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オーロラとツンドラ紅葉撮影のために訪れたドーソンシティでの滞在は3日間。ツアー仲間全員揃っての撮影行動の合間に、ドーソンシティをぶらぶらと散策した時に撮影した街歩き編、今回のオーロラ撮影ツアー旅行記最終編である。<br /><br />ツアー日程の概略は以下の通り<br />8月27日 成田よりバンクーバー経由でホワイトホースへ。<br />     当日23時よりオーロラ撮影<br />8月28日 バスにて北米最後のフロンティア、ドーソンシティへ移動<br />    夜中にミッドナイトドーム山頂上にてオーロラ撮影<br />8月29日 ロケハンをかねてツンドラ紅葉のポイント、トゥームストーン準州立公園へ。23時、ドーソンのユーコン川河畔にて3回目のオーロラ撮影<br />8月30日 寝る間もなく、早朝4時半に再びトゥームストーン準州立公園へ。<br />     グリズリー山脈のモルゲンロートとツンドラ紅葉撮影<br />     9時ごろホテルに戻り、夜のオーロラ撮影に備え、仮眠など。<br />     23時、ユーコン川河畔にてオーロラ撮影<br />8月31日 クロンダイクハイウェイをひた走りビューポイントで撮影しながらホワイトホースに戻る。夜は、シュワカ湖畔にて最後のオーロラ撮影<br />9月1日 早朝4時にホテルをチェックアウトし、帰国の途へ 翌日成田着<br /><br />

オーロラとツンドラ紅葉を求めて極北の大地ユーコンを行く (5)ゴールドラッシュに沸いた北米最後のフロンティア、ドーソンシティ編

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2015/08/29 - 2015/08/30

13位(同エリア64件中)

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玄白

玄白さん

オーロラとツンドラ紅葉撮影のために訪れたドーソンシティでの滞在は3日間。ツアー仲間全員揃っての撮影行動の合間に、ドーソンシティをぶらぶらと散策した時に撮影した街歩き編、今回のオーロラ撮影ツアー旅行記最終編である。

ツアー日程の概略は以下の通り
8月27日 成田よりバンクーバー経由でホワイトホースへ。
     当日23時よりオーロラ撮影
8月28日 バスにて北米最後のフロンティア、ドーソンシティへ移動
    夜中にミッドナイトドーム山頂上にてオーロラ撮影
8月29日 ロケハンをかねてツンドラ紅葉のポイント、トゥームストーン準州立公園へ。23時、ドーソンのユーコン川河畔にて3回目のオーロラ撮影
8月30日 寝る間もなく、早朝4時半に再びトゥームストーン準州立公園へ。
     グリズリー山脈のモルゲンロートとツンドラ紅葉撮影
     9時ごろホテルに戻り、夜のオーロラ撮影に備え、仮眠など。
     23時、ユーコン川河畔にてオーロラ撮影
8月31日 クロンダイクハイウェイをひた走りビューポイントで撮影しながらホワイトホースに戻る。夜は、シュワカ湖畔にて最後のオーロラ撮影
9月1日 早朝4時にホテルをチェックアウトし、帰国の途へ 翌日成田着

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 今回3日間滞在したホテル、Downtown Hotel。西部劇の世界のような雰囲気が漂うホテルである。<br /><br />このホテルに限らず、ドーソンシティの建物はほとんどすべてがゴールドラッシュ時代の木造2階建ての建築様式になっている。<br />最大にして最後のゴールドラッシュで賑わい4万人近い人口を抱えるカナダ西部最大の町は、わずか数年でゴールドラッシュが終焉するとともに人々が去り、600人ほどのほとんどゴーストタウンのような街となってしまった。その後、街に残っていたゴールドラッシュ時代の建物はすべてカナダの国定史跡になり、修復・復元され、今では街全体がゴールドラッシュ時代の歴史を伝えるテーマパークのようになっている。

    イチオシ

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    今回3日間滞在したホテル、Downtown Hotel。西部劇の世界のような雰囲気が漂うホテルである。

    このホテルに限らず、ドーソンシティの建物はほとんどすべてがゴールドラッシュ時代の木造2階建ての建築様式になっている。
    最大にして最後のゴールドラッシュで賑わい4万人近い人口を抱えるカナダ西部最大の町は、わずか数年でゴールドラッシュが終焉するとともに人々が去り、600人ほどのほとんどゴーストタウンのような街となってしまった。その後、街に残っていたゴールドラッシュ時代の建物はすべてカナダの国定史跡になり、修復・復元され、今では街全体がゴールドラッシュ時代の歴史を伝えるテーマパークのようになっている。

    ザ ダウンタウン コースト ホテル ホテル

  • ホテルの前のメインストリート。右側の建物がフロント、レストラン、ギフトショップが入っており、左側は客室である。<br />街の規模が小さいこともあるが、それ以上に田舎臭さを感じさせるのは、道路が舗装されていないのである。冬はー35〜40℃、真夏は+30度以上になる極端な温度差でアスファルトがたちまち波打って修復が追いつかないので、あえて舗装しないのだそうだ。そのため、車は例外なく、車体の下部は灰色、上部はオリジナル色のツートンカラーになっている。

    ホテルの前のメインストリート。右側の建物がフロント、レストラン、ギフトショップが入っており、左側は客室である。
    街の規模が小さいこともあるが、それ以上に田舎臭さを感じさせるのは、道路が舗装されていないのである。冬はー35〜40℃、真夏は+30度以上になる極端な温度差でアスファルトがたちまち波打って修復が追いつかないので、あえて舗装しないのだそうだ。そのため、車は例外なく、車体の下部は灰色、上部はオリジナル色のツートンカラーになっている。

  • 客室の建物の真ん中の屋根付き中庭。なぜか風呂がある。もちろん、水着がないと入れないが・・・<br />

    客室の建物の真ん中の屋根付き中庭。なぜか風呂がある。もちろん、水着がないと入れないが・・・

  • 部屋の様子。豪華な設備ではないが、ストイックな撮影旅行の一人部屋としては、これで十分。<br />ちゃんとお湯が出るか、心配だったが問題なし。シャワーだけでなくバスタブまでついている。ただし、木造なので2階の部屋で人が歩くとギシギシと床がきしみ、神経質な人にとっては気になるところかもしれない。

