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9日の京都を終え、またまた十三の定宿から室生寺へ。<br />近鉄で鶴橋から室生寺大野口で10時過ぎ着。バスで室生寺へ。<br />紅葉もう少しというところでしたが、それでもきれいでした。<br />拝観料は、するっと関西割引で、絵葉書もらえたりとてもいいです。<br />噂によると、2,3年でなくなるとか!存続してほしいですが!<br />高野山は電車、ケーブル、バスすべてOKでした。<br />先日行った「吉野」は違いましたが!<br /><br />女人高野の雰囲気を十分楽しめました。<br />http://www.murouji.or.jp/<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%9F%E5%AF%BA<br />『天武天皇9年(680年)、役小角(役行者)の草創、空海の中興という伝承もあるが、<br />記録で確認できる限りでは、奈良時代最末期の草創と思われる。<br />室生寺の東方約1キロのところには竜神を祀る室生竜穴(りゅうけつ)神社があるが、<br />室生寺の草創にも竜神が関係している。<br />『続日本紀』や『宀一山年分度者奏状』(べんいちさんねんぶんどしゃそうじょう)によると、<br />奈良時代末期の宝亀年間(770年-781年)、時の東宮・山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、<br />室生の地において延寿の法を修したところ、竜神の力で見事に回復したので、<br />興福寺の僧・賢憬(賢)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。<br />賢は延暦12年(793年)没しており、造営は同じ興福寺の僧である弟子の修円に引き継がれた。<br />修円は承和2年(835年)に没しているが、現存の室生寺の堂塔のうち、<br />この時期(9世紀前半)にまでさかのぼると見られるのは五重塔のみであり、<br />現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。』<br /><br />雨の後とて、足元が悪かったのですが、奥の院までは何とかと思いましたが、<br />還暦過ぎた足腰にはきつい!でも何とかたどり着きました。<br />やはり御神籤ということで引くと「凶」!<br />万歳、私には喜びです!なかなか出ないし、<br />書かれていることがとても厳しくていいと思います。<br />小学校の遠足で、耶馬溪で「大凶」が出て以来、喜んでいます!<br /><br />ということで、厳しい人生をこれからも楽しむ気持ちを持って歩むということで!<br />食事も早々に、バスでなく歩いて、室生川沿いに1時間30分ほどで、<br />室生寺大野口に到着!きつかったけど満足です。<br /><br />室生寺を後に、近鉄で奈良へ!<br />さて、いつも大混雑の正倉院展、夕方でいかがでしょうかと思ったら、<br />10分待ちであっけなく入場できました。<br />目玉は鳥毛立女屏風です。<br />http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/shosoin/2014shosoin_index.html<br />いい雰囲気でした!初めて入れました。<br /><br />閑話休題ですが、<br />廃仏毀釈で興福寺が蒙った害は途轍もなく大きなもので、<br />奈良公園には、興福寺の大伽藍があったことはしっかり理解すべきだと思います。<br />http://www.kohfukuji.com/about/history/04.html<br />『幕末から明治維新時にかけての興福寺は神仏分離によって動揺した。<br />すなわち、長年にわたる神仏混淆の信仰形態を拒絶され、これによって一乗院・大乗院をはじめ、<br />他の院家も速やかに復飾して春日大社の新社司となり、ほかの諸坊も新神司として春日社への参勤となった。<br />さらに明治3年(1870)の太政官布告によって境内地以外すべて上知ということになった。<br />興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状となり、<br />加えて宗名・寺号も名のれず、まさに廃寺同様の様相を呈した。神仏分離の施策は廃仏毀釈につながり、<br />寺の破壊や撤去が押し進められた。興福寺では築地塀・堂宇・庫蔵等の解体撤去、諸坊の退転が相次いだが、<br />この頃、五重塔が250円で買手がつき、三重塔は30円であったという。しかし、幸いにも両塔無事で今に遺された。<br /><br />興福寺は明治8年(1875)から同15年まで、西大寺住職佐伯泓澄によって管理された。<br />この間に興福寺の再興が嘆願され、明治14年に寺号の復号許可が出された。<br />翌年には管理権が興福寺に返還され、その後、紆余曲折を経ながらも興福寺再興に向って動き出し、<br />中金堂の返還や寺僧の増加、あるいは境内地返還による復旧等の将来を展望した計画も立てられた。<br />この間、国の文化財保護政策も進み、明治30年から国宝指定が始まり、<br />同33年から建造物や仏像などの修理が行われた。<br />当時の興福寺の規模は往時と比較すれば隔世の感があるが、廃仏毀釈の混乱から一応の落ちつきをとり戻した。』<br />『興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状』を忘れてはならないと思います。<br /><br />http://shibayan1954.blog101.fc2.com/<br />http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-339.html<br />「しばやんの日々」は素晴らしいブログです。<br /><br /><br />明日は、宝塚の手塚治虫記念館。<br />忌野清志郎の展示もあるということで!<br />

