2010/06/13 - 2010/06/15
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chekimanさん
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バラナシ、楽しい思い出は何も無い。
勇気を振り絞ってホテルを出たが、ろくな事は無かった。
でも、バラナシで会った少年は、「あなたは、また、バラナシに戻ってくる。」と言った。
少年と約束した訳ではないが、その日が来る時の為に旅を続けているような気がする。
あの時と比べて、今では、自分からローカルの人に声を掛けれるようになった。屋台の食事も美味しいと思う。裸足の人を見ても驚かない。
でも、バラナシに着いたばかりの僕は、声を掛けて来るインド人が怖かった。
撮影した写真は少ない。でも、あの時、体験した出来事は今でも鮮明に覚えている。写真と文章のバランスの悪い旅行記だが勘弁願いたい。
バラナシの物語は火葬場から始める。
そして、ガンジス川でのぼったくり、サールナートでの少年ガイドとの出会い、聖地黄金寺院の参拝、最後にバラナシ駅で目撃した衝撃的な光景へと続く。
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
バラナシ駅に到着した。人が大勢いて混雑している。
いつのまにかに一人のサドゥーが目の前にいた。
彼はひざまずき、僕に対して何かをした。
祝福してくれたんだと思うが、僕には何があったか理解できなかった。
ベットから、ようやく起き上がった。
昼食はホテルですました。
とっくに街へ繰り出していなければならない時間なのに、まだ、僕はホテルにいた。
バラナシにいるからには、ガンジス川を見なければならないとの使命感だけで、外に出る決意をした。
ガンジス川まで、距離的には徒歩30分、インド人と関わりたく無かった僕は歩いていくつもりだった。だが、ほんの30mも歩かないうちに断念した。
40°Cを超える暑さとリキシャワラーの勧誘を30分も耐えるのは無理だと判断した。
ちょうど、声を掛けてきたリキシャワラーに行き先を伝えようと地図を広げた。その途端、2人組のインド人が寄ってきて、僕と一緒に地図を覗き込んでいる。
僕の行き先を確認してリキシャワラーに伝えた。まるで通訳のようだったが、僕には彼らの行動の意味が理解できなかった。 -
ゴードウリヤー交差点でリキシャを降りたが、西も東も判らず、僕の持っていたラフな地図では、ガンジス川の方向の検討さえつかない。
そこに2人の男性が現れた。彼らはライバル同士でお目当ては僕だった。僕が選んだのは16歳の日本語の話せる少年。
彼は街を案内すると言う。僕は火葬場に行きたいとお願いした。
火葬場は40℃の気温に火の熱気が加わり、僕の思考回路は停止していた。
それにも関わらず、目の前にいる小柄な老人は火葬場の説明を続けている。
しかし、ボッーとした頭には呪文にしか聞こえなかった。
いつしか、呪文は催眠術に変わっていた。
どうも、貧しい人の為に蒔き代を寄付して欲しいと言っている。
催眠術にかかってしまった僕は説明してくれたお礼の意味も込めて気持ち分の現金を渡した。
しかし、こんな金額では全然足りないと言っている。僕は追加のお金を渡した。
でも、老人の要求は続いた。僕は更に渡したが老人は許してくれない。
財布の中身はほぼ空になっている。財布を見せながら、もう金は無いからと言いながら、逃げるように火葬場を離れた。
支払った総額は400ルピーになっていた。 -
僕と一緒にいた少年は、何であんな大金を老人に渡したんだと言う。
歩き方に老人の手口が書いてあるだろうと批難している。
もっと早く言ってくれよとも思ったが、日本人をカモしている所を邪魔してはいけないローカルルールがあるのかと思いその言葉は飲み込んだ。
その後、ガンジス川を眺め、路地で寝そべっている牛をタッチしながら、彼のお兄さんが経営しているサリーのお店に寄った。
そこで、少年は睡眠薬は入っていないよと言いいながら、チャイを僕に渡した。 -
ホテルに戻った僕は、歩き方を読み直した。
確かにマニカルニカー・ガードの説明に薪代を請求してくると書いてあった。
そして、別のページには日本語に堪能なインド人少年に注意しろとも書いてあった。
でも、僕にとって、あの少年は恩人だ。
彼から買った紅茶が相場より高かったとしても気にならない。
彼から、紹介された両替屋のレートが用心をして小額にした1回目は銀行よりも良かったが、2回目に大きな額を両替した時は悪かったとしても気にならない。
彼から、紹介されたおみやげ屋さんが、ぼっていたとしても気にならない。
彼にバラナシの一面を見せて貰えなかったら、バラナシは最低の場所で終わっていたはずだ。
彼の一言、一言を覚えている。
彼との出会いはアジアを好きになったターニング・ポイントだったかも知れない。
いつか、彼と再会する為に、バラナシを訪れる日が来るだろう。
僕は、彼と再会する為に旅を続けている。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- fuzzさん 2015/03/25 12:32:32
- お待ちしてました!(^^)!
- fuzzです。
時々、chekimanさんのページに、新作が出ていないかとお邪魔してました。
ぼったくり・・・って仕方ないのかなあ・・・
インドネシアでも、現地ガイドさんが連れて行く場所には必ず押し売りや
ぼったくりが多くいたのですが、どんなに困っていても現地ガイドさんは
彼らをやめさせない。
やはり暗黙のルールがあるのでしょう。
台湾では逆に、「○○夜市ではTシャツやサンダルなど買わないでください。
一度着用したら破れたり壊れたりします」と事前に教えてくれました。
日本では考えられないような「ぼったくり」が当たり前。
あの現地ガイドにやとったインドの少年、あれから5年ですね。
もう成人になっているでしょうね。
私の好きな映画に「スラムドッグ$ミリオネア」があります。
インドの貧しい人たちの生活をみて可哀想と思うより、それぞれ置かれる
環境の中で一生懸命に生きている様子を見てたくましくて
私も、そのパワーを感じてみたいときれいごとを思います。
なんだかんだガンジス川には死ぬ前に一度は行きます。きっと。
fuzz
- chekimanさん からの返信 2015/03/25 23:10:53
- RE: お待ちしてました!(^^)!
- fuzzさん、こんばんは
早速、読んで頂きありがとうございます。
fuzzさんを始め、みなさんに読んで頂くのは本当に嬉しいです。
感謝しています。
帰国後に振り返って、インドで嫌だったことは、“ぼったくり”ではありませんでした。
声を掛けて来た人を無視した自分、
リキシャワラーへのチップをけちった自分、
小さい子供が差し出したおみやげを断った自分、
貧しい人が手を伸ばしてくるのを無視した自分
自分が悪い人間に思えてきて、自己嫌悪になりました。
彼らから見た僕は、裕福な日本人。
だったら、お金に関しては、けちけちするのは止めよう。
無駄使いをするつもりは、ありませんが、自分が納得した商品やサービスには、それ相応の対価を払おうと今では心がけています。
そうすると、値切り交渉が楽しくなり、声を掛けて来る人がいないと逆に寂びしく思うようになりました。
映画は帰国後に見ました。あの映画の中で、マフィアが子供たちに物乞いをさせるシーンがあったかと思います。
バラナシ駅で見たのは、その光景です。
インドでは、絶望的に思える人たちたちを見かけることあります。
その光景から、fuzzさんの言う“一生懸命に生きている様子”を見る力を身に付けたいと思っています。
もっと言うと、石井光太のように彼らに近づけるようになるのが夢です。
こうやって、書いているとfuzzさんにインド行きを勧めたくなってきました。
僕のインド再訪とどちらが早く行くか競争をしませんか?(笑)
では、失礼します。
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