    部屋の様子。豪華な設備ではないが、ストイックな撮影旅行の一人部屋としては、これで十分。
    ちゃんとお湯が出るか、心配だったが問題なし。シャワーだけでなくバスタブまでついている。ただし、木造なので2階の部屋で人が歩くとギシギシと床がきしみ、神経質な人にとっては気になるところかもしれない。

  • 街はホワイトホースと同様、京都の如く東西、南北に碁盤目状に道路が走り、交差点には通りの名前の看板がある。しかもとても小さい街なのでどんな方向音痴でも迷いようがない。<br />南北に細長い街だが、それでも端から端まで歩いて20分くらいである。東西にいたっては5分。

    街はホワイトホースと同様、京都の如く東西、南北に碁盤目状に道路が走り、交差点には通りの名前の看板がある。しかもとても小さい街なのでどんな方向音痴でも迷いようがない。
    南北に細長い街だが、それでも端から端まで歩いて20分くらいである。東西にいたっては5分。

  • 歩道は、車道より一段高い木道になっている。雪解けの時期、舗装されていない車道は泥だらけになるからだろう。

    歩道は、車道より一段高い木道になっている。雪解けの時期、舗装されていない車道は泥だらけになるからだろう。

  • ホテルから歩いて1分でユーコン川の畔に出る。小さな街で、夜の明かりは少ないので、二日目、三日目のオーロラ撮影は、このユーコン川の畔だった。もっとも雲に邪魔されて、ここではオーロラを見ることはできなかったのだが・・・

    ホテルから歩いて1分でユーコン川の畔に出る。小さな街で、夜の明かりは少ないので、二日目、三日目のオーロラ撮影は、このユーコン川の畔だった。もっとも雲に邪魔されて、ここではオーロラを見ることはできなかったのだが・・・

  •  ユーコン川河畔の陸上にKENO号という外輪式蒸気船が保存・展示されている。オレンジ色の巨大な外輪が目をひく。<br /> 外輪船は、構造が簡単で喫水が浅いので河川の航行には適しているが、推力の効率がスクリュー船より悪いので、現代ではほとんどスクリュー式に変わっている。江戸末期に日本に来航したペリーの黒船も外輪船だった。<br /> ゴールドラッシュが終わってからもクロンダイク地方は、銀、鉛、亜鉛といった鉱物資源を産出していた。それらを運搬するために、1922年にホワイトホースで建造され、クロンダイクハイウェイが開通した1951年まで現役だった。<br />かつては、ユーコン川がカナダ西部極北地域の大動脈だったのである。

     ユーコン川河畔の陸上にKENO号という外輪式蒸気船が保存・展示されている。オレンジ色の巨大な外輪が目をひく。
     外輪船は、構造が簡単で喫水が浅いので河川の航行には適しているが、推力の効率がスクリュー船より悪いので、現代ではほとんどスクリュー式に変わっている。江戸末期に日本に来航したペリーの黒船も外輪船だった。
     ゴールドラッシュが終わってからもクロンダイク地方は、銀、鉛、亜鉛といった鉱物資源を産出していた。それらを運搬するために、1922年にホワイトホースで建造され、クロンダイクハイウェイが開通した1951年まで現役だった。
    かつては、ユーコン川がカナダ西部極北地域の大動脈だったのである。

  • KENO号を前から見たところ。

    KENO号を前から見たところ。

  • ゴールドラッシュ時代の金の産出、ツンドラから掘り出したマンモスの牙があったので、金細工や象牙細工のアクセサリーなどを売るみやげ店がある。毎週土曜日に、この公園(KENO Historic Site)内の、この小屋でそれらの細工品の市が立つらしい。

    ゴールドラッシュ時代の金の産出、ツンドラから掘り出したマンモスの牙があったので、金細工や象牙細工のアクセサリーなどを売るみやげ店がある。毎週土曜日に、この公園(KENO Historic Site)内の、この小屋でそれらの細工品の市が立つらしい。

  • この公園を挟んでユーコン川と反対側の通りがFront Streetというドーソンの目抜き通り。この通りはクロンダイクハイウェイに繋がっている。

    イチオシ

    この公園を挟んでユーコン川と反対側の通りがFront Streetというドーソンの目抜き通り。この通りはクロンダイクハイウェイに繋がっている。

  • まるで西部劇のセットのような街並み。腰に拳銃を下げたカーボーイハットの男たちが闊歩し、決闘などしていても違和感がないような風景だ。

    イチオシ

    まるで西部劇のセットのような街並み。腰に拳銃を下げたカーボーイハットの男たちが闊歩し、決闘などしていても違和感がないような風景だ。

  • カナダでは、すべての車は昼間でもヘッドライトを点けることが義務付けられているという。エンジンを始動させると自動的にライトが点く仕様になっている。

    カナダでは、すべての車は昼間でもヘッドライトを点けることが義務付けられているという。エンジンを始動させると自動的にライトが点く仕様になっている。

  • ドーソンでただ一つのスーパーマーケット。ちょっと中を覗いてみたが、土産になるようなものは見つけられなかった。<br />寝る前にビールでも飲みたいと思い、買おうとしたが売っていない。カナダは酒類に対して非常に規制が厳しく、認可された酒店でしか購入できない。スーパーで販売することは禁止されているという。飲むのも、自宅、レストラン、バーに限られている。天気が良いので、公園の芝生でピクニック気分でいっぱいということはご法度なのである。

    ドーソンでただ一つのスーパーマーケット。ちょっと中を覗いてみたが、土産になるようなものは見つけられなかった。
    寝る前にビールでも飲みたいと思い、買おうとしたが売っていない。カナダは酒類に対して非常に規制が厳しく、認可された酒店でしか購入できない。スーパーで販売することは禁止されているという。飲むのも、自宅、レストラン、バーに限られている。天気が良いので、公園の芝生でピクニック気分でいっぱいということはご法度なのである。

  • 北米の他の都市とは違い、黒人を全く見かけない。どうも、黒人は白人より寒さに弱いからではないかというのが、同行のプロカメラマン谷角氏の説である。

    北米の他の都市とは違い、黒人を全く見かけない。どうも、黒人は白人より寒さに弱いからではないかというのが、同行のプロカメラマン谷角氏の説である。

  • クロンダイクの金は、地中の金鉱脈ではなく、川の中の砂金として産出する。金を求めてやってきた山師たちは、こんな道具を使って川底を浚い、砂金を探す作業を地道に繰り返していたのである。<br />今でも、わずかだが金は採れているそうだ。当然、こんな手作業ではなく、大掛かりな浚渫機械を使っているのだろう。街の郊外では、昔ながらの金属の皿を使って砂金を探すGold Panningの観光アトラクションが行われているそうだ。

