2015/05/30 - 2015/05/30
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bakanekoさん
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週末になるとどこへいこうか、そぞろ不安になる。何も楽しみで行くのに不安になることもないのであるが、うまく移動や撮影が流れてよかったという場所にいきたい。しかし金もない。ということでただの欲張りである。
連休明けから続いていた自衛隊めぐりに疲れ、日曜の和歌山駐屯地はパス。それなら土曜日はどこに行こう。さんざん考えたが蓮はまだ・・・・・・そうだ睡蓮がある。睡蓮を探すが奈良は良いところがなく、第2目標の京都へ。勧修寺(かじゅうじ)がヒットする。まったくどんなところかもわからず、もうひとつ随心院とセットで出撃する。
朝、何とか6時過ぎに起きて7時前に天満橋から京阪に乗る。乗換えが邪魔臭いので、三条から地下鉄東西線小野駅に向かう。大阪からでは、中書島乗換え京阪六地蔵駅。京都地下鉄六地蔵から小野駅へ行くというコースがでるが、三条経由のほうがらくである。
駅から5分。駅前にはなか卯やローソンがあるので補給には都合が良い。そこから5分ほど西に歩き勧修寺と書いたところに着くが、入り口がわからずうろうろ。ちゃんと案内板が合ったが見過ごしたようである。
なんとか入り口に着く。9時 もうすでに中には3脚を持ったじいさんがうろうろ。邪魔である。
ここは昼からが陽のあたりが杜若にあたるのでいいかもしれないが、たまに団体客が来るのでタイミングが難しいと思う。客の入りは、杜若ピークで室生寺並みなのでそう多くはない。
後で知ったが、鳥マニアの連中がたむろするらしい。大型レンズで三脚もって走り回る連中である。観光客には道を譲るが、風景写真の連中とはガチで当たると思われるので喧嘩に注意。
歴史・いわれ
勧修寺は9世紀末から10世紀初めにかけて、宇治大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の邸を寺としたのが始まりとされています。ここが寺とされたのは、宮道の孫胤子(インシ)が宇多天皇の女御、醍醐天皇の生母となったことに由来します。醍醐天皇は昌泰3年(900年)、胤子の遺志により伽藍を創建し、勧修寺としたと伝えられます。
この地が宮道邸だった時期には、すでに池のある庭が作られていたようです。時代は下りますが、鎌倉時代にはその様子が歌に詠まれるなど、かつての優美さをしのばせていたようです。
時を経て、応仁・文明の乱(1467〜77年)で勧修寺は焼失・荒廃しました。さらに、豊臣秀吉が境内中央に伏見桃山城につながる伏見道を設けたため、境内は南北に分断されました。また、最終的には、寸断された南側の地は勧修寺の境内からはずされてしまいました。荒廃していたとはいえ、古来の名刹を分断する道をわざわざ付けたことについては、勧修寺と秀吉の間に何らかの不和があったとする説が有力ですが、はっきりしたことはわかっていません。
江戸時代に入ると、徳川幕府や皇室の援助もあり、17世紀末にはほぼ今見る状態にまで復興されました。庭については明確な記録は見つかっていませんが、境内が半減したため、池も分断されて埋め立てられ、相当縮小してしまったことは想像に難くありません。庭は江戸時代の復興の時期に合わせて修復されたと考えられます。
江戸時代は、門跡寺院としての法脈を保ち、境内に大きな変化はなかったと思われます。18世紀末頃の絵図には、大池「氷室池(ひむろいけ)」を中心に、「氷室十五勝」と名づけられた中島や池の周囲の亭や橋、滝石組などの様子が描かれています。「氷室」の名は平安時代、池の氷が五穀の豊凶を占うために宮中に届けられたという伝承があるためで、庭園は別名「氷池園(ひょうちえん)」と呼ばれます。
明治に入ると、廃仏毀釈の動きとともに、門跡が還俗されたために皇室からの援助もなくなり、苦しい時期を迎えました。さらに第2次世界大戦中は宮中から移築した建物が陸軍病院の分院として使われたり、境内がサツマイモ畑やレンコン畑に開墾されてしまうこともありました。
歴史に翻弄された勧修寺ですが、戦後になり、近隣住民、檀家の奉仕にも支えられ、徐々に寺容が取り戻されていきました。「氷室十五勝」は失われてしまったものがあり、すべてを復興するには至っていませんが、そこに数えられた3つの中島はかつての様相を取り戻し、また植栽も徐々に整えられています。
境内はこの氷室池と、枯山水のある平庭部分に大きく分かれています。
見所・みどりの情報
池にはカキツバタ、ハナショウブ、ハスが植えられ、水辺の花を楽しめます。また岸辺にはウメやサクラも植えられており、春から初夏にかけて可憐な花を咲かせます。
氷室池は、大きな池としては護岸に石組などがなく、土の岸となっています。これは江戸時代から変わっていないようですが、大池にもかかわらず護岸石組がないというのは江戸時代の庭園には珍しく、江戸時代より前の様相を残しているのかもしれません。
この「氷室池」は、山科区内でも有数の水面らしく、年によっては冬にかなりの数のガンカモ類などが羽を休めます。周辺の宅地化で数は減る傾向にありましたが、近年、水鳥が増え、山科区内の定点観測地にもなっています。
ち なみに、山階鳥類研究所を創設した国際的な鳥類学者・山階芳麿博士は、ここ勧修寺の門跡を江戸時代末期から継承していた山階宮家の出身です
平庭には、「勧修寺形」と呼ばれ、水戸光圀寄進とも伝えられる背の低い起り(むくり)笠のユーモラスな灯篭があります。ヒノキ科の潅木ハイビャクシンがこの灯篭と周囲を覆い、一面に緑の波がうねるように茂っています。また、江戸時代に御所から移植された「臥竜の老梅」(白梅)、ヤマモモの古木、ハゼノキなど様々な樹木があり、彩りを添えています。
勧修寺境内からは東山と醍醐の山々が望め、それが庭の借景となってきました。しかし、昭和38年(1963年)に開通した名神高速道路が敷地の北側から西側にかけてのすぐ脇を通ったために景観が損なわれ、騒音もひどくなりました。そこで勧修寺ではモウソウチクで道路を隠すことに決め、10年間をかけて長さ約50mにわたって竹の林を作りました。
このことを報道で知った日本道路公団が、勧修寺の努力に応えて道路わきを造成し、竹、ツバキなどで道路を修景しました。景観に配慮した高速道路緑化の先駆けです。これにより、騒音などもかなり減少したとのことです。筑波常遍住職は「年に少しずつ竹を殖やしていったように、みなが地道な努力を続ければ、景観のような大きな問題も解決は可能」と話しています。
勧修寺は、築地塀が美しい表参道のソメイヨシノ、ヘイアンベニシダレなどサクラの名所としても知られるようになりました。これらのサクラを植え、手入れをしているのは近隣の造園業者などのボランティアの方々です。また毎年秋には菊花展が開かれるなど、地域に開かれ、地域の人々に支えられている境内となっています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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なぜか直線の道を左に曲がり佛光院に。
