2015/05/14 - 2015/05/14
78位(同エリア257件中)
元カニ族さん
天保2(1831)年、渡辺崋山は、相模川を渡って厚木宿に入り、旅籠「万年屋」に宿泊しました。そしてここで二泊し、厚木の著名人たちと交流を深めました。また後に初代厚木町長になった斎藤鐘輔に懇願され、厚木の景勝を描いた「厚木六勝図」を残しています。
図は渡辺崋山が描いた「厚木六勝図」です。図は佐野博正氏蔵(金子勤著「大山道今昔 渡辺崋山の游相日記から)より拝借しました。
そして、渡部崋山は、人々に別れを惜しまれながら、厚木から数百メートル上流の「金田の渡し」から舟に乗って相模川を下っています。ここで「游相日記」は終っていますが、平塚からその後は、江ノ島、藤沢、浦賀を回って江戸に戻っています。
前回の私の旅行記は、厚木宿の旅籠「万年屋」で終わりましたが、今回は「本厚木駅」をスタートして「愛甲石田駅」までを綴ります。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
この日の本厚木駅から愛甲石田駅までのルートマップです。
-
本厚木駅です。
駅ビルにはたくさんの店が入り、レスト街も充実していました。 by 元カニ族さん本厚木駅 駅
-
本厚木駅の駅前広場です。
-
本厚木駅から①「中央通り」の商店街を通って、相模大橋に向かいました。
中央通りは、駅前の賑わいに比べ、シャッター街になっていました。 -
東町郵便局前の交差点です。道路の先に相模大橋が見えます。
相模大橋 寺・神社・教会
-
交差点を右折して、大山街道に入って行きます。
-
図は江戸時代の厚木宿大山道の見取り図です。朱色の枠は表紙の厚木六勝図のそれぞれ描かれた場所です。
-
前回掲載した「厚木神社」の前を通ります。
厚木神社 寺・神社・教会
-
前回掲載した「史跡 烏山藩厚木役所跡」の碑です。
史跡 烏山藩厚木役所跡 名所・史跡
-
「渡辺崋山滞留の地碑 」です。
渡辺崋山滞留の地碑 名所・史跡
-
崋山はここに滞在中、厚木の著名人たちと交流を深めたのでした。
ここから、今回の旅行記を始めます。 -
「渡辺崋山滞留の地碑 」を通り、小田急線のガードをくぐり、右に入ると②「宝安寺」がありました。
厚木宿の中央にあり、旅籠「万年屋」や、相模川の舟運や大山詣で栄えた豪商などの檀家が多い寺でした。 by 元カニ族さん宝安寺 (厚木市) 寺・神社・教会
-
宝安寺は、旅籠の「万年屋」や、大山詣で栄えた豪商などの檀家が多い寺でした。
-
宝安寺を少し行くと、右に木立に囲まれた③「最勝寺」がありました。
上杉謙信が再建した禅宗の寺です。現在この寺は、門が閉ざされ一般の立ち入りが出来ません。 by 元カニ族さん最勝寺 寺・神社・教会
-
少し行くと④「熊野神社」がありました。熊野神社は厚木総鎮守社で、昔は上の「見取り図」にあるように「熊野の森」といわれるほど境内が広かったようです。
渡辺崋山が「厚木六勝図」の一つ「熊森の暁鴉」を描いたところです by 元カニ族さん熊野神社 寺・神社・教会
-
渡辺崋山が表紙に絵のように「厚木六勝図」の一つ「熊森の暁鴉」を描いたところです。
-
社の背後に、樹齢450年以上、根本の直径が3mもある大銀杏があり、市指定の天然記念物になっています。
-
その先を少し、右に入った奥に「知音寺」がありました。
渡辺崋山は「游相日記」に、厚木六勝図を写生した後、知音寺という寺に寄り、住職の茶菓の接待を受けたと書いています。 -
お堂には「知音神社」の扁額がかかっています。
お寺なのか神社なのか?別途調べます。 -
大山街道の戻り、道路の向かい側に渡ると、左斜めに入る道がありました。
大山街道の旧道と思われます。 -
道路も先に「ソニー厚木テクノロジーセンター」のビルが聳えていました。
旭町交差点付近には「きりんど橋」があって、交差点から右上入る道は側道で、川の面影が良く残っています。現在川埋め立てられて残っていませんが、堤の桐は植えれたことから「桐辺橋」とよばれていました。渡辺崋山の厚木六勝図「桐堤賞月」の書かれた場所です「。 -
道路の向かいには「ソニーテクノロジーセンター」の厚生施設があり、その前の「平塚街道碑」がありました。
-
南に進んでいくと⑥「岡田一本杉バス停」があり、小さな稲荷神社がありました。
-
稲荷神社の反対側には、「ソンー厚木第二テクノロジーセンター」が聳えていました。
-
この先、民家が続きます。
-
道路の先には大山が見えました。
-
大山街道が、東名高速をくぐる手前を左に入る道に「矢倉沢往還」の道標がありました。
