2014/10/06 - 2014/10/11
425位(同エリア2025件中)
Yo-chanさん
- Yo-chanさんTOP
- 旅行記90冊
- クチコミ45件
- Q&A回答0件
- 99,728アクセス
- フォロワー6人
クロアチアを中心にスロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロを周遊個人旅行してきました。
今回の旅で一番楽しみにしていたドブロブニク。
旧市街は世界遺産です。
天気に恵まれ、快適に散策できました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
スプリットからドブロブニクへバスで移動 4時間半 125Kn スーツケース7Kn
右側に座るとアドリア海の景色が綺麗 -
途中、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国しここでトイレ休憩
カフェ、コンビニ、ホテルもあります
支払はKnでもユーロでも良かったです -
休憩場所の看板
1699年、クロアチア本土にある2つの小区画の領地をオスマン帝国に売り、前へ進めるベネツィアの軍とオスマン軍との戦いに巻き込まれるのを避けた。
今日、これらの土地はボスニア・ヘルツェゴビナに属しボスニア・ヘルツェゴビナでは唯一、アドリア海に接する町であるネウムとなる -
ドブロブニクは長距離バスターミナルに到着
ここの窓口でバス乗車券を12Knで買い、大きな道路にあるバス停で路線バスを待ちました
バスの運転手から乗車券を買うと15Knです
旧市街のピレ門まで10分くらい -
Guest House Marijaに2泊
ルジャ広場に近く階段を登る必要がなく立地は最高
部屋は古いです。bathroomは昨年改修したばかりで綺麗です -
ユダヤ教博物館 Jewish Museum 35Kn
-
2階は博物館
-
13世紀から17世紀にわたる様々なモーセ五書
-
ユダヤ教の儀式に使われる道具が展示
-
3階はシナゴーグ
-
建物は15世紀に建てられたもの
-
貿易で繁栄したので、ユダヤ人も多く住み、このあたりはゲットーだった
-
多くはセファルディムと呼ばれるスペイン系ユダヤ人
-
聖ヴラホ教会 St. Blaise's Church 無料
-
聖ヴラホはドブロブニクの守護聖人
-
銀製の聖ヴラホ像は15世紀に作られた
-
18世紀に建てなおされたバロック様式の建物
-
教会はルジャ広場に面していて最高の立地
-
月の出ているプラツァ通りの夜景
-
ルジャ広場の時計塔の夜景
-
ヴラホ教会の夜景
-
スポンザ宮殿の夜景
-
奥は聖母被昇天大聖堂
-
総督邸の夜景
-
旧港の夜景
-
旧港の夜景
-
Gil'sで夕食
-
鯛
-
蒸した野菜 ソテーした野菜 ジャガイモのグラタン
-
トリュフのリゾット
全てとても美味しかった -
聖母被昇天大聖堂の夜景
-
旧市街の路地
-
10月初め朝7時半
-
イチオシ
プロチェ門を出てエクセルシオールホテル方面に5分ほど歩きました
-
旧市街に朝日が当たる
-
朝日の当たる旧市街は綺麗
-
旧市街がキラキラ輝いて見えました
-
プロチェ門近くの学校
高校生くらいの男女が登校していました -
朝の旧港
-
Old Port
-
プロチェ門 Vrata od Ploca
-
門の上に聖ヴラボ像
-
イチオシ
朝のプラツァ通り
-
Placa
-
鐘楼
-
フランシスコ会修道院
「ピエタ」が彫られている -
ホーリーセヴィア教会
1520年、地震が直撃した時の救世主への感謝の気持ちの印として建設
1667年の大地震の時は教会は無傷で残り今日までその原型の装飾が保存 -
オノフリオの大噴水
1438年に作られた天然の湧き水の出る噴水 -
セルビア正教会
-
古くからセルビア正教徒が住んでいたが、ラグーサ共和国の時代には禁止されていたため、ラグーサ共和国消滅後の1877年に建てられた
-
Serbian Orthodox Church
-
総督邸の近くのグンドリッチ広場では朝、青空市場が
-
ラベンダー、乾燥果物、果物、野菜、手作り雑貨などのお店
-
聖母被昇天大聖堂
-
1192年英国のリチャード王が創建
-
17世紀に再建
-
イタリアの有名画家ティツィアーノが16世に描いた「聖母被昇天」
-
ティツィアーノ「聖母被昇天」
-
祭壇
-
朝8時には開くので、散策の休憩に何度も寄りました
-
ルジャ広場の近くにありますが、教会内はあまり人がいません
