2014/09/23 - 2014/09/23
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ニッキーさん
今年の秋分の日は写真教室の撮影実習で横浜「港の見える丘公園」へ行きました。
秋晴れというにはちょっと暑いぐらいの一日。
港の見える丘公園は秋の花がまた春とは違った彩りを見せていました。
いつも撮影実習の後に居残り、一人歩きするのを楽しみにしている私。この日も山手地区の西洋館巡りマップを準備して来ました。
ところが実習終了後、一旦みなとみらいへ移動して仲良しメンバーとお昼を食べながら楽しくおしゃべりしたらほっこりしてしまい、一人引き返すのが億劫になって来ました。
いけないいけない。千葉県に住む私。横浜へ出て来る機会はそう多くありません。また出直すとなると大変です。この日夫は大阪。ちょうどいいチャンスです。気を強く持ち、「私は残るから」、みんなに宣言して、昼食後一人「港の見える丘公園」へ戻りました。
同じ場所を歩いていても、撮影実習で回るのと一人で心行くまで観光しながら回るのと、見えるものが違います。公園散策と西洋館巡り。夕方まで歩き回りました。実に有意義な秋分の日のお出かけになりました。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
横浜市山手の西洋館:
【 場 所 】 と 「邸宅の名称」
【港の見える丘公園】 ★「横浜市イギリス館」
★「山手111番館」
【元町公園】 ★「山手234番館」
「エリスマン邸」
★「ベーリック・ホール」
【イタリア山庭園】 「外交官の家」
「ブラフ18番館」
【山手公園】 「山手68番館」
「テニス発祥記念館」
この中から私は★印の4つの西洋館を見学しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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撮影実習終了後、いつものメンバーでみなとみらいへ移動、お昼ご飯を食べに行きました。
クイーンズスクエア横浜。
地元メンバーに案内してもらったお店は「アット!2nd」にあるビュッフェレストラン「プレミアムビュッフェ」です。 -
ちょうど食事時。
かなり待たされてようやく案内された席は眺めがいい〜♪。
大きな窓から大観覧車が見えました。 -
このレストラン、種類の多さにびっくり。
ピザは2種類、パスタだけで何種類も。
それどころか和洋中の料理が並んでいます。
さすがは地元民メンバーが案内してくれたお店です。
デザートにチョコレートファウンテンもありましたよ。
いっぱい食べて楽しくおしゃべりして、あ〜、満足です。
午前中の撮影実習で神経を使った(?)後、お昼を食べてほっこりしました。
午後は一人で散策しようと思っていたのに、くじけそう。
もうこのまま帰っちゃおうか?
一瞬、弱い私がささやいたけど、せっかく横浜まで出て来たのです。
滅多にないチャンス。気を強く持って、ここは初心貫徹です。
電車に乗って、午前中撮影実習で歩いた「港の見える丘公園」へ戻りました。 -
本日2度目の「港の見える丘公園」。
「港の見える丘公園」はフランス山地区、展望広場地区、イギリス山地区、近代文学館地区から成ります。
元町・中華街駅からまずはフランス山地区へ。
最初に長い階段。
そう。フランス山という名のとおり、ここは丘陵地になっているのです。
この階段、見えてる分だけじゃありません。
曲がってまだ先へ続きます。
ちょっといい運動になりますよ。 -
イチオシ
階段を上り切った所は木漏れ日差す気持ちの良い散策路になっています。
-
イチオシ
旧フランス領事公邸跡。
この辺りは幕末から明治初期にかけての12年間、フランス海兵隊が駐屯していたそうです。それでフランス山の名前があるんですね。海兵隊撤退後はフランス領事館や領事公邸が建てられていました。
建物は関東大震災で倒壊し、領事公邸のみ再建されましたが、再び火災で焼失。今残っているのは、領事公邸の1階部分とのこと。
廃墟の雰囲気が漂っています。 -
イチオシ
焼け残った壁には緑のタペストリーのようにツル性の植物がからまっています。
