2015/06/03 - 2015/06/03
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ベームさん
6/3(水)、16日目
昨日でロマンチック街道の旅は終わりました。今日からは南バイエルンとオーストリアの幾つかの町を巡ります。
今日はフュッセンからオットーボイレン、メミンゲンの町を見てミュンヘンまで行きました。
メミンゲン近郊のオットーボイレンに素晴らしい教会があるということは聞いていましたが、どの観光ルートからも外れているので今まで行きそびれていました。
今回ひょっとして最後のドイツになるかもしれないと思い、心残りにならないようフュッセンから少し大回りして行ってきました。そして、それだけの価値はありました。これでもかというバロックの洪水に圧倒されました。
メミンゲン:ミュンヘンの西90k、バイエルン州のほぼ西南端でバーデン・ヴュルテンベルク州に接しています。人口4万人強。1268年帝国自由都市。
この町が歴史上重要なのは1525年ドイツ各地で起こった農民戦争のシュヴァーベン地方での発端となったことです。1525年3月、聖マルティン教会の牧師シャペラーが全ての農民の基本にして正当な主要箇条をまとめた「12か条」を発表し、多くの農民がそのもとに集まり農民戦争へとなって行ったのです。農民側は敗れましたが、「12か条」はヨーロッパ最初の人権宣言と言われています。
観光地として有名でなくあまり期待していませんでしたが、思いのほか美しい町でした。
写真はオットーボイレン大修道院付属教会。絵葉書。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ミュンヘンの西約90k。
フュッセン~メミンゲン~オットーボイレン~ミュンヘン。 -
フュッセン発8:06のREでメミンゲンに向かいます。
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のどかなアルゴイ地方の風景。
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ブッフローエで乗換え。
乗り換え時間50分。 -
車窓。
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メミンゲン着10:53。
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メミンゲン駅前のZOB/バスセンターからバスでオットーボイレンに向かいました。
いつもの通り座席は一番先頭。 -
2本の塔がはるかに見えてきました。
目指すオットーボイレンのバジリカです。 -
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バス停マルクト広場に到着、約30分でした。
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おー、オットーボイレンのバジリカが聳えています。
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前から横から斜めから。
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オットーボイレン大修道院付属教会。聖アレクサンダー・テオドール教会というそうです。
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創設は764年のベネディクト派修道院。962年に皇帝オットー1世により大修道院に格上げされました。今の建物は1766年。
塔の高さ82m。
写真を撮るには太陽の位置がよくありません。 -
逆光でよい写真が撮れないので以下2枚は絵葉書です。
眼前に見る実物はもっと壮麗です。 -
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教会の前の広場に建つ5月の木。
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堂内に入るとそのあまりの壮麗さに目を見張りました。
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身廊。
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内陣。
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主祭壇。
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主祭壇のキリスト磔刑像。
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後方。
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パイプオルガン。割と小さいです。
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身廊と翼廊があり堂内を幾つもの祭壇が取り囲んでいます。
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眩い祭壇です。
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中央に聖母マリアと幼子イエス。
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どの祭壇も豪華です。
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美しい天井画とスタッコ装飾の洪水。
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身廊と翼廊の交差部。
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翼廊の祭壇。
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天上のフレスコ画の数々。
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昔の人はこのような装飾を見て天国を感じキリスト教に帰依したのでしょう。キリスト教の執念を感じました。
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この地域一帯が農民戦争の発端の地であり、民を搾取して造り上げたのがこの壮麗なバジリカなのでしょう。
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天井画の拡大。
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身廊と翼廊の交差部の天井画。
