京都非公開文化財特別公開2014秋 1.鳥獣戯画と高山寺展・京へのいざない後期展示@京博 2.ローマ・サンタ・チェチーリア管、指揮パッパーノ@京都CH 3.都野菜 賀茂(かも)で朝食 4.因幡薬師にお参り 5.西本願寺 飛雲閣・旧仏飯所 書院・経蔵 6.東寺 灌頂院・両界曼荼羅図元禄本 宝物館・十二天像 7.萬福寺 三門・松隠堂 宝物館(第二文華殿)当麻曼荼羅図 8.酬恩庵(一休寺) 虎丘庵・浴室 9.夕食ははしたてby和久傳@京都駅スバコ
2014/11/05 - 2014/11/06
383位(同エリア564件中)
ドクター白鳥さん
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秋の特別公開に。
恒例の1日半としては盛りだくさん。
まとめも大変だ。
仕事より疲れるかも。
しかし、この特別公開10日間限りなので、できる限り行きたい。
写真は一休禅師のお墓。
ここだけ宮内庁管轄。
漢字がやたら多いタイトルだ。
「京都非公開、、、公開」のあたりから、センスが悪い。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
仕事終了次第、速攻で駅に。
たまたまEX-ICの予約もしていなかったので、自由席にとびのる。
京都駅着、いつものごとく京都ナビに。
冬までの特別公開の資料をまとめてもらい、朝日新聞後援、現在開催中の特別公開を確認。
たった10日間だが、いろいろと魅力的だ。
しかし、ここはまず前回パスした鳥獣戯画を、京博に。 -
前回は1時間半待ちでギブしたが、今回はそうはいかない。
同じく1時間半待ちだが、季節もいいし、並ぶ。秋風が気持ち良い。
後期展示の初日、昨日は連休明けの休館日だったので、平日午後でも列が長い、しかし、紅葉シーズンまっただ中よりはましだろう。
驚いたことに、ずいぶん並んでみるのに、多くの人はほとんど展示ケースの前を素通りしていく、しかも、飽きてしまうのか、ケースの最後の方は目もくれない。だからそれでも早く進む、といえるが、たいして関心がないなら、わざわざ来ることもなかろう。丁寧に鑑賞したいものにとっては、失礼ながら邪魔者にすぎぬ。欧州の博物館のように、混雑が予想される展覧会では、時間予約制にしてほしいものだ。まだまだ文化政策に関しては、彼我の差がこんなところにも表れる。
京へのいざない、常設展も、後期展示を絵画のみ急ぎ足で鑑賞。
東博に続き、永徳と等伯の競演。
そして雪舟。京博に展示、ということは花鳥図屏風の基準作例と考えていいようだ。e国宝で見ても、唯一真筆と確定、と書かれている。
前期展示の天橋立とはかなり趣が異なる。
もちろん秀吉像も必見。
こちらも前期展示より混雑していた。 -
タクシーで、地下鉄五条駅そばのシタディーンまで。
荷物を置いて、烏丸線で京都コンサートホールに。
夜は、魅力のますCHだ。
パッパーノ指揮SCR。
ヴェルディ: オペラ「ルイザ・ミラー」序曲
ドヴォルザーク: チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
ブラームス: 交響曲第2番 ニ長調 op.73
マリオ・ブルネロ
使用楽器は1600年代製の「マッジーニ」。
ふくよかな響きだ。
アンコールは、バッハと多分マックス・レーガーの無伴奏チェロ。
マックスレーガーなんて、ふつう知らないと思うが、先日チュ−リッヒ美術館展で肖像画を見ていたので、つながった。
コンサート全体のアンコールも、ヴェルディ含め2曲。
運命の力、序曲。
ポンキエッレ、ラ・ジョコンダ、時の踊り。
ポンキエッレはヴェルディの友人、マスカーニの師匠。