近畿の同窓会から京都・奈良・兵庫②

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2014/11/10 - 2014/11/10

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尾瀬リピーター

尾瀬リピーターさん

9日の京都を終え、またまた十三の定宿から室生寺へ。
近鉄で鶴橋から室生寺大野口で10時過ぎ着。バスで室生寺へ。
紅葉もう少しというところでしたが、それでもきれいでした。
拝観料は、するっと関西割引で、絵葉書もらえたりとてもいいです。
噂によると、2,3年でなくなるとか!存続してほしいですが!
高野山は電車、ケーブル、バスすべてOKでした。
先日行った「吉野」は違いましたが!

女人高野の雰囲気を十分楽しめました。
http://www.murouji.or.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A4%E7%94%9F%E5%AF%BA
『天武天皇9年(680年)、役小角(役行者)の草創、空海の中興という伝承もあるが、
記録で確認できる限りでは、奈良時代最末期の草創と思われる。
室生寺の東方約1キロのところには竜神を祀る室生竜穴(りゅうけつ)神社があるが、
室生寺の草創にも竜神が関係している。
『続日本紀』や『宀一山年分度者奏状』(べんいちさんねんぶんどしゃそうじょう)によると、
奈良時代末期の宝亀年間(770年-781年)、時の東宮・山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、
室生の地において延寿の法を修したところ、竜神の力で見事に回復したので、
興福寺の僧・賢憬(賢)が朝廷の命でここに寺院を造ることになったという。
賢は延暦12年(793年)没しており、造営は同じ興福寺の僧である弟子の修円に引き継がれた。
修円は承和2年(835年)に没しているが、現存の室生寺の堂塔のうち、
この時期(9世紀前半)にまでさかのぼると見られるのは五重塔のみであり、
現在のような伽藍が整うまでには相当の年数を要したものと思われる。』

雨の後とて、足元が悪かったのですが、奥の院までは何とかと思いましたが、
還暦過ぎた足腰にはきつい!でも何とかたどり着きました。
やはり御神籤ということで引くと「凶」!
万歳、私には喜びです!なかなか出ないし、
書かれていることがとても厳しくていいと思います。
小学校の遠足で、耶馬溪で「大凶」が出て以来、喜んでいます!

ということで、厳しい人生をこれからも楽しむ気持ちを持って歩むということで!
食事も早々に、バスでなく歩いて、室生川沿いに1時間30分ほどで、
室生寺大野口に到着!きつかったけど満足です。

室生寺を後に、近鉄で奈良へ!
さて、いつも大混雑の正倉院展、夕方でいかがでしょうかと思ったら、
10分待ちであっけなく入場できました。
目玉は鳥毛立女屏風です。
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2014toku/shosoin/2014shosoin_index.html
いい雰囲気でした!初めて入れました。

閑話休題ですが、
廃仏毀釈で興福寺が蒙った害は途轍もなく大きなもので、
奈良公園には、興福寺の大伽藍があったことはしっかり理解すべきだと思います。
http://www.kohfukuji.com/about/history/04.html
『幕末から明治維新時にかけての興福寺は神仏分離によって動揺した。
すなわち、長年にわたる神仏混淆の信仰形態を拒絶され、これによって一乗院・大乗院をはじめ、
他の院家も速やかに復飾して春日大社の新社司となり、ほかの諸坊も新神司として春日社への参勤となった。
さらに明治3年(1870)の太政官布告によって境内地以外すべて上知ということになった。
興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状となり、
加えて宗名・寺号も名のれず、まさに廃寺同様の様相を呈した。神仏分離の施策は廃仏毀釈につながり、
寺の破壊や撤去が押し進められた。興福寺では築地塀・堂宇・庫蔵等の解体撤去、諸坊の退転が相次いだが、
この頃、五重塔が250円で買手がつき、三重塔は30円であったという。しかし、幸いにも両塔無事で今に遺された。

