2015/01/23 - 2015/01/25
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ちどり OYAJIさん
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1890年に和歌山県串本(紀伊大島樫野)で明治天皇に謁見したオスマンパシャ一行のトルコの軍艦エルトゥールル号が台風に合い遭難しました。乗組員の大部分は殉職しましたが69名の将兵が樫野の皆さんの献身的救助で助かりました。そしてその恩をトルコの人達は忘れず語り継ぎ、1985年イランイラク戦争により退路を失った邦人215名をトルコエアーが救ってくれました。(私はこのとき助けていただいた215人のうちの1人です)それが関係者の尽力であの「利休にたずねよ」の田中監督の手で映画化されようとしています。「海難1890」 其の製作現場を見せていただけるということで、2010年の日本トルコ友好120周年事業以来5年ぶりに串本を尋ねました。出会い有り 感動あり、 涙の怒涛の3日間の旅でした。
写真は串本ロイヤルホテルから朝焼けの橋杭岩
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- じゃらん
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23日朝06:00品川発の新幹線で新大阪に向かいます。途中京都の手前できれいな虹がかかりました。
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新大阪で特急くろしおに乗り換えます。串本には12:20到着予定です。くろしおにはパンダが乗っています。
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串本に着きました。風もほとんどなく実に素晴らしい天気です。海難1890の撮影現場に案内していただきます。たくさんの方が映画作りに奔走している姿を見させていただきました。この日は、遭難したトルコの人達の靴や服を繕っている島の女性たちの姿を見たトルコの将兵が感動するシーンの撮影だったようです。
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串本に来たら殉難将兵の慰霊碑にお参りしましょう。
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水仙の花と樫野崎灯台
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串本二日目の朝、橋杭岩が向かえてくれます
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だんだん明るくなります。船の照明が輝いています。
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紀伊大島の大島地区大島港 ここは回復したトルコの兵士たちが帰国に向け出発したところ。 当時の光景が偲ばれます
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大島地区 大島港のすぐそばにある蓮生寺。トルコの負傷兵を樫野地区の大龍寺だけでは収容しきれず、この大島の蓮生寺にも搬送して解放した場所。そしてこの地の遊郭の長「お雪」の墓のあるところ。 お雪さんの墓にも詣でさせていただきました。
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蓮生寺 本堂 立派な本堂です。
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蓮生寺の門 立派です
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エルトゥールル号の遺品を引き上げる作業をしている、トウファンさんの作業風景を樫野崎の灯台付近から見守る。
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水仙が咲き乱れる樫野崎灯台付近
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エルトゥールル号の乗組員が救助を求めた当時の燈台守がいた建物、最近公開されました。
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燈台守の建物の見学をサポートしてくれているAさんと記念写真。1985年の当事者を歓迎してくれました。
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トウファンさんが捜索現場から戻ってきました。収穫があった様です。
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トウファンさんの奥様ベルタ リエドさん、 遺品の保存作業をされております。
この後保存処理のラボへ案内してくれました。 -
樫野港で記者に囲まれるトウファンさん。
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樫野港でイセエビ丼をいただきました。贅沢!!!!
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トウファンさんといったん離れて、樫野地区の大龍寺へやってきました。こここそは負傷したトルコ兵士の看病を行った寺です。 外には何もそのような表示はありません・和歌山人の奥ゆかしさでしょうか? もっとPRした方が良いと思います。
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大龍寺本堂 立派です。
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串本町無量寺。ここは応挙 芦雪館として有名ですが、エルトゥールル号の乗組員の救助を行った医者に対して明治政府が治療費の請求を促したところ「もともと治療費など請求する気はない、そのような金があるなら災害にあった方への義援金にしてくれ」と政府に返事をした手紙が発見されたお寺です。 なんという医は仁術なのでしょう。感激です。
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エルトゥールル号の遺品を保存処理している養春小学校。こんな立派な校舎なのにすでに廃校になっています、日本の少子化厳しさを思い知らされます。
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養春小学校の理科室で、ベルタさんに保存処理について説明を受け遺品を見せてもらいます。引き上げることも大変ですが後世に残すよう保存処理をするのも大変な作業です。
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ガン パウダー 銃に詰める火薬が水に浸かり固まってしまったものです。匂いを嗅ぐと火薬のにおいがします。125年の時空を超えた香りです。
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24日夜 宿泊先のロイヤルホテルで三味線のライブがありました。
実はこの方、串本町役場のWさん、芸達者ですすごいです。 -
海岸にぽつんと立つ鳥居