    クロンダイクの金は、地中の金鉱脈ではなく、川の中の砂金として産出する。金を求めてやってきた山師たちは、こんな道具を使って川底を浚い、砂金を探す作業を地道に繰り返していたのである。
    今でも、わずかだが金は採れているそうだ。当然、こんな手作業ではなく、大掛かりな浚渫機械を使っているのだろう。街の郊外では、昔ながらの金属の皿を使って砂金を探すGold Panningの観光アトラクションが行われているそうだ。

  • すでに夏の観光シーズンは終わりかけていて旅行者は少なく、通りは閑散としている。めずらしくバックパッカーらしき旅行者を見かけた。<br />こんな中途半端な時期にドーソンを訪れるのは、オーロラを見にくる日本人ぐらいらしい。今では世界中のどこでも見かける中国人観光客は全く見かけなかった。

    すでに夏の観光シーズンは終わりかけていて旅行者は少なく、通りは閑散としている。めずらしくバックパッカーらしき旅行者を見かけた。
    こんな中途半端な時期にドーソンを訪れるのは、オーロラを見にくる日本人ぐらいらしい。今では世界中のどこでも見かける中国人観光客は全く見かけなかった。

  • ユーコン川の上流から一隻の船がやってきた。何と、動いている現役の外輪船である。

    ユーコン川の上流から一隻の船がやってきた。何と、動いている現役の外輪船である。

  • しばらく、船の行き先を目で追っていると、どうやら街の北のはずれにある桟橋に停泊するらしいので、そこまで見に行ってみた。<br />観光船クルーズらしい。団体らしい観光客の一団が降りてきた。外輪船で、ゴールドラッシュ時代のノスタルジックな雰囲気を味わってもらおうということなのだろう。

    しばらく、船の行き先を目で追っていると、どうやら街の北のはずれにある桟橋に停泊するらしいので、そこまで見に行ってみた。
    観光船クルーズらしい。団体らしい観光客の一団が降りてきた。外輪船で、ゴールドラッシュ時代のノスタルジックな雰囲気を味わってもらおうということなのだろう。

  • 降りてきた乗客たちが、さっそく記念写真を撮っている。どこの観光地でも見かける情景だ。<br />乗客の一人に話しかけてみた。テキサス州からきた団体旅行で、2時間のディナークルーズだったそうだ。船内では、先住民に伝わる昔の冒険譚を聞いたり、船上からドーソンの歴史的な建物やすばらしい景観を楽しんだりと、快適だったよと言っていた。<br />

    降りてきた乗客たちが、さっそく記念写真を撮っている。どこの観光地でも見かける情景だ。
    乗客の一人に話しかけてみた。テキサス州からきた団体旅行で、2時間のディナークルーズだったそうだ。船内では、先住民に伝わる昔の冒険譚を聞いたり、船上からドーソンの歴史的な建物やすばらしい景観を楽しんだりと、快適だったよと言っていた。

  • さらに北の下流には別の船が停泊している。船着場に車が数台並んでいる。どうやら、両岸を結ぶフェリーのようだ。

    さらに北の下流には別の船が停泊している。船着場に車が数台並んでいる。どうやら、両岸を結ぶフェリーのようだ。

  • ビジターセンターがあったので、立ち寄って市内の観光マップをもらった。オススメの観光ポイントはどこかと尋ねると、街の建物すべてが観光ポイントだが、さきほど見てきたKINO号がある歴史公園と、ドーソンシティ博物館に行ってみると良いとアドバイスをもらった。<br />地図を頼りに、市内見物を続ける。

    ビジターセンターがあったので、立ち寄って市内の観光マップをもらった。オススメの観光ポイントはどこかと尋ねると、街の建物すべてが観光ポイントだが、さきほど見てきたKINO号がある歴史公園と、ドーソンシティ博物館に行ってみると良いとアドバイスをもらった。
    地図を頼りに、市内見物を続ける。

  • ゴールドラッシュの頃の劇場が保存されている。

    ゴールドラッシュの頃の劇場が保存されている。

  • 壁に壁画が描かれた建物。なんらかの由緒がありそうな建物だが、空き家になっていて、売りに出されていた。

    壁に壁画が描かれた建物。なんらかの由緒がありそうな建物だが、空き家になっていて、売りに出されていた。

  • Klondike Kate&#39;sという簡易宿泊所兼レストラン。<br />ドーソン滞在3日目の夕食は、ここだった。

    Klondike Kate'sという簡易宿泊所兼レストラン。
    ドーソン滞在3日目の夕食は、ここだった。

  • そのときのメニュー。他にサラダとスープがあったが、撮り忘れた。<br />どうも料理を前にすると、旅行記ネタとして撮影することを忘れ、食べてしまってから後で気がつくという過ちを繰り返している。<br />メインディッシュはポークの甘辛煮。この甘みは、ユーコン土産として買い求めたBirch Syrup (http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40416684)を使っているらしい。ちょっぴり苦味がある甘さで、美味であった。しいて言えば、沖縄の黒糖に近い甘味だ。

    そのときのメニュー。他にサラダとスープがあったが、撮り忘れた。
    どうも料理を前にすると、旅行記ネタとして撮影することを忘れ、食べてしまってから後で気がつくという過ちを繰り返している。
    メインディッシュはポークの甘辛煮。この甘みは、ユーコン土産として買い求めたBirch Syrup (http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=40416684)を使っているらしい。ちょっぴり苦味がある甘さで、美味であった。しいて言えば、沖縄の黒糖に近い甘味だ。