光が当たった所と陰になった所の明度差が、打ち捨てられた廃墟感を強めています。
ちょっと秘密の花園や天空の城ラピュタを思い出しました。 -
1896年にフランス領事館と領事公邸が造られた頃は上水道が敷かれておらず、風車により井戸の水をくみ上げていたそうです。
で、この風車は当時をしのぶモニュメントとして近年建てられたものです。
ゆっくり羽が回っています。
風向きによって風車の向きもどんどん変わります。
羽に日の光が当たってきれいです。 -
これは「愛の母子像」です。
1977年(昭和52年)、横浜市緑区の住宅地に米軍機が墜落(乗員は脱出)、幼い子供さん2人が亡くなり、長い間の治療の末、後にお母さんも亡くなりました。
痛ましいあの事件は私も覚えています。
これはその母子をモデルにしたブロンズ像です。 -
フランス領事館があった頃使われていた風車汲み上げ式井戸の遺構。
井戸を見ていたら、普通の観光客とは違う、奇妙な動きをする男性が。
スマホで敷石の写真を撮っているんです。
男性が狙っている先を見ると、ハート形の敷石がありました。 -
「ハート型の敷石ですね」と声をかけたら、男性がスマホで撮り貯めた写真を次々に見せてくれました。
びっくり。出るわ出るわ。
ほとんどがハート型だったけど、中にはミッキーマウス型の敷石の写真もありました。
こういう遊び心のある敷石はあちこちにあるそうな。
きっとマニアの人なんでしょう。「ここのは結構有名なんですよ」と言ってました。
こんなの知らなきゃ気づきません。
撮影実習で通った時も気づきませんでした。
私も写真を撮っておきました。
何かいいことがあるかも。
これから行かれる方、井戸の遺構のそばですよ。 -
展望広場へやって来ました。
今日はお天気がいいから気持ちいいです。 -
展望台からの眺め。
まさに「港の見える丘公園」ですね。
やっぱり主役はベイブリッジです。
(写真はちょっとズームして撮っています) -
右手の方を見ると、おもしろい眺め。
キリンのようなクレーンがたくさん並んでいます。 -
展望広場からさらに奥へすすみます。
ここから先はイギリス山地区と呼ばれています。
こちらはイギリス軍が駐屯した場所という訳です。
ちなみに近くにアメリカ山公園とかイタリア山庭園というのもあります。
沈床花壇がありました。
この時期、噴水の周りをマリーゴールドが囲んでいます。
最近、マンションの植栽クラブが発足。私は母に引っ張られて初期メンバーになってしまいました。花壇一つの管理をメンバーでやることになり、最初は母のお供で渋々始めたんですが、やり始めると結構楽しくって。
そんな訳で、外出してもよその花壇が気になるんです。
あれこれ植えないで一つの花の色違いで埋め尽くした花壇。
こういうのが結局引き立つんですね。 -
イチオシ
3種類のマリーゴールド。
黄、オレンジ、そして赤に黄色のツートンカラー。
ツートンカラーのマリーゴールドは今まで問題外だと思っていたのに、これを見て考えが変わりました。
ツートンカラーもアリかも。 -
わぁ、お洒落な建物〜。
いったい何だろうと思ったら、横浜ゆかりの作家、大佛次郎(おさらぎじろう)さんの資料を収蔵、展示した「大佛次郎記念館」です。 -
公園の散策もいいのですが、山手西洋館巡りマップを準備して来たので、西洋館をいくつか見学したいと思います。
横浜市イギリス館へ向かう途中、階段状になった水路にぶつかりました。
丘の上に見えている建物が横浜市イギリス館です。
この辺りは春にはバラが咲き乱れるようです。四季咲きのバラが咲いてないかなぁと思ったけれど、今はきちんと剪定されていて咲いていませんでした。 -
階段状の水路を下から見上げてみました。
音を立てて水が流れ落ちて来ます。
水の演出はいいですねー。 -
横浜市イギリス館。
1937年(昭和12年)に建てられた旧英国総領事公邸です。
これは裏手、正面玄関は反対側にあるようです。
シュロでしょうか、めちゃくちゃ高い木がすっくと空へ向かって伸びてます。
あそこまで伸びたら、もう手入れはできないでしょうね。
シュロは背が高くなるんです。私が子どもの頃、玄関先にシュロを植えた家がよくあったような。昭和の流行だったんでしょうか?
