1995/08/06 - 1995/08/27
8位(同エリア67件中)
マリオットさん
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お昼時に、クアラトレンガヌ―の街をウロウロと歩いていた時だった。バスターミナル近くに屋台があったため立ち止まって、なんとなく日本語で独り言が声になって出てしまった、、、「何か食べようかな」
すると屋台で中華鍋を振っていた主人らしき人から、思わぬ言葉が発せられた。「ヤキソバ ト カキゴオリ アリマスヨ」少したどたどしくはあった物の、間違いなく日本語だった。こんな田舎町で日本語を聞こうとは、思わず立ち尽くして言葉を発した主人を見つめてしまった。
しばらくタイを旅行していたが、南下していくうちにスンガイコロクに着いた。ここまで来たら、陸路マレーシアへ入国しシンガポールまで行ってみようかと言う気になった。タイ国境の町は大した資料もないが、沢山の人が駅前を流れていく。付いて行くとバイクタクシーに呼び止められた。「ボーダー、ボーダー」この英語しか通じないのだが国境へ連れて行ってくれるのだろう。バイクの後ろに乗ると、数分で国境の橋へ着いた。
タイの出国は、きわめて簡単。橋を歩いて渡り、反対側はマレーの国境。入国と税関が簡単なテーブルで分かれていた。地元の人たちは普通に通り過ぎているようなのだが、一応パスポートにスタンプをもらって、税関では荷物の中を見られた。カメラに興味を持ったのかじろじろ見られたが、賄賂を要求されることもなく通過。マレー側にはローカルなバス停があって、ミニバスでコタバルに行けた。
コタバルはそれほど大きな町ではないため、インフォメーションで地図をもらい、歩いて観光が出来た。モスクの近くで夜店が多く出来たり、地元伝統芸能のアトラクションを見たり出来た。マレーの東海岸は、とてものんびりとしたローカルな感じを受けた。
バスで、クアラトレンガヌへ向かう。第二次大戦の頃は、コタバルへ日本軍が上陸して銀輪部隊が一気にシンガポールまで攻め入ったと言う話を聞いたことがあるが、道路に沿って見えるのはヤシの木の海岸線とゴム園ぐらい。異国まで来た兵隊さんは大変だったかも知れないが、これだけ田舎が続くと、一気に攻めて行けたのも主要な軍事基地が無いからだったのだろうか。
バスの着いたクアラトレンガヌは、近くの海岸にウミガメの来ることで知られている町だが、それ以外は市内を歩くと普通の田舎町に感じた。交差点には大きなウミガメの模型があったが、満月の夜でもなく、今は卵を産みに来てい無いようだ。長旅に疲れて来たので、たまには西洋式のホテルに泊まろうと、「パンタイモーテル」へ宿泊する。名前はモーテルだが、当時は界隈に一軒しかない西洋式のプール付きホテルだった。市内の見物をしようとトライシクルで中心部へ向かい、バスターミナル付近で出会ったのが、屋台のご主人だった。
誘われるままに席に座り、お勧めの焼きそばとかき氷を頼んだ。焼きそばは中華風の味だった。かき氷はマレー流の具沢山な物。食べ終えて主人に話を聞くと「子供の頃、鹿児島に住んでいました。戦争の前にこちらに来ました。日本語、何十年ぶりです。だいぶ忘れました。私の日本語わかりますか。」と言ったような内容を、ポツポツと話してくれた。本当に久しぶりに話すようで、長い会話や細かい内容まで聞くことはできなかった。当時からゆきさんはいただろうが、男性の移民はあまり聞いたことが無い。中華料理を作っていたから、中国系の方が日本にいてマレーシアに移住したのだろうか。
当時聞いた話では、マレーシアの経済は、中国系の企業や資本がかなり実権を持っているようだった。漢字表記の看板もかなり多かった。インド系の民族も多いため、政策的にはマレー人優先制度もあったようだ。
複合的な民族国家に見えるマレーシアで、どんな人生を歩んできたのか。詳しくは聞けなかったが、思わぬところで聞いた日本語に、観光だけとは別の旅の面白さを感じた。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- パキスタン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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タイ、マレーシア国境の橋。ここは歩いて渡るしか方法が無かった。それなりに国境越えの実感があってよかった。
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マレーシア側国境に、小さな町があった。看板一枚だけの停留所があり、コタバルに行くバスに乗れた。
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草原の中にポツンと建つ「ブラウンハウス」当時はバックパッカーの宿だった。床にマットを敷いて寝て、シャワーがある程度の施設だったが、各国の旅行者が集まっていた。
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朝に街を散歩すると、学校へ行く生徒たちに出会った。その服装から、仏教国からイスラム教の国へ来たのだと実感した。
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コタバル。小さな町だが、中心部は賑やかだった。
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地域の暮らしを表す絵画。凧揚げも、この地方の伝統行事。
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この日は、太鼓のアトラクションが行われていた。
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なかなか迫力のある音だった。東海岸は、マレーシアの伝統的なものが良く残っている感じだった。
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パンタイモーテルの部屋。マレー風のインテリアが感じられた。
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プールがあり、欧米人の宿泊が多かった。
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レストランに使われていた船のデッキから、海が見渡せる。
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クアラトレンガヌ、市内の足はトライシクル。東南アジアにはいろいろなタイプがあり、ここでは自転車の横にサイドカーがつけられていた。
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突然日本語で話しかけてきた主人。屋台風の建物だが、かなり大きく、テーブルの数も多かった。
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