  • ゴールドラッシュ時代のままではないかと思える古い小屋。何の説明板もなく、どういう由来かはわからない。

    ゴールドラッシュ時代のままではないかと思える古い小屋。何の説明板もなく、どういう由来かはわからない。

  • 1898年創立のユーコン準州最大の製材会社。住居だけでなく、鉱業施設の建設資材の供給など、ドーソンシティの町建設に大きな役割を果たしたという。

    1898年創立のユーコン準州最大の製材会社。住居だけでなく、鉱業施設の建設資材の供給など、ドーソンシティの町建設に大きな役割を果たしたという。

  • 町の北の外れの山の斜面に巨大な地すべりの後がある。Moose hide Slideという。<br />ゴールドラッシュで白人たちが入植する前に、ここに居住していたハン族という先住民の言い伝えによると、南から侵入してきた別の部族との戦いになり、この山の上に陣取ったハン族が、麓に陣地を構えていた南方部族を攻撃するために、山の木を切り倒して、敵陣地に落として殲滅できた。しかし、それがきっかけで、この巨大な地すべりが引き起こされたという。<br />実際には、1700年以上前に起きた断層のズレによるものだという。<br />ホワイトホースからユーコン川を下って、ドーソンに入植した人達にとっては、この巨大な地すべりの跡が、彼らの旅の終わりを告げるランドマークになっていたのである。

    町の北の外れの山の斜面に巨大な地すべりの後がある。Moose hide Slideという。
    ゴールドラッシュで白人たちが入植する前に、ここに居住していたハン族という先住民の言い伝えによると、南から侵入してきた別の部族との戦いになり、この山の上に陣取ったハン族が、麓に陣地を構えていた南方部族を攻撃するために、山の木を切り倒して、敵陣地に落として殲滅できた。しかし、それがきっかけで、この巨大な地すべりが引き起こされたという。
    実際には、1700年以上前に起きた断層のズレによるものだという。
    ホワイトホースからユーコン川を下って、ドーソンに入植した人達にとっては、この巨大な地すべりの跡が、彼らの旅の終わりを告げるランドマークになっていたのである。

  • 町の南の方に行ってみる。<br />道路は舗装されていないので、ちょっと風が吹くと土埃が舞い上がる。

    町の南の方に行ってみる。
    道路は舗装されていないので、ちょっと風が吹くと土埃が舞い上がる。

  • 金塊とマンモスの牙の象牙細工を売るみやげ物店。客は一人も店内にいないし、買うつもりは全くないので、ひやかしで入るのも気が引けて、素通りする。

    金塊とマンモスの牙の象牙細工を売るみやげ物店。客は一人も店内にいないし、買うつもりは全くないので、ひやかしで入るのも気が引けて、素通りする。

  • 西部劇のセットのような街並み。<br />ドーソンシティはゴールドラッシュに沸いた19世紀末には人口4万人の当時としては大都市だったが、現在はシティとは名ばかりの2000人弱の小さな町である。今でも産出するわずかばかりの金の採集、銀、鉛、亜鉛といった鉱業、それと観光が主な産業になっている。しかし、一番多いのは公務員で人口の8割だという。国家財政破綻の危機に瀕し、世界を経済的混乱に陥れるのではないかと戦々恐々とさせているEUの某国よりはるかに公務員の割合が多い! しかし、広大な無人の荒野が大部分のユーコン準州という行政区を維持するためには、これだけの人員が必要ということなのであろう。州の財政が破綻することもあるまい。<br /><br />ここまでが、29日、トゥームストーン準州立公園にロケハンに出掛ける前の自由時間に町をぶらついたとき撮影したスナップ写真。

    西部劇のセットのような街並み。
    ドーソンシティはゴールドラッシュに沸いた19世紀末には人口4万人の当時としては大都市だったが、現在はシティとは名ばかりの2000人弱の小さな町である。今でも産出するわずかばかりの金の採集、銀、鉛、亜鉛といった鉱業、それと観光が主な産業になっている。しかし、一番多いのは公務員で人口の8割だという。国家財政破綻の危機に瀕し、世界を経済的混乱に陥れるのではないかと戦々恐々とさせているEUの某国よりはるかに公務員の割合が多い! しかし、広大な無人の荒野が大部分のユーコン準州という行政区を維持するためには、これだけの人員が必要ということなのであろう。州の財政が破綻することもあるまい。

    ここまでが、29日、トゥームストーン準州立公園にロケハンに出掛ける前の自由時間に町をぶらついたとき撮影したスナップ写真。

  • 以下は、30日早朝のツンドラ紅葉撮影から戻ってからの日中、町をぶらついたときの写真。<br />紅葉撮影のときは、曇ってしまいトゥームストーン準州立公園の朝焼け、モルゲンロートは撮影できずに戻ったのに、ホテルに戻ってからは今回のツアーで一番の快晴となった。夜中にこういう天気になってくれればよいのに・・・<br /><br />この建物は、Diamond Tooth Gertiesという、ゴールドラッシュ時代からつづくカジノ。ドレスコードもない田舎のカジノだが、ステージでは夜毎フレンチカンカン踊りが上演されるという。現役時代、出張でラスベガスに行ったとき、ブラックジャックで大負けして以来カジノアレルギーになっているのでギャンブルをやる気にはなれない。カンカン踊りは見てもいいかなとも思ったが、ツアー仲間で誰も行こうという人はいないし、どうせ写真も撮れないだろうから断念した。<br />なお、カジノの名前は、昔、前歯の間にダイヤモンドを挟んだGertyという踊り子にちなんだものらしい。<br />

    以下は、30日早朝のツンドラ紅葉撮影から戻ってからの日中、町をぶらついたときの写真。
    紅葉撮影のときは、曇ってしまいトゥームストーン準州立公園の朝焼け、モルゲンロートは撮影できずに戻ったのに、ホテルに戻ってからは今回のツアーで一番の快晴となった。夜中にこういう天気になってくれればよいのに・・・

    この建物は、Diamond Tooth Gertiesという、ゴールドラッシュ時代からつづくカジノ。ドレスコードもない田舎のカジノだが、ステージでは夜毎フレンチカンカン踊りが上演されるという。現役時代、出張でラスベガスに行ったとき、ブラックジャックで大負けして以来カジノアレルギーになっているのでギャンブルをやる気にはなれない。カンカン踊りは見てもいいかなとも思ったが、ツアー仲間で誰も行こうという人はいないし、どうせ写真も撮れないだろうから断念した。
    なお、カジノの名前は、昔、前歯の間にダイヤモンドを挟んだGertyという踊り子にちなんだものらしい。

