2015/01/18 - 2015/01/18
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2015/1/2、東京都の府中市の大国魂神社に初詣に行ったが、あまりの人出の多さに、びっくりした。
律令時代に武蔵国の国府が置かれた地である事から、武蔵国の国府という意味で府中と呼ぶようになった場所。
その中心が大国魂神社辺りと言われていて、その歴史に触れるため、あらためて神社周辺を訪問してみた。
実際廻ってみて、調べると古墳時代、飛鳥/奈良時代、鎌倉/室町時代、戦国/江戸時代、明治/大正時代それぞれの一瞬の歴史を垣間見ることが出来て、うれしい限りであった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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-
JR南武線府中本町駅を降りると、すぐ目の前の空き地の情景。
「国司館と家康御殿跡」
2010年の発掘調査の結果、国内でも類例のない初期の国司館(こくしのたち)と考えられる国府の重要な施設跡と、徳川家康府中御殿関連の遺構が発見された。
秀吉の小田原征伐後、家康はここに御殿を立て秀吉を接待したとのこと。
現在は保存のため埋め戻され、また国指定文化財(史跡)に指定された。 -
その跡地から府中街道の坂を下る。
坂から左側には先の大國魂神社の敷地が続いている。
その傍らに「天保二年」と読める小さな石が見え、奥に小さな金比羅神社があった。この辺りは歴史が詰まっている予感がした。 -
その隣のお寺、妙光院。
貞観元年(859年)真如法親王の開山と伝えられる真言宗の古刹。 -
境内に入ってみる。
戦国時代には八王子城主の北条氏照が帰依、江戸時代には徳川家康から御朱印地を寄進されるなど、権力者たちの信仰が厚かったといわれる寺。 -
奥に朱塗りの美しい仁王門が見えた。
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仁王さんをアップで撮ってみた。
そして裏に廻ると竹林がきれいだった。 -
さらにその隣の安養寺に裏から入る。
6地蔵が並んでいた。 -
ここも隣と同じ859年(貞観元年)に開山された。偶然ではなかろう。
円仁(慈覚大師)によって開山された天台宗の古刹。 -
浅草観世音御分体。
寺の敷地には向かいの施設の臨時の有料駐車場になっていた。
それは・・・ -
道を挟んで、府中のJRA東京競馬場がある。
競馬場へは初めてなので、中に入ってみた。 -
スタンドにはそこそこ人がいて、大きな電光掲示板ではレースのライブ映像があったが、競技場には馬は見当たらない。
何故だ。 -
スタンドの中は暖かく、人も多く、馬券を買っているようだ。
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レストランやCAFEもきれいで、まるでアウトレットモールに来ているようだ。
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広い場内を歩いているうちに、謎がかってきた。
他の競馬場でやっているレースを中継していて、その馬券を買っていると推測。 -
西門から東門まで行き、JRA競馬博物館(無料)を見学。
競馬の知識に乏しく、興味があまり沸かなかった。
他にも子供用遊園地・ミニ新幹線があった。 -
八幡道(やわたみち)の坂を登る。
先の国司館と家康御殿跡地もそうだが、ハケと呼んでいる府中崖線(段丘崖)で一段高くなっている。 -
坂を登りきると八幡緑地があり、踏み切り沿いに、武蔵国府八幡宮があった。
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令制国の国府の近くに創建された八幡宮であり、全国にあるが東京ではここだけである。
ちなみに神奈川では、平塚八幡宮だけがそうだ。 -
線路沿いを歩き、府中競馬場正門前駅の黄金の馬の像
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坂を下り、競馬場前に出て、馬頭観音・馬霊塔を見る。
馬霊塔は、競走馬の供養のために建てられたもので、左右に十数基の墓石が並んでいた。 -
今度は天神坂を上がる。ハケの段丘を登っていく。
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初詣に来た大國魂神社の側面から入る。
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参道周囲の出店はなくなっていた。(看板はまだあった)
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本殿拝殿へのお参りは行列でいまだ100mほど並んでいる。
