2015/04/11 - 2015/04/12
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kyucyanさん
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北タイ・ミヤンマー国境線の旅も二日目に入りました。
今日の予定では、さほど難所の道は無い筈ですが、本心は昔の「難所が、まだ残っていれば嬉しい」が、正直な本音です。
遥か昔、ドイアンカンからウィアンへーンに向かう途中で日が暮れ、暗闇の悪路を何時間も走った思い出があります。
それもオフバイクでなく、チョッパー?のファントム150ですからたまりません。
50代前半の体力と、60歳後半の体力ではかなりの差がありますが、今は年相応の走り方を心掛ける年代になってしまいました。
写真は、14年前に訪れたラックテンの国境市場です。
小さな市場ですが、ミヤンマー側から多くの人が訪れていた思い出深い国境です。
現在は昔の面影は見る影もなく「国境です」、というより、遥か昔は「国境でした」と言ったほうが正しいのかも知れません。
この国境で生活を支えていた人々(主にミヤンマーの少数民族)は、一体何処に消えたのでしょうか。
国境の移り変わりと厳しい現実を思い知る、一日に成ってしまいました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
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バイク旅の時は、大抵6時過ぎに起床、朝7時前後に出発と言うパターンが多く、日暮れまでには宿に入るようにしています。
今年は異常気象なのでしょうか。
ソンクラーンなのに、朝方は震えるほどに寒い日が続いています。
日が昇る9時過ぎまで薄いジャンパーでも着ないと寒くて走れません。
ファングの街に朝日が昇ってきました。 -
ミヤンマー沿いの道筋をたどり、チェンダオ、アルノータイの国境に向かいます。
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この辺りの畑は全て岩石が露出しており、農地には適さない所ですが、ここで生まれ育った人々は、故郷を捨てる訳にはいきません。
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ミヤンマー国境線が近づくに連れ、山深くなってきます。
この岩山の向こう側がミヤンマーになり国境線の道を走る筈でした。
岩山を回り込んだ所に検問所があり5〜6人の軍人が検問をしていました。
ほんの3キロほどの国境と並行する道なので問題は無いだろうと思っていましたが、敢え無く通行禁止だそうです。
ここを通らないと50キロ近くも回り道になるので、何とか通して欲しいと懇願するも却下されました、写真も、勿論駄目。
この辺りは迂回路も無く、仕方なく1098号線まで20数キロの道のりを戻ることになり、往復で50キロの無駄足は痛いです。
自分は20数キロ戻るだけですが、ラノーンまで行ったOm Koi氏は2000キロを戻る?ことになります。
20キロと2000キロでは気が遠くなるほど桁が違います。 -
ファングの街まで戻ったついでに、効きの悪くなったブレーキパッドを交換しました。
昨日の山道で、前輪のパッドがかなり焼けたようで、交換費100B、自分でやれば50B、消耗部品交換は日本の3〜5分の一位でしょうか。 -
アルノータイが近づくと、中国の雰囲気が漂ってきます。
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アルノータイはミヤンマー国境に隣接する中国人の街です。
風光明媚なミヤンマーの山々と、小さな湖の周りに広がる数百戸?規模の街で、セブンイレブンも当然のようにありました。
街の雰囲気がヒンテーク(トートタイ)やドイワーウィと似ており、中国人村の雰囲気を醸し出していました。
小さな湖を一回りしてから、昼飯にします -
ネットで美味しいと評判の?、中華の店で餃子を食べることにしました。
こういうところは、ミーチャン、ハーチャン丸出しです。 -
餃子二皿、中国ラーメンで125バーツ、餃子は皮がパリパリで美味しかったです。
ちょっと食べ過ぎて、旅の緊張感が緩みます。 -
ついでですから、メニューを載せておきます。
場所は7イレブン近く(100m位?)の店です。 -
お腹いっぱいになった所で数キロ先のキューパーウオック国境に向かいます。
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アルノータイから数分でキューパーウオック国境に到着です。
賑やかな国境かと思ったら「シ〜〜〜ン」と静まり返った国境でした。
監視所に確認の上、写真を撮りました。
国境の緊張感は、まるでありません。
暫く地元の人が通るのを見てましたが、誰一人通りません。
普通のローカルな国境は地元の人で、賑わうと思っていた自分は完全な肩透かし状態でした。
昔一度この国境に来た筈なんですが、当時と印象がまったく変ってしまい、、自分には、初めての場所にしか見えませんでした。
「何故、人が通らないのか、周辺の住民の行き来は出来ないのか」警備の軍人に聞きたかったのですが、タイ語能力不足のため聞けませんでした。 -
地元の人の行き来が認められていれば、それなりの店や、賑わいがあるのが普通ですが、現在の国境には生気がまるでありません。
ひょっとしたら、タイ・ミヤンマーの関係悪化で、地元の人でさえ簡単に行き来出来ない国境になったのかも知れません。
ミヤンマー民主化に伴い外国人にも開放の噂がありますが、かなり先の話ではないでしょうか? -
あまりにも味気のない国境の為、早々に次の国境ラックテンに向かいます。
ラックテン国境は10年以上前に一度訪れたことがあり、当時は地元の人達でかなり賑わっていました。
国境の賑わいは、何時でも何処でもワクワクするものです。 -
思惑が外れたキューパーウオック国境でしたが、ラックテンの賑わいを想像しながらバイクを走らせます。