最初と最後はイタリアの曲で締める、ということだろう。
東京とは違い、満席ではありませんが、古都京都でのりのりのようで、終演はかなり遅かったです。
シタディーンにもどり、夕食の場所を聞くが、要領を得ない。
まあ、このあたりの飲食店は終わりが早いようだ。
隣のソバ屋は有名らしいが、ラストオーダーが終わったところ。
徒歩数分のお魚がおいしいお店、を教えてもらったが、たまたまお休み。その先のてんご、本格創作居酒屋、にぶらりと入る。
平日遅いからか、独占状態。
なんとなく暗い感じだが、「これが京都っぽい」と事務長。
あても酒もうまい。
ちょっとしょっぱいかな。
ふらりとはいった居酒屋でお酒がうまいのは、京都ならでは。
しめにラーメンとぶぶ漬けまでいただいて、〆て8000円でおつりがくる。 -
ちなみに写真は、翌朝東洞院通(ひがしのとういんどおり)を四条まで朝ごはんに行く途中にお参りした因幡薬師堂。
東洞院通は、もともとは朱雀門につながる幹線道路。江戸時代に日本初一方通行になった通りという。
因幡薬師堂。
パン屋さんの案内につられて寄り道して発見した。
がん封じと、因幡堂狂言、建礼門院よりも高倉天皇の寵愛を受けたことで、平清盛に追放された小督局(こごうのつぼね)の遺品が残ることで有名らしい。
このお堂の南側には「不明門通(あけずどおり)」が。
これは源平争乱の時代、八十代の高倉天皇が寺のすぐ南にあった「東五条院」にお住まいになられ、それに配慮して南側の門を開けなかったためにこのような名称がついたとのこと。
しかし、なによりもすごいのは、この1000年を超える歴史あるお堂に、地元の方がひきもきらずお参りに来ること。
私たちも熱心見学していたら、ご住職らしき方が声をかけてくださったので、中までお参りさせてもらえたかもしれないが、朝食もとらねば、で退散。
賀茂、は最近ネットでも人気の朝食どころなので、列ができていた。
お野菜と進々堂のパンがおいしい。
またまた欲張っておなかいっぱいに。 -
昼まで宿でのんびりするという事務長と別れ、お西さんに。タクシーワンメーター。
飛雲閣の外観のみ、旧仏飯所(修復後)、書院(浪之間と太鼓之間のみ)、経堂、とややけちくさいラインナップで、しかも2か所で料金を発生させる。その割に、学生さんボランティアの解説は物足りない。
しかし、それでもメイジャーな場所だけに、他よりは勉強している方が配置されていたことが、あとから判明。
太鼓之間の天井、格子にすべて異なるデザインの太鼓が描かれているのが秀逸。
葡萄と栗鼠の欄間との相性も良い。
写真はここまで因幡薬師堂。 -
タクシー、ワンメーターで東寺に。
灌頂院、現在の建物は寛永の再建。
灌頂、とは頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式。
そこで、儀式がおかなわれるときと同様に、板壁に曼荼羅がかけられている。
7日間にわたり鎮護国家などを祈る「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」で本尊としてかけられるのだが、灌頂院での一般公開は初めて。ともに縦4・1メートル、横3・8メートルの「金剛(こんごう)界」「胎蔵(たいぞう)界」の2幅が「ローム」の設置したLEDの光で照らされ、大日如来などの諸尊が色鮮やかに浮かびあがり、息をのむほど美しい。最後の写しの元禄本だけに、「新しい」のだ。
宝物館では、さらに独自に秋の特別公開「灌頂儀式の世界」で十二天屏風、国宝が展示。
これも前後期で六幅づつ展示、というのがいかにも京都臭い。
これくらいは一度に展示できないものだろうか?