  • ドーソンシティミュージアムに行く前に、その裏手に Jack London Centreというミュージアムがある。こちらの方が興味があったので、まずそちらへ。<br /><br />なぜ、この町外れの小さな博物館に興味を抱いたかというと・・・<br /><br />Jack Londonは19世紀末のサンフランシスコ生まれの作家兼ジャーナリストで、代表作に「野生の呼び声(The Call of the Wild)」という作品がある。その小説の舞台が、ゴールドラッシュに沸くホワイトホースからドーソンに至るユーコンの冬の大地であり、今回のツアーの旅情を深みのあるものにしたいと思い、光文社文庫「野生の呼び声」(深町眞理子訳)を持参しバンクーバーへの機中で読んでいたのである。<br /><br /><Jack Londonのこと><br /> 1878年生まれ。貧しい家庭に生まれ、家計を助けるため15歳のときから様々な仕事についた。サンフランシスコ湾の牡蠣養殖場荒らしという犯罪まがいの悪事や逆にその取締官、アザラシ漁の漁船乗組員、石炭運搬等々。アザラシ漁では1893年(明治26年)小笠原経由で横浜にも上陸している。4年後、クロンダイクゴールドラッシュでは一攫千金を夢見てドーソンで砂金採りを始めるが壊血病を患い、1年足らずでサンフランシスコに戻る。だが、このときに体験したクロンダイクの過酷な環境が、のちの代表作「野生の呼び声」の下地になっている。<br />高校中退後、独学で勉強しカリフォルニア大学に入学しているが、学費が払えず一学期で退学。しかし、読書家で特にダーウィン、ニーチェ、マルクスの思想に影響を受けている。その後、作家、ジャーナリストの道を歩み始めるが、そのジャンルは社会主義的作品、ホラー小説、SF小説、ボクシング小説、ルポルタージュ、私小説、児童文学と、食べるためにやった仕事と同じく、雑多とも言える多岐にわたっていて出来栄えも玉石混交らしい。体系だった教育を受けておらず、生活、借金返済のための仕事を続けながらの執筆活動ゆえ、じっくりと自分の思想を醸成する暇もなかったのでやむを得なかったのかもしれない。ロンドンの下町の貧しい人々の生活を描いたルポ「底辺の人々」などから社会主義者とレッテルを貼られ、出版社などから冷遇されたこともあるようだ。<br /> しかし、ドーソンでの滞在の体験を元に描いた、犬を主人公にした物語「野生の呼び声」がベストセラーになり、一躍流行作家として名声を博していく。<br />

    ドーソンシティミュージアムに行く前に、その裏手に Jack London Centreというミュージアムがある。こちらの方が興味があったので、まずそちらへ。

    なぜ、この町外れの小さな博物館に興味を抱いたかというと・・・

    Jack Londonは19世紀末のサンフランシスコ生まれの作家兼ジャーナリストで、代表作に「野生の呼び声(The Call of the Wild)」という作品がある。その小説の舞台が、ゴールドラッシュに沸くホワイトホースからドーソンに至るユーコンの冬の大地であり、今回のツアーの旅情を深みのあるものにしたいと思い、光文社文庫「野生の呼び声」(深町眞理子訳)を持参しバンクーバーへの機中で読んでいたのである。

    <Jack Londonのこと>
     1878年生まれ。貧しい家庭に生まれ、家計を助けるため15歳のときから様々な仕事についた。サンフランシスコ湾の牡蠣養殖場荒らしという犯罪まがいの悪事や逆にその取締官、アザラシ漁の漁船乗組員、石炭運搬等々。アザラシ漁では1893年(明治26年)小笠原経由で横浜にも上陸している。4年後、クロンダイクゴールドラッシュでは一攫千金を夢見てドーソンで砂金採りを始めるが壊血病を患い、1年足らずでサンフランシスコに戻る。だが、このときに体験したクロンダイクの過酷な環境が、のちの代表作「野生の呼び声」の下地になっている。
    高校中退後、独学で勉強しカリフォルニア大学に入学しているが、学費が払えず一学期で退学。しかし、読書家で特にダーウィン、ニーチェ、マルクスの思想に影響を受けている。その後、作家、ジャーナリストの道を歩み始めるが、そのジャンルは社会主義的作品、ホラー小説、SF小説、ボクシング小説、ルポルタージュ、私小説、児童文学と、食べるためにやった仕事と同じく、雑多とも言える多岐にわたっていて出来栄えも玉石混交らしい。体系だった教育を受けておらず、生活、借金返済のための仕事を続けながらの執筆活動ゆえ、じっくりと自分の思想を醸成する暇もなかったのでやむを得なかったのかもしれない。ロンドンの下町の貧しい人々の生活を描いたルポ「底辺の人々」などから社会主義者とレッテルを貼られ、出版社などから冷遇されたこともあるようだ。
     しかし、ドーソンでの滞在の体験を元に描いた、犬を主人公にした物語「野生の呼び声」がベストセラーになり、一躍流行作家として名声を博していく。

