2014/06/23 - 2014/06/23
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
ただ今、早回りトゥールーズ市内観光中です。カピトール広場からTaur通りを北上。ピンクのレンガの建物だらけの町をうっとりしながら歩いていくと、サン・セルナン広場に到着です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10日前、車の中からチラッと見ただけで通り過ぎてしまった、美しいサン・セルナン大聖堂の前にやってきました。5層構造の鐘楼はいままでに見たことのないスタイルで、非常に印象的です。
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サン・セルナン大聖堂は、トゥールーズの最初の司教で、紀元250年に殉教した聖セルナンの聖遺物を安置するために建てられました。先ほど見てきた、カピトールのイラストの部屋の中に、「教皇ウルバヌス2世のトゥールーズ入場」という絵がありましたが、これは、教皇がまさにこの大聖堂の内陣の献堂式を行うための訪問だったのです。
聖セルナンへの人々の信仰は厚く、ここからサンティアゴ・コンポステーラへと向かう巡礼者が後を絶たなかったそうです。中世ヨーロッパにおいては、最も重要な巡礼者の集まる大聖堂とされていました。巡礼者は、最盛期の12世紀には年間50万人を越えていたと言われています。 -
また、この大聖堂は、ヨーロッパで最大のロマネスク様式です。天井はそれほど低いとは思いませんが、建物の十字に交差する部分に13世紀後半増築された鐘楼を支えるために、柱は一様に太く、厚みがあります。側廊部分が左右2例ずつあり、5廊式の聖堂となっています。
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天井には、うっすらとフレスコ画が残っていました。
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クワイアから主祭壇を臨んだところです。主祭壇には、聖セルナン(フランス南部で話されていた言語のオック語で言うところのサンサチュルナン。蛇足ですが、オック語というより、l'occitan、ロクシタンと言った方が通りがよいですね。)の墓が安置されていました。
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伝説によれば、異教の司祭によって捕らえられ、彼らの神を崇めるように強要された聖セルナンは、それを拒絶したために死刑を宣告され、暴れ牛に足をくくりつけられてひきずり殺されたそうです。
写真は、内陣外から見た主祭壇です。祭壇に一番近づけるのがこの位置。中途半端な写真ですねえ・・・ -
大聖堂に来た多くの人々が訪れるであろうクリプトと宝物室を見る時間はなかったので、切符売り場そばにあった巡礼ショップを覗いてみました。
巡礼の旅に一緒に持ち歩くグッズが沢山売られていました。ここでも、大きな装飾を施したホタテ貝が目を引きました。 -
こちらは、ピンクを基調としたホタテ貝。とても綺麗です。この他、ローマ教皇や聖ヤコブ、聖クリストファのカード、ロザリオ、ペンダントヘッドなど種類も豊富でした。
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巡礼ショップの近くにあった原始キリスト教の石棺です。1994年から96年にかけて行われた発掘調査で、最も古い墓石の層は4世紀末から5世紀に遡ることが確認できました。
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サン・セルナンはロマネスク様式の聖堂。ステンドグラスの数は少なく、派手な印象はありませんが、静かで落ち着きのある色合いで、私は大好きです。
これは、フランス人アーティストのÉdouard Didron(1836年〜1902年)の作品です。 -
聖人の姿が、動物と共に描かれています。一番上は犬、中は羊、一番下は???
