2015/03/08 - 2015/03/11
54位(同エリア158件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
【通番007】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之①~碓井平和祈念館編~
2014年7月に訪れた沖縄県摩文仁の平和祈念公園に端を発した先の大戦における戦跡巡りの旅ですが、今回は福岡県の戦争を題材としている施設を訪ねるべくやってきました。まず最初は福岡県中心部に位置する嘉麻市の碓井平和祈念館にやってきました。
この碓井平和祈念館ですが、嘉麻市の上臼井地区に平成8(1996)年旧碓井町(現嘉麻市)が開設した日本初の公立平和祈念館です。広大な敷地内には「碓井琴平文化館」として「織田廣喜美術館」「碓井郷土館」「碓井図書館」があります。今回は時間の関係で「碓井平和祈念館」のみを見学することにします。
碓井平和祈念館の正面入口前には八女郡星野村(現八女市)から分火された「平和の火」が恒久の平和を願い灯されています。全国から収集された戦時資料が一堂に展示されている県内でも数少ない施設であり、将兵が戦場で使用していた道具、犬の毛皮が使われた防寒具など、日中戦争から太平洋戦争にいたる様々な資料を常設展示しています。産炭地であった筑豊に存在する碓井町は、炭鉱によって戦争と大きく関わったこともあり、その歴史的事実を風化させることなく語り継ぐことこそが存在意義であります。展示されている約5,000点の戦争資料や証言に基づき、戦争の悲惨さを訴えています。
展示物である戦争で亡くなられた方の遺品や、召集令状等戦時中のものから受ける印象は、当時の暮らしや、戦争のむごたらしさ等様々なものはあると思いますが、現在と比較するとあまりにもかけ離れすぎており、なかなか想像できないというものがほとんどだと思います。例を挙げると困窮する庶民の生活ぶりをあらわす回覧版や、今の常識からでは考えられないような内容が書かれたボスターや新聞、実弾の当たった水筒や手帳、戦争で失明した目の代わりとして、皇后(香淳皇后:昭和天皇妃)から下賜された義眼、動員に際しての臨時召集令状などがあり、それらは実に生々しいものばかりでした。それを庶民の目線から捉えた戦争として、ごく身近なところから、戦争とはいったいどのようなものだったのかと言うことを、戦争を知らない世代に静かに語りかけているように思います。
また「碓井平和祈念館」には、部落差別をはじめとする日本における差別を正面から見据え、「人権の守られる世界に平和は存在する。」という基本姿勢を堅持し、人権問題を提起しています。また人権センターでは、九州水平社運動の黎明期に活躍した田中松月氏を紹介したミニシアターがあります。【嘉麻市碓井平和祈念館HPより抜粋】
この碓井平和祈念館は碓井図書館の2階にあります。休館日は月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始となっています。開館時間は平日9:30~17:30、祝祭日9:30~17:00になっています。入館料は無料ですが、どこからの来館か統計を取っておられます。この碓井平和祈念館は、後述する武富戦争資料館の初代館長である武富登巳男氏が開設にあたり展示資料の提供をされており、ビデオコーナーでは在りし日の武富登巳男氏のビデオメッセージを見ることができます。
碓井平和祈念館は、以前に訪れたことのある「滋賀県平和祈念館」同様「地方自治体」が開設運営されています。「滋賀県平和祈念館」は最寄りに「戦争」を題材とする「資料館」がなく、比較されることもありません。しかしこの「碓井平和祈念館」には資料提供もされた武富登巳男氏が開設された「武富戦争資料館」が最寄りにあります。個人で運営されている「武富戦争資料館」は来館者へ可能な限り個別対応されているのに対し、この「碓井平和祈念館」は常時施錠されており、見学者が一階の図書館へ見学の旨を申し出る形式で入館するようになっています。運営規模の違いはあるとは思いますが、せっかくの「戦争を題材とした施設」の持つ「展示品の訴え」といったものを 生かしきれていないように思います。「インパクト」を与えるという表現が適切かどうかはわかりませんが、ただ一方的な展示になってしまうとただの「資料館」にしかならず、見学者も「展示品」の「閲覧者」にしかなれないのではないでしょうか。
また「素人目線」としての意見ではありますが、「筑豊地区」の「戦争資料館」という接点が容易には見つからないこともあります。第二次世界大戦中に福岡県でも「福岡」や「北九州」という都市部は連合国の「戦略爆撃」の標的になり、焦土と化し、多くの犠牲者が出たことは多くの方が知っておられることです。しかし当時の主たる「エネルギー産出地区」だった「筑豊炭鉱」地区が爆撃されたことは聞いたことがありません。この理由は別の機会に述べることにしますが、全国の名の知れた戦争を題材とした資料館は、必ずと言っていいほど甚大な被害を受けた場所にあることを踏まえると、やはり碓井平和祈念館の「設立理念」として漠然と挙げられている「産炭地であった筑豊に存在する碓井町は 、炭鉱によって戦争と大きく関わったこと」という表記にはなにかしっくり来ないものがあります。もしその表現が「確固たる理由」のもとであるならば、その理由の明記は必要ではないかと思います。