かく言う我が家にも昔、京都の家の勝手口脇にシュロの木があって、2階の屋根まで伸びたので手に負えなくなり、父が切り倒しました。 -
踏み石が規則正しく並んで奥へ踏み込む小道が続いています。
2メートルを超える高さのカンナがまだ咲いています。
その他の花はひと休み。
緑の濃淡がきれいです。 -
芝生の裏庭です。なんだかヨーロッパの雰囲気がありますね。
柵に沿ってバラの植え込み。
品種はイングリッド・バーグマン。赤いバラです。
手前にはイングリッシュラベンダーの茂みがあって、5月6月はすばらしい眺めになることでしょう。 -
こちらが正面玄関です。
山手の西洋館はすべて無料で公開されています。
個人の住宅がそのほとんどを占める中、ここイギリス館は唯一公邸であったという特徴があります。
さすがは総領事公邸にふさわしい風格があります。
ただ、左手奥の部分(使用人住居)は見学者に公開されていませんでした。 -
1階の部屋は広々です。
本来は応接室、食堂として使用された部屋ですが、今はホールとしてイベントに貸し出しているようです。 -
ホールの奥にあるサン・ポーチ。
天井まである掃き出し窓から明るい日差しが注いで開放的な空間になっています。
ここでお茶を飲んだりカードゲームをしたりしたのでしょうかね? -
キッチン。
総領事の家族とお客様に出す料理を作った所です。
レストランの厨房みたいですね。
作りつけ家具は当時のもの、設備機器は現代のものです。 -
屋敷の模型です。
母家の左手に使用人住宅がくっついている作りです。
そのせいもあって、外から見ると表から見ても裏から見ても、とても立派に見えます。 -
2階へ上がってみます。
2階も集会室や控室として貸し出されているため、当時の雰囲気が復元された部屋は多くありません。
ティーカップ!
イギリスのティーカップは憧れです。
ここに出してあるのは安いやつ?
上等の寄贈品は鍵のかかるキャビネットに入れてありました。
イギリス館の歴史や建物の特徴の展示もありました。
じっくり読むとおもしろいと思います。
私は読んでいませんけど。(^_^;) -
窓から裏の植え込みが見えます。
この季節は百日紅(さるすべり)、カンナ・・・。
バラの季節にはローズガーデンのバラがきれいなのではないでしょうか? -
総領事夫妻の寝室。
広々とした部屋。
窓の外のグリーンが目を和ませてくれます。 -
イチオシ
寝室奥のスリーピング・ポーチと名づけられた休憩室。
こんなお部屋でアフタヌーンティーしたいですね。 -
イギリス館は建物は立派なんですが、多くの部屋を集会室やホールとして市民に貸し出しているため、家具が入っている展示室は少なかったです。
無料で見せてもらっているので、ぜいたくは言えませんけどね。
玄関を内側から見たところ。
アイアン装飾が美しいドア。
中が暗く外が明るいので、ガラスを通して玄関アプローチ両側の柱や前庭の植え込みが見えます。 -
次に行ったのは、イギリス館のお隣、山手111番館です。
こちらはラフィンという人の個人の屋敷として1926年(大正15年)に建てられたもの。
アメリカの建築家、J.H.モーガンの設計です。
赤い瓦屋根に白壁、3連アーチのパーゴラ・・・南欧風のたたずまいです。
門から入口まで一直線というのが明るい雰囲気を醸し出しています。 -
ここは履物を脱いでスリッパにはき替えて入ります。
ちなみにイギリス館以外はスリッパにはき替えて入るので、行かれる方は脱ぎ履きしやすい靴で行った方がいいですよ。
この屋敷の最大の特徴は吹き抜けのホールです。
木材がいっぱい使われていて、昔の喫茶店のような雰囲気です。 -
立派なマントルピースと暖炉。
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残念ながら、2階の吹き抜けぐるりの部分へは上がれるようになっていませんでした。
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食堂も木の壁に囲まれて重厚な感じです。
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配膳室。
奥は厨房です。
キャビネットの間の窓からお料理の受け渡しができるようになっています。 -
キッチンは最新式。
IHクッキングヒーターです(笑)。
ここだけ見ると、まるで住宅のモデルルームのようですね。 -
バスルーム。
