2014/10/18 - 2014/10/18
39位(同エリア134件中)
イロコさん
毎年10月の第3土曜日に防府市で「愛情防府フリーマーケット」があります。
今年で22回目です。
私もフリマで買い物をするのでここ数年訪れています。
駅前商店街通りなどが歩行者天国になりお店があちこちに並びます。
企業ブースでは遊休品の販売。展示コーナー、品物の販売などがありいつも賑わっています。
食事を出来るコーナーもあります。
また駅前の広場では餅まき、子供向けのショー、消防コーナー、警察コーナーなどのイベントも盛りだくさんです。
私はいつものように企業ブースを回ってそれから「しあわせます通り」のアーケードを通って防府天満宮の参道を通って天満宮でお参りをしました。
境内もぐるりと回ってみました。
フリーマーケット会場はあちこち買い物をする人でとても賑わっていてとても楽しかったです。
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防府駅の方からアーケードのある銀座商店街を歩き、アーケードのない
天神商店街も歩きました。
商店街にはフリマのお店がずらりと並んでいるので見ながら、そして
人をよけながらの歩行でした。
天神様に向かう参道です。
「欄干橋」と言うのがありました。 -
欄干橋の標識
橋の長さ 3.6m
橋の巾 2.4mです。 -
石鳥居が見えて来ました。
寛永六年(1629年)に初代藩主毛利秀成の寄進により建立したもの。
奉納年が刻まれた県下最古の鳥居。
柱は太く、転びが少なく円柱状で、上部においてややすぼんでいる。
会式としては明神鳥居であるが、柱脚には基礎がなく、掘立て柱形式をとる。
左手にある建物は防府市まちの駅「うめてらす」と言う休憩所、食事処、お土産売り場、
防府の情報発信所になっています。
フリーマーケットの時はこの前にステージが設置され、歌を歌う人や、
餅まきなどのイベントがあります。 -
右側に半額と書かれたチラシ発見。
半額に弱い私はここでランチを食べることにしました。
カレーライス、うどん、カレーうどんなどがあります。 -
カレーうどんにしました。
今日はお客さんが多いからか、使い捨ての容器でした。 -
食事後はいつも天神様にお参りに行っています。
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二つ目の鳥居が見えて来ました。
こちらは青銅です。 -
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防府天満宮は学問の神様、菅原道真公を祀った神社です。
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右手に座る幕末史跡、萩狛犬
萩の石工が作ったから萩狛犬と呼ばれているそうです。 -
北の天満宮にも狛犬があって、そのエピソードが書いてありました。
今も萩狛犬が鎮座しているのかしら。 -
台座にはこのような彫刻。
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こちらは梅かな
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左側の狛犬
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あれ・・・台座をよく見ると書面のみ彫刻がありますが、側面は
石が盛り上がったまま・・・。
他の2辺も見ましたが、やはり彫刻はなくて石が盛り上がっていました。
彫刻は台座に据えてから掘っていたのかしら。
何らかの理由で彫刻が出来なかったのでしょう。 -
一つ目の萩狛犬の次にこのような碑がありました。
そしてその後ろにも狛犬が見えます。 -
2つ目の左側の狛犬。
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ちょっとアップ。
後ろは青空です。
この最近いろいろな狛犬を見ました。
福岡では櫛田神社や、太宰府天満宮で。
いろいろな狛犬がいて楽しいです。 -
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ちょっと参道の方を振り返ってみました。
今日はいつもよりは人が多いと思います。
フリマがあるので。 -
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左側にある大専坊
防府天満宮の表参道に面した両側には明治維新まで九つの社坊(馬場の西側に
大専坊、西林坊、東林坊、蜜蔵坊、会所坊。
同東側に円楽坊、等覚坊、乗林坊、千蔵坊)が立ち並んでいて一山の総号を
酒垂山萬福寺ととなえた。
大専坊はその別当で天満宮創建当時の草創といわれている。
この坊は弘治三年(1557年)毛利元就が大内義長を山口に攻めこれを長府で
自刃せしめて防長両国を平定するまで元就の参謀本部となったところで尊皇攘夷で
激動した幕末にはこの地方を警固する書体の屯所となった。 -
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門の上に流の彫刻がありました。
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さて大石段を登り拝殿に参りましょう。
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ご神木が見えます。
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階段を上ると楼門の前です。
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階段を振り返る。
11月には裸坊まつりと言うのがあり、おみこしを担いだ男衆がこの石段を
駆け上ります。 -
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楼門の近くに牛がいます。
こちらの牛はあんまり人が触らないのか、頭とかがピカピカ光っていないですね。 -
楼門から拝殿を眺める。
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拝殿側から楼門を眺める
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楼門
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拝殿
七五三かなにかでお参りをされていました。
後ろにある本殿は銅板茸入母屋造り。
社殿は延喜4年(904年)土師信貞創建。
その後何度かの炎上があり、昭和38年楼門を最後に本殿・拝殿・廻廊を完成した。 -
拝殿
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拝殿の右手には七五三用の将棋盤が置いてありました。