  • 普通の民家くらいの小さな博物館。10時からオープンと入口に書いてあるのだが、20分経っても一向に開く様子がなく、中に人の気配もない。休館日ではないのにおかしい・・・?? 結局あきらめてドーソンシティミュージアムへ。<br /><br /><野生の呼び声読後感 ?&gt;<br /> まずは、あらすじ。カリフォルニアの裕福な判事の家の飼い犬として何不自由なく生活していた雑種犬「バック」。彼は金欲しさに駆られた使用人によって、犬販売業者に売られてしまう。ゴールドラッシュに沸くクロンダイクでは、ホワイトホースからドーソンへの物資・人の輸送は冬季、犬ぞりだけであり、そりを引く犬の売買がビジネスとして成立していたのである。<br /> 温暖なカリフォルニアで穏やかな飼い主の下で暮らしていたバックにとって、棍棒とムチによる苛烈な調教、氷点下50度にもなる厳しい自然環境、仲間の犬たちとの軋轢、葛藤で辛酸をなめるのだが、生来恵まれた体格と明晰な頭脳で、極寒の自然の中で生きる術を学び、短期間でそりを引く犬たちのリーダーになっていく。犬ぞりによる物資運搬は、人間にとっても犬にとっても危険で困難な仕事であった。バックは転々と売買され、主人を変えていくのだが、3回目の主人となった人物ハルと2人の仲間は最悪であった。ユーコンの厳しい自然や犬ぞりの扱いに無知な彼らは無謀なそり操作で犬たちを生死の境にまで追い込んでいく。ハルたちの無能を見抜いたバックは、ついに棍棒でたたかれても、そり曳きを拒絶し、危うく殺されそうになる。バックを買い取り救ったのが、偶然出会った砂金採りのソーントンという人物。ソーントンは、バックの非凡な能力を見抜き、愛情深くバックに接した。棍棒とムチによる盲目的服従を要求する今までの主人たちの下にいたバックは、初めて人間と犬の真の信頼関係と愛情に目覚め、ソーントンへの忠誠心を高めていく。いつしか、厳しい自然の中で生きるうちに太古の祖先の野生の血に目覚めたバックは、ソーントンたちが砂金採りをしている間、森に入り狼の一団と出会う。最初は険悪な関係だったが、いつしか狼たちとの友情が芽生え、一緒に森の中を走り、狩りをするようになった。しかし、ソーントンへの愛情を忘れていないバックは、かならずキャンプに戻っていた。<br /> ある時、狼たちと過ごしてからキャンプに戻ると、仲間の犬やソーントンの相棒たちが先住民に襲撃され殺されていた。バックはその場にいた先住民全員を噛み殺したが、愛する主人、ソーントンの姿が見えない。彼も殺されてしまったことを悟ったバックは狼の群れに戻っていく。<br />いつしか、狼の群れのリーダーになったバックは、先住民から幽霊犬として恐れられ、ソーントンたちが殺された谷には決して近づかないようになった。毎年、凄惨な事件があった頃になると、バックは一人(いや一匹)で、この場を訪れ、愛する最後の主人を弔うように、長い長い悲しげな遠吠えをあげてから森に帰っていくのであった。<br />

    普通の民家くらいの小さな博物館。10時からオープンと入口に書いてあるのだが、20分経っても一向に開く様子がなく、中に人の気配もない。休館日ではないのにおかしい・・・?? 結局あきらめてドーソンシティミュージアムへ。

    <野生の呼び声読後感 ?>
     まずは、あらすじ。カリフォルニアの裕福な判事の家の飼い犬として何不自由なく生活していた雑種犬「バック」。彼は金欲しさに駆られた使用人によって、犬販売業者に売られてしまう。ゴールドラッシュに沸くクロンダイクでは、ホワイトホースからドーソンへの物資・人の輸送は冬季、犬ぞりだけであり、そりを引く犬の売買がビジネスとして成立していたのである。
     温暖なカリフォルニアで穏やかな飼い主の下で暮らしていたバックにとって、棍棒とムチによる苛烈な調教、氷点下50度にもなる厳しい自然環境、仲間の犬たちとの軋轢、葛藤で辛酸をなめるのだが、生来恵まれた体格と明晰な頭脳で、極寒の自然の中で生きる術を学び、短期間でそりを引く犬たちのリーダーになっていく。犬ぞりによる物資運搬は、人間にとっても犬にとっても危険で困難な仕事であった。バックは転々と売買され、主人を変えていくのだが、3回目の主人となった人物ハルと2人の仲間は最悪であった。ユーコンの厳しい自然や犬ぞりの扱いに無知な彼らは無謀なそり操作で犬たちを生死の境にまで追い込んでいく。ハルたちの無能を見抜いたバックは、ついに棍棒でたたかれても、そり曳きを拒絶し、危うく殺されそうになる。バックを買い取り救ったのが、偶然出会った砂金採りのソーントンという人物。ソーントンは、バックの非凡な能力を見抜き、愛情深くバックに接した。棍棒とムチによる盲目的服従を要求する今までの主人たちの下にいたバックは、初めて人間と犬の真の信頼関係と愛情に目覚め、ソーントンへの忠誠心を高めていく。いつしか、厳しい自然の中で生きるうちに太古の祖先の野生の血に目覚めたバックは、ソーントンたちが砂金採りをしている間、森に入り狼の一団と出会う。最初は険悪な関係だったが、いつしか狼たちとの友情が芽生え、一緒に森の中を走り、狩りをするようになった。しかし、ソーントンへの愛情を忘れていないバックは、かならずキャンプに戻っていた。
     ある時、狼たちと過ごしてからキャンプに戻ると、仲間の犬やソーントンの相棒たちが先住民に襲撃され殺されていた。バックはその場にいた先住民全員を噛み殺したが、愛する主人、ソーントンの姿が見えない。彼も殺されてしまったことを悟ったバックは狼の群れに戻っていく。
    いつしか、狼の群れのリーダーになったバックは、先住民から幽霊犬として恐れられ、ソーントンたちが殺された谷には決して近づかないようになった。毎年、凄惨な事件があった頃になると、バックは一人(いや一匹)で、この場を訪れ、愛する最後の主人を弔うように、長い長い悲しげな遠吠えをあげてから森に帰っていくのであった。

  • Museumの敷地内に、 Jack Londonが1年弱、砂金採りで訪れたとき住んでいた粗末な小屋が展示されている。ドーソン郊外のNorth Fork of Henderson Creekという所にあったのだが、ここに移築したそうだ。<br /><br /><野生の呼び声読後感 ?&gt;<br /> 玄白が小学校3,4年生の頃だったと思うが、シートン動物記がお気に入りで図書室で読みふけっていたことがあった。特に「狼王ロボ」が印象深かった。何がきっかけだったか忘れてしまったが、類似の物語として「野生の呼び声」を探し当て、読んだことがある。それは児童文学としてRewriteされたもので、バックは主人に忠実な名犬だったが、なにかのきっかけで野生に目覚め、狼の群れに入り、有能なリーダーとして群れを率いていくという単純なストーリーだったと思う。挿絵のオーロラの下で遠吠えをするバックの雄雄しい勇姿や極北の雪原でそりを引くバックの精悍な姿、本の題名だけがはっきりと記憶に残っていた。<br /> 今回のツアーで、まだ見ぬユーコンの大地に想いをめぐらせる中に、この物語を思い出し、大人向けの文学としての小説を読んでみた次第である。<br /> 読み終わっての最初の印象は、当然ではあるが、原作は児童文学とは全く違う描き方であるということ。単純に犬を擬人化するのではなく、あくまで犬として距離を置いてその心理を描写し、弱肉強食の過酷な自然の掟も冷徹に描かれている。人間的道徳観を持ち込むことで人と犬との感動的な物語に仕立てるというファンタジー的要素は全くない。<br /> そもそも、自然界では弱肉強食は抗うことができない野生の摂理であり、それをあるがままに受け入れた描き方は、Jack Londonが影響を受けたダーウィンの自然淘汰、ニーチェの超人思想を反映しているのではないかとも読み取れる。<br /> ユーコンの厳しい自然やそり、犬の扱いに無知で、都会的な快適生活を持ち運ぶことに執着して過大な荷物を無理やり犬ぞりで運ぼうとし、氷が溶け始めたユーコン川で水没し自滅したハルたちを登場させたのは、「自然の掟に抗い、自分たちの欲望を優先させる身勝手な悪しき資本主義文明」に対する Londonの批判であり、工業化が進展し格差など社会の歪みが際立ってきた当時のアメリカ社会に対する告発だとも言える。<br /> 単なる動物物語ではなく、深い人間洞察、文明批評が背後にある名作である。この小説に彩りを添える舞台は、これから訪れる極北の大地ユーコンでなくてはならないという感想を抱いて本を閉じたのであった。<br /><br />

