2014/12/25 - 2015/01/06
216位(同エリア1801件中)
またぬきさん
今日はダナンからホイアンへの移動日です。
ダナンから40kmほどですから、バイクで自走します。
積めないボストンはホテルに預けて、ショルダー一つで出かけます。
ダナンからホイアンへは地図で見ると一本道、迷う事も無いでしょう。
オイラ、東南アジアの地方都市ではバイクをレンタルしてあちこちへと出かけます。
国際免許書? そんなもの手続したことありません。
借りる時も免許書の提示を求められたこと無いし、チェンマイで警察に止められた時もパスポートだけを見せましたが、免許書については何にも言われませんでした。
あの暑い国で、日中徒歩の移動は考えられません! (><;)
特定の場所への移動ならタクシーも有ですが、徘徊するには最強の足となってくれます。 v(*^^*)
一日1000円以下で借りられますし、日数が増えれば値引きもしてくれます。
待ち時間なしで次の場所へと移動できるのは時間に制限がある旅行者には有り難いです。 (^-^ )
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ホイアンへ向かう途中の町、地図で見るともうホイアンの傍まで来ています。
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ここまで一本道、片側3車線の広い道、村中の狭い道を通過して大きめの街までやって来ました。
モドキはって言うと、出発後すぐにふっ飛ばして行って2分もしないうちに視界から消えてしまい、この場所でオイラの到着を待っていました。
「何でそんなにふっ飛ばして行くの?」
『前にバイクが走っていると邪魔になるし、並走は事故のもと!』
オイラに言わせりゃ、知らない道でスピード出す方が危ないと思うよ。
バイク集団の中は嫌だけど、少し離れて同じ速度で走る方が楽だと思うのですが、人それぞれ考え方が違うようです。 -
ホイアンへはこの辺りで本線から外れて行くはずですが・・・、
手持ちの観光地図では詳細がわかりません。 (・_・?) -
こんな時はジモティに聞くしかありません。
ベトナムの人はみんな親切で言葉が通じなくても一生懸命助けてくれます。 (^^) -
もうホイアンの街中に入って来ているようです。
来る途中の道や町もそうでしたが、そこら中に国旗が掲揚されています。
オイラがマメダの頃には、祝祭日は「旗日」と言って一斉に玄関先に日の丸を掲揚していたものですが、いつの間にか見られ無くなりました。
最近では「日の丸」に対しても色んな意見があるようで、軍国主義と愛国心は別物だと思うのですが人の考え方は様々です。
日本がそれだけ平和で自由な国だという事でしょうか。
「愛国心」 今の日本人はどれくらい関心を持っているのでしょう?
他国に比べてあまりにも稀有な気がします、それは外国を旅すると思い知らされます。
フランス・中国にも勝利し、アメリカさえも追い返したベトナム人の愛国心には脱帽です。 -
お店の看板にもホイアンって書いてあります。
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何か雰囲気の良い喫茶店。 (^^)
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ホイアンには着いたものの、今夜泊まる宿を探さなければなりません。
日本から予約を入れバウチャーは有るのですが、何せGHですから知らないジモティが殆んど。
バウチャーの事なんですが、英語記載ですから現地でジモティに見せても英語を読める人が少ない。
現地の言語も書いてあればジモティにはすぐ判るのでしょうが、いつも難渋します。
特に中国では、ホテルの中国名と英語表記が全く違いますから、ホントに困ってしまいます。 (x_x;) -
「あっちの方だろう」という事で市場の近くに来ました。
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ここでも聞いてみますが要領を得ません。 (・・;)
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果物がたくさん売られています、ドリアンも有りますよ。 ^^♪
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ホイアンの観光地域中心の橋のところまで来ました。
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この川がホイアンの旧市街をゆったりと流れる「トゥボン川」と言うようです。
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家族3人乗りでお出かけです。
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目指すGHはどうやらトゥボン川の向こう側にあるようです。
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橋の真ん中あたりからトゥボン川を一枚。
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川のこちら側は、観光地域とは違って一般の住宅地となっています。
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いい加減探し疲れました。
ジモティは親切に教えてくれるのですが、行き先々でまた違う答えが帰って来ます。
悪気はないのでしょうが、いったい誰の言うことが正しいの! (x_x;) -
こちらの雑貨店で聞いていると、向かいのGHに泊まっているファランが助け舟を出してくれました。
GHの女性に電話をかけさせ、バイクの後ろに彼女を乗せてフォローミーです。 (^-^ ) -
そんなこんなでようやくたどり着いたGH.