勿論「戦争被災地」と「資料館の立地」に相関関係は「絶対的」な理由は何ひとつありません。そのため別段関連付ける必要もないとは思います。しかし「知名度の高さ」ゆえ、既存の「定番コース」に加えられており、多数の見学者が訪れている事実を考慮すると、やはり「知名度の向上」に対し何らかの対策を講じる必要性を感じます。勿論「来館者」が増えるイコール、開設並びに運営「理念の達成」といった単純な方程式で語れるものではありません。
事実例として、沖縄の「チビチリガマ」のように「犠牲者遺族の意向」で立ち入りを制限されている場所は、例え関心がある者の来訪でも自重すべきことが多いのは事実です。しかし「チビチリガマ」は「犠牲者の終焉の地」であり、「墓地」であり、死者の御霊が宿る「聖なる場所」であるという背景には「意図的」なものはなにひとつありません。しかし「平和祈念館」とは必ず開設並びに運営に「理念」があり、それに基づいていることは紛れもない事実です。「来館者の増加」に起因する「単純方程式」ではないとは言いつつも、「理念」というものは、人々の「共感」を得て「賛同」され、はじめて生きてくるもののように思います。即ちそれが「来館者の増加」の起因によるものであれば、「知名度の向上」を図ることは必要不可欠なことではないでしょうか。
確かに「来館者数」の増加イコール「施設価値」の向上といった単純な方程式ではないとは言いました。闇雲に「来館者」を増やしたとて、施設に対する「肯定論」が比例して増える保証はありません。場合によっては「否定論」ばかり増えることもあるかもしれません。しかし現在の「碓井平和祈念館」の運営を見ていると、存在自体を「知らない」から「来ない」という理由に起因している他ならないように思えます。その「消極的な考え」が続く限り、例えどのような立派な「設立理念」があったとしても「認知」されることもなく終わってしまうようにも思えます。
日本初の公立平和祈念館としてオープンし、開設当時マスコミにも取り上げられていたことを踏まえると、多くの方々の期待があったことと思います。しかし時代の変遷とともに施設を取り巻く環境が変わってしまったこともあるのかも知れません。しかし人々の協力無くしては、碓井平和祈念館の開設はありえなかったのではないでしょうか。「設立理念」に賛同された武富登巳男氏をはじめ多くの方々が、「戦争」を後世に伝えるべく貴重な「物品」を託されたことは真摯に受け止めなければならないと思います。
平成18(2006)年3月に碓井町は山田市・桂川(けいせん)町・稲築町・嘉穂町と対等合併して嘉麻市になりました。市町村合併の弊害としてよく言われる「増えた箱モノ」運営の問題はあるのかも知れません。しかしそれを理由にしてしまうことは、公立施設こそが担える「地域の風土」と「そこで運営されている施設」との「結びつき」を複合的な観点から促す役割を自らが放棄してしまうことに他ならないように思います。
同一地方自治体の中でも施設運営の取り組み方にも差があるのかは分かりませんが、敷地内の「碓井琴平文化館」のうち「織田廣喜美術館」は有料公開されており、来館者数も多いことに併せて評価もされていることを踏まえると、この「碓井平和祈念館」の受けている評価は、正直残念に思うばかりです。元々ハード面での構築は完成されたものを感じます。それゆえソフト面での改良を加えることだけで、施設そのものの充実の度合いが変わってくるように思います。「碓井平和祈念館」が持つハード面での例を挙げると、武富登巳男氏の肉声を伴ったビデオ等は、「兵士・庶民の戦争資料館」にはないものであり、これが即ち武富登巳男氏が「碓井平和祈念館」の「設立理念」に賛同された動かぬ証拠にもなっているように思えます。
ひとつ「理念」として挙げられているもので展開的に厳しいように思う点もありました。「戦争資料」そのものは「見せ方」次第だと考えますし、展示されている品々は他の施設と比較しても引けを取らないと思います。しかし「理念」のひとつとして挙げられている「身分差別を真っ向から見据える」というものに関して、ご当地の出身である田中松月氏の身分差別撤廃運動について言及しているものだろうと思います。しかしこの「戦争」と「差別」と言うふたつの関係は、ある程度両者の知識を持っていないと全く意味がわからないことかも知れません。意味がわからないとされることは、当然評価できないという結果に行きつくことはほぼ間違いないように思えます。
田中松月氏が地元の被差別部落の出身であり、おおよそご自分の体験に基づいたことから全国水平社という差別解放運動組織の黎明期に尽力、活躍されたことは想像がつきます。しかしそれだけでは、「戦争」との接点を見つけることは難しいことではないかと思います。元々この類いの話はひと言で説明できる程簡単なものではありません。私自身も知識がない為、今回は「言葉の説明」としてwikipediaから引用したものを載せたに過ぎません。しかしこの「言葉の引用」にしか過ぎない一文の中でも疑問点が出てきます。「解放する必要のない差別」とは何なのか…などがそのひとつに挙げられます。勿論「差別問題」そのものは考えなければならない問題ではありますが、シュールなことゆえ即答できる程容易な問題ではないことを考えると、中途半端に「紹介をするだけ」との位置付けでは、「展示エリア」として展開することは、「相応しい」ことなのかどうか、正直疑問が残ります。そう思えてしまうことに、「碓井平和祈念館」を訪れた際に「ミニシアター」の稼働が確認できず、普段「施設」が施錠されていることを踏まえると、また一階まで下りて行って動かしてもらう必要性があるなら、「まあいいか」となってしまった経験をした背景があります。
