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 今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて<br />ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復して<br />ヨーロッパ、モロッコを船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。<br />高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。<br />乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。<br /> 観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、<br />平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。<br /> そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。<br />  <br /> 今回は、ダイレクトオリエント急行に乗ってブルガリア ソフィア、<br />五木寛之著「ソフィアの秋」を読んでいたからである。<br />「ソフィアの秋」(&#39;68年9月初出)は、、五木寛之がソフィア、プラハ<br />へと旅行し、帰国後まもなく発表した作品である。<br /> あらすじは、美術史を学ぶ学生が、古いイコン(聖像画)を求めて<br />友人とブルガリアに旅する話で主人公は首都ソフィア近郊の村で<br />イコンを手に入れるが、バルカン山脈を越える際に吹雪に遭い、<br />暖をとるために手に入れた折角のイコンを燃やしてしまうという小説で<br />五木寛之の一連の海外小説の終わりは読者にとってハッピーエンドではなく<br />いつまでも心にもやもや感が残る結末が多い。

青年は荒野をめざす Vol.43 憧れのオリエント急行は出稼ぎ列車だった イスタンブール~ソフィア~ベオグラード

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1975/01/26 - 1975/01/29

112位(同エリア551件中)

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18

ノスタルジア

ノスタルジアさん

 今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復して
ヨーロッパ、モロッコを船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
 観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
 そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
  
 今回は、ダイレクトオリエント急行に乗ってブルガリア ソフィア、
五木寛之著「ソフィアの秋」を読んでいたからである。
「ソフィアの秋」('68年9月初出)は、、五木寛之がソフィア、プラハ
へと旅行し、帰国後まもなく発表した作品である。
 あらすじは、美術史を学ぶ学生が、古いイコン(聖像画)を求めて
友人とブルガリアに旅する話で主人公は首都ソフィア近郊の村で
イコンを手に入れるが、バルカン山脈を越える際に吹雪に遭い、
暖をとるために手に入れた折角のイコンを燃やしてしまうという小説で
五木寛之の一連の海外小説の終わりは読者にとってハッピーエンドではなく
いつまでも心にもやもや感が残る結末が多い。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
  • 旅行記の周辺地図<br />昭和50年1月26日<br />イスタンブール〜<br />1月27日<br />〜ブルガリア ソフィア<br />1月28日<br />ソフィア〜ユーゴスラヴィア ベオグラード〜<br />1月29日<br />〜オーストリア フィラッハ〜ドイツ フランクフルト〜<br />1月30日<br />〜オーストリア ウィーン

    旅行記の周辺地図
    昭和50年1月26日
    イスタンブール〜
    1月27日
    〜ブルガリア ソフィア
    1月28日
    ソフィア〜ユーゴスラヴィア ベオグラード〜
    1月29日
    〜オーストリア フィラッハ〜ドイツ フランクフルト〜
    1月30日
    〜オーストリア ウィーン

  • 昭和50年1月26日<br />トルコ イスタンブール〜ベオグラード<br />ダイレクトオリエント急行乗車券262トルコリラ5,392円<br /><br /> オリエント急行は、パリ〜コンスタンティノープル(イスタンブール)間で<br />1883年に運行が始まりその後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ列車が<br />「オリエント急行」を名乗るようになった。<br />西ヨーロッパ側の起点はパリの他フランスのカレーやベルギーのオーステンデ<br />などがあり、バルカン半島側の終点はイスタンブルの他ギリシアのアテネや<br />ルーマニアのコンスタンツァ、ブカレストなどがあった。<br />1975年当時、これらの列車は出発地や途中の経路により以下のように<br />名付けられていた。<br />・ダイレクト・オリエント急行 1962年〜1977年<br />パリ〜イスタンブール<br />・オリエント急行 1883年〜2009年 <br />カレー〜イスタンブール<br />・バルト・オリエント急行 1948年〜1995年 <br />ストックホルム〜ベオグラード<br />・タウエルン・オリエント急行 1966年〜1979年 <br />ミュンヘン〜イスタンブール

    昭和50年1月26日
    トルコ イスタンブール〜ベオグラード
    ダイレクトオリエント急行乗車券262トルコリラ5,392円

     オリエント急行は、パリ〜コンスタンティノープル(イスタンブール)間で
    1883年に運行が始まりその後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ列車が
    「オリエント急行」を名乗るようになった。
    西ヨーロッパ側の起点はパリの他フランスのカレーやベルギーのオーステンデ
    などがあり、バルカン半島側の終点はイスタンブルの他ギリシアのアテネや
    ルーマニアのコンスタンツァ、ブカレストなどがあった。
    1975年当時、これらの列車は出発地や途中の経路により以下のように
    名付けられていた。
    ・ダイレクト・オリエント急行 1962年〜1977年
    パリ〜イスタンブール
    ・オリエント急行 1883年〜2009年
    カレー〜イスタンブール
    ・バルト・オリエント急行 1948年〜1995年
    ストックホルム〜ベオグラード
    ・タウエルン・オリエント急行 1966年〜1979年
    ミュンヘン〜イスタンブール