全部で5部屋ほどの家族経営のGH.
一階左側の部屋がオイラの泊まった部屋。 -
こちらがフロント、その奥がテーブル一つのオープンロビー、
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部屋の大半をベッドが占領、
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シャワーとトイレ。
後は何も有りません。 -
その代わりにワンコが付いてま〜す。 (*^_^*)
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上のワンコの子供でしょうか? 可愛い顔してお寝んね中。 (*^_^*)
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おや、眼が覚めた?
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骨か何かをガシガシやっています。 (^-^ )
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GHにも無事到着出来たことですし、早速街へと徘徊開始で〜す。 (^O^)
モチロン文明の利器、バイクを駈っての徘徊、この歳になると足腰が弱って歩きが苦手なの! (・・*)ゞ ← いつも身勝手な言い訳ばかりして、それは単なる横着者じゃ! by山神様
ところがあの「走り命」のモドキが、あろうことか徒歩で散策に行くと言って出かけてしまった、ホイアンまでの爆走で疲れたのかな?
オイラもGHで貰った観光地図片手に旧市街へとお出かけ。 (^^) -
で、最初に眼に着いたこちらへと・・・、
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ここはベトナムホイアンですよ〜!
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完璧に中国のお寺じゃないですか! w(*゚o゚*)w
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17世紀末の明の滅亡に伴い、多くの中国人たちが広 南阮氏治下の中部ベトナムへ移住してきた。ホイアンにおいても日本人に代わって中国人が多数住むようになり (18世紀半ばには6千人の中国人が住んでいたという記録が残っている)、次第に貿易の実権を握るようになっていった。ホイアンの現在の町並みはこの時期以降に中国人によって建設されたもので、現在でもその末裔が 多く住んでいる。(ネットより抜粋)
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次はこちらにお邪魔します。
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中国ではどこにでもある龍の像が、ここホイアンにも有りました。
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ホイアンの全盛期は中国人や日本人が多く住んでいました。
現在でもホイアンに根付いた中国人が華僑として住んでいますし、建築群を見てみても中国建築と日本建築が混在しているのが分かります。
中国は陶磁器や會館、お寺を伝え、日本はホイアンに文化、伝統工芸、建築などを伝えました。(ネットより抜粋) -
ホイアンが港町として栄えたのは16世紀。
これまで中部一帯を支配していたのはチャンパ王国でした。
チャンパ王国はインド・カンボジアから渡越してきた民族により建国された政権と言われており、現在でもヒンドゥー教信者であるチャム族はチャンパ王国の子孫と言い伝えられています。(ネットより抜粋) -
チャンパ王国は、16世紀半ばに勢力を中南部に移しはじめました。
現在で言うビーチリゾート・ニャチャン近辺です。
チャンパ王国が中部を退いたあとは、フエ王朝が政権を確立しました。
中北部フエは現在では「中部最後の王朝」があった場所として世界遺産に指定されています。
フエが中部の実権を握ると、当時の国王はホイアンを諸外国との交易の場所に指定しました。(ネットより抜粋) -
ご本尊様です、媽祖でしょうか?