流石に無料のお神酒と甘酒は配っていなかった。 -
元旦2日に来た時の行列は、横幅いっぱいであった。
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本殿横には大イチョウと東照宮がある。
家康公歿後、駿河国久能山から下野国二荒山に霊輿を遷された時、その途中、この国府の斎場に一夜逗留せられたので、その遺跡を後世に伝える為造営された。 -
武蔵国府跡。
ヤフーマップを見ると、大國魂神社横に、この名称の場所があり、それが気になり、今回一番来てみたかった所。 -
ざっと敷地は20m^2だろうか。
柱に見立てた模造柱と簡単な説明部屋があった。
それでもここに1200年前に、に -
実際の国府は100m^2と言われているが・・
8世紀中ごろに掘立柱から礎石建ちに改修され、10世紀末には機能を失っていたと推定されるらしい。
悲しいかな、それも歴史だ。 -
馬場大門けやき並木。
大國魂神社敷地を抜けると、かつての参道であったけやき並木が続く。
これは、徳川家康が関ケ原の戦いや大坂の陣の戦勝祈願成就のお礼として、大國魂神社に馬場を寄進し、その両側にけやきの苗を補植したという説が、史実として有力だそうだ。
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けやき並木にある源義家の像。
平安時代に、源頼義・義家の父子が、前九年の役で、戦勝祈願して戦に勝てたお礼として、参道にけやきの苗1000本を奉納したことに始まるとされる伝説。 -
ケヤキ並木沿いには、天然温泉の縄文の湯があった。
ナトリウム-塩化物泉だそうだ。 -
府中街道に戻ると、江戸時代の高札場跡が残っていた。
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ここは当時、甲州街道と北上する川越街道、南下する相州街道(現在の府中街道)が交差する交通の要であった。
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西に少し歩くと、番場宿の石碑があった。
名主の茂右衛門によってこの辺りは開発され、幕末には家数百三軒だったという。 -
鎌倉時代の寛喜2年(1230)天台宗として創建した古刹。
八角形の本堂が特徴的だった。 -
河川を埋め立てたような一本道があった。
下川原線の廃線跡である下川原線緑道だ。
東京砂利鉄道-国鉄下河原線の看板を読んでみた。
明治6年、多摩川の砂利を運ぶため建設され、大正時代は軍事利用となり、昭和51年、武蔵野線の開通で廃止された。 -
下川原線緑道を進み、南武線を超えて鎌倉街道に入った。
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分倍河原駅に到着。
駅前には、分倍河原の合戦で活躍した新田義貞公の像が建っていた。
ほとんど知らなかったが、新田義貞は150年続いた鎌倉幕府を倒した!
その戦の1つが分倍河原の合戦だそうだ。ただ、倒幕後足利尊氏に破れ、室町幕府は尊氏が開いた。
分倍河原の合戦地はここから近いが、途中、古刹の寺を1つ見逃したため道を戻った。 -
高安寺の観音堂。
この高安寺の開基は、室町幕府初代将軍足利尊氏であった。 -
明治時代に再建された山門。
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陽が傾いてきた。分倍河原古戦場はパスして、分倍河原駅から1つ目の西府駅まで南武線に乗った。
その西府駅前に御嶽(みたけ)塚古墳がある。
西府駅開発時の2006年に発掘された。 -
墳丘上に御岳大権現の石祠があった。
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秋葉神社常夜灯。
江戸時代1792年、旧甲州街道沿いのこの地に設けられた。、 -
熊野神社古墳。
7世紀後半とされる、国内では4例しかないとされる珍しい上円下方墳だそうだ。 -
裏側から廻ってみた。
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正面に廻る。現在は国史跡だ。
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正面には江戸時代初期の創立と伝えられる熊野神社の本殿、拝殿があり、そのすぐ後ろが古墳である。
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国史跡 武蔵府中熊野神社古墳展示館。
丁度閉園の17時になっていて、入れず残念。
府中巡りは、時間によりカットした所もあり、次回あらためて、続きを紀行する。
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