2014/12/30 - 2014/12/30
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ソフィさん
2014年12月30日(火)今も胸に残る修学旅行の感動
伊勢詣での客は、19世紀末明治時代は年間百万人ほどだった。
その後「日本」意識が盛んになり、客数は次第に増加したものと思われる。
私は昭和17年(1942年)、小学校6年生の修学旅行として、金沢からやって来た。
食糧難が進んでいて、各自お母さんに頼んでお米一合のお手玉を食事回数分いくつか作ってもらい、リュックに入れていた。
二見が浦、奈良と二泊。
初めての団体旅行は感動の連続で、感想文を徹夜で、原稿用紙33枚も書いた記憶がある。
式年遷宮が始まってから、客数は年間500万人から急増し、平成24年(2012年)には、800万人を超えた。
そして一昨平成25年(2013年)第62回式年遷宮のクライマックスの年は、一気に1400万人を超えたと報じられている。
ただしこれらの数字は、内宮・外宮双方を参詣した人を二人と数えている。
だが、いくら人が集まっても、江戸時代と比べれば、熱の高さが違う。
江戸時代の客は、遠くから数カ月もかけてある人は命がけでやって来て、伊勢神宮のある町にも何日かは滞在しただろう。
一生に一度の伊勢詣では、一般市民の夢だったのだ。
一人当たりの神宮やその周辺に与えるインパクトは、今の数十倍に達するのではないだろうか。
江戸時代ほぼ60年ごとに、「お蔭参り」の大きな波が押し寄せた。
1705年(宝永2年)のお蔭参りは、本格的なお蔭参りの始まりとされるが、一日最高23万人、二カ月間に330〜370万人が参詣したと伝えられる。
当時日本の人口は2800万人ほどだから、日本人の8人にひとりが伊勢詣でをしたという、驚くべき数字だ。
内宮の鳥居を出て、右側に行けば「おはらい町」、その先に「おかげ横丁」。
いずれも式年遷宮を経て、どのように進化しただろうか。
2015.1.6片瀬貴文記
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- グルメ
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