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天井画。
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多分聖人の聖遺物でしょう髑髏とか骨を納めています。あまり気持ちの良い物ではありません。
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古そうな壁画です。
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南バイエルンの片田舎にかくも壮麗なバジリカがあるとは驚きです。
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教会の横に回るとクリプタの入り口がありました。
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クリプタ。
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アルテンシュタットのバジリカの磔刑像を思い出しました。
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ピエタ。
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美しいマリア像とか聖女像がすきです。
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オットーボイレンのバジリカを見ることが出来て満足です。
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教会からマルクト広場の方。
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教会を出てマルクト広場の方に行きます。
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迎賓館。ツーリストインフォメーションもこの中です。
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マルクト広場。
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市庁舎。
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広場から見た教会。
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アレクサンダーの泉。
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バーンホフ通り。
でも鉄道は通っていません。昔の名残でしょう。 -
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バスでメミンゲンに戻りました。
大修道院教会以外は何もない町でしたが、その教会一つを見るだけでも来た甲斐があったと思います。 -
メミンゲンに14時過ぎ到着しました。
駅前から延びるマキシミリアン通りを東へ。途中葉書を出そうと思ってラッパのマークのある建物に入ったら、ここは郵政局であり郵便局ではないということで駄目でした。 -
マキシミリアン通り。
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シュミーデ広場の歴史的塩の倉庫。
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マキシミリアン通りとカルヒ通りにまたがる長い建物です。
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塩の倉庫、まだ続いています。
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大塩倉庫。1470~1474年。
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ザルツ/塩通り。
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カルヒ通りに入りました。
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昔のクロイツヘルンキルヒェ/十字架の騎士教会。
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今は展示会場、コンサートホールのようです。
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カルヒ通り。
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通りの先にマルクト広場が見えます。
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マルクト広場。
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マルクト広場を囲む建物。
市庁舎。 -
タウンホール、市庁舎。
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シュトイアーハウス。
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直訳すると税の家、
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壁にはびっしり絵が描かれています。
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マルクト広場を振り返る。
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広場の片隅にある聖ヨハン教会。
元のアウグスティーナー修道院教会。 -
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ピエタ。
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十字架から降ろされたキリスト。
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聖マルティン教会の塔。
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ウルマー通りのパリスハウス。
メミンゲン最初のバロックハウス。パリスは所有者の名前。 -
ウルマー通り。
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ウルマー・トーア/ウルム門。
30年戦争前の典型的な城門の形式。