何でしょう? これもÉdouard Didronの作品です。 -
ステンドグラスがまともに撮れることは少ないのですが、サン・セルナンでは、珍しく成功例が多かったので、こちらは上の2枚とは場所が異なりますが、もう少し紹介しますね。
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これで最後です(汗)! ここでも善良なる羊達が農夫の足元で休んでいますね。
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北翼廊の天井にもフレスコ画が残っていました。ぼけていますけれど・・・、柱頭の彫刻にも注目です。
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北翼廊の端にあった十字架のチャペルChapelles celle du Crucifix。この辺りは創建当時の面影がまだ残っているところだそうです。
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身廊と翼廊が交差するあたりは、重たい鐘楼を支える為に、柱が幾重にも補強されているのがわかります。
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もう一度、主祭壇のほうに戻り、今度は南翼廊へ行きましょう。祭壇の上のドームを写そうと試みましたが、柵があって近づけず。私のカメラでは、これが精一杯。
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南翼廊のヴァージンのチャペルChapelle de la Vierge。静かに祈りを捧げている人達がいました。
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お終いは、主祭壇をぐるりと取り囲む半円形の部分、アプシスにあったフレスコ画です。こちらは保存状態がよく、石とレンガだけの壁と比べると、はるかに荘厳な雰囲気が伝わってきます。
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聖堂内を駆け足で通り抜けて、外に出てきました。
サン・セルナン大聖堂のすぐお隣にあるのが、サン・レイモン美術館Le musée Saint-Raymond 。この辺りで出土したローマ時代の遺物や古代美術を展示しているそうです。 -
せめて、時間が1日あったらねえ とぶつぶつ言いながら、先を急ぎます。
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サン・レイモン美術館前から見たサン・セルナン大聖堂の西側ファサードです。工事をしているようには見えませんでしたが、折角のファサードに白いシートがかかっていて、外観が台無しでした。
イタリアのルネッサンス期の教会ばかり見てきた者にとっては、ファサードと言っても、特に豪華に飾り立てることをせず、建物の一部に過ぎないという感じが少々物足りなくもありますが、この途方もない数のレンガには流石に圧倒されました。 -
美術館に続くアルベーヌ・ロマーヌ通りを行くと、右手にこんな建物が姿をあわらしました。新しい建物ですが、これまたレンガの積み方が見事で、しばし見入ってしまいました。
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続いて現れたのは、Centre de Préparation à l'Administration Généraleという大学入学準備機関の建物。トゥールーズは大学都市で、3つの大学と芸術大学のある、学生都市としても有名です。ここも、見事なレンガです。
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そのまままっすぐ道を歩き続けると、ガロンヌ河畔に出ました。目の前の橋は、サン・ピエール橋。対岸にある、La Chapelle Saint Joseph De La Graveのドーム が見えています。
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河畔で一休みしてから、今度は、パルガミエール通りをぶらぶら。La Table Rondeというレストラン発見! 代官山にもあるけれど、果たして関係あるのかな?
看板が面白いでしょ?! -
またまた、バルコニーコレクションです。2階と3階、ラーメン模様もどきが周りを囲み、ややオリエンタルムードですかねえ。
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そうこうしているうちに、ドミニコ会最初の修道院として建設されたジャコバン修道院 L'ensemble conventuel des Jacobinsに到着です。教会の北側には、サン・セルナン大聖堂のそれと雰囲気の似た、高さ40mの八角形の鐘楼がありました。
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ジャコバン修道院のお向かいは、Collège Pierre de Fermatという高校です。市内でも有数の進学校だそうで、若者が沢山たむろしていました。しかし、高い塀ですねえ。
蛇足ですが、ピエール・ド・フェルマはフランスの数学者で「数論の父」とも呼ばれる方なんですって。 -
このジャコバン教会 Église des Jacobinsの建物は、アルビジョワ十字軍が一掃された後の13世紀の建造。天井の高い聖堂部分の奥に、静かな回廊に囲まれた庭園と修道院の建物があります。近くで見るせいか、こちらも高さと威圧感を感じます。
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中に入ってもビックリが続きます。まるで円柱の林のよう。何を隠そう、この教会の円柱を見たくて、ここまでやって来たのです。
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こちらのヴォールトは交差ヴォールトに横断アーチ付きで、天井がリヴで8等分のセルに分割されています。天井をしっかり支えることができるため、少ない柱で広い空間が得られるようになっているんですね。独特の赤と緑の色使いが美しいです。
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ステンドグラスは教会としては珍しい抽象模様です。
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入口付近から内陣をみた1枚です。通常ある祭壇や説教壇、装飾などが殆んどないので、広い空間が余計広く見えます。奥行き80m、幅20mもあるそうです。
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聖堂の奥にある回廊です。時間の関係で、一目見ただけで入場しませんでした。こちらも立ち並ぶ灰色の大理石の円柱が素晴らしい!