    Museumの敷地内に、 Jack Londonが1年弱、砂金採りで訪れたとき住んでいた粗末な小屋が展示されている。ドーソン郊外のNorth Fork of Henderson Creekという所にあったのだが、ここに移築したそうだ。

    <野生の呼び声読後感 ?>
     玄白が小学校3,4年生の頃だったと思うが、シートン動物記がお気に入りで図書室で読みふけっていたことがあった。特に「狼王ロボ」が印象深かった。何がきっかけだったか忘れてしまったが、類似の物語として「野生の呼び声」を探し当て、読んだことがある。それは児童文学としてRewriteされたもので、バックは主人に忠実な名犬だったが、なにかのきっかけで野生に目覚め、狼の群れに入り、有能なリーダーとして群れを率いていくという単純なストーリーだったと思う。挿絵のオーロラの下で遠吠えをするバックの雄雄しい勇姿や極北の雪原でそりを引くバックの精悍な姿、本の題名だけがはっきりと記憶に残っていた。
     今回のツアーで、まだ見ぬユーコンの大地に想いをめぐらせる中に、この物語を思い出し、大人向けの文学としての小説を読んでみた次第である。
     読み終わっての最初の印象は、当然ではあるが、原作は児童文学とは全く違う描き方であるということ。単純に犬を擬人化するのではなく、あくまで犬として距離を置いてその心理を描写し、弱肉強食の過酷な自然の掟も冷徹に描かれている。人間的道徳観を持ち込むことで人と犬との感動的な物語に仕立てるというファンタジー的要素は全くない。
     そもそも、自然界では弱肉強食は抗うことができない野生の摂理であり、それをあるがままに受け入れた描き方は、Jack Londonが影響を受けたダーウィンの自然淘汰、ニーチェの超人思想を反映しているのではないかとも読み取れる。
     ユーコンの厳しい自然やそり、犬の扱いに無知で、都会的な快適生活を持ち運ぶことに執着して過大な荷物を無理やり犬ぞりで運ぼうとし、氷が溶け始めたユーコン川で水没し自滅したハルたちを登場させたのは、「自然の掟に抗い、自分たちの欲望を優先させる身勝手な悪しき資本主義文明」に対する Londonの批判であり、工業化が進展し格差など社会の歪みが際立ってきた当時のアメリカ社会に対する告発だとも言える。
     単なる動物物語ではなく、深い人間洞察、文明批評が背後にある名作である。この小説に彩りを添える舞台は、これから訪れる極北の大地ユーコンでなくてはならないという感想を抱いて本を閉じたのであった。

  • Jack London Museumに入れなかったのは残念だったが、次にDawson City Museumに向かう。<br /><br /> 1896年、アメリカからのゴールドラッシュがクロンダイクに波及してきたとき、カナダ政府はこの地の権益をアメリカの関与から守るために、カナダ北西部のNorth West Territoryから独立分離して Yukon Territoryとして行政機能を強化した。この建物は準州行政機関が入居する Federal Buidingとして建てられたのである。しかし、ゴールドラッシュが終わり人口が減って、Whitehorse に準州首都機能が移転してからは、空きスペースに裁判所、郵便局、電信電話公社が集められた。<br /> 1962年からは博物館として利用されており、2002年にカナダ国立歴史地区に指定されている。<br />

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    Jack London Museumに入れなかったのは残念だったが、次にDawson City Museumに向かう。

     1896年、アメリカからのゴールドラッシュがクロンダイクに波及してきたとき、カナダ政府はこの地の権益をアメリカの関与から守るために、カナダ北西部のNorth West Territoryから独立分離して Yukon Territoryとして行政機能を強化した。この建物は準州行政機関が入居する Federal Buidingとして建てられたのである。しかし、ゴールドラッシュが終わり人口が減って、Whitehorse に準州首都機能が移転してからは、空きスペースに裁判所、郵便局、電信電話公社が集められた。
     1962年からは博物館として利用されており、2002年にカナダ国立歴史地区に指定されている。

  • 10時半に入場。<br />通常、入場料$9だが、この日は、館内の一部が工事中ですべて見られないというので、フリーで入れた。<br /><br />ゴールドラッシュの頃の市民の生活ぶりを等身大の人形を置いて示す展示がされている。<br />ドーソン商業銀行。当時、紙幣の表面にDawsonまたはYukonというスタンプを押して事故、盗難による紛失の際に区別がつくような処理をしていたという

    10時半に入場。
    通常、入場料$9だが、この日は、館内の一部が工事中ですべて見られないというので、フリーで入れた。

    ゴールドラッシュの頃の市民の生活ぶりを等身大の人形を置いて示す展示がされている。
    ドーソン商業銀行。当時、紙幣の表面にDawsonまたはYukonというスタンプを押して事故、盗難による紛失の際に区別がつくような処理をしていたという

  • 1900年頃までには、キャンプしながら金の採掘をしていた無法者の山師たちは出て行き、安定した家族持ちの人達の快適な生活をするための住居が作られるようになった。徐々に生活は豊かになり、部屋は広々として贅沢な作りになり、当時のビクトリア王朝風の家具や衣装が取り入れられてきた。

