2014/11/03 - 2014/11/03
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ぱっしょんKさん
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3連休の最終日。
今住んでいるマンションの部屋が狭く、アメリカから届いた荷物を開けることなく荷物が届いてから約1ヶ月半経過。天候も寒くなり、さすがに荷物を開けなくてはならない!と一念発起し開けたのですが、収納スペースの少なさの悲しさ
全然片付かない(T_T)
ひとまず現実逃避することに(笑)
昼食を食べ、先週棚上げになっていた東海道散策を実施することにしました。
歩くのは旧東海道が残っている品川宿から鈴ヶ森刑場まで。
ちょっと期待しすぎたかなぁ〜(汗)
でも気持ちよい2時間の散歩となりました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昼食は住んでいるマンションのすぐそば、第一京浜沿いの中華料理屋
『ラーメン亭 ふう』さんでいただきます。
前日昼夜と来ていますので3食連続です。 -
この日はねぎ塩ラーメンと餃子。
ここの餃子、にんにく餃子と普通の餃子があります。この日はちょっとお口の臭いを気にして普通の餃子。
たまに破れたり、口が開いたりすることがありますが、味は相当おいしいです。
ねぎラーメンシリーズはちょっと辛いのでご注意を! -
先週も来た立会川駅前商店街。
この商店街はやっぱり夜のほうが活気があります。
駅前のお店でクリーニングをお願いして駅に向かいます。 -
今日も京急立会川駅から電車に乗ってスタートです。
-
前回鮫洲駅のコンコースしか載せなかったので、今回は立会川駅コンコースを載っけてみよう!!
でもやっぱり立派さは鮫洲駅のほうが上!でも急行停車駅はここ立会川駅。 -
立会川!!
隣駅は大森海岸駅と鮫洲駅 -
14:16発品川行き普通に乗り込みます。
この時間の列車は新1000形電車で運転。 -
14:23 北品川駅到着です。
北品川駅の隣駅は新馬場駅と品川駅。 -
お!今日の1000形電車はステンレス仕様だったようです。
-
ターミナル駅品川駅の隣駅なのに第一京浜に面して建っている駅舎はとてもレトロ。
ちょっとうれしくなります。
いつまで残るかなぁ。 -
北品川駅を後にして第一京浜を品川方面に次の信号まで進みます。
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第一京浜を逸れて、線路下に下っていく車道を見ながら、線路方向へ進みます。
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高輪のビルが近くに見えます。
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線路に行き当たると東海道品川宿の案内板があります。
-
案内板を見たら少し戻って踏み切りを渡ります。
踏み切り前に木柱があり、そこに『これより南 品川宿地内』の文字あり。 -
踏み切りのすぐ横が北品川駅のプラットホーム。
この辺にも改札が欲しい〜!
ぱっしょんKは朝の通勤にこの駅を使用していますが、旧東海道側に線路を渡らなきゃいけないだけど、北品川駅近辺の踏み切りは開かずの踏み切りになってしまうのです。。
さぁ旧東海道散策スタートです。 -
東海道に入って最初の東側へ行く道とのT字路の問答河岸の石碑が。
この石碑を見るとここが船着場であったということですね。
この道は下り坂になっていますが、江戸時代には海だったということです。
問答河岸の由来はここの波止場で、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした次の故事にちなんで名づけられたそうです。
家光「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
沢庵「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」
東海寺は海岸線よりはるか遠く、新馬場駅の西に現存していますが、家光のころは海のするそばにあったとのことです。
もっとも海岸線もここから遥か遠くに行ってしまってますが。。 -
いい雰囲気の和菓子屋。
-
花屋の横にもんじゃ焼きのお店。
東京に来たらもんじゃ焼きを食べなければ!!と思っていたのですが、立会川付近にもんじゃのお店が見当たらなかったのでまだ僕はもんじゃデビュー前。
でもここに発見!
仕事帰りに寄ってもいいかなぁ〜。
今日はいろいろおもしろいお店が発見できそう!!