しかし、一見の価値あり。後白河法皇の時代、1191年に描かれたことがはっきりしている、とても古い屏風ですが、彩色も鮮やか。そーか、展示期間を限るのもやむをえんか、、。
白河上皇、鳥羽上皇、そしてこの後白河上皇と続く院政時代は、権力が強大であることと裏腹に、いつ覆されるかわからない、という不安の時代でもあり、救済のための芸術が華開いた。そのなかのひとつ、という位置づけだろう。
東博の国宝展で現在展示されている仏画など、その代表例。
結縁に用いられる敷曼荼羅も展示。
高野山では、今でも三千円お支払してこの儀式に参加し、仏様と結縁できるそうだ。
写真はここから黄檗宗、萬福寺。
総門、中国的。 -
徒歩で京都駅に向かい、奈良線のホームで事務長と落ち合う。
思い切って奈良まで行き、正倉院展を見るか迷うが、予定のごとく黄檗で降り、萬福寺の三門特別公開に行き、タクシーで一休寺へ、という強行軍を採用。
アマデウス様(京都観光の神様のひとりですね)のおすすめで、ここの三門にのぼれるのはとてもレアな体験、とのことなので、信じて向かう。
まあ、一度特別公開されると、毎年行われるようになることも多いのだが、それもお寺にとってメリットが感じられた時だけ、ということもあろう。手間の割に意外と実入りが少ないと、その後行われなかったり。 -
萬福寺開祖、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師は、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省にある黄檗山萬福寺のご住職。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って、鎖国時代の1654年に来朝。まあ、よく来て下さったものだ。
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階段は急で、知恩院よりもおっかなびっくり。
しかし、それが中国式、といのうだが、楼上にはなにもない。伽藍、、。
僧が寝泊まりする場だったという。
寒そう。 -
楼上からは、ちょっぴり期待した宇治平等院や伏見稲荷は望めません。
南に異様な建屋があるので、ふざけて「安倍ちゃんが有事、ここに立てこもるための施設だ」とか言っていたら、本当に自衛隊の物見やぐらだそうです。
なにゆえここに、、? -
あとは松隠堂に。
隠元和尚の引退所(修復後)客殿および庫裏。
客殿は、詳細はつまびらかではない、という山水画襖絵。
花鳥図の鳥は、なんか見たことのない鳥で、ボランティア学生に聞いたが、「現在調査中」との答え。
やや茶色の石を掃いて、亀甲文様にしているのも典型的な日本の禅寺とは違う。 -
時間が限られているのでここも迷うが、境内散策は、次回普茶料理(ふちゃりょうり)とともに、とし、新装なった文華殿オープン記念展に。
なんだか黒船みたいな異様な建物。
四年ぶりの公開という当麻曼荼羅図が目玉のようだ。
今日は彩色鮮やか、の憑いた日だ。
獨湛筆の大作「當麻曼荼羅図」(三重県・観音寺蔵、当館寄託)。
ひらひらと舞う天女、白い子供がロックンロールしている姿など、まさに極楽だな。
おそらく、この巨大な当麻曼荼羅図を展示するために新たな宝物館を建てたのではないか?本法寺の涅槃図by等伯を思わせる展示。 -
どこにも撮影禁止とは書かれていなかったが、一枚写真を撮ったところで注意されました!?
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松隠堂から見た三門。
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タクシーで一休寺に。
行きに、黄檗駅の前のタクシー乗り場で、「30分はかからない、料金も4、5千円を超えないだろう」と情報を得ておいた。
小雨。
以前、水上勉の一休を歩く(NHKライブラリー)を読んだときには、ずいぶん山深い印象を受けたが、いまはすぐそばまで住宅街が迫っている。
しかし、一休さんの時代には、応仁の乱を避けるには十分京から離れていたことだろう。
タクシーの運ちゃん、長距離で機嫌がよく、100円程度だったと思うが、有料道路代をgotiしてくれた。萬福寺境内のすぐそばに育ったそうで、放生池で遊んでお坊さんに追いかけられた、昔は少年院が寺の奥にあってしばしば脱走とか放送されてこわかった、このあたりは夜になると真っ暗だったし、宇治茶というが、ここらあたりはほとんどマンションやアパートにかわってしまった、お寺の研修施設には競輪選手が来る、とか、飽かずに話してくれる。 -
ここまでくると気前よく、「写真大丈夫です」とのこと。
普通だよね。なんでもかんでもノーフォトは行きすぎと思う。
特別公開は、浴室(修復後)と虎丘庵。 -
入口ざんす。
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浴室はどこもそうかわった造りではないですね。
修行ですから。 -
お釜。
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あーこれが表紙写真。
だんだん疲れが出てきました。
菊のご紋、わかりました>? -
なんでここだけ宮内庁かって?