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朱印船貿易とは、幕府が発行した朱印状(朱印の押された渡航許可証)を携帯した船が、日本が外交関係を樹立した相手先国の保護を受けることが出来たという制度です。朱印状が出されたのは、江戸時代の1604年〜1635年までのわずか32年間で、朱印船渡航先は台湾や東南アジア、そのうち三分の一がベトナム向けでした。(ネットより抜粋)
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時は戦国時代が終わり平和な時代が訪れた日本、人々は豊かな暮らしを求め、絹製品や砂糖、沈香(じんこう)などをベトナムから輸入しました。特に香木の一種である沈香の最高級品・伽羅(きゃら)は、ベトナム中部の山岳地帯でしか採れない貴重なもので、徳川家康はそれ以前の権力者達と同様に伽羅を熱望したといいます。そして日本からベトナムへは銅や銀などがもたらされました。銅はベトナム国内ではあまり産出出来ず日本から輸入して銅貨をつくったことから、通貨の名を銅=ドンと呼ぶようになったと言われています。(ネットより抜粋)
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この通りはチャンフー通り、この様な中国様式のお寺が多く存在しています。
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チャンフー通りは日本橋からずっと続き、廣肇會館、サーフィン博物館、貿易陶磁博物館、福建會館、ホイアン歴史文化博物館、布市場など、主要観光スポットが並んでいます。(ネットより抜粋)
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ここはホイアン市場。
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ホイアン市場は歴史保存地区の中心にあり、グエンタイホック通りを真っ直ぐ進むと見えてきます。
バクダン通りまで続く大規模な市場でホイアンの人々の大切な台所、屋内よりも路上の方が活気に満ちています。(ネットより抜粋) -
屋内は薄暗く、ホーチミンのベンタイン市場のような華やかさも活気もありません、まさに現地人のための市場といった趣きです。
歴史保存地区にあるレストランは外国人向けなので値段が高いため、現地の人々の多くは市場で食事を摂ります。
「ここではライスや麺類を中心に食べられます。一杯100円程度と非常に安いのですが、いかんせん衛生状態が悪いので食べたらお腹を壊してしまうかもしれません。」とネットでは紹介していましたが、オイラから見ればいつも食べている大衆食堂と変わりません。
中国をはじめ東南アジアを旅するには強靭な胃袋が必要となります。
これらの地を徘徊し始めてから既に数十年、『にいちゃんヤメとき、素人が食べたら腹壊す!』の域はオイラ到の昔に克服しております、ハイ! v(*^^*) -
ここホイアンは日本より欧米で有名な観光地。
従って外人さんを多く見かけます。
オイラから見れば東南アジアの人々はジモティ、白人が外国人です。
2012年にアメリカの出版社コンデナスト社が毎年行われる読者投票を実施したところ、「アジアの人気観光都市ランキング第3位」にホイアンが選ばれました。
また、イギリスの旅行雑誌ワンダラストの読者投票で「海外旅行満足度ランキング1位」をホイアンが獲得しました。
観光名所をこよなく愛するアメリカ人にとって古き良き町並みのホイアンは自国にはない文化であり、満足度は高い様子。(ネットより抜粋) -
お次は中国の会館が多く建ち並ぶこのエリアでも、1、2を争う規模の福建會館です。
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建てられたのは17世紀。
つまりホイアンとの交易時代真っ盛りのときです。
17世紀に中国の福建省という場所から中国人家族がホイアンの地に来て、福建會館を建てたのがはじまりと言われています。(ネットより抜粋) -
チャンフー通りの路上では、こんな手作りのアクセサリーも売っていました。
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この独特の黄色い壁がホイアンの特徴。
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観光客でごった返すエリアも有りますが、一筋違えばこんなに静か。
ゆっくりとした時間が流れています。 -
ここも歴史保存地区の中では大きい廣肇會館。
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廣肇會館(広東会館)は1786年に建てられた広東系中国人の集会所で、チャンフー通りにあります。中華街の名残として現在も華僑の人々が集まり談笑する場所にもなっています。(ネットより抜粋)
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本場中国にも負けない立派な建物です。
華僑の資本力には驚かされます。 -
中庭には龍が飾られています。
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この龍、陶器の欠片を填め込んで造られています。
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鯉もいました、中国の古書『三秦記』には、黄河の中流にある竜門を魚たちが争って登ろうとしていずれも失敗したが、鯉だけがこの急流を一気に駆け登り天まで登って竜と化したとあります。これが「登竜門をくぐる」の語源ともなったそうです。
鯉の別称を六々魚と言い、中国に「六々変じて九々鱗となる」という諺があります。「鯉のみが見事竜門を登り、九々鱗つまり竜になるという」・・・有名な登竜門伝説のことです。
鯉は中国でも縁起の良い魚となっています。(ネットより抜粋) -
そしてこれも中国のお寺ではよく見かけるグルグル巻きの線香。
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こちらは関聖大帝こと関羽が祀られ、関帝廟ともなっている。赤兎馬もしっかりお連れになっている。関羽はどうしても武将のイメージが強いが、現在では商売の神様として世界中の中国系仏教寺院のいたるところで壁画や掛け軸などで崇められている。(ネットより抜粋)
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廣肇會館を出てまっすぐ進むと歴史保存地区の中心、トゥボン川に架かる橋に続きます。
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