2015/05/03 - 2015/05/03
44位(同エリア220件中)
ニッキーさん
旅の7日目、午前中はベルリンの南西にあるポツダムへ行きます。ポツダムはドイツ分断時は東ドイツ領でした。
ポツダムと言えば、米英ソ首脳がヨーロッパの戦後処理を話し合った「ポツダム会談」や、日本に戦争の降伏勧告をした「ポツダム宣言」が頭に浮かび、私たち日本人には重苦しいイメージがありますが、それだけではありません。一方でポツダムは風光明媚な森や湖のほとりにプロイセン王国の宮殿が散在する宮廷都市でもあります。「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」として世界遺産にも登録されています。
ツアーではまず、第二次世界大戦でナチスドイツの降伏後、1945年7月17日から8月2日にかけて米英ソ3カ国首脳によるポツダム会談が行われたツェツィリエンホーフ宮殿を訪れ、その後、フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)が離宮として造った美しいサンスーシ宮殿を訪れます。
サンスーシ宮殿は、私の憧れの宮殿の一つです。実は、世界の絶景写真を集めていた高校生時代に初めてサンスーシ宮殿の写真を見て以来、ずっと疑問に思っていたことがありました。
「階段状に整然と並ぶ温室のような壮大な建物。あの中はいったいどうなっているのか?」
実際行ってみて、長年の疑問が解けました。答えは旅行記の中で紹介します。
サンスーシ宮殿では建物の中へは入りませんでしたが、庭園を巡ることができてとても気持ちが良かったです。
ポツダムを訪れる前の重苦しい気持ちは吹き飛びました。私たちが訪れたのはたくさんある宮殿のうちのたった2つですが、それでも、「北のヴェルサイユ」と称えられた宮廷都市の雰囲気を感じることができ、すばらしい経験になりました。ポツダム、お勧めです。
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【今回の旅行スケジュール】★印が今回の旅行記で取り上げた場所
4/27(月) 14:05羽田発LH717便 18:50フランクフルト着
<フランクフルト泊>
4/28(火) リューデスハイムのつぐみ横丁散策とワインテイスティング
ライン川ランチクルーズ
ブリュール アウグストゥスブルク宮殿
ケルン ケルン大聖堂と旧市街観光
<フランクフルト連泊>
4/29(水) ハイデルベルク観光
ホーエンツォレルン城
<ガルミッシュパルテンキルヘン泊>
4/30(木) ノイシュヴァンシュタイン城
ヴィース巡礼教会
ディンケルスビュール散策
<ローテンブルク泊>
5/1(金) ローテンブルク観光
ヴュルツブルク レジデンツ宮殿
バンベルク旧市街観光
<ドレスデン泊>
5/2(土) ドレスデン観光
ベルリン 新博物館、ブランデンブルク門、ポツダム広場
<ベルリン泊>
5/3(日) ★ポツダム ツェツィリエンホーフ宮殿、サンスーシ宮殿
ワイマール観光 <ワイマール泊>
5/4(月) アイゼナハ ヴァルトブルク城
18:05フランクフルト発LH716便で帰国へ
5/5(火) 12:15 羽田着
- 旅行の満足度
- 5.0
-
朝食ブッフェは、何と言っても前日ドレスデンのマリティムホテルのが最高でしたが、ベルリンのエストレルホテルの朝食ブッフェも充実していました。
パンの種類も多く、生ハムもあるしニシンの酢漬けもありました。
ヨーロッパでは果物を丸ごと出す所も多い中、ここではちゃんとむいてあります。
スーパーも近くにあって、スタッフも好感が持てます。
なかなかいいホテルでした。 -
午前8時15分、ホテルを出発。
昨日に引き続き、カトリーヌさんがガイドしてくれます。
ベルリンの南西26キロメートルにあるポツダムへ向かいます。
30分もバスに乗ると美しい風景になって来ました。 -
窓の外には湖も広がります。
ポツダムというと重苦しく固いイメージがありましたが、なんか、いい所じゃありませんか。
ポツダムは、いくつもの湖、そして森と運河に囲まれた風光明媚な土地なのです。 -
立派な家やお屋敷が続きます。
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カトリーヌさんは、この辺りには高級住宅が多いと言ってました。