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はじめて堀江6人切りを知る。天王寺の近所なので興味深い。
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佛光院庭。ここは入れません。
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有名な白壁
勧修寺 寺・神社・教会
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勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院。真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。「山階門跡」とも称する。寺名は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれることがあるが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている[1]。一方、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の「勧修寺」の読み方は「かんしゅうじ」である。
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ここが入り口。400円。
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門をはいると、この風景
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これが御所より拝領した建物。
宸殿−元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたものという。入母屋造、桟瓦葺き。内部は書院造である。明治5年9月勧修小学校が開校時、ここが校舎となった。 -
なにやら平安貴族が出てきそうな雰囲気である。
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勧修寺灯篭。ここは定番
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池の横に建つ観音堂。昭和の作であり値打は・・・しかし桜のころは、桜をバックに池に姿を写す。
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だいたいこの辺が撮影スポット。昼過ぎがベスト。
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かきつばた。あやめは畑のような乾燥地で栽培するのに適し、かきつばたは水辺などの湿地帯に適し、花菖蒲はその中間で畑地でも湿地でも栽培できるというのが簡単な違いです。
水辺で咲いているのは杜若か花菖蒲。あやめではない。
乾いた畑で咲いているのはあやめか花菖蒲。杜若ではない -
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春は睡蓮がなくなり、桜が映る。
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池の奥まで進出する。途中活けの奥は危ない場所があると書いた看板があります。ここでしり込みしては駄目。戦場カメラマンは、地雷を踏んだらさようならの心意気が大事です。
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睡蓮
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どっかで見たような鳳凰?
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ここで注目していただきたいのが、左上に小さく見える白いもの。
水鳥である。池の中央にあるジャングルの、中の島には夕方になると琵琶湖から帰ってくる水鳥のお宿となっています。 -
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このうっそうとしたところが良い。でも蚊が・・・・
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ここで、初夏を堪能する。
突如緊急事態である。警報警報警報と頭の中で鳴る。
蚊が襲来である。デブで汗かきは格好のえさである。よどんだ水・・・・この時期の水辺は大変である。 -
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睡蓮を必死で撮り、蚊を払う。
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まだ藪蚊は出ていなかった。
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ええ竹やぶである。後は名神が走る。
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睡蓮睡蓮
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ええねえ
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暑い、夏のようである。
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元に戻る。桜のときも美しいとのことである。
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光が当たり花の縁が輝く
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成仏してしまいそうである
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鳳凰堂のパクリか。昭和の建立である
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御所の造りである。
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ちらりと贅沢さが見える。
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あじさいも準備中。夏が来て青紅葉が紅葉すれば冬。
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いやいや夏です。へとへとです。
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ええ雰囲気です。来て正解でした。
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次は雪のときか桜のときか来る予定
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