戦争やそれを取り巻く時代背景を題材とした「平和祈念館」の「展示品」には、見学者に「無言」で語りかける内容として「戦争」というものが併せ持つ「負の要素」があります。ひとことで表現できるものではありませんが、ここ「碓井平和祈念館」の「展示物」が無言で訴えかけている多くの「問い掛け」があり、それだけでも見学者が「受け取る」ものは膨大な量になると思います。その上ここに「差別問題」の提起をすることは、結びつきが明確にされていても理解されるかどうかのレベルでしかないものに、結びつきがされていない状態であれば、単にふたつの異なった問題提起にしか他ならず、結局「何が言いたいのかわからない」といった意見に繋がってしまうように思います。
確かに展示物の劣化防止対策や、視聴覚設備の維持等には、素人が思う以上の費用が掛かるとは思います。しかし今一度考えて頂きたいのは、「碓井平和祈念館」の開設の際にこの「品々」を寄贈された元従軍兵士の方やその遺族の方は、これら戦時中を髣髴する「品々」が、我々「戦後世代」に「同じ過ちを繰り返す」ことの無いように警鐘する「かけがえのない物」であるとの信念のもと、「碓井平和祈念館」の「開設理念」に賛同され寄贈されたに違いありません。
元々「碓井平和祈念館」自体、公立平和祈念館のフロンティアでありながら完成度としてはかなり高いように思います。「展示品」の中ではこの「碓井平和祈念館」だけで見かけたものも多いことから、ハード面は充実していると思われます。そのため後は運営に纏わる「ソフト」の問題ではないでしょうか。充実したハード面を利用し、ソフト面を改善することは、やはり70年前の「史実」の「生き証人」として生かす努力の必要性、つまり「学芸員」を置くことや、もっと詳細な「説明文」を加えることではないでしょうか。いずれにせよ「費用」が掛かることゆえ「一見学者」が言うこと全てに「地方自治体」レベルでの対応ができるとは思いませんので今後の展開を見守りたいように思います。
あともう一点挙げると、これは私の捉え方の問題があるかも知れませんのであらかじめお断りをしておきます。「平和の火」の謂われは、然るべき注釈を加えた方が良いように思います。写真で切り取った部分で、一部反射して見えない台座説明文に記載があるのかも知れませんし、また採火された方から旧星野町が正式に譲り受けた(※所有権を)ことへのの配慮かも知れません。しかし採火された方は営利目的の利用には抵抗を持っておられており、その意味でも「謂れの事実」を標記することにより、見せかけでない真の「平和祈念」意識の繋がりを、来館者全てに与え、その「平和の火」で繋がっている施設に対し興味を持って貰い、来館を促すことも必要なのではないでしょうか。私自身この「平和の火」の 由来は是非とも知って頂きたいことなので、もしかすると「由来」を明確にされないことを採火された方が望んではいなかったのかも知れないと思いつつ書かせて頂くことにします。
【平和の火】
星野村の平和の塔で灯されている「平和の灯」は、「原爆の火」保存者である星野村出身で従軍されていた山本達雄氏が、広島の駐屯地に居た際に、広島への原爆投下を目撃されました。そして書店を営んでいた「叔父」の安否を尋ねるべく投下直後の広島の街中を駆け巡られます。黒焦げの死体、うめき、助けを求める声。目の前に「いまだに心の整理がつかない」と語る惨状を目の当たりにした山本達雄氏は、終戦を経て9月、星野村に帰郷されます。その際叔父の一片の形見を求めて叔父宅跡立った折、避難壕のあった辺りを掘るとぬくもりがを感じます。壕には本や豆炭が置かれており、そこで火種を見つけ、息を何度も吹きかけて火を起こしました。その火を携帯していたカイロに移して、列車に乗って故郷へと戻られます。その時は「この火で(叔父は)殺されたと、ばあちゃんを納得させる」という意図の下であったようです。
この原爆の残り火は、ご自身によって故郷の福岡県南東部で大分県の県境にある福岡県星野村にて20年以上もの間保存されたされた後、昭和43(1968)年に星野村に引き継がれることとなります。現在は星野村が建立した「平和の塔」モニュメントの中で、静かに燃え続けています。
元々「恨みの火」として持ち込んだものではあったものの、次第に「被爆者の供養の火」へ、そして更には「平和を祈る火」へと扱われるようになります。それゆえ山本達雄氏の心の中での葛藤も薄れて行くこととなったようです。この心中の遷移は、「原爆」の惨劇を見聞した方なら全ての方が理解できることではないでしょうか。山本達雄氏ご自身も被爆されており、また原爆投下直後の広島に入っておられる経験があることを踏まえると、この「灯火」はまさに広島を地獄絵と化し、叔父を焼き殺した「恨みの火そのもの」だと言っても過言ではないでしょう。ご本人の回顧録にもその葛藤の様子が描かれています。「幸いにも」と言って良いのかはわかりませんが、その後「恨みの火」の取扱いが、他力的に変わって行ったことが、山本達雄氏にとって採火時の「概念」を解き放ったのではないでしょうか。