ドアを閉めると静かな美しい空間です -
聖イグナチオ教会 jesuit Church of St. Ignatius
-
石作りの祭壇が見事
-
天井にはスペイン出身の画家ガエタナ・ガルシアのフレスコ画
-
1699〜1725年にローマの聖イグナチオ教会をモデルに建てられた
-
フレスコ画が素晴らしい
-
ドゥブロヴニクの人々が単にイエズス会と呼んでいるイグナチオ教会
-
岩の中の聖母マリア像が印象的
-
聖イグナチオ教会
青空市場のグンドリッチ広場の奥の階段を登ったところにあります -
聖母被昇天大聖堂
-
ルジャ広場にあるオルランドの柱
オルランドは8世紀にフランク王国のカール大帝に仕えた騎士
ヨーロッパの自由都市には自由の象徴としてよく建てられた
オルランド像の右腕肘から手首までの長さが「ドブロヴニクの肘」と呼ばれ、
当時の商取引に使う長さの基準になった。長さは51.2cm。 -
鐘楼
-
オノフイオの大噴水 Velika Onofrijeva fontana
-
ホーリーセヴィア教会
オルガンコンサートが開かれていました -
フランシスコ会修道院
14〜15世紀に建てられた修道院 -
もともと城壁の外にあったが、外敵から守るため14世紀に移築
-
プロチェ門からロープウェイ乗り場へ
-
片道60Kn
-
旧市街を眺めながら上ります
-
少し行列していて、次のロープウェイに乗車する人が窓口で乗車券を購入します
-
標高412mのスルジ山
-
戦争で壊されて2010年に再開されたロープウェイ
-
10月初めの午前10時ころは10分くらいの待ち時間で乗れました
-
頂上にはカフェ・レストラン、トイレがあります
-
ナポレオンが贈ったという十字架
-
独立戦争後に建てなおされたもの
-
十字架の下からの眺めが素晴らしかった
-
旧市街と左にロクルム島
-
旧市街
-
実際の景色は180度アドリア海なのでもっと素晴らしいです
-
風もなく穏やかな日でした
-
ロープウェイと旧市街
-
イチオシ
旧市街は1979年に世界遺産に登録され「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る
-
街は7世紀頃ラウス (Laus) と名付けられていた岩島に近くの都市エピダウロスからのダルマチア人の避難民が、スラヴ人の侵略から逃れるために成立
-
ギリシャ人船員が作ったという説もある
-
十字軍の後、ラグーサはヴェネチア主権(1205年-1358年)の下に入り、ダルマチアの都市として権利を得ている
-
ロープーウェィ乗り場を過ぎて少し歩くと独立戦争展示館があります。
見てくればよかったと後悔しました。 -
独立戦争展示館の向かって右端の敷地を進むと下山道があります。
-
こぶし大の石がゴロゴロした道ですが、1時間ほどで降りられます
-
曲がり角の度にこのような碑があります
-
キリストの受難を描いています
-
キリストの受難の碑
-
イチオシ
歩いて降りる途中の景色が素晴らしい
-
1358年、ザダル平和条約が結ばれ隷属関係にあったハンガリー王国から独立を果たす
-
14世紀から1808年までラグーサは自由国として存続した
-
1806年、周辺部をナポレオンの軍隊に包囲され、ロシア・モンテネグロ艦隊の3,000発の砲撃によってラグーサ共和国は1ヶ月の包囲に降伏
-
1808年、オーギュスト・マルモンはラグーサ共和国を廃しナポレオンの初の国家となるイタリア王国に統合され、フランス支配下のイリュリア州となる。
-
花も咲いていました
-
1814年1月29日、オーストリア=ハンガリー帝国は町を占領しウィーン会議によって、ハプスブルク領ダルマチア王国の一部とされた。
-
登山道から見る旧市街はだんだん迫ってくる感じが良いです
-
第一次世界大戦後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が新たに後のユーゴスラビア王国となるスロベニア人・クロアチア人・セルビア人国の都市となる
-
都市の名称もラグーサから公式に現在のドゥブロヴニク変えられた
-
下から登ってくる人も結構いました
ロープーウェィが1時間以上待つなら、健脚の方は登った方が良いですね -
第二次世界大戦時にはナチスの傀儡国家であったクロアチア独立国の一部であった。
-
1時間ほどで道路に出ました
-
イタリア陸軍が最初に占領しドイツ国防軍はその後、1943年9月8日に占領し始めている
-
