2007/04/08 - 2007/04/23
18位(同エリア76件中)
元カニ族さん
2007年4月17日、午前中にメンフィスのグレースランドにあるエルビス・プレスリーの大邸宅を見学し、午後テネシー州の州都ナッシュビルに向かいました。
ナッシュビルは、1779年、開拓団がナッシュビルに入植し基礎を築きました。彼らは初め入植地をアメリカ独立戦争の英雄フランシス・ナッシュにちなみナッシュボロ砦と呼びました。
南北戦争までには、ナッシュビルは南部の主要都市のひとつとなっていました。水運と鉄道輸送の要衝であったナッシュビルを押さえることが戦略的に重要であり、1862年2月、南部連合国の州都の中で最初にアメリカ合衆国軍(北軍)の手に落ちました。 戦争の終結とともにナッシュビルは急速に再発展をとげ、戦後数年で水上および鉄道輸送の要衝の地位を回復し、製造業も発展しました。
ナッシュビルに到着後は、テネシー州議事堂、州立博物館、ライマン公会堂、パルテノン神殿などを見学しました。
ナッシュビルはカントリー・ミュージックの故郷として有名で、録音すスダジオの集まる「ミュージック・ロウ」や、カントリーのライブが楽しめる「グランド・オール・オブルーハウス」(カントリー・ミュージックの公開ライブ放送のラジオ番組)など音楽にちなんだ見所がありますが、残念ながら、これらの観光はしていません。
写真はテネシー州議事堂です。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 国際旅行社
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ナッシュビルに向かう道路は、これまでの沙漠や原野ではなく、緑に囲まれた山間の道でした。
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時は、4月ですから、新緑の季節ですが、樹木の茶色の葉が気になります。
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良く見ると昨年の枯れた葉が茶色になって、木々に残っているように見えました。
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350km走って、ナッシュビルに着きました。
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ダウンタウンでバスを降りました。
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そして、小高い丘の上にあるテネシー州議事堂に向かいました。
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高い階段がありました。
テネシー州議事堂 建造物
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階段を登りました。
テネシー州議事堂 建造物
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古代ギリシャを感じさせる円柱が並ぶ荘厳な建物で、壁は大理石で造られていました。
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テネシー州議事堂の高台から、見下ろしたところです。
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眼下にテネシー州立博物館などが、入っている州政府庁舎のビルが見下ろせました。
広島に落とされた原子爆弾の実物大の模型、真珠湾攻撃のポスターなど、先の大戦のアメリカ側の見方がわかります。 by 元カニ族さんテネシー州立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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このビルも古代ギリシャを感じさせる円柱が並んでいました。
広島に落とされた原子爆弾の実物大の模型、真珠湾攻撃のポスターなど、先の大戦のアメリカ側の見方がわかります。 by 元カニ族さんテネシー州立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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兵士のモニュメントがありました。
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朝鮮戦争の記念碑もありました。
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テネシー州立博物館には、アメリカのこれまでの戦争に関する写真や展示品など、いりいろな展示がありましたが、私が最も興味を持ったのは、上の写真で、これは広島に落とされた原子爆弾の実物大の模型です。
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私の大きさと比べるとその大きさがわかります。
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背後の写真で、原爆実験の様子です。
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左下のプレートには「1945年7月16日、ニューメキシコ州の沙漠で原子爆弾の実験に成功し、8月6日広島に投下された。その威力はダイナマイト20,000トンに相当し、90,000人を死亡させた」と書かれています。
実験成功からわずか3週間後に広島に投下されたのでした。 -
その横には、当時の新聞が掲示してあり、「原爆が日本を吹き飛ばした」とありました。
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写真は、太平洋戦争開戦時のポスターで「REMEMBER DEC 7th !」とあり、戦意を高揚するものです。
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スピーカーから「日本軍が真珠湾攻撃し、日本と戦闘状態に入った」当時のラジオ放送を繰り返していました。
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真珠湾の図も掲示してありました。
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日本が、真珠湾攻撃に至った経緯が書かれていました。
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アメリカおよびソ連の、日本包囲網が掲示してありました。
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ヨーロッパ戦線の包囲網です。
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州立博物館の見学を終えてバスに戻りました。
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ナッシュビルの「ブロードウエイ」です。
ガイドさんによれば「ブロードウエイ」といえば、ニューヨークのそれを思い浮かべますが、アメリカでは、街の中心となる広い道を「ブロードウエイ」といい、どこの町にもあるとのことでした。 -
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セカンドストリートです、カントリーミュジックの故郷といわれるだけあって、楽器店が並んでいました。
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お土産屋さんもありました。
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街を観光用でしょうか、馬車が走っていました。
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ライマン公会堂に着き、バスを降りました。
蒸気船の船長で、ナッシュビルの実業家であったトーマス・ライマンによって、「ユニオン・ゴスペル・タバナクル(礼拝堂)」として建てられたものです。 by 元カニ族さんライマン公会堂 劇場・ホール・ショー
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蒸気船の船長で、ナッシュビルの実業家であったトーマス・ライマン(1843年 - 1904年)によって建てられたものです。
最初は、「ユニオン・ゴスペル・タバナクル(礼拝堂)」として建てられましたが、ライマンの死後、礼拝堂は彼に敬意を表しライマン公会堂と名前を変えられた。蒸気船の船長で、ナッシュビルの実業家であったトーマス・ライマンによって、「ユニオン・ゴスペル・タバナクル(礼拝堂)」として建てられたものです。 by 元カニ族さんライマン公会堂 劇場・ホール・ショー
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現在では、2,362席のライブ会場で、『グランド・オール・オープリー』の最も有名な会場として知られています。
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ライマンの銅像です。
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銅像の下の碑文です。
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市の中心部の高層ビルです。
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NHLナッシュビル・プレデターズの本拠地の、ブリヂストン アリーナです。
ブリヂストン アリーナ スタジアム・スポーツ観戦
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建設中のビルです。日本と異なりカバーもかけずに工事をしています。
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パルテノン神殿に向かうため、住宅地を走りました。
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戸建の住宅は、緑豊かな中、ゆったりと建てられています。
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住宅との中の教会です。
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集合住宅も建っていました。
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そして「パルテノン神殿」に着きました。
テネシー州では1840年代に古代ギリシヤ哲学やラテン語教育を取り入れる動きが高まり、1850年代までにはナッシュビルが『南部のアテネ』と呼ばれるようになっていました。その影響で、州の100周年を記念するにあたり1897年(一年遅れの催事)の万博開催の際の中心的建築物とする目的でパルテノン神殿が建設されました。このパルテノンは唯一学術研究のなされた正確な復元建造物とのことです。テネシー州の100周年を記念し、学術研究のなされた正確な復元建造物です。 by 元カニ族さんパルテノン神殿 博物館・美術館・ギャラリー
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破風の飾りです。
この後、ホテルにチェックインしました。この日の夕食は日本レストラン「一番」にて日本食を食べました。
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