2015/08/12 - 2015/08/12
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弾丸ツアー6日目
愛媛県−湯築城跡、道後温泉、松山城、石手寺、今治城、しまなみ海道(多田羅大橋、伯方の塩、大山祇神社、因島水軍城)
広島県−鞆の浦、福山城
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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愛媛県の松山、今治を廻り、しまなみ海道を走り、伯方島や因島に降り、広島県の鞆の浦、福山を巡る。
昨日、今日と今回の見所のハイライトだ。気合充実だ。 -
道後温泉近くの道後公園は、湯築城跡の国史跡になっている。
ここは見逃しがちであるが、日本100名城である。 -
公園内には、武家屋敷跡2棟を製作、展示している。
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サルスベリと内堀の様子。今日は朝から雨だ。
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公園を出て、道後温泉駅に向かう途中に正岡子規の像があった。
明治を代表する文学者だ。
松山と言えば、「坂の上の雲」の秋山好古、秋山真之の兄弟と正岡子規が思い浮かぶ。 -
足湯
道後温泉本館と同じ湯を使用した「かけ流し」だ。
この辺りは放生池を埋め立て、放生園として、憩いの場になっている。雨でなければ足湯も人でいっぱいだろうに。 -
坊っちゃんからくり時計
丁度時間になったせいか、音楽なり、扉が開き、小説坊っちゃんの登場人物達が飛び出してきた。 -
小さな道後温泉駅
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その駅前には、坊っちゃん列車が飾ってあった。
今は実際に、その復元列車を走らせている。 -
アーケード商店街を抜けて、道後温泉本館に来た。
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側面から見ると、大きな建物とわかる。
唯一公衆浴場で重文になっている。 -
さすが道後温泉。
料金は湯船や、セット別に、細かく設定されている。
皇室専用浴室の観覧も可能だ。神の湯2階席にしてみた。 -
湯神社へ上る階段から、全貌が見えた。歴史の風格が感じられる。
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階段を登り、湯神社へも参拝。
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伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
道後温泉近くの道後山山腹に鎮座する。 -
この階段を上るか、遠回りのゆるやかな坂を上るか。
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遠回りを選び、社殿(重文)に到着。
重文に指定されている社殿は全国で3つしかないという。 -
社殿を問わず、本殿、申殿、楼門、廻廊、全社殿が江戸初期寛文7年建造の重文であった。
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松山城へ移動。東雲口に加藤嘉明公の像。
豊臣秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍・七将の1人。
伊予松山藩および陸奥会津藩初代藩主。 -
東雲口からは、松山城ロープウェイか、リフトで登城できるが、今日は雨の為リフトは運休なので、リフトに乗る。
マドンナ姿の衣装がいいな。 -
ロープウェイを降りてもしばらく歩く必要がある。
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ここの風景は、珍しく覚えていた。
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見所が多いためか、2009年のミシュラン観光版(ギード・ベール)日本編では二つ星に選定されたという。
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標高132mの城山(勝山)山頂に本丸があり、広大な平城で、津山城、姫路城、と共に日本三大平山城。
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天守最上階。
ここも現存12天守の1つだ。 -
四国八十八箇所霊場の第五十一番札所 石手寺(いしてじ)
通りすがりに気になり、入って見た。 -
木造の参道だ。
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手前の二王門は国宝だ。
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本堂(重文)
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三重塔の向こうに、巨大な像があった。
後で調べると、奥の院にある、高さ16mの日本一の弘法大師像らしい。 -
今治城に来た。
ここも築城の名人藤堂高虎によって1602年、築城が開始され1604年完成した。(藤堂高虎はこの他、宇和島城、伊賀上野城、津城、篠山城等多くを手掛ける)
この石垣と内堀がほぼ江戸時代の姿を残している。 -
天守に登ると、瀬戸内海が見える。
三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通を可能としている。日本三大水城の一つ。
聞くと海水と共に、ごみやにおいも流れ込むので対応策を検討中とのこと。 -
天守をバックに絵になる、藤堂高虎の像。
戦国の世を駆け巡る武者姿だ。 -
鉄御門(くろがねごもん)。
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勘兵衛石
この巨大な鏡石は、築城奉行を務めた渡辺勘兵衛に由来するとのこと。 -
今治を後にして西瀬戸自動車道<しまなみ海道>に入る。
来島海峡大橋を進む。 -
大三島で一旦降り、多田羅大橋を望む道の駅に入る。
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ランチは、鯛めしうどん定食。
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ここには来たかった伯方の塩、大三島工場で、塩作りの見学ができる。
見学して驚いたのは、塩の原料はメキシコ、オーストラリアからでの輸入で、それを瀬戸内海の海水で溶かし、水分を蒸発させるということ。 -
まず、お土産の塩、3袋入りを貰う。
そして特製の伯方の塩ソフトクリーム(300円)を頂く。これがめっさ旨くて、市販しているか聞いたが、ここだけの販売と言う。残念!美味しさの秘密はやはりフルール・ド・セルか?