山本達雄氏は平成16(2004)年5月11日に88歳で星野村の自宅にて逝去されました。そして山本達雄氏から「平和の火」を受け継いだ星野村は、その取扱いについて慎重にしていたようですが、昭和63(1988年)国連軍縮総会に対するアピールとして、反核団体の手によって星野村で採火された火が全国を縦断リレーしたことがありました。その際参加者の手から長野県松本市の寺に分火され、この寺を経て受け取った「平和の火」をNPO団体が全国に分火させようと携え、平成12(2000)年3月から全国を行脚していた様子を紹介した際に、「不正確な情報」での「平和の火」の由来を紹介されてしまった経緯がありました。その後誤った情報は修正されることにはなりましたが、そのことにより星野村では平成2(1990)年に「平和の塔の設置及び管理に関する条例」を制定し、火の使用は村長の許可を受けることや、分火した施設には必ず由来を明記することなどの規則を定めています。「平和の火」の営利目的での使用を懸念した措置だとしていたものの、星野町助役談として「その当時、心配したことが起きている」と「誤った謂れが流れた」経緯を語っています。条例制定後は8カ所に分火されていますが、それ以前に採火された火が、再分火を重ね、由来すら曖昧なまま全国を一人歩きしているという事実があり、このNPO団体も55カ所で分火をしていることが判明しています。しかし星野村では、条例施行前の、昭和63(1988年)の「採火」までさかのぼるこの活動を把握できていないため、そこに山本氏の困惑と反発があったようです。星野村では近く、分火された火の追跡調査を開始し、条例に沿った使用の協力を求めていく方針であるとしています。(注:情報は全て平成13(2001)年1月当時のもの))
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この情報を引用した平成13(2001)年1月30日付西日本新聞記事の取材中に、この「平和の火」を採火された山本達雄氏に纏わる記者の方の談話が掲載されていましたので併せて紹介します。
被爆手帳を持つ山本さんは現在、85歳。重い病にあるが、平和の火への思いを3時間も語り続けた。ご自身が採火された「灯火」の運用には、山本さんにも抑えがたい思いがあったのだろうと思われる。「平和の火」全国に広げることには確かに意義がある反面、それが結局はイベントに終わるのではないかという懸念も拭い切れない懸念があることに他ならないことだったためである。これら「平和の火」に纏わることを話し終えて「胸のつかえがとれました」と言った、山本さんの微笑みからは、忘れてならないこととしてこの平和の火が、被爆死した叔父の「遺骨」として、山本さんが必死の思いで焼土から吹き起こした火であった「原点」である。その個人の歴史を等閑にしては、平和は語れないということを改めて感じたというものである。
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今回この「平和の火」の由来を紹介する意味で記載した内容ではありますが、この「平和の火」の取り扱いに関しても、採火した「山本達雄」氏と受諾した「星野町」の間には何が語ることの出来ない「違和感」を感じます。勿論「碓井平和祈念館」の「平和の火」の分火はこの条例施行後なので、謂れなども明確にしているとは思います。また由来に至っても決して侮っているようにも思えません。しかし「個人」の寄贈に対する「役所」の扱いというのは「このようなものなのか」と首をかしげてしまいます。その後の星野町(現八女市)の対応も、すぐに見つかるような大きな変化を起こしたことは記述されていません。旧星野町と旧碓井町、どちらも今では合併して大きな「市」とはなってはいますが、あまりによく似通っている出来事に、憤りを感じる次第です。
八女市の「平和の塔」モニュメントはまた訪れた際に改めて書くことにし、今回は「碓井平和祈念館」のみについて記しますが、確かに「平和祈念館」として、「差別問題」について、「平和の火」についてといった三本柱の問題提起は、それぞれが併せ持っている提起する問題が大きく、また独立し過ぎているため、結果として纏まりのある「問い掛け」をしていないように思えてなりません。「浅く広く」の観点で施設運用をする考えはあるのかも知れませんが、それであれば別に「ここ」に限定しなくても他で「見ることができる」といった「残念な結論」に行き着いてしまうのではないでしょうか。
最後に文中の語句について説明を致します。
【田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年)】
日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光。
福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県議会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。その後3回連続当選するが3期目早々に公職追放される。以後は僧侶及び解放運動家としての活動に専念する。浄土真宗本願寺派では同朋運動本部副本部長などを歴任した。
著書に「わかりやすい同朋運動のはなし」などがあります。
【全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)】
