2015/03/08 - 2015/03/11
51位(同エリア158件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
2014年7月に訪れた沖縄県摩文仁の平和祈念公園に端を発した第二次世界大戦における戦跡巡りの旅ですが、今回は福岡県の戦争を題材としている施設を訪ねるべくやってきました。碓井平和祈念館を訪れた後は、鞍手郡小竹町の武富戦争資料館(別称:兵士・庶民の戦争資料館)にやってきました。
【施設概要】
武富戦争資料館(兵士と庶民の戦争資料館)(たけとみせんそうしりょうかん:へいし・しょみんのせんそうしりょうかん)
〒820-1101福岡県鞍手郡小竹町大字御徳415-13
TEL:09496-2-8565
開館時間:13:30~17:00(注)当面この時間だそうです。
休館日:水:木曜日
(注)事前に電話連絡をして下さいとのことでした。
小竹町にある「兵士・庶民の戦争資料館」は、故武富登巳男氏が昭和54(1979)年に私設された日本で最初の民間の戦争資料館です。平成7(1995)史料の一部を碓井町立(現嘉麻市)平和祈念館に寄贈され、資料館は平成10(1998)年に穂波町から小竹町に移転し現在に至っています(平成14(2002)年改装)。
初代館長武富登巳男(たけとみとみお)氏は陸軍兵士として出征され、ビルマ戦などで航空偵察兵として従軍された後復員されました。その後1979年に福岡県筑豊地区に一般兵士と庶民の視点による戦争資料館を開設され、小竹町に移転後も一般に開放されておられました。2002年11月24日84歳で逝去されますが、妻である武富智子氏が館長となり「語り部」としてその理念を引き継がれ今日に至ります。尚智子館長は現在療養中であり、副館長である息子の慈海(じかい)氏が来館者への対応をされています。
個人がされておられる資料館には、個人の理念が反映されており、私如きが意見するものではないように思います。そのため「まとめ」的なコメントは差し控えますが、倉庫を改造した場所に作られた「戦争資料館」なので、広さはありません。しかしそのスペースに所狭しと並んでいる「戦時中の品々」が我々戦後世代に語り掛けるものはなになのか、そういう気持ちにさせられる場所でもあります。そしてやはりこれだけの「展示品」が並ぶことは、従軍された方や遺族の方が、「戦争」というものを後世に伝えるべく寄贈されたそれぞれの強い「想い」と登巳男氏の「お人柄」や「資料館」の開設理念との融合の結果できたものに他ならないと思います。
残念ながら登巳男氏は既に亡くなられましたが、引き継がれた智子氏や慈海氏にその「意思」が引き継がれていることは間違いありません。昨年(平成26(2014年))に智子氏は脳出血を患われ、生と死の境目を彷徨われましたが、ご高齢にも関わらず医者が驚くほどの回復力で退院され、現在はリハビリ訓練を続けておられます。ゆくゆくは来館者の前に立って、登巳男氏の意思を伝えるべく館長を続ける所存でおられるそうです。そのお気持ちの中には、登巳男氏の「戦争で生き残った者」は「戦死した戦友の分も生きなければならない」との「信念」が智子氏に引き継がれているように思えました。また慈海氏も近隣の学校等で「平和教育」に携われておられており、それらと共に「兵士と庶民の戦争資料館」の「語り部」として登巳男氏の「想い」を語っておられます。
お忙しい中「資料館」を訪れる「観光客」にも充実した時間を過ごしてもらえるよう、時間を取って丁寧に説明ができるようにとの配慮で事前の電話連絡のお願いをされています。その背景には、大規模な資料館のように「係員」が複数いるため時間を気にしなくてもいい訳ではない「現実的な問題」もあることには違いありませんが、それより設立者の生の声を聴くことができる「醍醐味」は比較するものがないように思います。その「お気持ち」に触れた一個人として、私からも電話連絡は必ずお願いしたく思います。
また「小さな資料館」ではありますが、資料数が多いため日にちを区切っての「企画展」をされています。私が訪れたときは、上海事変の際の「肉弾三勇士」について展示されていました。この旅行記をまとめている際、「伝単で見るノモンハン事件」が3月29日日曜日迄されています。
兵士と庶民の戦争資料館をネット検索をかけると結構出てくるものは多いのですが、情報が古いものが多く、確認された方が良いことがあります。特に開館時間のことは再度周知して頂きたいとのことを、武富慈海副館長からも13:30~17:00と電話連絡をして下さいとの旨を聞いておりますのでよろしくお願い致します。
ちなみに「肉弾三勇士」とは…。上海事変中の昭和7年2月22日、19路軍が上海郊外の廟行鎮に築いた陣地の鉄条網に突撃路を築くため、独立工兵第18大隊(久留米)の、北川 丞・江下武二・作江伊之助各一等兵の三名が点火した破壊筒をもって敵陣に突入爆破(強行破壊)し自らも爆死。三名は戦死後それぞれ二階級特進し陸軍伍長となりました。
実際には、三人の先頭だった北川一等兵が撃たれて三人とも倒れてしまったが、任務を断念せずに突入したために爆死したらしいとのこと。そのことが美談として広く報道されて反響をよび壮烈無比の勇士としてその武功を称えられ、昭和になって最初の軍神となったことから名付けられました。
まとめではなく、私の素朴な疑問としてふたつ程挙げておきます。福岡や北九州が終戦間近に大規模な戦略爆撃を受けた場所であることはご存知の方も多いかと思います。しかし当時のエネルギー産出地区だった石炭を掘っていた飯塚をはじめとする筑豊地区が爆撃を受けたと言う話は聞いたことがありません。これは碓井平和祈念館の巻でも触れましたが、実はこの筑豊炭鉱こそ、連合国側の捕虜が働いており、友軍の攻撃による犠牲者を出さないためのことがその理由であったようです。
また空爆のなかった筑豊の炭鉱町になぜ戦争資料館なのか、これも触れたことがありましたが、実はここに先述した「肉弾三勇士」の話との絡みがあるようです。上海事変があった頃、日本は戦争という暗闇の中に突入して行きます。太平洋戦争末期の「特攻隊」のモデルとなるような「肉弾三勇士」の話ではありますが、「昭和の軍神」ともてはやされた時期もあったものの、ある時期以降全く話題に上らなくなりました。勿論戦後復興のために「戦争を彷彿されるもの」が抹消されたということは考えられます。ただそれだけではないようで一説によると、この「肉弾三勇士」のうち1人が被差別部落の出身者であったことが理由だったこととする文献がありました。「戦争関連の資料館」を見学している過程で、「身分差別」という一見すると全く別次元の問題が絡むこと、正直ここまで話が派生するとは予想だにしていませんでした。そのため裏打ちを取るための資料集めができていません。そのためこの説の検証は、今の段階では行うことができません。しかし福岡にある戦争関連の資料館には少なからず「身分差別」を題材にしているところはあるようです。例として「独立工兵第18大隊」は久留米で召集された部隊であり、その所縁あって特に福岡では「戦争」と「差別」は次元の違う問題ではない扱いをされているようです。取り敢えず今の段階では、諸説のみのご紹介とします。
それでは、【通番008】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡Ⅰ-②~武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)編~が始まります。
この多くの貴重な「戦争」を髣髴させる資料の数々に直に触れる機会を持ち、感動は勿論のこと少し違和感も覚えました。私自身特に思想的なものは持っていないと思っております。しかし「差別意識」ゆえに、「軍神」の扱いから、単なる戦死された「兵士」の扱いになり、その結果歴史に埋もれてしまうこと。理由はどうあれ「大日本帝国」時代に幾度か他国に戦争を仕掛けた「暗黒の歴史」の中で、民間・軍属問わず大いなる犠牲者を出した戦争中にあって、史実に載らない「有名な人物」の数の多さは紛れもない事実ではあります。しかし国のために殉じ、クローズアップされた「名前」が、忽然とあるとき以降「消えてしまう」ことは、なにか納得のいかないことを感じます。勿論戦争を「美化」するために使うことは言語道断です。しかし「時代背景」はともかく、「お国のため」に殉じたことを世論が一度クローズアップしたにも関わらず、その後「言論弾圧」に至り、歴史から「抹消」される「理由」とできるものなのでしょうか?