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椰子の木をアップした絵葉書を売っていました。こちらは、なんと22本のリヴのある内陣の一番奥にある柱です。
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通常の教会で礼拝堂として使われている部分には、かろうじて絵が飾られていました。中央は受胎告知ですね。
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内陣奥までやってきました。これが、28mの高さを誇る椰子の木です。
わぁ お見事! と言うほかありません。念のため数えようと思ったけれど、いつも途中でどこから数え始めたのかわからなくなるので、途中でギヴアップです。
壁の周りの色石は、大理石に見えますが、実は石に色を塗って、大理石にみせかけただけなのだそう。トリックアート美術館のような空間です。 -
椰子の木の根元には、鏡のテーブルが設置してあり、これを覗き込むと、首が痛くならないよう、配慮されています。
他の部分の8本のリヴ(これだって十分多い)が、やけにすかすかに見えてしまうから不思議です。 -
丹念に彩色された石とやはり抽象模様が中心のフレスコをじっくり見ることも出来ました。
そうそう、このジャコバン修道院には、ドメニコ会士で、「神学大全」を書いたトマス・アクィナスの墓があるそうです。彼は、リヨンで開かれる会議に出席するためにローマを出発した後、病気になり、1274年、イタリア北部のシトー会修道院で亡くなりました。それから彼の遺体がドメニコ会に戻されるまで色々すったもんだがあり、実に100年を要しました。教会はそれまで何度か献堂式を行っていますが、1385年にはトマス・アクィナスの遺物が戻ってきたことを記念して大大的な献堂式を行ったそうです。 -
ジャコバン修道院を出て、今度は進路を南にとります。サン・トゥルシュル通りからブルス通りを下ります。あともう1箇所だけ回れるかなあ・・・
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ブルス通りで立派な邸宅の門を見つけました。カピトールと同じ、レンガと石の縞模様です。奥のお屋敷も由緒ありそう。
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イチオシ
うっとり眺めていたら、表札に、1716年建造のHotel de Nupcesと書いてあるのに気がつきました。建物は、歴史的建造物に指定されています。
トゥールーズは大青(たいせい)あるいはパステルと呼ばれる青の染料の公益で財をなした豪商の館があることで有名です。大青は、中国原産のアブラナ科の植物で、16世紀末まで唯一の青色の染料として珍重されてきました。
このHotel de Nupcesが建ったのは18世紀なので、時代が違いますが、調べてみたら、大青の商人の家をNupces氏が購入したことがわかりました。
この幼児用の座席がついた自転車がなんともいえない味わいを醸し出しているなあと、自己満足している1枚です。 -
今度こそ大青の商人の館へ というわけで、やって来たのはアセザ館Hôtel d'Assezat です。
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中では、丁度、フランス人の団体が建物の説明をしている最中でした。現在この建物は、ボナール、デュフィ、ティントレット、ヴァイヤール、ピカソ、ピサロ、ロートレックなどが中心の美術館となっています。結構内容が濃いです。残念ながら、今の時間はお昼休みで、見学は外側のみでした。
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アセザ館は、1555年〜1557年にトゥールーズのルネッサンス期においては、最高の建築家である、ニコラス・バシュリエによって建てられました。建物のピンクレンガの表面が、まるで脱色したような落ち着きある色合いに仕上がっています。何度も改修されたのでしょう。500年近くたっているとはとても思えません。
アセゼ館は、1914年以降、歴史的建造物に指定されています。 -
ピエール・アセザが最初に計画した館は、この2倍の大きさでしたが、地続きの土地所有者が売ることを拒否したためにやむなく、現在の広さとなったそうです。
アセザは最後は殆んど無一文となってこの世を去り、彼の家族はそれでも1761年までこの家を所有し続けました。現在はトゥールーズ市が所有し、バンベルグ財団が管理を行っています。 -
八角形に、円筒がくっついたような形の塔が特徴的。塔は、トゥールーズでも富と権力の象徴でした。
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建物の向かいには屋根のついたギャラリーがあって、梁の支柱に彫られた顔が面白かったので、2、3アップしましょう。
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なかなか凝っていますねえ。
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2階はベランダになっているようです。中が見れなくて残念。
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門とそれに続くロッジアの部分。ルネッサンスの雰囲気が漂いながらも、トゥールーズの伝統であるレンガと石の縞模様はきっちりと使われています。
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名残惜しいけれど、そろそろ出るとしましょう。建物と門とロッジアとギャラリーが一体感を生み出していて、とても居心地の良い空間でした。アセザが2倍の大きさの屋敷を建てないで、正解だったと思っています。
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アセザ館を出たところにあるメス通りRue de metzは、交通量の多い賑やかな通りです。この通りの下を地下鉄が走っているみたいです。
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まだ少しだけ時間の余裕があるので、大通りのバルコニー見学といきましょう。
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量産品がないので、いつでもここでしか見られないデザインの柵を見つけることができます。
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窓枠の外にも、飾りが見られますよ。おしゃれ!!