1922年(大正11年)3月に結成された、第二次世界大戦以前の日本の部落解放運動団体である。略称は全水(ぜんすい)もしくは単に水平社。大正デモクラシー期の日本において被差別部落の地位向上と人間の尊厳の確立を目的として、西光万吉を中心として結成された。第二次世界大戦後に発足した部落解放全国委員会および部落解放同盟の前身にあたる。日本水平社と誤記されることもあるが、別の団体が「日本水平社」と名乗っているため注意が必要である。創設者西光万吉の君民一如・天皇の下の平等・高次的タカマノハラ(高天原)の思想の下で、部落差別解消を目的に結成された、尊皇愛国の同和団体であるが、被差別民一般を視野に入れた組織ではなくあくまで穢多(えた)系の被差別者を解放するための組織であり、的ヶ浜事件に見られるように、物吉(癩者)や山窩乞食などに対する差別意識を指摘する論者もいる。ここで言う「穢多(えた)」とは歴史上においての差別身分であり、癩者とは当時不治の病とされたライ病患者、山窩乞食(さんかこじき)とは言葉の通り、戸籍がなく乞食としてしか生きることができなかった者を指しています(wiki一部改)。
ここで言われている「穢多(えた)」の身分は開放すべきで、一方癩(らい:ハンセン氏病)者・山窩乞食(さんかこじき)は違うという解釈の意味が、正直私には理解できません。そのためここで取り上げている「差別問題」というのは、それを考えられるだけの資料が揃った施設を訪れる機会があった際に改めて述べることにします。残念ながら今回はそこまでの内容を見受けることは出来ませんでした。
ひとことでまとめることは難しいことですが、「戦争を語る」ことと「身分差別」というふたつの問題提起が並立してしまっており、結局どちらも中途半端で終わっているように思います。どうすれば良いかは、人それぞれ解釈が分かれるところではあると思いますが、やはり生きた学芸員や歴史家の方々の協力を得て、ただ一方的な掲示ではなく、ときには肉声を用いた解説などを取り入れるなど方法はいくらでも考えられると思えますので、有識者の方々の意見の含め改善していかねばならない過渡期にあるように思いました。
あまりまとまりはありませんが、これで【通番007】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之①~碓井平和祈念館編~は終わります。
以下興味が湧いたらご覧下さい。
~戦跡を巡る旅シリーズ~
【通番001】さんふらわあで航(い)く鹿児島陸軍特攻戦跡を訪ねる旅~万世・知覧編~
http://4travel.jp/travelogue/10933877
【通番002】さんふらわあで航(い)く鹿児島海軍特攻戦跡を巡る旅~笠之原・串良・鹿屋編~
http://4travel.jp/travelogue/10933914
【通番003】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之①~豊見城・旧海軍司令部壕編~
http://4travel.jp/travelogue/10963283
【通番004】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之②~宜野湾・嘉数(かかず)高台公園《私見》沖縄戦解釈編~
http://4travel.jp/travelogue/10981023
【通番005】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅滋賀壱之①~滋賀県平和祈念館・陸軍八日市飛行場跡編~
http://4travel.jp/travelogue/10974454
【通番007】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之②~武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)編~
http://4travel.jp/travelogue/10990699
【通番008】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之③~筑前町立大刀洗平和記念館編~
http://4travel.jp/travelogue/10990539
【通番009】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅鹿児島その弐~喜界島戦争史跡:戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編~
http://4travel.jp/travelogue/11015120
※未完成
【通番010】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之③~石垣島・八重山平和祈念会館とバンナ公園編~
http://4travel.jp/travelogue/10964521
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 徒歩 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
