2014/10/04 - 2014/10/05
522位(同エリア927件中)
jugiさん
相変わらずテーマは平家物語。
今回は義経にゆかりの深い終焉の平泉へ。
☆旅にあたって読書・メディア追加☆
現代語訳義経記 高木卓
義経紀行 京都新聞出版センター
平家物語シリーズ1・2 佐久間智代
月の船、星の林/きらめく波の飛沫/らせんは時を越えて/風は時を奏でる
今回予習の読書時間がまったく足りませんでしたー…!
ちなみに基本の平家物語関連についてはコチラ☆
→http://4travel.jp/travelogue/10927270
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東京駅より夜行バスにて出発朝7時ころに一ノ関着。
バスは東口につくのですが、路線バスのバス停やらちょいちょい時間をつぶせそうな店がある(朝営業のあるパン屋等)西口へ通り抜けるためには、改札内を通るので入場料140円ばかりかかってしまいます。
他の線路を横断できる道がちょっと遠い感じだったので、普通に入場料を払って通り抜け。
軽く朝食を済ませて、いよいよJRで2駅北上し平泉駅へ。
平泉駅へ当初早速バスで回ろうかと思っていたのですが、平泉駅から出てすぐのところで小型電動自動車を発見。
折よく係員の方が声をかけてくれて、お借りすることにしました。
3台の試験導入だそうですが、無料で貸出をしているそうですよ。
清衡・基衡・秀衡の名前がついていましたw(わたしたちは秀衡号でしたw)
ちなみに二人乗りで窓がついていないので、これからの季節はちょっと寒くなるかと思いますが、小回りが利くし、駐車場はほとんどの場所でタダだし、それほど道も混んでいないので煽られることもなく大変良かったです。
降雪の季節あたりまでは貸出をしているみたいなので、行かれる方は参考に。
市の観光課かなんかで貸出予約もやっているようです。
(要普通免許・書類記入・アンケート協力) -
さて、そんな秀衡号でしょっぱな毛越寺へ。
いりぐち。 -
この日は地元の中学生の子がガイド学習みたいなのをやってました。
めっちゃ礼儀正しく来られたら断れないw
いや、わたしは解説をきくのは好きなので、ありがたくお願いしましたが。
ちなみにこの碑の向かいには、新渡戸稲造によって英訳された句の碑がありました。 -
こちらは最近建てられたもののようです。
もとからあったものは殆ど燃えてしまっているのです。
つくづく惜しいことです。
なかなか広い敷地の中には、昔建っていたお堂の礎などが残っていました。
遺構から想像するとどうやら入り口の門から広い池を挟み、正面に本堂があり左右は釣殿みたくなっていたようです。
往時の毛越寺は、中尊寺以外の平泉町全部領地だった、とはご住職のことばでした。
なんせ、作ったのは奥州藤原氏二代目基衡さんだもんね。 -
庭園。
写真には写ってないけど、曲水の宴(蛇行した小川に、盃を流して、それが自分の前を通り過ぎる間に歌を詠む平安時代くらいの大変みやびやかな行事)の為の小川などもありました。
毛越寺のお隣にあり、基衡の奥様建立と伝わる観自在王院の跡(建物は何も残っておらず庭だけ)をちらっと見て、お次は平泉のメインともいえる中尊寺へ。 -
中尊寺へ上る前に腹ごしらえ。
中尊寺第一駐車場のなかにあるお店。
味はまずまずかなあ。
盛岡じゃないけど盛岡冷麺。
連れは一ノ関特産の餅&そばセットを頼んでました。
餅って結構おなかにたまる、、、とは連れの言。 -
中尊寺入り口。
ここから階段と坂道をゆるゆる登っていくと左手には弁慶堂、右手には薬師堂など、ちょいちょいお堂があったりします。
坂道は序盤はちょっと階段ですが、あとはだらだら坂なのでそんなにつらくはないカンジ。 -
と、その前にちょっとだけ戻ると弁慶の墓と伝わる場所が。
-
中尊寺の中ほどには弁慶堂が。
こちらには弁慶の等身大(といわれている)像と座ってる義経さんの像がありました。
ちなみに弁慶さんは186センチだそうですョ。
義経は小男って言われているし、隣に控えていたらなおさらでっかく見えたことでしょう。中尊寺 寺・神社・教会
-
讃衡蔵と名のついた宝物館を観て、金色堂へ。
宝物館には、仏像やら、副葬品の水晶残欠(数珠っぽくなってるものの一部)や、刀剣、衣服なども展示されていました。
そして中尊寺のメイン、金色堂へ。