1944年10月にチトー率いるパルチザンがドゥブロヴニクに入りその結果、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一部となる
-
1991年の独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロによって町は7か月間攻撃されている。
-
紛争終結後は砲撃による旧市街の損害は復旧が進んだ。修復はユネスコのガイドラインに忠実に元来の姿に戻されている
-
修復はユネスコのガイドラインに忠実に元来の姿に戻されている
-
旧市街まで階段を降ります
-
途中に展望台があります
-
民家の庭に実る実
-
たくさんの階段を下りました
-
Yummmiで遅い朝食
-
ロープーウェィ乗り場の前にあります
朝10時前には開いていなかったので、先にスルジ山を登りました -
Tortilla
-
30Kn
美味しくて、お腹いっぱいになりました -
Yummmi
-
ブジャ門 Vrata od Buze
-
階段を降りてプラツァ通りへ
-
路地には色々なお店が
-
レストランのテーブルが所狭しと
-
Barba
後日、評判のタコのバーガーを食べました。美味 -
Dolce Vitaのアイスクリーム
-
Palacinke クレープ
-
アイスクリーム ヘーゼルナッツ味
パラチンケと一緒に食べるとさらに美味しい -
ドルチェ・ヴィータ
-
Buffe Skola
食べる機会がなかったけど、評判のファストフード店 -
フランシスコ会修道院の博物館 30Kn
2万個以上の薬壺や手書きの処方箋、宗教がや聖具が展示 -
フランシスコ会修道院
-
黒田清子さんが来られて、サインしています
-
修道院内にあるマラ・ブラーチャ薬局
ヨーロッパで3番目に古い薬局
Rose Waterが評判です -
回廊に囲まれた中庭
-
回廊に囲まれた中庭は14世紀のまま
-
中庭から見た回廊
-
回廊には病める人々を癒す修道僧の姿の画
-
回廊下
-
回廊には病める人々を癒す修道僧の画
-
ピレ門の上のヴラホ像
-
ピレ門からプラツァ通りを見る
-
ピレ門の旧市街を出た側
-
オノフリオの大噴水
-
ここから今でも天然の湧き水が出ている
スルジ山から引いている水とか -
フランシスコ会修道院
-
中は人も少なく静かです
-
天井のフレスコ画
-
散策の途中で休憩しながら美しい内装を眺めました
-
外の喧騒がうそのような静寂
-
フランシスコ会修道院の外壁にあります
ここに足をのせて宙に浮いている間にTシャツが脱げたら良いことがあるとか -
オノフリオの大噴水
-
セルビア正教会
-
美しい内装
-
Cold Drink Buza ブジャ の看板
アドリア海とロクルム島を眺めながらくつろげるカフェ -
総督邸
-
Lactor's Palace
-
Gunduliceva広場に面したスーパーKONZUM
-
Gunduliceva広場に面したレストランKamenice
生牡蠣が美味しいと評判 -
Gunduliceva広場の銅像
Ivan Gundulice -
Ivan Gundulice
16世紀にいた、50HRK札の図柄にも採用されているクロアチアを誇るラグーザ王国の詩人 -
プラツァ通り
-
ラグサ共和国の時代、この町ではイタリア系とスラヴ系の住民が一貫して共存し、共に繁栄を支えていた。
もともとイタリア系住民が住んでいた島の部分とスラヴ系住民の住む対岸の集落の間にある海峡が現在のプラツァ通り
ここを埋め立てることによって両者の一体化が進んだ -
スポンザ宮殿
-
プラツァ通りにあるチョコレートのKrasのお店
値段が高いだけあって、どれも美味しかった -
路地には洗濯物が干してある
私も干しました -
ドミニコ会修道院
-
ドミニコ会修道院
-
外から城壁を眺める
-
外から見たピレ門
-
外から見たミンチェタ要塞
-
ピレ門の近くにいた猫
ドブロブニクには猫がいっぱいいます -
ピレ門
-
ピレ門の上にあるヴラホ像
左手に持っているのはドブロボニクの街
守護聖人 -
スポンザ宮殿と時計塔
-
プラツァ通り
-
Restaurant Dubrovnik
-
パンとオリーブオイル
-
タコのサラダ
-
トリュフのリゾット
-
アンコウ
-
restaurant Dubrovnik
高級感あふれる美味しいお店でした -
プラツァ通りの夜景
-
ヴラホ教会前ではよくPerformanceが披露されました
-
スゥェーデンからフォークダンスを披露
-