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ポツダムは、サンスーシ宮殿をはじめプロイセン王国の宮殿が数多く残り、「北のヴェルサイユ」と讃えられる世界遺産の古都なのです。
ベルリンから近く、風光明媚で且つ格調高い土地。
高級住宅や別荘があるのも当然ですね。 -
まずやって来たのは、1945年、ポツダム会談が行われたツェツィリエンホーフ宮殿です。
言いにくい名前ですが、ガイドのカトリーヌさんは「ツィ」」に強いアクセントを置いて「ツェッツィーリエンホーフ」と発音していました。
ここはもともとは1917年、最後のドイツ帝国皇太子でプロイセン王太子、ヴィルヘルム・フォン・プロイセンがお妃のツェツィーリエのために建てた宮殿です。
宮殿というより狩猟の館のようなたたずまいはヴィルヘルム夫妻の意向だったとか。ツェツィーリエンホーフ宮殿 城・宮殿
-
お妃のツェツィーリエと子どもたちの写真。
ツェツィーリエ妃はきれいな人だったのですねー。
もっとも、夫妻は先へ行って別居。それぞれ別々の道を歩んで行くことになったということです。
内部は撮影料を払えば撮影OKです。
私は3ユーロだったかを払って撮影させてもらうことにしました。
オレンジ色の紙の腕章をもらえるので、それを腕かカメラにつけておきます。 -
1945年ナチスドイツの降伏後、7月17日から8月2日まで、ツェツィリエンホーフ宮殿に米英ソ3カ国の首脳が集まり、ヨーロッパの戦後処理についての話し合いが行われました。ポツダム会談と呼ばれます。
ポツダムはソ連軍の占領地区だったため、ソ連共産党書記長スターリンがホストとなって準備はソ連赤軍が行いました。
部屋を区切って滞在し、どの国の代表団もそれぞれ異なった入口から会議場に入ったそうです。
この図は左が宮殿の1階、右が2階です。
ブルーがアメリカ、赤がソ連、黄色が英国の代表団が使用した部屋です。
関係者一同には36の部屋が用意され、必要な家具はポツダムや近郊の他の宮殿や別荘から持ち込まれました。
1階中央上部のグレーの部屋が首脳会談が行われた部屋です。実際には1〜2階の吹き抜けになっています。 -
見学は1階、皇太子妃が使用した部屋から見て行きます。
この部分はポツダム会談ではソ連が使用しました(上の写真の赤い部分のうち右上の3室)。
見学は、ツェツィリエンホーフ宮殿の皇太子家族の居城としての側面と、ポツダム会談の舞台としての側面の2つを合致させながら見て行くことになります。
まず、「船室型のサロン」。
マストのような柱や楕円形の窓、洗面台などが船室のような雰囲気を醸し出しています。
ツェツィーリエ妃は大の航海好きだったそうで、優雅な調度品もツェツィーリエ妃の好みに合わせているそうです。
右に見えている小さな階段を上がると2階の皇太子妃の私室につながります。 -
「白のサロン」。
皇太子妃が音楽サロンとして使用していた部屋です。
コリント式の柱、寄木細工の床、壁のレリーフなどが見てとれます。
イスやテーブル、ソファは皇太子妃が使用した時とは変わっているとのこと。
昔はグランドピアノが置かれていました。 -
「白のサロン」マントルピース。
この部屋は会談の最初の夜、ソ連側ホストの応接室となり、招待客はブッフェでもてなされたそうです。 -
シャンデリアは当初からあったものです。
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隣りの部屋、「赤いサロン」。
もとは皇太子妃の書斎で、優雅なインテリアの部屋でした。
暖炉の青いタイルはオランダのフリースラント産。
風車や農夫、水鳥などが描かれています。
会談時はソ連側の執務室となりました。 -
「赤いサロン」の別方向を見たところ。
半円形に張り出した窓があります。
家具は後から持ち込んだもの。
皇太子妃が使用した家具は残っていないそうです。
確かに、このソファは女性の部屋向きではありませんよね。 -
同じく赤いサロン。
マホガニー製の本棚。
本棚と書籍だけは最初からあったものだそうです。 -
見学のハイライト、首脳会談が行われた会議場です。
もとは皇太子夫妻と家族の居間兼宴会場でした。
奥行き26メートル、高さ12メートルの広い部屋で、屋敷の1階から2階までの吹き抜けになっています。
壁は下半分がカシの木張りになっています。
交渉テーブルは直径3.5メートル。モスクワで製造され、会談のために持ち込まれたもの。
1列目の椅子には政府首脳、外相、大使、通訳が座りました。