  • 昭和50年1月26日<br />1,000クルシュ 205円<br />イスタンブール〜ベオグラード<br />ダイレクト オリエント急行指定席券1,000クルシュ205円<br /><br /> 駅のホームで列車を見た時は思ってたイメージと違って正直がっかりした。<br />ダイレクト オリエント急行は中東の人たちの出稼ぎ列車だったのである。<br />しかも満員で運び込んだ荷物て座席に座ると身動き出来ないくらいである。<br />ユーレイルパスが使えないので2等席を買ったので仕方がなかった。<br />1等席、食堂車については<br />ショーン・コネリー主演で「007 ロシアより愛をこめて」として映画化されており、「オリエント急行」でのシーンも見せ場の一つとして描かれている。<br />https://www.youtube.com/watch?v=ncQ4-NFGIEw<br /> 映画「オリエント急行殺人事件」のような豪華列車は1975年にはなく、<br />1976年に観光列車としてノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行が<br />運行開始した。<br /> 当初はノスタルジー・オリエント急行或いはノスタルジック・オリエント急行<br />と呼ばれていたが、1983年以降は「イスタンブール」を付加している。<br />車両はかつの寝台車、プルマン車(サロン車)、食堂車などが主であった。<br /> その後列車名をめぐる訴訟をきっかけに、2008年以降は「オリエント急行」<br />という名は使われていない。

    昭和50年1月26日
    1,000クルシュ 205円
    イスタンブール〜ベオグラード
    ダイレクト オリエント急行指定席券1,000クルシュ205円

     駅のホームで列車を見た時は思ってたイメージと違って正直がっかりした。
    ダイレクト オリエント急行は中東の人たちの出稼ぎ列車だったのである。
    しかも満員で運び込んだ荷物て座席に座ると身動き出来ないくらいである。
    ユーレイルパスが使えないので2等席を買ったので仕方がなかった。
    1等席、食堂車については
    ショーン・コネリー主演で「007 ロシアより愛をこめて」として映画化されており、「オリエント急行」でのシーンも見せ場の一つとして描かれている。
    https://www.youtube.com/watch?v=ncQ4-NFGIEw
     映画「オリエント急行殺人事件」のような豪華列車は1975年にはなく、
    1976年に観光列車としてノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行が
    運行開始した。
     当初はノスタルジー・オリエント急行或いはノスタルジック・オリエント急行
    と呼ばれていたが、1983年以降は「イスタンブール」を付加している。
    車両はかつの寝台車、プルマン車(サロン車)、食堂車などが主であった。
     その後列車名をめぐる訴訟をきっかけに、2008年以降は「オリエント急行」
    という名は使われていない。

  • 昭和50年1月26日<br />イスタンブール駅の窓口でオリエント急行の乗車券と一緒にくれた。<br />検索したが何の券か判らない。<br />1975年4月19日 5トルコリラ103円となっているが、<br />駅前の映画館で上映中の看板の「オリエント急行殺人事件」の割引券?<br />誰か分かる人、教えてください。

    昭和50年1月26日
    イスタンブール駅の窓口でオリエント急行の乗車券と一緒にくれた。
    検索したが何の券か判らない。
    1975年4月19日 5トルコリラ103円となっているが、
    駅前の映画館で上映中の看板の「オリエント急行殺人事件」の割引券?
    誰か分かる人、教えてください。

  • 昭和50年1月27日<br />トルコ出国スタンプ

    昭和50年1月27日
    トルコ出国スタンプ

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリアのビザと入出国スタンプ

    昭和50年1月27日
    ブルガリアのビザと入出国スタンプ

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリア ソフィア駅で5ドル1,425円を両替 1レフ239.9円<br /><br /> ソフィア駅にに昼過ぎに着いた。駅は工事中で閑散としていて<br />イスタンブールとは雰囲気が大分違っていた。<br />街路はひっそりとしていたが、美しい落ち着いた街だった。<br />快晴だったが風が冷たかった。

    昭和50年1月27日
    ブルガリア ソフィア駅で5ドル1,425円を両替 1レフ239.9円

     ソフィア駅にに昼過ぎに着いた。駅は工事中で閑散としていて
    イスタンブールとは雰囲気が大分違っていた。
    街路はひっそりとしていたが、美しい落ち着いた街だった。
    快晴だったが風が冷たかった。

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリアにもユースホステルがあった。

    昭和50年1月27日
    ブルガリアにもユースホステルがあった。

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリア ソフィアのユースホステルの宿泊券<br />1泊 72ストティンキ×2枚で144ストティンキ350円