残念ながら今の私の知識では、この「差別問題」について論じることはできません。しかし見聞きしてきた内容から、「差別開放運動」そのものが全ての「被差別身分」の開放を目的としているわけではないことを知りました。国粋主義、即ち「高天原(タカマノハラ)」思想と呼ばれるものを挙げてはいますが、「山窩乞食(さんかこじき)」、「癩者(らいしゃ)」そのものに対する「差別意識」を提起していると指摘されることもあるなど、「どこまでの差別」を「解放」することを目的にしているのか、知識のないものには全く理解できない解説が入っていることを目にしました。
西日本では、「同和教育」と言うと大昔私が小学生だった頃からあったように思います。今はどうかわかりませんが、関東ではその当時「同和教育」そのものがなかったように聞いたことがあります。関西では「禁句」とされている「部落」という表現ですが、その他の地区では普通に「○○部落」と言われます。勿論家々がある程度集まって生活単位を作っている「集落」の呼称として使われる「表現的」なもののことになりますが、この呼称には、当然差別意識はありません。このあたりは解釈の域になるかとは思いますが、日常生活において、何気に使う「部落」という表現に、私を含め「抵抗感」を持っており、結果「使わない」ようにすることこそ、実は「差別」という「潜在意識」を持っていることから「使わない」ようにしているのかも知れません。このあたりのことは、そう簡単に解決できる問題ではないとは思いますし、また「差別解放」に対しても、根底にある「考え」はすべて同じと言う訳ではなく、思想的な背景による相違があることが、更にこの問題を難しくしているようにも思います。
文献考察のみで語れる程簡単なものではありませんし、また「視点」の置き方によっては全く違った見解になるもののようにも思えます。奥深いこの「差別問題」を、素人にも分かりやすく解いているものがあれば、今後の展開を課題に挙げてみたいとも思いますが、なかなかそのようなことを目にすることもありません。教えて頂いたことを吸収できない自分自身にもどかしさも感じますが、なにかの拍子にふと書くことができたらいいかも…と思いつつこの場で述べることを終えることにします。
日本で最初の民間による「兵士・庶民の戦争博物館」、規模は小さいですが、そこに所狭しと並んでいる展示品達の無言の訴えかけを、初代館長武富登巳男氏、二代目館長智子氏、副館長慈海氏の言葉を伴い、戦争を知らない世代の見学者の心に浸透していく「体験」は、平和な時代ゆえに「出来ること」と再認識するいい機会のように思いました。
最後になりましたが、病気療養中の武富智子館長の一刻も早いご回復をお祈りするとともに、再び見学者の前に立ち、説明を聞くことが出来る時がやってくることを切に願う次第です。
終始まとまりがない文章となってしまいましたが、これで【通番008】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之②~武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)編~は終わります。
以下興味が湧いたらご覧下さい。
~戦跡を巡る旅シリーズ~
以下興味が湧いたらご覧下さい。
~戦跡を巡る旅シリーズ~
【通番001】さんふらわあで航(い)く鹿児島陸軍特攻戦跡を訪ねる旅~万世・知覧編~
http://4travel.jp/travelogue/10933877
【通番002】さんふらわあで航(い)く鹿児島海軍特攻戦跡を巡る旅~笠之原・串良・鹿屋編~
http://4travel.jp/travelogue/10933914
【通番003】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之①~豊見城・旧海軍司令部壕編~
http://4travel.jp/travelogue/10963283
【通番004】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之②~宜野湾・嘉数(かかず)高台公園《私見》沖縄戦解釈編~
http://4travel.jp/travelogue/10981023
【通番005】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅滋賀壱之①~滋賀県平和祈念館・陸軍八日市飛行場跡編~
http://4travel.jp/travelogue/10974454
【通番006】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之①~碓井平和祈念館編~
http://4travel.jp/travelogue/10990537
【通番008】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅福岡壱之③~筑前町立大刀洗平和記念館編~
http://4travel.jp/travelogue/10990539
【通番009】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅鹿児島その弐~喜界島戦争史跡:戦闘指揮所跡・海軍航空基地戦没者慰霊之碑・掩体壕編~
http://4travel.jp/travelogue/11015120
※未完成
【通番010】あみんちゅ戦跡を訪ねる旅沖縄壱之③~石垣島・八重山平和祈念会館とバンナ公園編~
http://4travel.jp/travelogue/10964521
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館)、外観。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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初代館長故武富登巳男氏。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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パプアニューギニア東部の戦跡で採取された「小石」。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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平たく言えば、「仏壇」になりますが、レイテ島での戦没者慰霊碑。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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戦没者の方の遺影。そして遺骨。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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南部戦跡での戦没者慰霊碑。
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昭和天皇の書状。
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戦没者に対する勲章。
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勲章と叙勲の記念品、そして階級章。
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出征旗。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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武富登巳男氏のメッセージ、そして従軍兵士の手記。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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兵士・庶民の戦争博物館、二代目館長の武富智子氏の開館に対するメッセージ。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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兵士・庶民の戦争博物館、初代館長武富登巳男氏のご挨拶。