特に大きい3つのイスにはソ連のスターリン書記長、イギリスのチャーチル首相、アメリカのトルーマン大統領が座りました。 -
2列目は政治・軍事顧問用のイス。
脇にある机には書記が席を取りました。 -
会議場の天井。
船体を逆さにしたような梁天井が人目を引きます。 -
実際の会談の様子です。
会期中、会議は13回に及んだそうです。
中心議題は戦後ヨーロッパの秩序を再建し、政治・経済面でドイツの将来をいかに処理するべきかという点でした。
日本に対し戦争の終結条件を示し降伏を勧告した「ポツダム宣言」は、会談期間中の7月26日、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相、中華民国の蒋介石主席(ポツダム会談に出席していないため、電報により承認)の共同声明として発表されました。
ソ連はこの時にはまだ日本に対して参戦していないので入っていません。
ポツダム会談の場で日本のことがどのように話し合われたのかが気になるところですが、カトリーヌさんは、「ポツダム宣言」についてはポツダム会談の場では話し合われず、会談期間中、米英首脳の朝の散歩の中で話し合われたと言ってました。 -
ポツダム会談における3首脳の署名。
上からソ連のスターリン書記長
アメリカのトルーマン大統領
イギリスのアトリー首相(イギリスのチャーチル首相は会談中に総選挙で敗北し、途中でアトリーに交代) -
会議場の窓と反対側にはカシの木彫りの豪華な階段があります。
この階段を上がると、皇太子夫妻の私室(寝室、浴室、着衣室)へつながります。 -
隣りの部屋へ進みます。
これは皇太子の喫煙室。
会談時はイギリス側執務室として使用されました。
イギリスのチャーチル首相は会議の第一期中、交渉の休憩時間に行う相談用の部屋として使っていたそうです。 -
同じ部屋の別方向です。
マントルピースの飾り彫りが重厚です。 -
次の部屋。
皇太子の図書室です。
会談時はアメリカ側の執務室として使用されました。
アメリカ大統領トルーマンは随行員との打ち合わせをこの部屋で行っていたと言います。 -
本棚の後ろにちょっとわかりにくい秘密の階段があり、2階の皇太子の狩猟の間につながります。
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図書室の一部は窓に囲まれた明るいサンルーム風になっています。
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皇太子家族の朝食の間。
八角形の部屋。
陳列戸棚も美しい。
ヴェネツィアングラスの水晶シャンデリアは宮殿が建造された時からのオリジナルです。
会談時はアメリカが使っていました。 -
見学の所要時間は40分ほどでした。
私たちはこれで見学を終わりますが、2階の皇太子夫妻の私室(寝室、着衣室、浴室)も別料金で公開されているようです。
最後に売店に寄りました。 -
ツェツィリエンホーフ宮殿の来賓用中庭です。
花壇中央の赤い星はソ連を表しているそうです。
花壇を回った先、正面の3連アーチの部分が来賓用玄関で、英国のチャーチル首相はあそこから入ったそうです。
ホスト役のスターリンは裏側の「白のサロン」から入ったとか。
アメリカのトルーマンはどこから入ったのかわかりません。 -
ツェツィリエンホーフ宮殿の外観。
皇太子はイギリス旅行がきっかけでイギリスの生活様式や建築に憧れるようになったと言います。
この建物はイングランドのチューダー様式風というのでしょうか、宮殿という感じはしませんが、こうして見ると味わい深い建物です。
180の部屋を有するツェツィリエンホーフ宮殿。
現在は一部はホテルとして営業しているそうです。 -
ポツダム会談の場へ来て気が重くなるかと思っていましたが、日本のことが出る場面はなく、ある意味ほっとしました。
でも、売店で買ったツェツィリエンホーフ宮殿の解説本には「ポツダム宣言」が出された流れについてもしっかり書かれていました。
ガイドのカトリーヌさんとはここでお別れです。
ありがとうございました。 -
いよいよ私が楽しみにしていたサンスーシ宮殿を見に行きます。
写真は移動のバスから見えた4階建ての建物です。
普通の住宅ではないのかもしれません。
こんな大きな家、下宿屋でもやらないと部屋が余ってしまいます〜。 -
車窓にすごい建物が見えて来ました。
憧れのサンスーシ宮殿です。
サンスーシというのはフランス語で「憂いが無い」という意味だそうです。