    昭和50年1月27日
    ブルガリア ソフィアのユースホステルの宿泊券
    1泊 72ストティンキ×2枚で144ストティンキ350円

  • 昭和50年1月27日<br />ソフィアのユースホステル宿泊スタンプ

    昭和50年1月27日
    ソフィアのユースホステル宿泊スタンプ

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリア ソフィア アレクサンドル・ネフスキー大聖堂<br /><br /> アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、ドームが交差するバシリカ建築で、<br />特に中央のドーム部分が強調されている。<br />金メッキされた聖堂のドームは45メートルあり、鐘楼を含めると<br />50.52メートルの高さを誇る。<br /> 寺院は総重量23に及ぶ12個の鐘を備え、その中でも最も重いものは12トンで、<br />最も軽い鐘は10キログラムしかない。<br />内部は様々な色で彩られたイタリアの大理石やブラジルのシマメノウ、<br />アラバスターと豪華な素材で装飾されている。<br />中央のドームは、天主経が薄い金の文字で彫刻されている。<br /><br />「ソフィアの秋」から引用すると<br />ふと目の前に、いつか絵葉書で見たアレクサンダー・ネフスキー寺院の壮麗な<br />円屋根が現われた。やや淡い緑色の屋根を金色の塔が包み、周囲には落葉した<br />樹々が放射状に続いている。遠近法のない絵画を見るようなくっきりとした<br />風景だった。秋のソフィアの空は硬いタルキッシュブルーに澄み渡り、<br />空気は粒立ったように新鮮で冷たく、子供たちの叫び声が聞こえていた。<br />ゆっくり移動して行くと、突然、円屋根の背後に、白い雪をいただいた<br />牛の背のようなバルカン山脈が現われた。<br /> その時、アレクサンダー・ネフスキー寺院の塔の高みから、透明な鐘の音が<br />やわらかに私の上に降りかかって来た。<br />その鐘の音は、少しの乱れもなく、あのビザンチン様式の直截さで、<br />静まり返ったソフィアの街にゆっくりと広がって行くのだった。<br /> <br /> 小説のこのくだりを読んでどうしてもソフィアに行きたくなったのである。<br />小説どおりの世界だった。

    昭和50年1月27日
    ブルガリア ソフィア アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

     アレクサンドル・ネフスキー大聖堂は、ドームが交差するバシリカ建築で、
    特に中央のドーム部分が強調されている。
    金メッキされた聖堂のドームは45メートルあり、鐘楼を含めると
    50.52メートルの高さを誇る。
     寺院は総重量23に及ぶ12個の鐘を備え、その中でも最も重いものは12トンで、
    最も軽い鐘は10キログラムしかない。
    内部は様々な色で彩られたイタリアの大理石やブラジルのシマメノウ、
    アラバスターと豪華な素材で装飾されている。
    中央のドームは、天主経が薄い金の文字で彫刻されている。

    「ソフィアの秋」から引用すると
    ふと目の前に、いつか絵葉書で見たアレクサンダー・ネフスキー寺院の壮麗な
    円屋根が現われた。やや淡い緑色の屋根を金色の塔が包み、周囲には落葉した
    樹々が放射状に続いている。遠近法のない絵画を見るようなくっきりとした
    風景だった。秋のソフィアの空は硬いタルキッシュブルーに澄み渡り、
    空気は粒立ったように新鮮で冷たく、子供たちの叫び声が聞こえていた。
    ゆっくり移動して行くと、突然、円屋根の背後に、白い雪をいただいた
    牛の背のようなバルカン山脈が現われた。
     その時、アレクサンダー・ネフスキー寺院の塔の高みから、透明な鐘の音が
    やわらかに私の上に降りかかって来た。
    その鐘の音は、少しの乱れもなく、あのビザンチン様式の直截さで、
    静まり返ったソフィアの街にゆっくりと広がって行くのだった。
     
     小説のこのくだりを読んでどうしてもソフィアに行きたくなったのである。
    小説どおりの世界だった。

  • 昭和50年1月27日<br />ソフィアの市場<br /><br /> 売られている衣類、食料品等の生活必需品は品数、種類とも貧弱だった。<br />イコンも売っていたが、一番安い物で70ドル約20,000円と高く諦めた。