-
道標を左に入ると⑦「三嶋神社」がありました。ここは伊豆の三嶋神社の祭神「大山?楸神」を勧請しています。
三嶋神社のあたりは「岡田宿」があり、相模川には「岡田村渡し」がありました。境内には、古木が茂り、緑青に覆われた拝殿の屋根など、古社の雰囲気がだだよいます。 by 元カニ族さん三嶋神社 寺・神社・教会
-
境内には、古木が茂り、緑青に覆われた拝殿の屋根など、古社の雰囲気がだだよいます。
-
ここには、海老名の「有鹿神社」と同じように「鐘楼」がありました。
-
拝殿の右奥のケヤキの大木の根元に、道祖神など30体ほどの石造物が並んでいました。
-
坊西稲荷の社もありました。
-
大山街道を隔てた反対側に⑧「永昌寺」がありました。
鰻観音と呼ばれ、昔、相模川が洪水の時、鰻が濁流から逃れ、清水を求めて掘を上り、永昌寺の境内に集まった。それ以来、村人は鰻を水神の使いとして崇めたと伝えられています。永昌寺は別名鰻観音と呼ばれ、鰻を水神の使いとして崇めたと伝えられています。 by 元カニ族さん永昌寺 寺・神社・教会
-
境内には、五地蔵や石仏が並んでいます。
-
東名高速道路のガードをくぐると、⑨「長徳寺」がありました。
長徳寺 寺・神社・教会
-
山門を入ると、美しい日本庭園が広がっていました。
-
池を中心に、築山には型の良い石が並べられ、梅、椿、ツツジ、牡丹などが植えられ、池には真鯉や緋鯉が泳いでいました。
-
長徳寺の南には⑩「法徳寺」がありました。金堂の前に大きな椎の木がありました。
境内はそれほど広くありませんが、本堂の前に大きな椎の木があり、太い蔓が巻き付いています。 by 元カニ族さん法徳寺 寺・神社・教会
-
境内は狭く、民家の中にありました。
-
法徳治を出て⑪「岡田用水堀」に架かる橋を渡りました。
-
⑪「岡田用水堀」の流れです。
-
橋を渡ると左に⑫「リバーサイド団地」が広がっています。
-
団地を抜けて、相模川の堤防に出てみました。広い川原が広がっていました。
相模川 自然・景勝地
-
大山街道に戻って南に進むと、右に⑬「石造物」があり、ここを右に曲がりました。
-
すぐに⑭「酒井寅薬師」がありました。平安時代相模川の洪水で、悪病が流行した時、全国行脚中の恵心僧都がこれを聞き、流木に薬師像を彫り、悪病退散を祈願し、村民を救ったと伝えられています。
本尊の不道明王像は、すぐ隣の「法雲寺」に移されています。平安時代の悪病が流行した時、恵心僧都が流木に薬師像を彫り、悪病退散を祈願したと伝えられています。 by 元カニ族さん酒井寅薬師 寺・神社・教会
-
薬師堂の前に、道標がありました。
-
⑭「法雲寺」に移ると、参道に六地蔵が並んでいました。
-
⑭「法雲寺」の本堂です。
厚木市指定無形民族文化財の双盤念仏が毎年お十夜に行われています。 by 元カニ族さん法雲寺 寺・神社・教会
-
法雲寺の内部の本尊の阿弥陀如来坐像です。
不道明王像は見当たりませんでした。 -
大山街道を進むと「玉川」にさしかかりました。
-
玉川に架かる⑮「新宿橋」を渡りました。
-
真新しい道祖神で、台座に「平成18年1月14日 道祖神移転記念」と彫られて尾ました。
-
街道の先には、大山が望めました。
-
道端に⑯「石造物」がありました。
-
小田原厚木道路のガードをくぐりました。
-
やがて「玉川橋」を渡りましたが、川は地下水路になっていて見えませんでした。
-
橋を渡ったところに、愛甲宿の道標である⑰「庚申塔」がありました。左に「大山道」、右に「あつぎ、江戸青山」と刻まれています。すぐそばに玉川改修記念碑も立っています。
-
大山街道進み、右の小道を登ると、突き当りに六地蔵があり、その左に⑱「大厳寺」がありました。
本堂の裏の斜面を登ると、厚木方面の町並みが遠望できます。 by 元カニ族さん大厳寺 (厚木市) 寺・神社・教会
-
⑱「大厳寺」の本堂です。
-
本堂の脇の坂道を登って遠望した厚木方面です。
-
大山街道に戻ると、また右に入る小道があり、その奥に⑲「円光寺」がありました。
円光寺 寺・神社・教会
-
円光寺は、鎌倉建長寺の末寺です。
-
-
円光寺から少し進むと、交差点に⑳「笠塔婆型の庚申塔」がありました。
-
道標を兼ねていて「右大山道」と彫られています。
-
交差点のすぐ右上にある坂道を上りました。
-
すぐ小田急小田原線「愛甲石田駅」です。
-
この日のウオークはここまでとしました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
68