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なんともいえない優雅さが感じられる唐草模様ですね。これが日本に伝わると、あの泥棒でお馴染みの模様になるのかな??
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3階、4階の唐草は、パターンが異なります。
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こちらは、モダンだけれど、あまり面白みが感じられないタイプ。対比するためにアップしました。
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最後に訪れたのは、これも外観だけですが、トゥールーズが誇るオーギュスタン美術館。これは、元々聖アウグスティヌス修道院として使われていた建物です。トゥールーズ恐るべし!屠殺場も修道院も豪商の館も今は全て美術館に生まれ変わりました。
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オーギュスタン美術館の対面の建物も、バルコニー、窓枠の飾りともに素敵です。
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最後はこちら。レンガ造りのトゥールーズらしい建物です。もう行かなくっちゃ!
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道路の手前には、おおきに の看板。レストランではなくて、サロン・ド・テと書いてあります。京風喫茶店なんですって。
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古代ローマ時代の公共広場だったエスキロルEsquirol駅から地下鉄で、マタビオ駅に戻ります。歩いても十分間に合うのだけれど、乗ってみたかったのです。トゥールーズの地下鉄。
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日本とさほど変わらない雰囲気のエスカレーターで降りて、
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行き先をチェック。この路線はA線。4つ目の駅マレンゴが、国鉄の駅と接続しているようです。路線は、今のところA、Bの2路線のみ。ここから2つ目のジャン・ジョレス駅でB線と交差しています。
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無人運転なので、ホームは東京の地下鉄南北線のような造り。電車が到着すると、ホームのドアが自動的に開きます。
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乗ってみて驚いた。とても幅の狭い電車です。片側にロングシートがあるのみで、幅2m強しかないんじゃないかなあ・・・
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地下鉄内で、この路線図撮っていたら、隣のおばさんに、「そんなもの撮ってどうするの?」と聞かれました。どうするって?、「ただ記念に」と答えておきましたが、おばさん、その答えに少々不満そうでした。
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またしてもぶれぶれですが、これが切符です。自動販売機で、適当にやったら、英語の画面になりました。1.6ユーロ也。地下鉄、バスの共通切符かな?
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マタビオ駅に無事戻ってきて、重たいスーツケースをピックアップ。駅の北側のバスターミナルにあるユーロラインの窓口で手続きを行います。
バスの運転手さんはスペイン人で、バスに乗った途端、そこはもうスペインでした。バックグラウンド・ミュージックもスペイン語。 -
ユーロラインのバスの車内では、WiFiが無料で使えます。シートの前には、ノートPCが載るサイズの大きなテーブルがあって、とても便利でした。時々電波が途切れることがありましたが、概ね問題なし。快適。快適。
ただ途中一箇所、どうしても見たい景色がありました。
ほーら、もうじきだよ。 -
4年前に訪れたカルカッソンヌ。バスの中から撮った唯一ぶれていない写真です。カルカッソンヌを見ずして死ぬことなかれ。再び見ることが出来て、幸せな景色です。
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カルカッソンヌから海岸に近いナルボンヌへ。そして、ペルピニャンを通り、ピレネーの山の中へ。思ったほど標高は高くならなかったような気がしましたが、途中ぱらぱらっと雨が落ちてきました。
運転手さんは一度も休憩をしないまま、予定時刻より早めに、3時間40分位でフィゲレスに無事到着。着いてから20分休憩と言うアナウンスをしていました。バスはバルセローナ行きなので、あと2時間ほどはかかるのかな? -
あっけなく、フランスとお別れ、そしてスペインよこんにちはです。旅の第3楽章カタルーニャ編の始まり始まり〜!
この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その53 フィゲレス(1)で。
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