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串本駅近くの「勘八」さんへお寿司を食べにやってきました。なんと串本へ来る前は私と近くに住んでいた方・・・
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串本の魚はおいしい。
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25日朝 映画に出演する方にお願いして一緒に写真を取らせていただきました。串本ロイヤルホテルは早朝からメイクして着替えをした明治の方たちがあふれていて、明治村ができていました。
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串本でのイベントを終了し、那智勝浦にやってきました。中之島温泉ホテルにて温泉を堪能させていただきます。
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勝浦駅前で 風呂上がりの一杯 鮪がおいしい
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ということで名古屋21.22発の新幹線で帰ってきました。この3日間映画製作の現場を見させていただき、色々な方にお会いさせていただき、おいしいものをいただき、素晴らしい温泉に浸かり・・・・最高の旅でした。
1890年樫野のみなさんが行った素晴らしい救助活動、そしてその恩を忘れず1985年行き場を失ったテヘランの日本人215人の救出。こんな素晴らしい人間愛の史実が「海難1890」の映画によって日本の皆様、世界の皆様に知っていただきたい。そんな気持ちで帰りの戸に着きました。
映画撮影の現場の写真は掲載できませんので公式に発表になっているサイトからご覧ください
http://ertugrul-movie.jp/
http://www.toei.co.jp/release/movie/1204968_979.html
http://ertugrul-movie.com/
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この旅行記へのコメント (7)
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- 旅するうさぎさん 2015/02/01 17:39:47
- こんにちは。
- ちどり OYAJIさん、こんにちは。
串本にまた行かれたとのことで、
旅行記、見せていただきました。
映画は今まさに撮影しているところなのですね。
関連サイトも拝見しました。
「海難1890」というタイトルなのですね。
今年の年末に公開予定ですか。
私の高校時代の世界史の先生は
世界中のありとあらゆる国を旅していた人でしたが、
特にトルコは素晴らしいと授業で教えて下さいました。
トルコの人たちが親日だというのもその時に知りました。
でもその親日の理由が、
日露戦争で日本がトルコの長年の宿敵であるロシアに勝ったから、
ということだけしか聞いていませんでしたし、
エトワール号のことは他のどこかで少し耳にしたくらいの
ぼんやりした知識しかなかったので、
今回、ちどり OYAJIさんの旅の記録を見ることで
詳しく教えていただくことができ、良かったです。
映画の公開を楽しみにしたいと思います。
旅するうさぎ
- ちどり OYAJIさん からの返信 2015/02/01 21:49:50
- RE: こんにちは。
- 旅するうさぎさん
書き込みありがとうございます。
みんな色々なところでつながっているんですね。
出会いを大切にしていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
- 旅するうさぎさん からの返信 2015/02/01 22:57:58
- RE: RE: こんにちは。
- ちどり OYAJIさん
読み返してみたら、
エトワール号でなく、エルトゥールル号でしたね。
ごめんなさい。
それにしても、串本というと私の中では
ダイビングをする人が潜りに行く所、
本州なのに綺麗な珊瑚があって、
熱帯魚が泳ぐ海中風景が綺麗な所、
というくらいの知識しか今までありませんでした。
いつか行ってみたくなりました。
旅するうさぎ
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- aoitomoさん 2015/01/30 00:08:51
- 『海難1890』も楽しみです。
- ちどり OYAJIさん こんばんは
いつもありがとうございます。
串本いかれたのですね。
色々な思いで胸がいっぱいになったことと思います。
でも、映画の出演者や監督ともお目にかかれて羨ましいです。
私も旅行記を拝見してまた感動をいただきました。
映画の名前は「海難1890」になったようですね。
12月の上映が楽しみです。
私もこの映画を応援したい者のひとりです。
素敵な旅行記をありがとうございます。
aoitomo
- ちどり OYAJIさん からの返信 2015/01/30 07:15:45
- RE: 『海難1890』も楽しみです。
- aoitomoさん
書き込みありがとうございます。
映画制作については「串本フィルムサポーターズ」にも登録しており、エキストラでの出演を希望したのですが、日程が合わずだめでした。
でも、たくさんの関係者に会えて本当に楽しい、貴重な旅行でした。
映画ができたら是非見てくださいね。
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- 多良さん 2015/01/29 10:07:23
- 大切なものは何なのか?が分かる人でありたいですね。
- エルトゥールル号の話ですが、
当時の状況は「想像の世界」でしかないですが、現代の「海難救助」とは大きく違った困難極まるものあったことは、少しは理解できる気がします。
多分、デカイ軍艦であるエルトゥールル号に手漕ぎの木の葉のような日本の船が救助にも出かけたのでしょう・・・。
実際、69名しか助けられなかった。残る587名は、死亡または行方不明だったとか。。。
いや、当時の状況では、それでも精一杯の「救助」であったことはワタクシにも分かる気がします。。。
話が飛びますが、大切なのはその後かと。
1985年のトルコエアーへそのことが繋がっているという事実。
ちどり OYAJIさんのおっしゃる「飛行機の安全が保障されないから飛ばなかった日本の航空会社に対して、日本人の安全が保障されないから救助に飛んできてくれたトルコエアー」と言う言葉にワタクシは国のあり方、人のあり方に複雑な思いでいっぱいになりました。
今、「イスラム国」の話題で日本中が重い空気に包まれています。
日本は国民に「我が祖国」と親しみを込めて呼ばれるような結果に導いてくれるのでしょうか?
大切な事をいつもうまく言葉で表現できない 多良
- ちどり OYAJIさん からの返信 2015/01/30 07:20:42
- RE: 大切なものは何なのか?が分かる人でありたいですね。
- 多良さん
書き込みありがとうございます。
現地に行くと分かるのですが、座礁しエンジンが水蒸気爆発したとのことですが、陸地から本の目と鼻の先の場所なんです、夜中のことで、台風のさなかなので小舟を出して救助というのはできなかったようです。(そのような記録は見たことがありません)
皆さん自力で磯にたどり着けた人だけが救助されたような状態だったようですね。
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