1745年、プロイセン王国のフリードリヒ2世が夏の離宮として建てたもの。サンスーシー宮殿 城・宮殿
-
バスを降りて宮殿へ向かいます。
なぜか風車があります。
サンスーシ宮殿が建てられる前からここにあったそうで、宮殿を建てるにあたり撤去しようとしたら、地元農民の反対に遭い、残したということです。
風車単独ではなかなかいい眺めなんですが、宮殿のすぐそばに建っているので、景観をかなり損ねているような気もしますけどねー。
先に風車があったのなら仕方がありません。
フリードリヒ2世に扮した大道芸人がいて、私たちを見るとフルートで日本の曲を演奏し始めました。フリードリヒ2世はフルートの名手だったそうです。 -
いよいよ宮殿の敷地に入ります。
宮殿脇のブルーの柵。
こぶがあるように見える木は芽吹いたばかりの菩提樹です。 -
これこれ。
サンスーシ宮殿です。
建物はロココ様式。
18世紀前半の建築家、クノーベルスドルフのデザインですが、フリードリヒ2世自らスケッチを描いたそうですよ。入れ込みぶりがわかりますね。
プロイセン王フリードリヒ2世は1740年に即位。
軍事にも内政にも力を尽くし、プロイセン王国の強大化に努めた人物です。。
文学や芸術にも造詣が深く、フランスの哲学者ヴォルテールとも親交があり、自らも「七年戦争史」などの著書があります。
音楽はフルートを演奏した他、作曲もしたという万能ぶりです。
尊敬をこめてフリードリヒ大王と呼ばれています。 -
足元まであるアーチ型の窓がいいですねー。
建物は平屋建てで、長さ100メートル、部屋数は12。
もともと離宮として建てられたものだからか、宮殿としてはそんなに大きくはありません。 -
美しい彫刻が屋根や壁面を飾っています。
ブルーグリーンの屋根とクリーム色の壁。
思い切った配色ですが、これが優雅さを出しています。
内部もロココ様式で相当豪華なのだそうです。
見学できるようですが、残念ながら私たちのツアーには組み込まれていません。 -
サンスーシ宮殿の建物は広々した斜面に建っています。
段々のテラスになっていて、中央の階段で下まで下りて行けます。
いよいよ私が長年疑問に思っていた謎が解けます。
私の疑問とは・・・ -
ここで順番を飛ばして、斜面の下から宮殿を見上げた写真を先に載せます。
私が長い間疑問に思っていたことを説明するのに、この写真を先に見ていただいた方がいいと思うので。
私が昔見た写真もこの辺りから撮った写真でした。
これら階段状の造形物全部が宮殿の建物だと思っていた私。
私はガラス張りの温室状の宮殿が段々に連なっているのを想像して、なんて壮大な建物なのだろう、中はいったいどうなっているのだろうとあれこれ想像をめぐらしていました。
さすがに旅行前にガイドブックを見て、どうもすべてが宮殿の建物ではなさそうだということはわかっていましたが、それではあの階段状の部分はどうなっているのだろう、今回の旅行で真相を知るべく楽しみにやって来たのです。 -
これを見てようやくわかりました。
正体は建物ではなく、ブドウとイチジクが植えられた石の壁だったのです。 -
これですよ。
うっそ〜!
想像から最も遠い結果です。
温室宮殿どころか、さして奥行きのない石の壁だったのです。
はあ〜。
ものすごい勘違いでした。
ブドウとイチジクの木が交互に植えてあります。
ブドウの部分には木の格子、イチジクの部分にはガラスの入った格子戸が取り付けられていて、温室の役目を果たしているのでした。
私の妄想でしたね。
でも、がっかりはしてません。
真相がわかってすっきりしました〜。
考えてみたら、ガラス戸を開け閉めすることで温度調節ができますから、いいアイデアですねー。 -
段々になった斜面の階段を下りて来ました。
-
下から見上げるとこんな感じです。
なんと晴れ晴れした眺めなんでしょう。
昔私が見た写真ではもっとブドウの葉が茂っていました。 -
ブドウとイチジクの葉が茂れば、斜面に緑の滝が出現して宮殿を大きく見せます。
おまけに果樹が収穫できて一石二鳥ですね。
こんな仕掛けは見たことがありません。
素晴らしいアイデアです。
ちなみに私はイチジク大好きです。
スライスしてパンにはさんだり、揚げたりしてお料理に使います。 -
きちんと手入れされた整形式庭園。
-
種類も色もさまざまで、花の宝石箱のようです。
-
私たちは庭園を一回りします。
こちら側は自然な景観が広がるイギリス風の庭園になっています。 -