実際、この後5,6件もんじゃ焼きのお店を発見! -
ここは北品川本通商店会。
おいらん道中の文字が。
今年も9/28日の品川宿場まつりのときにおいらん道中が行われたとか。
品川宿は遊廓として有名だったそうで、遊廓としては、つい最近、昭和33年(1958年)の売春防止法施行まで続いたんだそうです。
ちなみにこのあたりは江戸時代は歩行(かち)新宿と呼ばれていた地域で8台将軍吉宗の享保年代に品川宿に含められた地域。
この歩行(かち)新宿、北品川宿、南品川宿を合わせて品川三宿と呼ぶそうです。 -
さらに南へと歩を進めます。
すると品海公園という公園に到着します。
入り口に品川宿の街道松という松の木があります。昔からの松なのか?と期待したのですが、品海公園改修竣工を記念して植樹されたものとのこと。 -
レトロな雰囲気が魅力な建物がありました。
履物屋の丸屋さんでした。。
買うものもないので外から眺めるだけに遠慮してしましました。
帰宅後ホームページを見たら、慶応元年(1865年)からの由緒あるお店であり、下駄の製作販売はとても有名なお店のようです。
近くに住んでいるんだから、今度は店の中に入ってみたいです。(できれば下駄も買っちゃうか!!)
この当たりから先週行った品川神社の門前町あたりが旧北品川宿。 -
丸屋さんの蓮向かいに小さなお寺がありました。
一心寺と呼ばれるお寺。1855年(安政元年)に建立されたお寺です。
安政の大獄で殺された大老井伊直弼が開山した、千葉成田山の分身が祀られているお寺です。 -
聖蹟公園。昔ここには大名の宿舎、本陣が有った場所。
明治天皇が東京奠都の折に休憩に使ったため聖蹟の名前がついているのだそうです。 -
聖蹟公園に入り口にあるのが品川宿の松。
品川宿内の旧東海道を歩いていると『〜の松』に多く出会います。 -
聖蹟公園は2枚上の写真の細い通路の奥に広がっています。
ここ品川本陣は品川三宿の中心に位置していて明治5年(1873)に宿駅制度が廃止されるまで存続しました。
江戸時代前期には北品川、南品川両宿に本陣があったそうですが、中期以降は北品川宿のみになったとのこと。
本陣廃止後は警視庁病院などに使用された後壊され、跡地は昭和13年に聖蹟公園になりました。 -
園内にはたくさんの石碑があります。
これは昭和13年11月開園の碑。
東京市品川聖蹟公園の文字。
東京市っていうのが時代を感じます。 -
他にも石碑があります。
写真右から聖蹟公園由来の碑:公園が昭和13年に開園する前の由来が書かれた、東京市が建てた碑。
灯篭、上の写真の開園の碑を挟んで、
左が聖蹟の碑:明治天皇品川聖蹟保存会の開園までの活動の記録が書かれています。 -
御聖蹟の碑なんかの碑がならんでいます。
-
井戸らしきものの跡がありました。
穴は完全に埋まっていて写真のようにお子チャマの遊び場となっていました。 -
聖蹟公園を出て再び東海道を南西方向に進むとすぐに先週品川神社に行った時に往復した『品川宿北馬場参道通り』との交差点があります。
あぁ〜、先週はここまで来たんだね。 -
すぐに国道357号線、山手通りとの交差点があります。旧東海道はまっすぐに続いています。
でもここで大好物の香りにつられて、山手通りを東方向に向かいます。 -
香りの大元発見!
-
香りの元は品川温泉 『天神湯』
ちょっと離れた交差点でも温泉の香りがしました。ってことは天然温泉ってことでしょう!
到着した時間は2時55分。営業時間は3時〜。
入湯したかったけど....
日の入り時間が気になるので、今回は泣く泣くパス。 -
先ほどの交差点に戻って山手通りを横断中、南西方面に発見!