碓井平和祈念館、全景。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井図書館の入口。碓井平和祈念館はこちらの二階です。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館の入口。普段は施錠されており、一階の図書館で声をかけて入れて頂くかたちをとります。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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「明日の平和を祈る」
碓井平和祈念館落成の日に。
碓井町長松岡俊雄氏と元兵士と庶民の戦争資料館主宰武富登巳男氏によるものです。元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、戦場からの軍事郵便。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、海軍飛行予科練習生(通称:予科練)のことについて。
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碓井平和祈念館にて、海軍飛行予科練習生(通称:予科練)のことについて。
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碓井平和祈念館にて、陶器製の手榴弾と地雷。
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碓井平和祈念館にて、陶器製の手榴弾と地雷。
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碓井平和祈念館にて、出征幟を利用した丹前。
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碓井平和祈念館にて、出征幟を利用した丹前。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、犬の毛皮で作られた外套。
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碓井平和祈念館にて、犬の毛皮で作られた外套。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、海軍軍医士官の礼装。
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碓井平和祈念館にて、海軍軍医士官の礼装。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、海軍軍医士官の礼装。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、陸軍士官礼装。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、出征の様子。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて。
陸軍記念日の告知と、将兵の服装。元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、手帳や水筒等によって、銃弾の直撃を妨げて助かった希少例。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、従軍看護婦の所持品。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、慰問袋と慰問品。
元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館にて、出征幟と千人針。
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碓井平和祈念館にて、徴兵や戦死を知らせたもの。
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碓井平和祈念館にて、海軍機関上等兵曹(下士官)の第一種軍装。
上等兵曹とは、陸軍における「曹長」の位になります。元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館、「平和の火」。
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碓井平和祈念館にて、「平和の火」の由来文。
平和 之記
ヒロシマに原爆が投下直後採火された
原爆の火が 福岡県八女郡星野村に引き継がれ
星のふるさと公園内 平和の塔において
平和の火 として灯し続けられている
碓井町は 星野村の同意を得て 分火を受け
あすの平和を祈る 平和の火 を灯し続けんと
するものである
平成八年四月
碓井町立碓氷平和祈念館落成の日に
福岡県碓井町長 松岡俊雄元炭坑町の平和祈念館~碓井平和祈念館~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん碓井平和祈念館 美術館・博物館
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碓井平和祈念館、正面入口。
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