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5月7日 午後<br /><br />1931年5月、霧社事件と第二霧社事件の生存者(霧社群六社の298人)は、川中島という河川の中の孤立した場所に移住させられました。<br /><br />それ以降、川中島は清流部落と名前を変えて、セデック族抗日部落の人たちの永住地になりました。<br /><br />ここに、日本語が話せるセデック族の女性がいるので訪ねてみました。<br /><br />(表題の写真を変更し1枚の写真を追加しています)

2015年5月 台湾 埔里と高雄の旅③ セデック族の住む「清流部落」へ

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2015/05/06 - 2015/05/11

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yakyukozou

yakyukozouさん

5月7日 午後

1931年5月、霧社事件と第二霧社事件の生存者(霧社群六社の298人)は、川中島という河川の中の孤立した場所に移住させられました。

それ以降、川中島は清流部落と名前を変えて、セデック族抗日部落の人たちの永住地になりました。

ここに、日本語が話せるセデック族の女性がいるので訪ねてみました。

(表題の写真を変更し1枚の写真を追加しています)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配
  • 霧社から一度埔里に戻って、眉原(バイバラ)方面行きのバスに乗ります。<br /><br />少し時間があるので、近くにあった「多福豆花」というお店で休憩。<br />

    霧社から一度埔里に戻って、眉原(バイバラ)方面行きのバスに乗ります。

    少し時間があるので、近くにあった「多福豆花」というお店で休憩。

    多福豆花 (埔里店) スイーツ

    埔里のバス停近くにあった豆花屋さん「多福豆花」 by yakyukozouさん
  • 15:00<br /><br />清流部落に到着。<br /><br />川中島に移住した人たちの土地は褒賞として味方蕃に与えられ、抗日部落の生き残りの人々は全てを失いました。<br /><br />川中島は、現在は「清流部落」と名前を変えているけど、バス停を降りたら「川中島」という看板がありました。<br />

    15:00

    清流部落に到着。

    川中島に移住した人たちの土地は褒賞として味方蕃に与えられ、抗日部落の生き残りの人々は全てを失いました。

    川中島は、現在は「清流部落」と名前を変えているけど、バス停を降りたら「川中島」という看板がありました。

  • 村のメインストリート。

    村のメインストリート。

  • 周囲は水田に。<br /><br />獲物を求めて山の中を駆け巡っていた人たちは、今は農業で生計をたてているのです。

    周囲は水田に。

    獲物を求めて山の中を駆け巡っていた人たちは、今は農業で生計をたてているのです。

  • 村に1軒だけある売店。

    村に1軒だけある売店。

  • これは馬告。<br /><br />馬告は原住民族の伝統的な調味料。<br /><br />標高の高い山奥で取れるらしい。<br />檸檬のような香りですが、味は山椒のようでした。<br /><br />

    これは馬告。

    馬告は原住民族の伝統的な調味料。

    標高の高い山奥で取れるらしい。
    檸檬のような香りですが、味は山椒のようでした。

  • 村の中をブラブラします。

    村の中をブラブラします。

  • 村の風景です。<br /><br />建物のデザインが少し違いますね。

    村の風景です。

    建物のデザインが少し違いますね。

  • こっちも。<br />

    こっちも。

  • 村を歩いていたら部落の人から「日本人?」と尋ねられて、写真のレジメのようなものを渡されました。<br /><br />明後日、5月9日は霧社6社のセデック族が川中島に移住した日ということで、毎年記念式典があるらしいのです。<br /><br />式典のあとは、セデック族の舞踊もあるらしく「こんな機会はない」とギリギリまで悩みましたが、次の予定もあるので今回は見送りました。(ゴメンナサイ!)<br />

    村を歩いていたら部落の人から「日本人?」と尋ねられて、写真のレジメのようなものを渡されました。

    明後日、5月9日は霧社6社のセデック族が川中島に移住した日ということで、毎年記念式典があるらしいのです。

    式典のあとは、セデック族の舞踊もあるらしく「こんな機会はない」とギリギリまで悩みましたが、次の予定もあるので今回は見送りました。(ゴメンナサイ!)