『テレビ東京』の社屋。
地方出身である僕はこういう有名な会社とか見るとテンションあがります。
まだまだお上りさんです。 -
ここ北品川は昨年亡くなられた島倉千代子さんの出身地。街頭にお千代さんのバナーフラッグが掲げられています。
今回の散策とは関係ないですが、京急の青物横丁駅の電車接近ミュージックが島倉千代子さんの『人生いろいろ』が使われています。 -
北品川商店街に入りました。
引き続き旧北品川宿を歩きます。 -
山手通りを越えてすぐ左手に品川宿交流館があります。
地図が欲しいので寄ってみます。 -
中は休憩できるスペースになっています。
ほかにも飲み物やスナックなどが販売されています。
ここのおかあさんがかわいらしくて楽しくお話してくれました。 -
東海道品川宿まち歩きマップを購入。50円。
これでここから先は地図を見ながら寄り道しながら進んでいけるようになりました。 -
年代もののレジスター。
ドイツだかフランスだかのメーカーのものだそうで、戦前から使っているそうです。
押すだけで足し算をしてくれるようですが、「おつりは暗算よ」とおかあさん。 -
目黒川までやってきました。
旧東海道には品川橋という立派な橋が架かっていました。
目黒川は東海道の北品川宿と南品川宿を分けてながれていて、そこをつなぐ品川橋は別名『境橋』という名で呼ばれていたそうです。 -
橋の幅が広すぎて一枚に収まらないので、もう一枚撮って、今回は渡らずに上流方向に川沿いを歩きます。
-
歩いてすぐのところに『荏原神社』があります。
ここを参拝します。
先週行った、新馬場駅前の品川神社と双璧を成す品川宿の由緒ある神社です。
奥の社殿は弘化元年(1844年)に建てられたもので、170年の歴史があります。 -
社殿の170年の歴史だけでも由緒ある神社だということが分かるのですが、荏原神社は和銅2年(709年)に奈良の丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請して作られた神社。品川の竜神様と呼ばれていて、関東の武士の庇護を受けてきた神社です。
庇護してきたのは平安末期の源氏、室町の関東管領家の上杉氏、江戸時代の徳川氏だそうです。
錚々たる名前が並んでいます。 -
荏原神社の社殿です。
歴史を感じる彫り物が印象的です。
参拝して荏原神社を後にします。 -
荏原神社前で目黒川に架かる鎮守橋。
品川橋の一本上流の橋です。
この橋を渡って、東海道に戻ります。 -
旧南品川宿に突入です。
現在ここの商店街の名前は品川宿場通り南会。 -
道が黄色?黄土色?に塗られています。
北品川は赤色がおおかったけど、雰囲気が変わりました。 -
また松が出てきました。今度は浜松宿の松という名前。
浜松市の有賀さんというかたが品川区に贈った松だそうです。 -
浜松宿の松のある場所は街道松の広場という名の公園として整備されていました。
この街道松の広場前の間、旧東海道の道は色の塗られていない石畳になっています。 -
南馬場通りまで来ました。
南馬場通りを渡ったところにある建物に銀色のプレートが。
そこには品川宿問屋場、貫目改所跡地と書かれていました。 -
プレート通りの意味で、ここ株式会社 製菓実験社さんの場所に問屋場があったということのようです。
-
製菓実験社さんの向かいに松がありました。
こんどは三島宿の松。
先ほどの浜松宿の松同様、街道松として静岡県三島市の教育委員会から贈られたものだそうです。 -
三島宿の松のある場所も特に名前は付いていないようでしたが、公園として整備されていました。
ここの前も石畳。どうやら見所の目印になっているようでした。 -
三島宿の松を過ぎたところで先ほど、品川宿交流館で購入した地図をたよりに東海道から一旦逸れます。
-
一本の西の通りに『かつてここが海だったことをしのばせる石垣がのこっている』と書いてあったので見に来たのですが。。。
「どこだ?」と思ってうろうろしていると、近くに住んでいる方に「何かお探しですか?」と声をかけられたので聞いてみると、
「この石垣ですよ」とのこと。
それが写真左の石垣ですが、もう本当に少ししか残っていないので、聞かなきゃわからなかったです。
この通りの家は石垣の上にみんな建ってるのかと思って見に行ったけどちがいました。 -
品川の閻魔様を祀っている長徳寺に寄ってみます。
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11月3日にはちょうど文化財公開を行っている日でした。
名前を記帳して見学させていただきます。 -
素晴らしい地獄絵図がありました。
撮影禁止の文字がなく誰もいなかったので、撮影可なのか不可なのか確認取れなかったですが、1枚だけ撮らせていただきました。 -
南品川宿はお寺が多い印象です。
今度は天妙國寺に立ち寄ってみます。
地図によるとここは桃中軒雲右衛門の墓があるとのこと。 -
大きな本堂。
-
なかなか立派な彫刻が施されていました。
桃中軒雲右衛門の墓がどこになるのかよくわかりませんでした。
桃中軒雲右衛門は明治後期の浪曲歌手だったようです。 -
立派な木を眺めて東海道を更に進みます。
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商店街は青物横丁商店街に突入。
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個人的に通っているスポーツジムがあるのでちょくちょく仕事帰りに立ち寄る場所でもあります。
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京急青物横丁駅のすぐ側。東海道南品川交差点。
この辺で一番栄えている場所です。
食堂などが多い地区です。 -
うわ!こんな小さいイオン初めて見た!!