一休さんは後小松天皇の落胤と宮内庁が認めているからでしょう。 -
本堂、紅葉の季節はラッシュでしょうね。
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開山堂には、大応国師の木像が安置されているらしいが、暗くてわからない。
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一休像。
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宝物殿もお宝すごいですよ。
はんぱないのが、汚れたショーケースの向こうに鎮座まします。(失礼)
これなんか一休禅師のデスマスク。 -
自筆書状。
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頂相。
曽我蛇足、大徳寺真珠庵に、日本最古、という襖絵が残る、
讃は自筆。
自分一人で日本の禅宗を守っている、肩の荷が重い、という内容。
大徳寺も華美に堕落した、と批判していた。
一休さんの人気が高まり、大徳寺の管長に請われたときも、酬恩庵にいたままなら、と不在のまま受諾している。 -
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原在中、オンパレード。
相国寺で襖絵を見ました。「唐獅子・白象図」杉戸絵も印象的でした。 -
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寒山拾得、可愛い。
松花堂。 -
虎丘庵。
一休自筆と。
戦乱を避け、東山から移築した庵。 -
周囲庭園は禅院枯山水のもので、東部は七五三配石による特殊なもので 大徳寺山内真珠庵の七五三庭園と同一手法によるもの。というがいまいちわからない。
学生さんに訊いても??
ここは一般公開はおそろく初めて。
ただし、3日以上前から申し込めば、普段から見学できるようだ。
作庭は茶道の祖といわれる村田珠光と伝えられている。
真珠庵は、一休さんが開祖。 -
当時、戦乱を避け、村田珠光、音阿弥、連歌師宗長などが集まる文化サロンだった。
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その閑雅な残り香がする庵。
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方丈。
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一休さんの木像は、生前の髭を移植した、といわれるものだが、オペラグラスで拝むとたしかにぶつぶつひげが生えているような気が。
高弟、墨斉作。 -
一休さん使用という輿。
これにのって、盲女・森とお花見に裏山に出かけることもあった。
それを歌に残している。 -
左は一休廟、右は虎丘庵の屋根。
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唐門窓から蘇鉄。
このあたりは、伝統的な作庭だろう。 -
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売店では、一休寺納豆など販売。
納豆を使用したお菓子を購入したが、思いのほかうまい。
若いカップルのお兄さんが、珠のなかに一休さんの顔が見えるお数珠を「面白い」と言って買っていた。 -
近鉄田辺駅から帰京。
寺外の売店で、駅までタクシーを頼もうとしていたら、東京から来ていた先ほどの若いカップルが、ゴチしてくれた。
事務長は「年上なんだからあなたが払えばいいのに」というが、女の子の前でいいとこみせたい、てとこに割いることもない。
しかし、これから嵐山に行き、てんぷら屋さんによって、最終の新幹線で東京まで帰るという。タクシーの運ちゃんと、どーいくのがいいか、あーでもない、こーでもない(そりゃ無謀じゃないか)とか、結構喜んで協議してしまった。
まあ、自分より走り回る人がいて安心した、ということだ。
事務長も、自分の旦那より走り回る人がいることに気が付いて、黙っている。
「荷物持ってもらえていいなあ」と見ていた、と言うが。
確かに自分は、あちこち道を探したりするときに、荷物を預けて走り回るくせがある。
写真は観世流三代、音阿弥墓所。 -
夕食は京都駅スバコはしだてにて。
サービスは?ですが、そこそこのお値段で料亭のお味が。 -
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お疲れ様でした。
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