広大な庭園はサンスーシ公園になっていて、サンスーシ宮殿の他に、新迎賓館、新宮殿、中国茶館、シャルロッテンホーフ宮殿、オランジェリー、絵画館などの建物があります。
中でも新宮殿はサンスーシ宮を建てたフリードリヒ2世が国威を示すために造らせたもので、部屋数200を超える広大かつ豪華な宮殿なのだそうです。 -
水路の周辺にはカモがいました。
かわいい。 -
西へ少し歩くと、右手にクリーム色の壁を持つきれいな建物が見えました。
ここで方向転換。
建物に向かって歩きます。 -
この時は何の建物かわからなかったのですが、帰国して調べてみると、これは新迎賓館でした。
もとは建築家クノーベルスドルフの設計によりオランジェリー(オレンジの温室)として建てられた建物ですが、1771〜1774年にかけて宮殿に改築、フリードリヒ大王の宿泊用として使用されたそうです。
この角度から見ると、もろ風車とかぶってます。(^_^; -
庭に立つ彫刻がここが昔宮廷だったことを物語っているようです。
フリードリヒ大王はベルリンよりポツダムを好み、後半生、ポツダムに住まうことが多かったようです。
軍事に内政に大働きしたフリードリヒ大王ですが、晩年健康を損ね、しだいに周りの人間を遠ざけるようになったとか。
今は11匹の愛犬(ポツダム・グレーハウンド)と一緒にサンスーシ宮殿のテラスにあるお墓に眠っているそうです。
お墓、気づきませんでした。(T_T)
すぐそばを通ったのに・・・。
添乗員さん、教えて欲しかったです。
ちなみにドイツにジャガイモ栽培を広めたのはフリードリヒ2世なのだそうです。 -
菩提樹のトンネル。
ドイツの菩提樹はお釈迦様が木の下で悟りを開いた菩提樹ではなくて、セイヨウボダイジュだということです。 -
新迎賓館と風車。
やっぱり近過ぎ、かな?
新迎賓館の中も見学できるそうです。
フリードリヒ大王が宿泊することが多かったという館、見てみたかったです。 -
散策路に沿って2つの円形庭園が姿を見せます。
これは一つめ。 -
塀の彫像が格調高さを出しています。
-
そしてこれが2つ目の庭園です。
これにて見学を終えます。
290万平方メートルもあるという広いサンスーシ公園。
一部を回っただけですが、とてもいい所でした。 -
バスに乗ってサンスーシ公園を離れます。
車窓から見えた眺め。
これはサンスーシ宮殿の裏側。
入館希望者はこちらから入るようです。
円形の回廊が古代の劇場のような眺めを作り出しています。 -
暗いイメージを持っていたポツダムの株がぐんと上がりました。
ベルリンからも近く、美しい湖の眺め、緑豊かな公園に建つ宮殿の数々。
いい所でした。 -
ポツダムの街へ入って来ました。
昼食はポツダム市内のレストランで食べます。 -
かつてポツダムの街の門だったというナウエル門。
-
赤いレンガ壁の家が並んでいます。
ここはオランダ人街と呼ばれています。
お洒落なブティックやカフェがあるのだとか。
ここもまたポツダムの別の魅力です。 -
オランダ人街。
別の街に入り込んだかのようです。 -
こういう家、好きです〜。
階段を上った先が玄関で、両側に半円形にせり出した窓のある部屋。
ここにリビングや書斎があるのでしょうか?
そして上の階にはバルコニー。
素敵ですね。 -
昼食レストランは「ラーツケラー」というレストラン。
この建物は昔、市庁舎だった建物なのだそうです。
お店の前のシェフ人形は記念撮影に大人気でした。 -
木の半円形のテーブル。
奥の席の人は手前の人に立ってもらわないと出られないけど、いい味出してます。
ドイツのサラダはドレッシングがかかっていて、美味しいです。 -
メインはミートボールです。
美味しいのですが、やはり味付けは濃いめ。
結構脂っぽいです。
つけ合わせはポテトではなく、小麦粉とポテトでつくったようなふにゃふにゃしたものです。 -
ドイツで初めて。
嬉しいチーズタルト。 -
昔、市庁舎だったというレストランの建物。
午後は、これもまた世界遺産の街、ワイマールへ行きます。
ワイマールという街はゲーテやシラー、バッハ、リストといったドイツを代表する偉人が集まった、ドイツの精神文化の中心ともいうべき重要な街なのですが、私は「ワイマール憲法」という言葉を知ってるぐらいで、その他はあまりに馴染みのない街です。
いったいどんな街なのでしょう。
その様子はまた次の旅行記で。
(新緑のドイツ旅行<12>へつづく)
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