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いくつかの部屋は絵画の展示ギャラリーになっていました。
山手111番館は表から見ると2階建てなんですが、裏から見る3階建てになっています。
傾斜地に建っているのでしょう。 -
これ、内部見学の前に撮った写真ですが、山手111番館を裏から撮った写真です。
地階とテラスは裏手から入れる喫茶コーナーになっていました。 -
港の見える丘公園にある西洋館は2館のみです。
他の屋敷は離れた所に点在しています。
次なる西洋館を目指して元町公園へ移動します。
途中通りがかったレンガの建物は岩崎ミュージアム。
その昔、関東大震災で倒壊してしまった居留外国人のための劇場「ゲーテ座」跡地に建てられています。
服飾とアートの博物館だということです。 -
山手外国人墓地。
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このような眺めの良い場所にあります。
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立ち入り禁止なので、上から眺めるだけです。
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外国人墓地の向かいにあるお洒落なレストラン「山手十番館」。
1階はティールーム、2階はレストラン、庭はガーデンレストランになってます。
ここはいつか入ってみたいなー。 -
これ、なんてかわいい建物なんでしょう。
まるで童話の中に出て来るような家です。
調べたら「山手資料館」でした。
明治時代に建てられ、関東大震災の被害を免れた横浜唯一の西洋建築物なのだそうです。
横浜は関東大震災で大きな被害を被ったんですね。 -
外国人墓地と元町公園の間にあった貝殻坂という坂道。
ここを通ると、元町まで下って行けます。
今はここを通らずもっと先へ行きますが、午前中この道を通りました。 -
美しい教会がありました。
横浜山手聖公会です。
建物は山手111番館と同じくJ.E.モーガン設計とのこと。 -
3つ目に訪れたのは山手234番館です。
午前中撮影実習で前を通った時、すてきな建物だと思っていたんです。
山手西洋館の一つだったとは。
コロニアルスタイルとでもいうのでしょうか?
柱のあるバルコニーが涼し気です。 -
朝香吉蔵氏の設計により1927年(昭和2年)に外国人向けの共同住宅として建てられたもの。
玄関を中心にして左右対称の部屋割りになっていて1階に2世帯、2階に2世帯が暮らせるようになっていたようです。
居間は当時(昭和2年頃)を再現しているそうです。
このまま住めそうです。 -
居間の片隅に食器棚があります。
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食器棚の中にはこんなお皿が。
記念プレートでしょうか? -
豪華なミシン。
昭和初期に作られたシンガーミシン(米国製)です。
外国人居留者が使用していたのでしょう。
モスクワで購入され、はるばるシベリア鉄道で運ばれて来たそうです。 -
建物のちょうど真ん中に明り取りの中庭がある造りになっています。
2階へも上がってみましたが、2階はほとんどが展示やミーティングなどの貸し出しスペースになっていて、あまり見るものはありませんでした。 -
山手本通りへ戻り、続いてこちらもお洒落な建物。
洋菓子の「えの木てい」です。
1927年(昭和2年)、山手234番館と同じく朝香吉蔵氏が設計した英国式の洋館です。
元はアメリカ人検事が暮らしていたということですが、今は喫茶店となっています。
ここでアフタヌーンティーを食べたいなぁ。
まだ言ってます。 -
元町公園には他に「エリスマン邸」、「ベーリック・ホール」という西洋館が公開されているのですが、この時期、閉館時刻がいずれも17時。
どちらか片方しか見る時間はありません。
さあ、どっちを見よう? -
こちら、エリスマン邸。裏側から見たところです。
白い壁に緑色の鎧戸のデザインが爽やかです。
内部こそ見てないけれど、実習の最中にこの辺りかなりうろうろしてエリスマン邸の外観はしっかり見たから、どちらか一つと言うならまだ見てないベーリック・ホールかなぁ。
考えた末、西洋館の中で最大規模だというベーリック・ホールを見に行くことにしました。 -
ベーリック・ホールの芝生の庭に立った時、建物の立派さに感激しました。
堂々たるこの屋敷は1930年(昭和5年)、イギリス人貿易商ベリック氏の邸宅として建てられました。