    昭和50年1月27日
    ソフィアの市場

     売られている衣類、食料品等の生活必需品は品数、種類とも貧弱だった。
    イコンも売っていたが、一番安い物で70ドル約20,000円と高く諦めた。

  • 昭和50年1月27日<br />ソフィア 夕食代3.3レヴァ792円のレシート

    昭和50年1月27日
    ソフィア 夕食代3.3レヴァ792円のレシート

  • 昭和50年1月27日<br />ソフィア 買い物レシート<br />金額判読不能。

    昭和50年1月27日
    ソフィア 買い物レシート
    金額判読不能。

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリア ソフィア市内

    昭和50年1月27日
    ブルガリア ソフィア市内

  • 昭和50年1月27日<br />ブルガリア ソフィア<br />ゲオルギー・デミトロフ廟<br /><br /> 廟は 1949 年に共産主義の指導者でブルガリアの初代首相である<br />ゲオルギー・デミトロフ(1882年〜1949 年)遺体が安置されていたが、<br />その後1、990 年 8 月に火葬され、市内の中央墓地に埋められ、<br />霊廟は1999 年に破壊された。

    昭和50年1月27日
    ブルガリア ソフィア
    ゲオルギー・デミトロフ廟

     廟は 1949 年に共産主義の指導者でブルガリアの初代首相である
    ゲオルギー・デミトロフ(1882年〜1949 年)遺体が安置されていたが、
    その後1、990 年 8 月に火葬され、市内の中央墓地に埋められ、
    霊廟は1999 年に破壊された。

  • 昭和50年1月26日〜28日<br />ダイレクトオリエント急行の時刻表

    昭和50年1月26日〜28日
    ダイレクトオリエント急行の時刻表

  • 昭和50年1月28日<br />ユーゴスラヴィア ベオグラード駅で<br />ベオグラードからオーストリア フィラッハまでの<br />ダイレクトオリエント急行乗車券306ディナール 18.5ドルを買った。<br /><br /> ダイレクトオリエント急行はソフィア駅に1時間遅れで到着した。<br />そしてユーゴスラヴィアのベオグラード駅には32分遅れて20時10分に着いた。<br />ここでフランクフルト行き20時45分発に乗り換えなければならないが、<br />35分間で両替、オーストリアの国境駅フィラッハまでの切符を買わなければ<br />ならなかった。<br />それならイスタンブール駅かソフィア駅でフィラッハまでの切符を<br />買っておけば、と思うかもしれないが、ベオグラードで乗り換えする場合は、<br />乗り換え駅で切符を買わなければならなかった。<br /> こんなにスリル感を味わったのはソ連、ポーランド以来である。<br />当時の東欧は冷戦真っただ中で、自由気ままに旅行するのは大変だったのである。<br />10分余りで切符を買えたのでほっとした。<br /><br />昭和50年1月29日<br /> オーストリアの国境駅フィラッハでの検査が厳しかった。<br />大きなシェパード犬も動員されていて荷物を徹底的に調べられ眠気も吹っ飛んだ。<br />出稼ぎ労働者が多く乗っていたせいかもしれない。<br /> オーストリアへの入国審査が済み、ユーレイルパスが使える1等車両に移ると、<br />6人掛けのコンパートメントの乗客は自分一人だったので座席を伸ばして<br />ベッドにして眠りについた。<br /> ところがザルツブルクで乗り換えてウィーンに行くつもりだったが、<br />目覚めると終点フランクフルトだった。<br />1等席だったせいか気持ち良く寝てしまったらしい。<br />ベオグラードから1,473.6キロだった。 <br /> 

    昭和50年1月28日
    ユーゴスラヴィア ベオグラード駅で
    ベオグラードからオーストリア フィラッハまでの
    ダイレクトオリエント急行乗車券306ディナール 18.5ドルを買った。

     ダイレクトオリエント急行はソフィア駅に1時間遅れで到着した。
    そしてユーゴスラヴィアのベオグラード駅には32分遅れて20時10分に着いた。
    ここでフランクフルト行き20時45分発に乗り換えなければならないが、
    35分間で両替、オーストリアの国境駅フィラッハまでの切符を買わなければ
    ならなかった。
    それならイスタンブール駅かソフィア駅でフィラッハまでの切符を
    買っておけば、と思うかもしれないが、ベオグラードで乗り換えする場合は、
    乗り換え駅で切符を買わなければならなかった。
     こんなにスリル感を味わったのはソ連、ポーランド以来である。
    当時の東欧は冷戦真っただ中で、自由気ままに旅行するのは大変だったのである。
    10分余りで切符を買えたのでほっとした。

    昭和50年1月29日
     オーストリアの国境駅フィラッハでの検査が厳しかった。
    大きなシェパード犬も動員されていて荷物を徹底的に調べられ眠気も吹っ飛んだ。
    出稼ぎ労働者が多く乗っていたせいかもしれない。
     オーストリアへの入国審査が済み、ユーレイルパスが使える1等車両に移ると、
    6人掛けのコンパートメントの乗客は自分一人だったので座席を伸ばして
    ベッドにして眠りについた。
     ところがザルツブルクで乗り換えてウィーンに行くつもりだったが、
    目覚めると終点フランクフルトだった。
    1等席だったせいか気持ち良く寝てしまったらしい。
    ベオグラードから1,473.6キロだった。 
     

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