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武富登巳男氏の従軍兵士時代の写真、その①。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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武富登巳男氏の従軍兵士時代の写真、その②。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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武富登巳男氏の従軍兵士時代の写真、その③。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品は語る…。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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武富登巳男氏のメッセージ。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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企画展展示物、肉弾三勇士その①。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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企画展展示物、肉弾三勇士その②。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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企画展展示物、肉弾三勇士その③。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その①。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その②。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その③。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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原爆で被災した品々の数々その①。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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原爆で被災した品々の数々その②。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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陶器製の手榴弾と地雷。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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日章旗。
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千人針。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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軍靴。
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甲種飛行予科練の問題。結構難しい…。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その④。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑤。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑥。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑦。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑧。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑨。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑩。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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帽子。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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戦時中兵士がかぶっていた「鉄兜」。
ずっしりとした重みはありますが、直撃弾に耐える能力はありません。武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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戦時中兵士がかぶっていた「鉄兜」。
ずっしりとした重みはありますが、直撃弾に耐える能力はありません。武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑪。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑫。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑬。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑭。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑮。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑯。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑰。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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軍服、その①。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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軍服、その②。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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軍服、その③。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑱。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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骨壺。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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遺品の数々その⑲。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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兵士・庶民の戦争資料館、入口。
武富戦争資料館(兵士・庶民の戦争資料館) 美術館・博物館
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