この作品は何度か改訂されていることがうかがわれる。ピカソは当初かなり固く体格の大きな人物像を配置していたが、スレンダーな人物に変更している。ピカソは直線中心で動きのないスタイルから曲線中心のダイナミックなスタイルに変更しており、それは風景にも及ぶ。そうすることで、ニンフの踊りのエネルギーが作品全体に満ちている。風景の中に配された人物はカラフルな色によって生き生きと統合され、それが作品に強い統一感をもたらしている。作品は極めて巧妙に構成されたものである。色のついた領域の段丘構造は、2つの強い斜線とつりあっている。このようにして中心に配された人物は黒い面で強く固定された大きな三角形に囲まれている。ステージ上のプロジェクターの光に囲まれているかのようである。そのステージとは私たちの前にある作品であり、その上で祭りが執り行われているのである。
    作品の複合性、作品が歴史を背景としているだけでなく現代史によりどころを持っていることとの複合的な関係が“生きるよろこび”をピカソの代表作の一つたるものとしているのである。

    ピカソ美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 9月23日(水)は、朝一番にニースで400番のバスに乗ってサン・ポール・ド・ヴァンスへ。サン・ポールのこじんまりとしたおしゃれな街を散歩した後、マーグ財団美術館へ。マーグ財団美術館へは、バス停から徒歩10分程度です。この写真は美術館までの小道の途中からサン・ポール村を写したものです。

    9月23日(水)は、朝一番にニースで400番のバスに乗ってサン・ポール・ド・ヴァンスへ。サン・ポールのこじんまりとしたおしゃれな街を散歩した後、マーグ財団美術館へ。マーグ財団美術館へは、バス停から徒歩10分程度です。この写真は美術館までの小道の途中からサン・ポール村を写したものです。

    サンポール旧市街 旧市街・古い町並み

  • サン・ポール・ド・ヴァンスからバスでヴァンスへ。<br />ヴァンス村を散策し、シャガールのステンドグラスを見たあと、マティスの代表作であるロザリオ礼拝堂を訪問しました。ヴァンスの旧市街からロザリオ礼拝堂までは徒歩で20分程で、”Chapelle Matisse&quot;の標識にしたがって行けば迷うことはないでしょう。<br /><br />ロザリオ礼拝堂では、ガイドの方が礼拝堂の説明をしてくださいました。フランス語、英語、イタリア語の中で、見学者の中で英語で説明することを希望する見学者が一番多かったので、英語で説明してもらえることになりました。フランス以外の地域(ドイツ、イタリア等)から来ていた見学者が多かったようです。<br /><br />(ガイドの方の説明)<br />ロザリオ礼拝堂は1947年から1951年にかけて、マティスが77歳から81歳のときに制作した作品です。マティスが病を患ったときに献身的に看護してくれた修道女への感謝を込めて制作することを決心しました。教会はドミニク修道会の教会である。建築はマティスの友人が手掛けているが、マティスの指示の下に建築されたもので、作品にはマティスの意図が反映されています。<br />教会のテーマは”光”。南からステンドグラスを通して光が差し込み、ステンドグラスは、黄・緑・青で構成され、黄色は太陽、青は海、緑は大地を象徴しています。説教台の後ろのステンドグラスにはサボテンの葉がモティーフになったデザインがあり、これは”力”の象徴です。<br />礼拝堂には絵が3枚描かれています。<br />一枚はドミニク修道会の修道僧、もう一枚はアヴェ・マリア(逆から読むとイヴ(AVE/EVE))、もう一枚はショッキングな内容で、キリストの磔刑の図です。<br />説教台のランプはマティスが好きだったアネモネの花をモティーフとしたもの、説教台は参集した人に対して正面に向かず、斜めに向いていて、かなり珍しいスタイルです。説教台の正面の右にあるランプはキリストの光の象徴です。<br />マティスは、真実を求め、それを表現したのです。<br /><br />