興福寺は明治8年(1875)から同15年まで、西大寺住職佐伯泓澄によって管理された。
この間に興福寺の再興が嘆願され、明治14年に寺号の復号許可が出された。
翌年には管理権が興福寺に返還され、その後、紆余曲折を経ながらも興福寺再興に向って動き出し、
中金堂の返還や寺僧の増加、あるいは境内地返還による復旧等の将来を展望した計画も立てられた。
この間、国の文化財保護政策も進み、明治30年から国宝指定が始まり、
同33年から建造物や仏像などの修理が行われた。
当時の興福寺の規模は往時と比較すれば隔世の感があるが、廃仏毀釈の混乱から一応の落ちつきをとり戻した。』
『興福寺は所領を失い、最終的には堂塔の敷地のみが残されるという惨状』を忘れてはならないと思います。

http://shibayan1954.blog101.fc2.com/
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-339.html
「しばやんの日々」は素晴らしいブログです。


明日は、宝塚の手塚治虫記念館。
忌野清志郎の展示もあるということで!

旅行の満足度
4.0
  • 近鉄車内から撮った飛鳥川

    近鉄車内から撮った飛鳥川

  • 奈良三山の耳成山。<br />三山は近鉄が作ったマップに詳細な歩きが書かれています。<br />http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/sansaku/tekumap.htm<br />

    奈良三山の耳成山。
    三山は近鉄が作ったマップに詳細な歩きが書かれています。
    http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/sansaku/tekumap.htm

  • いい雰囲気ですね!

    いい雰囲気ですね!

  • とうとう来ました室生寺!

    とうとう来ました室生寺!

  • すばらしい!の一言

    すばらしい!の一言

  • 登りはきつい!奥へ奥へ!

    登りはきつい!奥へ奥へ!

  • 綺麗なお堂です

    綺麗なお堂です

  • 南朝関係の本も読んでいますが、<br />親房の墓があるとは知りませんでした。<br />

    南朝関係の本も読んでいますが、
    親房の墓があるとは知りませんでした。

  • 瞑目しました。親房、正成は随分歴史的評価が、<br />以前とは違ってきているようです。

    瞑目しました。親房、正成は随分歴史的評価が、
    以前とは違ってきているようです。

  • 有名な小ぶりの五重塔。<br />「ところが痛ましくも平成十年九月、<br />奈良地方を襲った台風七号の強風はこの幽邃な聖地にも及び、<br />倒壊した巨木の一つが、室生寺最古の建造物である五重塔に<br />著しい損傷を与えました。<br />室生寺のシンボルとも言うべきこの塔の損傷は痛痒極まりなく、<br />各方面の方々にも多大な御心痛を煩わすこととなりましたことは、<br />まことに遺憾にたえません。<br />しかし幸いにも、政府、文化庁を始め、<br />日頃から当寺にお心を寄せていただいております皆様方に、<br />思いもかけぬ多大な御助力を得、<br />今日ここに旧にも増して見事な塔として復興することが出来ましたのは、ひとえに多くの方々の真心の賜物と、衷心より感謝致します」<br />

    有名な小ぶりの五重塔。
    「ところが痛ましくも平成十年九月、
    奈良地方を襲った台風七号の強風はこの幽邃な聖地にも及び、
    倒壊した巨木の一つが、室生寺最古の建造物である五重塔に
    著しい損傷を与えました。
    室生寺のシンボルとも言うべきこの塔の損傷は痛痒極まりなく、
    各方面の方々にも多大な御心痛を煩わすこととなりましたことは、
    まことに遺憾にたえません。
    しかし幸いにも、政府、文化庁を始め、
    日頃から当寺にお心を寄せていただいております皆様方に、
    思いもかけぬ多大な御助力を得、
    今日ここに旧にも増して見事な塔として復興することが出来ましたのは、ひとえに多くの方々の真心の賜物と、衷心より感謝致します」

  • もうすぐ奥ノ院、息も絶え絶え!

    もうすぐ奥ノ院、息も絶え絶え!

  • ようやくつきました。

    ようやくつきました。

  • 古くて味わいがあります。

    古くて味わいがあります。

  • ここでお守りを買いました。

    ここでお守りを買いました。

  • すいていた正倉院展。

    すいていた正倉院展。

  • 帰りには待ち時間なし。

    帰りには待ち時間なし。

  • 夕方がいいことがわかりました。<br />国博は友の会に入るのが一番です。<br />特別展は登録した国博4回、別の国博2回。<br />常設は無料です。<br />2種類もってうまく使うという手もあります。<br />12回分ですね。

    夕方がいいことがわかりました。
    国博は友の会に入るのが一番です。
    特別展は登録した国博4回、別の国博2回。
    常設は無料です。
    2種類もってうまく使うという手もあります。
    12回分ですね。

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