-
角に立つ大きなマンション。
ここは新撰組と縁のある旅館釜屋のあった場所。
新撰組は鳥羽伏見の戦いの後の撤退の道中でここ釜屋にしばらく滞在したそうです。 -
旅館釜屋跡の交差点の角に松があります。
この松は保土ヶ谷宿の松。神奈川県保土ヶ谷宿から贈られたものです。 -
入り口に地蔵菩薩坐像のある品川寺(ほうせんじ)に立ち寄ります。
-
入り口に鎮座する地蔵菩薩坐像は江戸時代1708年(宝永
5年)に作られたもの。
銅製で江戸六地蔵の一つ目に数えられています。 -
立派な山門があります。
境内にお邪魔します。 -
この梵鐘は4代将軍徳川家綱の寄進したものと言われていて、幕末に海外に流出し、パリ万博(1867年)・ウィーン万博(1873年)に展示されたあと行方不明になっていたそうです。その後大正8年にスイスジュネーブにあることがわかって交渉の末返還されたものだそうです。
上に上がって近くで見ることは残念ながらできませんでした。
現在品川区とジュネーブ市は友好都市なのだそうです。 -
品川寺の本堂です。小さくて最初わかりませんでした。
参拝します。 -
手入れの行き届いた庭が見事です。
-
南品川宿にはもう一つ大きな神社があります。
雲海寺です。 -
本堂なのですが、祀られているのは千躰荒神。
荒神?神社?お寺? -
一応お寺のようですが、本殿の前に手水舎があったり、ちょっと神社っぽさもあるお寺でした。
この建物の中に千躰洗神がいらっしゃるようですが、残念ながら見ることはできませんでした。 -
旧東海道を散策しているとこのような道標を見ることになります。
-
この通りを渡ると鮫洲。
品川宿も終わりです。
でも引き続き旧東海道は続きます。 -
ここから鮫洲商店街に入ります。
東海道龍馬が行くの文字があります。
売りが品川宿から立会川の坂本龍馬に変わりました。 -
街の雰囲気が一変しました。
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お寺なんかもなくなりましたし、古くからのお店がある匂いもなくなりました。
会社がちらほら目立つようになりました。
前に見えるアーチをくぐると鮫洲商店街は終わりです。 -
これといったものもなくぱっしょんKの生息地、立会川の街に近づいてきました。
-
僕の旅行記に3回目の登場!浜川橋。
江戸時代に泪橋と呼ばれて処刑される罪人と家族が泣きながら別れを告げた橋だからこの名が付いたと伝えられています。
品川宿とこれから行く鈴ヶ森処刑場をつなぐ最後の橋です。 -
穏やかに流れる立会川。
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浜川橋を渡ってすぐのところにある元祖諏訪神社。
なにが元祖なんでしょう?諏訪神社の元祖は諏訪湖の諏訪神社だと思うんですけどね? -
天照大御神、豊受大神、建御名方神が祀られた由緒あるお寺ですから立派な社殿です。。
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立会川のマスコット『りょうくん』が描かれたバナーフラッグが電灯にかかっています。
前方の競馬通りを渡って行きます。 -
競馬通りを越えると道が綺麗に整備されています。
なんか終わりが感じられるようになってきました。 -
細い旧東海道が途切れて前方の第一京浜と合流しています。
今回の散策の終点が見えてきました。 -
旧東海道と第一京浜が交差するV字型の交差点の中州に当たるところに鈴ヶ森刑場跡があります。
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鈴ヶ森刑場は現在大径寺の敷地内になっていて、処刑者のお墓が立っていたりして管理されています。
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首洗いの井戸。
斬首された罪人の首を洗うのに使った井戸。 -
神奈川方面から来たら交差点の中洲の突端部分に目立つ碑が立っています。
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火炙台。
ここに柱を立てて火炙りの処刑を行った跡です。
有名なところでは八百屋のお七の処刑がありますね。 -
火炙台のすぐ隣にある磔台の跡。
磔の刑で処刑された罪人はこの穴に立てた角柱に縛り付けられ、刺殺されました。
有名ところでは丸橋忠弥なんて人がいます。 -
鯉塚。
たくさんの罪人が処刑されたのですね。
合掌。 -
鈴ヶ森刑場を管理しているのはこの大径寺。
お寺に見えない佇まいです。 -
鈴ヶ森刑場跡の前はこんな立体交差のある現代的な景色。
なんともいえないシュールさを感じながら、散策終了です。
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