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回廊の西門から出てみましょう。
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ここには「春風蝋」と言う建物があります。
今日はこちらで書道パフォーマンスがあるので、大勢の人が座っておられました。
それで建物の上には上がれませんでした。 -
春風蝋は十代藩主が社頭に五重塔の建立を思い立ち大政五年(1822年)
六月大専坊に置いて地鎮供養の祈祷をしましたが、資金調達中、天保二年
(1831年)不慮の支障に遭い一時中止の止むなきに至りました。
その後、塔の設計を現在の重層の楼閣様式へ変更して明治六年(1873年)に
完工しました。
この楼の床下の木組み.あ文政年間着工当初の塔の一層軒下にしようすべき
組物を使用したもので、当時をしのべる。 -
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屋根
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春風楼の前からの眺め。
春風楼の上から眺めたらもっと長めが良いと思います。 -
書道パフォーマンス
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このような作品が出来ました。
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山口県の方言「幸せます」について書かれました。
幸せです、嬉しく思いますなどの意味があります。 -
境内には売店や食堂もあります。
歴史館(宝物館)の近くには菅公廟碑がありましたが、後で気が付きました。
また「LOVE神社の碑」と言うのもあったようです。
市内在住のご夫妻が大病におかされながらも元気に回復され、感謝の気持ちを
込めて平成十九年に奉納されたそうです。
石碑のデザインは日本を代表するデザイナーの浅葉克己氏によるものだそうですが、こちらも後で知りました。
また楼門の前に出ました。 -
今度は境内にある梅林などの方に行ってみましょう。
池がありますが、これは元々水がない状態なのかな? -
「扶桑菅廟」
「日本で最初に創建された天満宮」と言う意味です。
菅原道真公が大宰府に下る前にこの地に立ち寄られたそうです。
道真公が亡くなって日本で初めて天満宮が建てられました。
京都の北野天満宮と
福岡の太宰府天満宮を日本三天神と称しています。 -
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扶桑菅廟と東門
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東門の或る廻廊近くにも牛の像がありました。
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紫雲石
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願い事をしたら叶ったそうです。
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末社
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観音堂
石段が歪んでいるのが年月を感じます。 -
観音堂
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銀杏が少し黄色くなっています。
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御神庫
御神輿が保管されているのでは? -
太鼓楼
見えにくいですが太鼓がありました。 -
太鼓楼の周りに梅林があります。
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梅の木の間から楼門を眺める
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また楼門の前に戻りました。
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正面から。
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ちょっとアップ。
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しつこく楼門から拝殿を眺める。
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大石段を下りると左側に幕末史跡暁天楼、茶室芳松庵があります。
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自由に入れるとの事なので入ってみましょう。
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門と後ろに見えるのはご神木
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門を入った所。
左手に水が流れていました。 -
暁天楼
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再建された建物です。
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暁天楼の後ろにはご神木がありました。
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もみじの木がありました。
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一部紅葉している木があります。
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茶室芳松庵入り口に或るつくばい。
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池もあり石橋がかかっています。
これから先は行けないようになっています。 -
石橋の向こうには茶室芳松庵があります。
休憩所もありますが、園内は飲食は出来ません。 -
さてまたそろそろフリマで良し品を見つけましょう。
また駅前の方に戻りました。
まだまあ大勢の人が買い物を楽しんでいます。 -
フリーマーケット会場5か所でスタンプを押してもらうと15時からの抽選会に
参加出来ます。
さて抽選・・・。
30名に品物が当たります。
企業からの品物などで、1等は5万円の商品券です。
私は今年もハズレでしたが一緒に行った人は当選でした。
毎年当選していますから、すごい確率です。
良い品を求めてあちこち歩きとても健康的でした。
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