残念ながら金色堂自体は撮影禁止でした。
覆堂のなかには本当に金箔を貼り付けてある金色のお堂が。
そこには本当に藤原三代の遺体がおさめられてたと思うとちょっと感慨深い。
墓にはあんまり思わないんだけど、ミイラといわれるとすごいと思わざるを得ない。
平泉滅亡を招いた泰衡の首は、父である三代秀衡の隣に首桶に入っておさめられていたといいます。
その首桶にはたくさんの蓮の種が一緒に収められていて、つい近年になって開花に成功したそうで、文化センターには保存された人の顔程あるくらい大きな蓮の花が展示してありました。 -
兼て耳驚したる二堂開帳す
経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す
七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌
暫時千歳の記念とはなれり
五月雨の 降り残してや 金色堂
金色堂(覆堂)の傍らには芭蕉の碑がありました。
わたしが説明なんかするより芭蕉さんの方がよっぽど素敵に感想を述べてくれている(笑) -
中尊寺をあとにして、高館義経堂へ。
-
石碑より
三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す
先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也
衣川は和泉が城をめぐりて高館の下に落入
泰衡等が旧跡は衣が関を隔て
南部口をさし堅め
夷をふせぐとみえたり
義臣すぐって此城にこもり 巧名一時の叢となる
国破れて山河あり
城春にして草青みたりと笠打敷て時のうつるまで泪を落し待りぬ。
夏草や 兵共が 夢の跡高館(義経堂) 名所・史跡
-
さらに階段を上ると、小さなお堂がたっていて中には義経の像。
壇ノ浦で平家を破るまでの活躍をして、それでもここで自害しなければならなかった義経のことを考える。
たとえば頼朝が妬みとか感情面ではなくて、北条氏やそのほかの鎌倉幕府を構成する東国武士たちの“鎌倉”の為に、義経を殺さなくてはならなかったとしても。
たとえば(貴族の政権から武士政権を成立させる目線で見て)いかに義経が愚かであったとしても。
滅ぶ方に心を寄せてしまう…。 -
義経さん。
とりあえず脳内でタッキーに変換しておいた。
ところでどうでもいいですが、大河ドラマ義経のときの最終回義経の自害シーンが忘れられません…。(自害のシーン自体は映していなくて、堂の上から光が噴き出す演出で困惑しかおこらなかったという…) -
高館(たかだち)より望む北上川。
高館というだけあって高台に建っているんだけど、ホントこういうところで当時人が戦ったんだと思うと……
芭蕉さんじゃないけど、しばらくただ時のうつるまで泪を落とし侍っちゃう気持ちになるよね。
あー…歴史ロマンだね!!(注…同行者においていかれました) -
本日の宿泊はいつくし園へお邪魔。
近くには伊達政宗のお気に入り、厳美渓。
名物の郭公だんごさんへ。
そらとぶだんご。 -
厳美渓ってこんなとこ。
川です。 -
金鶏山ののぼり口前にある義経妻子の墓。
写真右手あたりにあります。
男女関係について、
義経記を読むと、なんだかなーと思ってしまう。
義経記は成立が彼らの時代より、200年ほど下った室町時代あたりだとされているんですが、
平安の女たちはそれでも弱いだけじゃなかったと思うんだけど、弱さの質が変わってきているように見える。
たしかに平安時代にも離婚とか男に捨てられるだのとかありましたが、女にも選ぶ権利がちゃんとあったように思う。
だってイヤで足が遠のいたら離婚成立だもんね。
男についていくだけで何にもできない女みたいなのが出てきて、この時代の女性観がちらっとみえて若干辟易。
現代語訳で読んだので、原作にどうあるのかは不明ですが。
儒教の三従(生家では父に従い,嫁しては夫に従い,夫の死後は子に従う)ががっつりでてきたあたりで、ちょっと身構えてしまったよね。 -
時代劇とかで一回はみたことある感じの風景①
-
時代劇とかで一回はみたことある感じの風景②
人はすくなかったけど意外と楽しかった江刺藤原の郷。
ここで撮影されたNHK大河などの関連資料をあつめたコーナーもありました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21