1489年、皇帝マキシミリアン1世がこの門を潜って町に入ったそうです。 -
皇帝マキシミリアン1世。
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公園側。
双頭の鷲の紋章。皇帝はこの神聖ローマ帝国直属の都市へ誇らしげに入城したのでしょう。 -
「入口」という名の門。
まさに町への入り口です。1475年。 -
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ツァングマイスター通り。
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聖マルティン教会の塔。1524年。
クローズしていました。 -
外壁の聖マルタンの彫刻。
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ヘルマンハウス。1766年建築のバロック・パレス。
かってバイエルン王ルートヴィヒ1世、皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドルなど貴顕の人物が止宿しています。
現在は市博物館。 -
ヘルマンハウスとツァングマイスター通り。
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ヴェストトーア/西門。
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西門。
14世紀。8角形の塔は1660年。 -
ヘレン通り。
昔メミンゲンの富裕層が住んでいた通り。 -
ヘレン通り。突き当りはヘルマンハウス。
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ヴェルフ6世。1152~1191年。
ドイツの有力諸侯ヴェルフ家/ヴェルフェン家の出。
彫られている肩書を見ると、スポレート公、トスカーナ辺境伯、バイエルン公、サルディニア・コルシカ候といっぱい持っています。ハインリヒ獅子公の叔父にあたる。1191年メミンゲンで死去。 -
ケンプテン門。1393年。
ケンプテン方面に通じる門。 -
シュヴァイツァーベルク通りのフッガーハウス。
ドイツ30年戦争でこの館は名を遺しています。
1630年夏の数か月、皇帝軍のヴァレンシュタイン将軍の司令部が置かれた。
1632年、短期間であったがプロテスタント派のスエーデン王グスタフ・アドルフの司令部が置かれた。
バイエルンの片隅も30年戦争の戦場となったのでした。
1980年来ここでヴァレンシュタイン劇が上演されています。 -
ロスマルクト。
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ロスマルクト/馬市場。
赤い建物:昔の小売商人ギルドハウス、計量所。
右の白い建物:フルテンバッハハウス。メミンゲンで数少ない木組みの家。この家で1525年3月シュヴァーベン地方の農民戦争のきっかけとなった「12ケ条」が聖マルティン教会の牧師クリストフ・シャペラーにより書かれた。ヨーロッパにおける最初の人権宣言と言われています。 -
ヴァインマルクト。
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名前からすると昔ワインの取引が行われていた場所で、美麗な館が立ち並んでいます。
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ヴェーバーツンフト/織物工ギルド。
木組みの家の一つ。
メミンゲンの織物はその品質の良さでヨーロッパ各地に輸出されていました。 -
劇場広場。
ネオバロックの州立劇場。
プログラムにアンネの日記などがありました。 -
ゲルバープラッツ/皮なめし広場のジーベンダッハー・ハウス/七つ屋根の家。
皮なめし業者の家。
ざっとメミンゲンの町を歩き、途中で郵便局を見つけ葉書を投函しメミンゲン駅16:15発のECでミュンヘンへ。ミュンヘン着17:28。
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2015/11/25 16:39:22
- オットーボイレン、メミンゲン
- ベームさん、こんにちは。
ベームさんの旅行記を拝見するときは、いつもドイツで購入したドイツ語のロマンティック街道の冊子を傍に置いて見ています。
さあ、オットーボイレンはどこ?と思ったら、もうあの冊子は必要なかったのでした。
10年以上も前に購入したもので、120ページくらいにまとめられた詳しい冊子で、これが役に立つ日が来るとは思いませんでした。だけどベームさんの旅行記の方が詳しかったです。
凄いですね、隅々まで回っていらっしゃるのですね。
さて、オットーボイレンのバジリカ、素晴らしい装飾の数々ですね。
私も今回インスブルックで全くノーマークだったウィルテン教会に行きましたら、同じように内部の漆喰装飾の素晴らしいこと。
これもバジリカでした。バジリカってみんな装飾が凄いのでしょうか。
ここにも30年戦争のヴァレンシュタインが出てきましたね。
そいうキーワードを楽しみながら拝見するのも、ベームさんの旅行記の良いところです。
あんまり速読はできませんが。
最近のヨーロッパの情勢、全くどうなっていくのでしょう。
ベームさんも次のご旅行を考えていらっしゃる頃ではありませんか?
文中、ドイツは最後とありましたが、マサカですよね?。
では、またゆっくり楽しみながら拝見させていただきます。
hmmel
- ベームさん からの返信 2015/11/26 11:14:21
- RE: オットーボイレン、メミンゲン
- himmelさん、
お早うございます、て云う時間ではないですが。旅行の時と違って私の朝はゆっくりテレビの報道番組を見て新聞を読んで、とスタートが遅いのです。今朝は原節子さんの訃報のニュースを聞きびっくりしました。大フアンだったもので寂しいです。
ヴィルテン教会の写真を拝見してオットーボイレンの教会に似ているなと私も思いました。バジリカというのは教会建築の一様式であるとともに普通の教会よりは上位に位置する教会のようです。それでお金をかけて華麗にしているのかも知れませんがすべてそうでもないようです。
トリーアのバジリカとか今回行ったロマンチック街道沿いのアルテンシュタットのそれは大きな長方形の建物で中はガランとして装飾らしきものはありませんでした。バジリカとは本来そう言ったものかもしれませんね。
それにしてもゆったりとあちこち乗り物で回られていますね、羨ましいです。一泊ではとてもかないません。
私は毎回外国に行くたびに、あるいは帰ってくるたびにこれが最後かなと思ってしまいます。足腰に不安があるからです。特にこの春の旅行では疲れたのと少々ドイツに飽きが来たので特にそう感じました。
最近ようやく元気が出てきて来年以降も続けようかなと考えだしていますが、その矢先のヨーロッパ情勢です。様子を見ながら検討しようと思っています。
ベーム
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