  • この建物は部落の役所。<br />壁にはレリーフ。

    この建物は部落の役所。
    壁にはレリーフ。

  • こっちは学校。

    こっちは学校。

  • 体育館のような広場。

    体育館のような広場。

  • あちこちにレリーフのようなものがあります。<br />学校にあったレリーフには、かつての狩場(土地)での、猟の模様が描かれていました。

    あちこちにレリーフのようなものがあります。
    学校にあったレリーフには、かつての狩場(土地)での、猟の模様が描かれていました。

  • 部落のはずれに工房があります。<br /><br />この工房に黄瑞香さんという女性がいます。<br />

    部落のはずれに工房があります。

    この工房に黄瑞香さんという女性がいます。

  • 黄瑞香さんはマへボ社の人です。<br /><br />霧社事件のことや昔の部落のこと、家族のこと、川中島での生活のことなどセデック族のお酒をご馳走になりながら2時間位、流暢な日本語で話して頂けました。<br /><br />

    黄瑞香さんはマへボ社の人です。

    霧社事件のことや昔の部落のこと、家族のこと、川中島での生活のことなどセデック族のお酒をご馳走になりながら2時間位、流暢な日本語で話して頂けました。

  • 黄さんの若い頃。<br />セデック族の衣装がお似合いです。<br />

    黄さんの若い頃。
    セデック族の衣装がお似合いです。

  • ご家族の写真。<br />他にも昔の写真がありました。

    ご家族の写真。
    他にも昔の写真がありました。

  • 黄さんはひとりでセデックの民族衣装を織ったりしています。<br />

    黄さんはひとりでセデックの民族衣装を織ったりしています。

  • 黄さんが作ったセデック族の衣装を見せてもらいました。<br /><br />夕方から明後日の式典に備えて舞踊の練習があるとのことで、今日はこれまで。<br />あっという間の2時間でした。<br /><br />黄さんが、「私は日本が好きです」と繰り返し言っていたことが、何よりも印象に残りました。<br /><br />

    黄さんが作ったセデック族の衣装を見せてもらいました。

    夕方から明後日の式典に備えて舞踊の練習があるとのことで、今日はこれまで。
    あっという間の2時間でした。

    黄さんが、「私は日本が好きです」と繰り返し言っていたことが、何よりも印象に残りました。

  • 黄さんの自宅を出ていくと部落の隅には、霧社事件記念館もありました。

    黄さんの自宅を出ていくと部落の隅には、霧社事件記念館もありました。

  • レリーフと霧社事件の記念碑。

    レリーフと霧社事件の記念碑。

  • 移住当時の川中島。<br />手前の建物は警察署。奥の方がセデック族の居住地。

    移住当時の川中島。
    手前の建物は警察署。奥の方がセデック族の居住地。

  • 当時の日本の警察の制服も展示してありました。

    当時の日本の警察の制服も展示してありました。

  • 清流部落を出て橋を渡って、ひとつ先のバス停まで歩きます。<br /><br />あまりにも利用者がいないので、バスは橋を渡って清流部落の中まで入らず通過してしまう場合が多いのです。(笑)<br /><br />写真は振り返って清流部落の方向を撮影したものです。

    清流部落を出て橋を渡って、ひとつ先のバス停まで歩きます。

    あまりにも利用者がいないので、バスは橋を渡って清流部落の中まで入らず通過してしまう場合が多いのです。(笑)

    写真は振り返って清流部落の方向を撮影したものです。

  • ひとつ手前のバス停「清流」で1時間近く待っていると、目の前にワゴン車が・・。<br />中原というひとつ先の部落のセデック族の人が通りかかり埔里まで送ってくれると・・・<br /><br />名前は巴萬(バワン)さん。<br />日治時代のお父さんの名字は「西田さん」ということなど、約1時間話しながら、結局ゲストハウスまで送って頂きました。<br /><br />ところが、話に夢中で、巴萬さんの車の中に清流部落の売店で買ったお土産をおいてきてしまったのですが、約1時間後、気が付いた巴萬さんがわざわざゲストハウスまで届けてくれました。<br /><br />ゲストハウスの皆さんもビックリでした。<br /><br />巴萬さんから住所と電話番号頂いて「次、来たら酒でも飲もうと」。<br /><br />次回ここに来るのが楽しみ!・・・だから台湾大好きです。<br /><br />(写真は巴萬さんの車の助手席から撮影しました)<br />

    ひとつ手前のバス停「清流」で1時間近く待っていると、目の前にワゴン車が・・。
    中原というひとつ先の部落のセデック族の人が通りかかり埔里まで送ってくれると・・・

    名前は巴萬(バワン)さん。
    日治時代のお父さんの名字は「西田さん」ということなど、約1時間話しながら、結局ゲストハウスまで送って頂きました。

    ところが、話に夢中で、巴萬さんの車の中に清流部落の売店で買ったお土産をおいてきてしまったのですが、約1時間後、気が付いた巴萬さんがわざわざゲストハウスまで届けてくれました。

    ゲストハウスの皆さんもビックリでした。

    巴萬さんから住所と電話番号頂いて「次、来たら酒でも飲もうと」。

    次回ここに来るのが楽しみ!・・・だから台湾大好きです。

    (写真は巴萬さんの車の助手席から撮影しました)

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