Guest House Marijaのダブルの部屋
私の部屋のBathroomが故障したので、代わりに急遽使わせてもらいました -
イチオシ
朝のプラツァ通り
-
朝7時半
旧市街と手前に バニエビーチ Banie -
海の水が澄んでいて綺麗
-
バニエビーチから見た旧市街
-
Old Town
-
Stari Grad
-
少し階段を上って
-
旧市街
-
beach and Old Town
-
ビーチと旧市街
-
旧市街とススキ
-
秋のススキと旧市街
-
beach and Old Town
-
Stari Grad
-
今朝も高校生の男女が登校
-
プロチェ門
-
旧港
-
old port
-
Stara luka
-
プロチェ門のヴラホ像
-
旧港
-
Old Port
新しい港はグルージュ港といいバスターミナルの手前にあり大型客船が停泊している -
ヴラホ像
-
ポンテ門 Vrata od Ponte
-
ピレ門の外にあるInformation Centerで一日券の Dubrovnik Cardを購入
カードで入場できる場所は全部制覇しました -
バスの一日乗車券もついてきました
でも残念ながら乗る機会がありませんでした(/_;)
LIBERTASとは自由という意味
常に外敵と闘ってきたドブロブニクの思いが詰まっていますね -
海洋博物館
-
Maritime Museum
-
Pomorski Muzej
-
海洋博物館
-
Maritime Museum
-
Pomorski Muzej
-
海洋博物館
-
Maritime Museum
-
Pomorski Muzej
-
海洋博物館の出入り口
-
オノフリオの大噴水
-
Barba
-
タコのバーガー 44Kn
-
octopus hamburger
美味しくて、お腹いっぱいになりました -
総督邸の出入り口
ここにも聖ヴラホ像 -
Lactor's Palace
-
ラグーサ共和国の総督の住居であったと同時に大評議会、小評議会、元老院など共和国の行政を司るすべての帰還が集まった心臓部
-
総督は任期がわずか1ヵ月
-
元首ではあるものの、非常に象徴的意味合いが強い役職で任期中は特別な儀式がないかぎり外に出ることはできなかった
-
鐘をつく人の像 -
15世紀初め、オノフリオ・デッラ・ツァッヴにより建てられたゴシック様式の建物だったが、
30年後の火災でルネッサンス様式の補修がされた
1667年の大地震でバロック様式の修復がされた -
ハンガリー支配の時にドブロブニクにも本国ハンガリーから提督を送ろうとする。
-
総督にもなった大富豪ミホ・プラツァトの像
ロプドの裕福な船主で、自分の遺産を共和国に寄贈したことから、1638年に元老院はこの像を建てた -
ドブロブニクとしては、自分たちがその総督の役割をするということを交渉の場に出し認めさせる
-
任期を1か月と短くした理由は、権力が集中し権力者による独裁を防ぐため
-
連続任期になることは禁止で、任期中は無給で任務しなければならないという制約もつけた
-
任期中は提督邸から外出することは許されなかった
-
任期中に外部者との不要な接触を避けることで、情報の漏洩や汚職を防ごうとしたためである
-
このような役職なので誰も好き好んで提督になろうとは思わない。だから、持ち回りでその提督の役割を演じたという
-
総督邸の中庭
-
階段の手すりがユニーク
-
総督邸からの景色
-
総督邸からの景色
-
旧市街の門の鍵
-
総督邸の中庭
-
総督邸内で音楽の展示をしていました
-
ヴラホ教会まえで音楽隊の演奏
-
Donald Brown Memorial House
Dubrovnik Cardで入れるので入ったけど・・・ -
National History Museum
Dubrovnik Cardで入れるので行ってみたけど、なぜか閉まっていました -
マリン・ドルジッチの家
-
Home of Marina Drzica
-
シェイクスピアより1世代前に活躍した劇作家
-
Marina Drzicaの像
-
「ドゥンドー・マロイェ」をはじめとする彼の喜劇はルネッサンス期最高傑作と評されている
-
今もヨーロッパ中で上演されている
-
ヨーロッパではだれもが知っている劇作家
-
ルジャ広場に銅像があり、皆が鼻を触るから鼻だけ金色
Marina Drzica -
民俗学博物館
-
Ethnographic Museum
-
16世紀の穀物倉庫を利用した博物館
-