    1900年頃までには、キャンプしながら金の採掘をしていた無法者の山師たちは出て行き、安定した家族持ちの人達の快適な生活をするための住居が作られるようになった。徐々に生活は豊かになり、部屋は広々として贅沢な作りになり、当時のビクトリア王朝風の家具や衣装が取り入れられてきた。

  • 高級品を売る店も出来てきた。<br />20世紀初頭のドーソン市民の生活水準は、カナダトップクラスで、ドーソンシティは北のパリと呼ばれていたそうだ。

    高級品を売る店も出来てきた。
    20世紀初頭のドーソン市民の生活水準は、カナダトップクラスで、ドーソンシティは北のパリと呼ばれていたそうだ。

  • ゴールドラッシュ初期のころの金採掘の様子を示すパネル。<br />クロンダイクの金は砂金でなので、純度が高く、簡単な道具で金だけをより分けられる。<br />1898年の冬は記録的な厳冬で、テントや粗末で暗い小屋暮らしの人たちは病気や欝が普通だった。それでも、彼らはあきらめることなく金の採集を続け、金の生産量がピークとなった1903年には年間$1200万に達した。<br />・・・というような解説が書かれている。

    ゴールドラッシュ初期のころの金採掘の様子を示すパネル。
    クロンダイクの金は砂金でなので、純度が高く、簡単な道具で金だけをより分けられる。
    1898年の冬は記録的な厳冬で、テントや粗末で暗い小屋暮らしの人たちは病気や欝が普通だった。それでも、彼らはあきらめることなく金の採集を続け、金の生産量がピークとなった1903年には年間$1200万に達した。
    ・・・というような解説が書かれている。

  • 砂金の採集に使われた道具の展示

    砂金の採集に使われた道具の展示

  • 先住民アサパスカン人の生活を示す展示。アサパスカン人というのは、アラスカからカリフォルニアまでの北米大陸西岸に分布していて、西部劇に登場するアパッチ族やナバホ族もアサパスカン人の一部族である。<br />ユーコンの先住民たちは、冬は移動するカリブー(トナカイ)を追う生活で、食料としてだけでなく、皮は防寒服、防寒靴の材料、骨は槍、罠、鏃などに利用していた。<br /><br />ゴールドラッシュに象徴される西部開拓は、白人たちによる先住民への土地収奪、文化的抑圧、時には生命さえ奪うという負の側面もあった。さらには伝染病や酒を持ち込んだことにより、先住民たちの生活は破壊され苦難の歴史を歩んできたのである。

    先住民アサパスカン人の生活を示す展示。アサパスカン人というのは、アラスカからカリフォルニアまでの北米大陸西岸に分布していて、西部劇に登場するアパッチ族やナバホ族もアサパスカン人の一部族である。
    ユーコンの先住民たちは、冬は移動するカリブー(トナカイ)を追う生活で、食料としてだけでなく、皮は防寒服、防寒靴の材料、骨は槍、罠、鏃などに利用していた。

    ゴールドラッシュに象徴される西部開拓は、白人たちによる先住民への土地収奪、文化的抑圧、時には生命さえ奪うという負の側面もあった。さらには伝染病や酒を持ち込んだことにより、先住民たちの生活は破壊され苦難の歴史を歩んできたのである。

  • 1902年建築のカナダ北西騎馬警官隊司令官の公舎。

    1902年建築のカナダ北西騎馬警官隊司令官の公舎。

  • 1901年創立のSt.Andrews 教会。外観は相当傷んでいて今は使われてはいなさそうだ。<br />歴史遺産として残されているのだろう。<br /><br /><あとがき><br />今回の旅行は、オーロラとツンドラ紅葉撮影のためだけのツアーだったが、何回も書いたように雨に祟られ、オーロラは5夜中1夜のみ、ツンドラ紅葉はピークを過ぎ期待したモルゲンロートは撮影できず、帰国直後は無念な気持ちでいっぱいだった。<br />しかし、旅行から一ヶ月足らずが経ち、最後の旅行記のために撮り溜めた写真の整理をしながら見返してみると、雲が多かったとは言え、レベル7クラスのオーロラは見えたし、雪を抱いた山裾に広がる黄色、赤の紅葉、針葉樹の緑と4色紅葉を目の当たりにして、写真では表現できない壮大なスケール感に圧倒され、クロンダイクハイウェイドライブでは、最高の撮影条件ではなかったが日本では見られない絶景に出会え、小説「野生の呼び声」に彩りを添える厳しくも雄大なユーコンの自然の一端に触れることが出来たことで、ツアー終了直後の満たされない想いは徐々に薄れてきた。今回のユーコン旅行は、そんなに悪くはなかったと思えるようになった今日この頃である。<br /><br />旅行記「オーロラとツンドラ紅葉を求めて極北の大地ユーコンを行く」完<br /><br />この愚作旅行記を最後までご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

    1901年創立のSt.Andrews 教会。外観は相当傷んでいて今は使われてはいなさそうだ。
    歴史遺産として残されているのだろう。

    <あとがき>
    今回の旅行は、オーロラとツンドラ紅葉撮影のためだけのツアーだったが、何回も書いたように雨に祟られ、オーロラは5夜中1夜のみ、ツンドラ紅葉はピークを過ぎ期待したモルゲンロートは撮影できず、帰国直後は無念な気持ちでいっぱいだった。
    しかし、旅行から一ヶ月足らずが経ち、最後の旅行記のために撮り溜めた写真の整理をしながら見返してみると、雲が多かったとは言え、レベル7クラスのオーロラは見えたし、雪を抱いた山裾に広がる黄色、赤の紅葉、針葉樹の緑と4色紅葉を目の当たりにして、写真では表現できない壮大なスケール感に圧倒され、クロンダイクハイウェイドライブでは、最高の撮影条件ではなかったが日本では見られない絶景に出会え、小説「野生の呼び声」に彩りを添える厳しくも雄大なユーコンの自然の一端に触れることが出来たことで、ツアー終了直後の満たされない想いは徐々に薄れてきた。今回のユーコン旅行は、そんなに悪くはなかったと思えるようになった今日この頃である。

    旅行記「オーロラとツンドラ紅葉を求めて極北の大地ユーコンを行く」完

    この愚作旅行記を最後までご覧いただいた皆様、ありがとうございました。

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