    サン・ポール・ド・ヴァンスからバスでヴァンスへ。
    ヴァンス村を散策し、シャガールのステンドグラスを見たあと、マティスの代表作であるロザリオ礼拝堂を訪問しました。ヴァンスの旧市街からロザリオ礼拝堂までは徒歩で20分程で、”Chapelle Matisse"の標識にしたがって行けば迷うことはないでしょう。

    ロザリオ礼拝堂では、ガイドの方が礼拝堂の説明をしてくださいました。フランス語、英語、イタリア語の中で、見学者の中で英語で説明することを希望する見学者が一番多かったので、英語で説明してもらえることになりました。フランス以外の地域(ドイツ、イタリア等)から来ていた見学者が多かったようです。

    (ガイドの方の説明)
    ロザリオ礼拝堂は1947年から1951年にかけて、マティスが77歳から81歳のときに制作した作品です。マティスが病を患ったときに献身的に看護してくれた修道女への感謝を込めて制作することを決心しました。教会はドミニク修道会の教会である。建築はマティスの友人が手掛けているが、マティスの指示の下に建築されたもので、作品にはマティスの意図が反映されています。
    教会のテーマは”光”。南からステンドグラスを通して光が差し込み、ステンドグラスは、黄・緑・青で構成され、黄色は太陽、青は海、緑は大地を象徴しています。説教台の後ろのステンドグラスにはサボテンの葉がモティーフになったデザインがあり、これは”力”の象徴です。
    礼拝堂には絵が3枚描かれています。
    一枚はドミニク修道会の修道僧、もう一枚はアヴェ・マリア(逆から読むとイヴ(AVE/EVE))、もう一枚はショッキングな内容で、キリストの磔刑の図です。
    説教台のランプはマティスが好きだったアネモネの花をモティーフとしたもの、説教台は参集した人に対して正面に向かず、斜めに向いていて、かなり珍しいスタイルです。説教台の正面の右にあるランプはキリストの光の象徴です。
    マティスは、真実を求め、それを表現したのです。

  • ヴァンスから再びバスでニースへ戻りました。<br />ちょうどこの日はバスとトラムがストライキで営業しておらず、びっくりでした。公共機関のストって今の日本では考えられません。日本でも昔は公共機関のストがあったそうですが、事実上できないようになっています。<br />この写真は展望台から夕陽に輝くニースの海岸線を写したものです。展望台へのエレベーターは午後6時30分に営業終了で乗れませんでしたが、隣にある階段を登れば展望台に行くことができます。<br />ニースには5年前位に訪れたことがありますが、公園などが整備されて、とても明るい雰囲気になっていました。長距離バスターミナルが郊外に移転して、その跡地に公園が整備されたのがその主因だと思います。また、交通弱者にやさしいトラムが整備されており、乗客もいっぱいで、住民によろこばれているように感じました。ジョギングするのによさそうな道が整備されていました。5年の間にニースはよくなったなあと感じました。<br />次の日は、朝一番のスイス航空に乗り、チューリッヒ経由でジュネーブに向かいます。

    ヴァンスから再びバスでニースへ戻りました。
    ちょうどこの日はバスとトラムがストライキで営業しておらず、びっくりでした。公共機関のストって今の日本では考えられません。日本でも昔は公共機関のストがあったそうですが、事実上できないようになっています。
    この写真は展望台から夕陽に輝くニースの海岸線を写したものです。展望台へのエレベーターは午後6時30分に営業終了で乗れませんでしたが、隣にある階段を登れば展望台に行くことができます。
    ニースには5年前位に訪れたことがありますが、公園などが整備されて、とても明るい雰囲気になっていました。長距離バスターミナルが郊外に移転して、その跡地に公園が整備されたのがその主因だと思います。また、交通弱者にやさしいトラムが整備されており、乗客もいっぱいで、住民によろこばれているように感じました。ジョギングするのによさそうな道が整備されていました。5年の間にニースはよくなったなあと感じました。
    次の日は、朝一番のスイス航空に乗り、チューリッヒ経由でジュネーブに向かいます。

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