石を積み立てて造られ、穀物を17度の温度に保つある混合物の塗られた、ルーペと呼ばれる奥行きのある倉庫に、ドゥブロヴニク共和国は、小麦や大麦、きびなどの穀物の、国家としての予備を保存していました。
-
二階には、ドゥブロヴニク地方の伝統的な家々や街の建築が紹介されています
-
三階には、民族衣装や織物手工業の展示品があります。
-
Dubrovnik Cardで入れます
-
2階と3階の階段の窓からの景色
-
城壁
-
旧市街
-
ミンチェタ要塞
-
スルジ山
民俗学博物館からの景色 -
イチオシ
10月でも天気が良いと海水浴
Banie Beach -
Art Galleryのテラスからの景色
-
イチオシ
Art Gallery
-
Art Gallery
-
Art Gallery
-
ここArt GalleryもDubrovnik Cardで入れます
この景色を見るためだけでも来る価値があるかも -
Art Gallery
-
旧港からたくさんの遊覧船が出ています。
カフェ・ブジャが見えます -
Panorama City Wall Glass Bottom Boat 75Kn
海から見た旧市街 -
ロクルム島の周りを一周しました
旧市街と反対側にはnudist beachがありました
私たちの船が通ったので、日光浴中の人々は背中を向けていましたが -
時々船を止めて、船底のガラスの向こうの魚を見学
-
ロクルム島の洞穴に入りました
-
大きなクルーズ船
船首が開いて、乗客はそこから海に出て泳いでいました -
イチオシ
絵になる船です
-
この船で1時間弱のクルーズ
船酔いを心配しましたが、穏やかな天気だったので、全然大丈夫でした -
ドミニコ会修道院 30Kn
-
Dominican Monastery
-
Dominikanski Samostan
-
1228年にドブロブニクに入ってきたドミニコ会派により15世紀に建てられた
-
14世紀のパオロ・ヴェネチアーノの作品、大十字架貼り付けの大きな絵画、
ティチアーノ・ヴェチェリオが1550年、手伝いの者たちとともに制作した聖マグダレナの祭壇の飾り -
ドミニコ会修道院
-
Dominican Monastery
-
Dominikanski Samostan
-
ドミニコ会修道院
-
Dominican Monastery
-
Dominikanski Samostan
「最後の晩餐」ですね -
中庭を囲む、美しい回廊は、フィレンツェの名匠マッサ・ディ・バルトロメオの設計により、ウティシェノヴィッチ、グルバチェヴィッチ、ラドマノヴィッチ、その他のドゥブロヴニクの建築家が建設
-
回廊
-
ここを入って右です
-
ドミニコ会修道院の入り口
建物全体は城壁から見るのが良いです -
スポンザ宮殿のアーチにはラテン語で
「Fallere nostra venant et falli pondera; meque pondero cum merces ponderat ipse deus.」 -
Sponza Palace 25Kn
-
アーチの文字の意味は
「商品の荷を量る時には神に量られていると思わなければならない」 -
商人としての気持ちがこの文字に刻まれている
-
1516年建設当初は貿易都市ドブロブニクを出入りする物資や財の管理所だった
-
現在はドブロブニクの歴史文書や自治都市をめぐる裁判記録を保管する古文書館
-
17世紀になると学者や知識人の集まる文化サロンだった
-
1667年の大地震の被害を受けなかった数少ない建物
-
時計塔
-
総督邸
-
Lactor's Palace
-
Knezev dvor
-
柱頭の彫刻
-
入り口の上の聖ヴラホ像
-
総督邸の入り口
-
ルジャ広場のマリン・ドルジッチの像
-
ルジャ広場のオノフリオの小噴水
大噴水と同時期に作られた -
Yogomania
-
ヨーグルトアイス
美味しかった -
Yogomania
-
10月でも晴れると正午前後の散策は暑いので15時ころから城壁散策開始
Dubrovnik Cardを見せて入場券に引き換えました
城壁の途中で一度入場券のチェックがありました -
ピレ門の入り口から入ったので、まずはプラツァ通りを眺めました
-
オノフリオの大噴水
-
スルジ山方面の城壁
8世紀から城壁が作られ始め、15〜16世紀に現在の形になった -
プラツァ通り
-
セントクレア女子修道院
-
Samostan sv. Klare
-
スルジ山
-
ロヴリェナツ要塞
-
門の向こうにロクルム島
-