ラックテンに向かう1178号線は、10数年前は全線未舗装の酷い道でしたが、今は舗装部分が多く、所々未舗装があると言った感じです。 -
ラックテンの街に到着です。
昔は無かったセブンもあり、それなりに発展したなと言う感じでした。
10年一昔とは良く言いますが、タイの移り変わりの速さの中で、自分を浦島太郎に重ね合わせる事が多くなった気がします。
年のせいでしょうか、時代に取り残されたような気持ちになることも最近は多くなりました。
いよいよ、ここから20キロ程先がラックテン国境です。 -
セブンから20分ほどでラックテンの国境に着きました。
ですが、何か雰囲気がおかしい、これは絶対におかしいと感じながらバイクを下りました。
昔の活気のあった国境を想像していた自分は、目の前の現実を暫く受け入れられませんでした。 -
ミヤンマーの少数民族が道の両側で商いをしていた同じ場所ですが、これは一体どうしたのでしょう。
見覚えのある検問所は朽ち果て、錆びた粗末な鉄骨に有刺鉄線がグルグル巻きつけて、ミヤンマーに通じる小さな谷間の道は完全に塞がれていました。
国境と検問所自体が消滅していたのです。 -
小さな谷の検問所を行き来していた、多くの少数民族は一体何処に消えたのでしょう。
道は塞がれているばかりでなく、道自体が畑に変わり消滅していました。 -
検問所左側のワットへの坂道を登り、高い位置からかつての国境を望むと、ミヤンマー側の監視所さえも消えて草木に覆われていました。
ここからミヤンマーの少数民族が行き来する姿を見ながら、国境のロマンに酔いしれていた自分には、見たくも無い寂しい光景が広がっていました。 -
ラックテン方面へ向かう、この谷は多くの人達で溢れていましたが、今は完全な行き止まりになり、犬一匹さえも見掛けない生気のない国境に変わり果てていました。
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タイ側の丘の上の寺院だけは、昔と比べて立派に成っていました。
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ラックテンのメイン通りも、今は見る影もありません。
昔泊まったラックテンのゲストハウスに泊まり、早起きして国境の朝市を見物しようという目論見は、見事に外れました。
考えてみれば、10年以上何も変わらない物事なんて、殆ど無いですよね?。
変わって欲しくないと言う自分勝手な願望が、心の中で妄想のラックテンを作り上げていたようです。
冷静に現実の世界に戻ると、この街に泊まる意味は全く無くなり、ウィアンへーンに向かいます。 -
ラックテン国境からウィアンへーンまで約30キロほどの道程です。
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昔ゲストハウスが1軒も無かったウィアンへーンは、表通りだけで数軒のゲストハウスが出来ていました。
おまけにセブンも出来ており、昔の辺境のイメージは既に消えていました。 -
500バーツでエアコン、冷蔵庫、温水、朝飯付です。
昔話になりますが、田舎で、ちょっとしたホテルに泊まれた金額ですね。 -
夕飯は近くの道路際の飯屋に入りました。
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他に客は無く、店の40代のおかみと少し話をしながら食べた夕食です。
カオパットに野菜炒め、缶ビール、110バーツ。
酒は飲めない体質ですが、たまに気分で缶ビールを1本だけ飲むこともあります。 -
本日の走行ルートです。
普通はGPSで走行ルートが簡単に表示できるのですが、バケツの直撃をくらい、GPSがお釈迦になりました。
一応防水対策はしていたのですが、大きなバケツの直撃には耐えられなかったようです。
予備のGPSを持参してましたが、バイクには取り付けず、道に迷った時だけ止まって見る事にしました。
こういう時はOm Koi氏のように、全くGPSに頼らず、全て自力で判断した道を
走る姿は立派だと思います。
自分はGPSを使ってから、ルートから何から全てGPSに丸投げで、安易で楽な旅に馴れ切ってしまいました。 -
今まで少し位の雨では平気だったので薄いビニール袋に入れて油断していました。
USBの隙間から水圧の高い水が浸入し回路がショートしたようで、一瞬にして画面が白くなり、SWも切れなくなりました。
宿で分解、水を拭き取っても後の祭りでした。
4年に渡り愛用したGPSですが、あっけない最後でした。 -
ゲストハウスの朝食、カオトム・ムーに、揚げパン、コーヒー付きです。
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朝7時少し過ぎウィアンへーンを出発です。
今日は未走行の道が殆どで、相当な難所が予想され、緊張しながら走り出しました。 -
2015.5.25、写真を追加です。
デジカメの写真を整理していたら14年前のアルノータイとラックテンの国境の写真が見つかりました
当時の国境の様子が思い出されます。
一枚目は14年前のアルノータイ(キオパーウォック)の国境です
当時は行き交う人も多く活気のある国境でした。
何しろ14年前なので、この国境を訪れた記憶が欠落し、上記に頓珍漢な事を書いているのが笑えます。
今は記憶が少しづつ戻って来ました。 -
14年前に訪れたアルノータイ(キオパーウォック)の国境市場です。
当時は国境の門前市場が開かれていました。
大した物は売ってませんが、何となく国境市場はウキウキしたのを憶えています。 -
ラックテン国境のタイ側イミグレです。
ブロックの受付の建物は今でも残っていますね。 -
14年前のラックテンの国境市場です。
小さいですが、ミヤンマー側から多くの人が訪れていました。
写真中央やや左の坂道を登ると、ミヤンマー側を見渡せるワットに出ます。 -
ワットの山から見た国境のミヤンマー側には、多くの建物がありました。
今は廃墟だけが、雑草に埋もれています。
ミヤンマーへの道は雑木とヤブに覆われ、今は道さえも消滅しています。
時代の流れとは言え、何とも寂しい風景です。
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