2014/11/29 - 2014/11/29
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terry513さん
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昨日、赤目四十八滝散策後奈良までの約1時間ドライブで天然温泉付ホテルにチェックイン。翌朝は昨日の疲れもすっかり取れ良い目覚めだった。朝食後、約10分の所にある郡山城址を散策する事に。生憎の小雨降るお天気だったが真赤になった紅葉などを観賞できました。春には満開の桜が楽しめる花見の名所だそうです。(桜の名所百選)
郡山城は大和(奈良地方)を統一した筒井順慶が築いたお城。大和郡山は大阪や京都へも近く、昔から軍事や政治の要衝でこの地を治めようと有力者たちは争いを続け、江戸時代において郡山藩には常に有力大名が配されていたそうです。
所在地:奈良県大和郡山市城内町
近鉄橿原線近鉄郡山駅、JR関西本線郡山駅〜徒歩10分
駐車場: 郡山城追手門(梅林門)前の無料駐車場(10台程度)
- 旅行の満足度
- 4.5
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郡山城跡内掘、築城年代: 天正8年
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天正8年、筒井順慶が織田信長より大和一国20万石を与えられ、筒井城から郡山城に移り、砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築を開始
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天正13年に豊臣秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の太守として入城すると、城の修築は本格化
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その後、本多・松平・本多氏と城主は替わり、享保9年に甲府城主柳沢吉里が15万石で入封
以上、
大和郡山市教育委員会 (説明板より) -
追手向櫓
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大手東隅櫓
構造として窓が五ッ、石落しがニヵ所、鉄砲狭間が六ヶ所設けられていた。「今太鼓櫓」と註記されているのがあるが、当時櫓に太鼓を据え付けて、刻を知らせたり、変を知らしていたためとか。 -
追手向櫓と十九間多聞櫓及び追手門
大和大納言家時代に内郭部分が完成していた城に、増田長盛が郡山20万石で入封する。 長盛は城の修築を続け外堀(総堀)を普請し、ここに城の完成をしたとか。 -
追手門(梅林門)
関が原の役の後、暫くの間存在しなかったが、松平忠明が伏見城の遺構を家康より与えられて再建した。柳沢氏在城期には梅林門と称した。 -
追手向櫓
追手門(梅林門)を守るための櫓。 -
城内側より追手門を・・・
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追手門と十九間多聞櫓、追手向櫓を城内側より望む
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久護門跡
冠木門で、本田氏在城当時までは「法印郭中仕切門」と呼ばれ、 柳澤氏入城後は「久護門」と改名されています。 -
追手向櫓
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追手門と十九間多聞櫓
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毘沙門郭跡
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郡山城全体案内版
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本丸跡石垣と濠
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同じく本丸濠、左側が本丸跡で右側が毘沙門郭
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天守台跡
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極楽橋跡
本丸の木橋が架かっていた。この脇に羅生門の石垣内に礎石と言われる石がある。 -
現在は極楽橋跡南側に埋立堤があり、本丸跡へ渡る事が出来る
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竹林橋櫓跡
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本丸跡
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右側の石垣は白澤門跡
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柳沢神社 手水舎
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柳沢神社
祭神はここ大和郡山に金魚や養蚕を持ち込み、繁栄をもたらした柳沢吉里です -
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神社後方には天守台跡があり、現在は安全に登り景観を眺望できるよう、石垣の修復と展望施設の整備を行っており立入禁止です。
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天守台跡の写真
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天守台跡の発掘状態を示す掲示写真
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毘沙門郭跡にある柳沢文庫方面へ
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柳沢文庫 / 毘沙門曲輪
現在の柳沢文庫がある一帯で、もともとは「本丸ニの郭」と呼称されていたが、柳沢氏入部以降に「毘沙門曲輪」と改名。
柳沢家に保存されていた旧郡山藩主の公用日記類をはじめ、大和郡山市指定文化財の書画など数万点に登る古文書類を収蔵。地方史誌専門の図書館として、市民や研究者に幅広く公開している。(日、祭はお休み) -
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常盤郭跡に建つ明治の館で城祉会館
現在の会館がある一帯で、一庵丸、一庵法印良慶の屋敷があったので法印曲輪とも呼ばれている。 -
常盤郭跡
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真紅の紅葉が綺麗だった
春の桜の満開時には再訪したいと思いつつ次の目的地へ・・・・
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