街を守るための城壁だから大砲が
-
カフェ・ブジャのパラソルが
-
城壁に面して学校の校庭が
-
カフェ・ブジャ
-
見張り塔
-
ロクルム島
今は無人島ですが昔は検疫所があり、ペストなどの疫病が蔓延している地域から来た船はペストの潜伏期間である「40日間」この島で足止めされ、町への上陸を待たされた
英語のquarantineは、イタリア語の ヴェネツィア方言quarantenaおよびquaranta giorni (40日間の意)を語源とする -
スルジ山
-
廃墟・・・
-
3つの鐘
-
3つの鐘の教会
-
旧港を見下ろす
-
ドミニコ会修道院
-
ドミニコ会修道院
-
ミンチェタ要塞から旧市街とロクルム島を眺める
-
イチオシ
ミンチェタ要塞からの眺め Tvrdava minceta
要塞は1319年に熟練の職人ニチホル ・ラニィエナの手によって建てられました。 -
ミンチェタ要塞からの眺め
要塞が現在の巨大な円形状の形になったのはフィレンツェ出身の有名なルネッサンス建築家ミケロツォ・ミケロツィにより改修され、クロアチアの最も偉大なルネッサンス職人の一人であるユライ・ダルマティナッチのプロジェクトとして1464年に完成しました -
西の城壁からの眺め
夕方は東からは逆光になるので、朝晩2回歩くと全部綺麗に見えますね
1日中居座るわけにはいかないから、料金は2倍ですが -
廃墟・・・
-
フランシスコ会修道院
-
プラツァ通り
2kmの城壁を一周しました
穏やかな天気で快適な散策でした -
ピレ門を出て、ここからロヴリイエナツ要塞に向かいます
城壁の入場券で入れます -
結構、階段を上ります
-
ロヴリイエナツ要塞から見た旧市街
-
Tvrdava Lovrijenac
11世紀はじめベネチア人はドゥブロヴニクを無力に押さえるため要塞を築こうとし、その意図を知ったドゥブロヴニクの人々はベネチア人の侵略から守るために至急で事実上到達し難い崖の上に砦を建てた -
夕方が順光です
-
イチオシ
ロヴリイエナツ要塞から旧市街を眺める
-
旧市街の眺め
-
ロヴリイエナツ要塞
門の上には子孫そして世界へ"Non bene pro toto libertas venditur auro" ("自由は世界中の全ての富のために売られることは出来ない")といううメッセージ刻まれています
撮影し忘れました(-_-;) -
3泊した宿Villa Sigurata
階段を上ることなく行かれます ピレ門から近いです
写真は共用キッチン -
Villa Sigurataの客室
私の泊まった部屋は別館で夜も静かで快適でした -
Villa Sigurata のbathroom
-
Villa Sigurata
ご主人が空港まで朝の5時に送ってくれました
タクシーより安い料金で -
Azurで夕食
ビーフンのサラダ -
かぼちゃのスープ
-
パン
-
サーモン
美味しかったけど、地元の魚が食べたかったです -
クロアチアのプリンを適当なお店で食べました
普通の味で5ユーロもしました(^^; -
翌日の夕食 日中はモスタルへ日帰りバスツアー(別の旅行記)
Pupoでイカのグリル 美味しかった -
友人の食べたタコのリゾット
こちらはイマイチ(-_-;) -
スーパーKONZUMで買ったみかん 友人と半分に分けて 4.5Kn 安い
ロシアが輸入してくれないからクロアチアのみかん農家が困っていると聞いて
少し手助け -
次の日は日帰りバスツアーでコトルに行きました(別の旅行記)
夕食はDalmatino Konoba -
クロアチアで唯一お手拭きが出てきて感激
-
パン
-
イカスミのリゾット
お歯黒になったけど、美味しかった -
ムール貝 美味しかった
だからお手拭きが出てきたわけです -
チーズケーキも美味しかった
ドブロブニクらしいレストランでした -
早朝のドブロブニク空港
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Yo-chanさんの関連旅行記
ドブロブニク(クロアチア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ドブロブニク(クロアチア) の人気ホテル
クロアチアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
クロアチア最安
517円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
387