後で調べると、このソフトクリームは食べログに載っていて、しかも3.55の高得点。 -
ぐるっと来るまで違う敷地に廻ると、流下式枝条架併用塩田の再現を見ることができるのだが、今日は雨で実演なし。これも残念。
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申し込めば、海水から塩作りが体験できる。
海水からの塩作りは、だいぶ前から実践していて、昨日、足摺岬のきれいな海水をペットボトルにちゃっかり汲んでおいたのだ。帰宅したらさっそく塩作りだ。 -
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)。
全国の三島神社や大山祇神社の総本社。 -
広い境内には、国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」がある。
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天然記念物 能因法師 雨乞いの楠
日本最古の楠(樹齢3000年)で、ご冷泉天皇の頃、能因法師を使者として雨乞いの参拝をさせたという。 -
古来御神木として崇められている。(樹齢2600年)
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拝殿 (重文)
本殿と共に、室町時代の応永34年(1427年)再建、慶長7年(1602年)大修理。
素木造で屋根は切妻造檜皮葺。正面中央に一間の向拝を設ける。 -
因島へ移動。やってきました水軍城。
この水軍城は、水軍の資料館としての昭和58年に築城された。 -
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村上水軍の武具、遺品、古文書などの歴史資料が展示されてる。
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隅櫓の展望台から本丸の水軍資料館を見下ろす。
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二の丸では、何やら、軍議中だった。
もう夕暮れが迫ってきている。広島へ上陸する。 -
鞆の浦へ来た。瀬戸内海のほぼ中央に位置する。
満潮時には、ここを境にして東西に分かれて流れ出してゆく。その潮の流れの「地乗り」で古来より、船をこぎ出すため、潮待ちの港として知られていた。 -
鞆の浦の500mほど先に浮かぶ仙酔島。名前の通り仙人も酔ってしまうほど美しい島だ。市営渡船で行くことが出来る。
日本で唯一ここにしかない五色岩があるそうだ。 -
鞆の浦の江戸時代末期の商家
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儒学者 頼山陽が鞆の浦で構想を練ったといわれる著書は「日本外史」。
また仙酔島をのぞむ鞆の浦の夕暮れは晩酌、夜明けは読書に最適とし、有名な「山紫水明」の言葉を残したのも彼であったという。つまり「山紫水明」とはこの地を表した言葉ということになる。
近年では宮崎駿監督がこの地に滞在し「崖の上のポニョ」の構想を練ったことでも話題になった。 -
朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内の福禅寺に来た。
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この本堂横の客殿(対潮楼)は江戸時代を通じて朝鮮通信使のための迎賓館として使用され、従事官の李邦彦が客殿からの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛し、対潮楼と名づけたという。
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残念ながらその対潮楼は工事中で、あったが、境内からはこんな感じで仙酔島が見える。
また確か、坂本龍馬のいろは丸沈没事件の際、紀州藩の交渉の場となり、龍馬の史跡でもある。 -
鞆のシンボル、大きな常夜灯。
和む日本の風景だ。この絵も見たかったのだ。 -
龍馬の隠れ部屋、桝屋清右衛門宅。
いろは丸事件の時、既に命を狙われていた龍馬は、才谷梅太郎の名で、屋根裏部屋に4日間泊まったいう。
ここに投宿した証は、賠償交渉の経過が記された「備後鞆津応接筆記」に残っているそうだ。 -
福山城に来た。JR福山駅の目の前にあり、新幹線からよく見える。
天守は昭和20年(1945年)まで残されていたが福山大空襲により焼失している。 -
福山城初代藩主水野勝成の像。
この地に城を築き、福山と命名し城下を作った。
隣国の備前岡山藩藩主・池田光政は「良将の中の良将」と評したという。
岡山へ向け移動。本日はここまで。
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