2015/05/22 - 2015/05/23
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サンフランさん
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5月22日
和田峠を越えて長久保宿からの出発です。今日は笠取峠を越えます。
5月23日
岩村田から軽井沢を経て碓氷峠を越えて坂本宿まで、31KMありました。さらに坂本から横川へ。写真は碓氷峠の見晴らし台から
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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長久保宿を午前9時に出発
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脇本陣跡
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高札場は復元?
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古い町屋がある程度残っている宿のようです。
人が住んでいる以上、ガラスは仕方がないでしょう。 -
ここは松尾神社!
京都の松尾神社と関係がありそうです。 -
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笠取峠の源道!
したから上がって来る道?
今日は先を急ぐので車道を行く。 -
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これが源道だったようです。
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中山道の道標
これでもありがたいです。 -
草が生えている道は「中山道の源道」とあります。これは行かねば、....
江戸時代は頻繁に往来があったから草はないでしょう? -
源道はわずかで、旧道に出ます。
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国道にある笠取峠の絵図と説明板
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いまはこの茶店が一軒です。
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こちらが本当の笠取峠のようです。ここから国道は下ります。
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笠取峠の一里塚が国道の向こう側に
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右に上がっている道は旧中仙道ではないか?
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笠取峠に松並木
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松並木が続く
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これより東小諸領
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常夜塔も
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茶屋の様子が説明されている看板
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皇女和宮ご一行の絵図が刻まれている。1861年のこと!
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峠道を下ってきました。草に埋もれるようにある旅人を刻んだ石碑!
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塩名田まで、まだ13.1km
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常夜灯を発見
県道142号を渡ります。 -
渡ったところは、芦田宿です。
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町名は、立科に変わりました。
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今も旅籠を続けている金丸土屋旅館
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山浦家の庄屋跡
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こちらが本陣跡
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脇本陣は杭のみになりました。
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茂田井に
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茂田井は間宿だったそうです。
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茂田井の1里塚跡
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急な坂が! 石割坂とされていますが、たぶんむかしは石がごろごろと並べられた坂だったのでしょう。
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かなり整っている町屋
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白壁の土蔵は酒造りの名家らしいです。
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白壁の建物が続きます。
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本陣は現在医院となりました。
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長坂の中山道の分岐点
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望月のマンホールにはなぜか馬が!
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中仙道の歴史が書かれている。中山道はあちこちで付け替えられたり、変遷があるようだ。
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長坂の石仏
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さらに石仏、二つ並ぶ地蔵
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瓜生坂を上がる
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瓜生坂の一里塚
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百沢から中山道は細い道に入る。塩名田まで4.5Km
この先で国道に出て道を間違えてしまった。行き過ぎて約1時間近いロス。 -
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八幡に到着。
宿の景観はまったくない! -
八幡宿本陣跡
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八幡神社
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八幡神社の脇にわずかに1本の「八幡宿」 の道標
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草が生い茂る荒れた社
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石仏が
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塩名田宿が次です。このへんは宿間の距離が短いです。塩名田まで、1.1Km
1時間半で3.3 Kmしか進んでいない!ミスコースが響く。 -
左手の丘に
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野中にぽつんと立つ地蔵
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千曲川を渡る。
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嘗て、江戸時代にはよく橋が流れたらしい。
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真楽寺の前、このへんから塩名田宿であったらしい。
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塩名田宿本陣
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こちらにも本陣跡?丸山善べい
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こちらにも忘れ去られたような社
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若宮八幡とある。そろそろ岩村田
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雨宮神社
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このへんが現在の岩村田、むかしも宿の中心であったのであろうか?
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5月23日
朝、8時前、岩村田宿を出発 -
小田井宿へ
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小田井宿へはこの道を右へ
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中山道小田井宿跡
道標1本で! -
問屋場跡の尾台家住宅
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街道らしい古民家もあることはあります。
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脇本陣跡
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問屋跡
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日本橋までまだ40里31町
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本陣跡(安川家住宅)
和宮も泊まられたとあります。 -
本陣跡の説明板
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小田井宿を出て追分へ
あと5.3Kmです。 -
左に「御嶽山大権現」など
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軽井沢宿の近く
中山道資料館です。 -
国道に追分宿の道路案内標識!
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国道の脇に追分
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これより追分宿
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残っている建物は極めて少ないです。こちらは茶屋跡の建物
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高札場はお決まりの復元?
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古民家の前にレトロな郵便ポスト
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浅間神社
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立派な常夜灯が建っています。
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追分の一里塚が国道脇に残っています。
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これは国道の反対側です。江戸時代の中山道も道幅が同じだったと思われます。
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ここを右に入る
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沓掛の名称すら使われているところは少ないです。
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やっとあった最近たったような沓掛宿の石標
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この長倉神社の置くに、沓掛の時次郎の碑があるようです。
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中山道は学校の前で線路を渡ります。
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こんなところに、Roundabout が!
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旧軽銀座は近い
軽井沢にもレトロなポスト -
お日柄もよくこの人また人
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宿の形跡はほとんどない。鶴屋の軒先に「中山道軽井沢宿」の石標
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芭蕉の句碑が右手に
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矢ヶ崎川をわたる。
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碓氷峠まで、2.9Km
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中山道の表示はありませんが、こんな山道です。
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碓氷峠まで、1.3Km
歩道橋をわたります。 -
この2.9km は想定外のきついのぼりでした。
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山が深くなってきました。
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見晴らし台
長野と群馬の県境です。 -
まだのぼりが続きます。
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峠の茶屋が何軒か? 今でも健在!
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碓氷峠は越えました。
ここから碓氷峠を下る。 -
旧中山道の道しるべ
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ここが坂本宿へ
長坂道 -
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道は橋なき沢を渡る。
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施行所跡
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子持ち山
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陣上が原
このへんは古戦場だったようだ。 -
一つ家といわれる老婆いた場所!
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山中の坂にかかる。
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山中茶屋跡
茶屋本陣まであったらしい。いまは、家一軒、人っこ一人いない。 -
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粟が原
交番の始まりがここにあった。 -
座頭転がし
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割り石の坂です。滑りやすい。n−
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一里塚跡
少し小山になっているあたりだろうか? -
北向馬頭観音
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南向馬頭観音
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掘り切り
確かにここだけ道は細くなっている。 -
碓井坂関所跡
見えている建物は現在の休憩所? -
茶屋跡
石垣は確かに残っているようだ! -
水場があったようだ。
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割り石の坂が続く。
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ようやく下が見えた。
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このような石の地帯なんだ!
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ようやく車道に
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この道は嘗てのアプト式線路の跡
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坂本宿まで下りてきました。
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坂本宿「かぎや」
宿の面影を残す代表的な建物とされている。 -
小林一茶の定宿跡
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丸仁やあと
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脇本陣は保全された門構えを残している。
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佐藤本陣跡
坂本宿には二つ本陣があったようです。関所と峠のために坂本泊まりが必然だった。そのため脇本陣のほか16軒があった」 -
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もう一つの本陣金井本陣跡
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坂本宿の江戸方木戸跡
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坂本宿から歩くこと小1時間で横川に
横川の関所跡 -
横川関所跡
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東門の位置はこちらです。安中藩が管理されたそうです。
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諏訪神社
5時30分、横川到着、関所の横川で本日は終わり -
夕刻の横川駅
忘れていた。信越線はここまでで行き止まりになっていた。朝8時前に出て、約9時間、35kmの歩きでした。毎日の峠越えで、疲れが増しています。
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