設計は山手111番館や山手聖公会を設計したJ.H.モーガンです。 -
玄関の3連アーチ、レンガ屋根にレンガの縁取り、アーチ型の窓・・・スパニッシュスタイルを基調にしています。
-
イチオシ
玄関のアイアン装飾が美しい。
大理石との相性も抜群ですね。
市松模様の床もヨーロッパ的です。 -
この屋敷、圧巻は玄関入って右側のこの部屋でしょう。
パーティールームかと思ったら、居間ですって。
私など、一瞬ヴェルサイユ宮殿を思い出しました(笑)。
お金持ちのお屋敷の豪華さというのは計り知れませんね。
隣接してサンルームのような「パームルーム」があります。 -
玄関入って左側には客間、そして奥に食堂。
現在は客間に受付デスク、ギフトショップなどがありました。 -
1階部分が素晴らしかったから、これは2階も楽しみです。
アイアンワークが目を引く階段と2階廊下の手すり。 -
ここはなんと息子さんの部屋です。
広い〜。
そして専用のバスルームも隣接しています。
外国ってそうですよね。
ベッドルーム一つにバスルームが一つ、ってよくありますよね。
実際にはベリック氏の息子さんはすでに成人になっていたようですが、ここでは令息がまだ幼いという設定で部屋を飾り付けているのです。 -
窓からは毎日こんな眺めが見えたんですね。
窓の外、芝生の上では愛らしい女の子が遊んでいました。
でき過ぎのシチュエーションです。 -
四つ葉と正方形を組み合わせた、こんな窓も各部屋についていました。
窓枠が小さいからか、外の緑が一層鮮やかに見える気がしました。 -
息子さんの部屋の隣りはゲストルーム。
昔は客用ベッドルームでしたが、今は応接室という設定になっています。 -
ゲスト用バスルーム。
この色、素敵ですね〜。
海のようなブルーです。 -
ベリック氏の寝室。
今は書斎のようにデスクが置いてありました。 -
ベリック夫人の寝室。
この部屋だけでも十分ひろいのですが、夫人の寝室には隣にサンポーチという部屋がついています。
やっぱり奥さんは一番いい場所をもらって大切にされていたのかな? -
これがサンポーチ。
角部屋なので窓に囲まれて素敵な部屋です。
夫人はここで木々の緑を見ながら和みのひと時を過ごしたのでしょうね。 -
夫婦用のバスルーム。
-
イチオシ
ベーリック・ホールは規模も大きくて、一番見応えがありました。
最後の見学地にここを選んで良かったと思いました。
外へ出たら、ちょうど閉館の17時。
いくつ見られるかなと思いながら回りましたが、なんとか4館見られました。
山手地区のいろいろな西洋建築を見て異国情緒を感じることができました。
こういう眺めは横浜ならでは。
とても良かったです。 -
ベーリック・ホールの斜め向かいに横浜雙葉学園(小・中・高)がありました。
-
閉館時刻を過ぎ、もう内部の見学はできないので、元町公園内、エリスマン邸の裏にある「山手80番館の遺跡」を見ました。
ここには見学用のデッキ(ブラフ80メモリアルテラス)がこしらえてあり、遺跡の中に立ち入ることなく見ることができます。 -
昔、この辺りは外国人居留地の中心地で、学校、病院、教会、劇場の他、多くの外国人住宅が並んでいたと言います。
「山手80番館遺跡」はマクガワン夫妻の住居跡で、関東大震災で倒壊したもの。今はレンガ積みの壁やタイル床の一部が残っています。 -
ここは傾斜地になっていて、デッキから下を見ると怖いような谷底になっています。
この辺り、頭の上までうっそうとした林になっているんですが、ここで何故か右手の指先が濡れていることに気がつきました。見ると、緑色の汁がついてる。
ええーっ!?
もしかして鳥のフン?
体中見まわしてみたら、バッグにぽたりと緑色の滴がついていました。
やられたーっ。
ウェットティッシュをいつも持ち歩いているのに、こんな日に限って切らしています。
このままにしておくのも気持ち悪いから、ティッシュペーパーをペットボトルのお茶で濡らして拭き取りました。
みんなと一緒だったら、「ニッキーさん、ウンがついた」と笑われるとこ。
一人の時で良かった。そして髪の毛に落とされなくて良かった。(^_^;)
最後にオチがついたところで、これで引き上げます。 -
ここ、見覚えがあります。以前、妹と一緒にフェリス女学院のホールへピアノ演奏を聴きに来た際、通った道です。
あの時は坂道を上って来たので、フェリスってすんごい坂の上にあるんだなと思ったっけ。 -
カトリック山手教会。入口の階段が外国の教会みたいだなー、と思いました。
この後、イタリア山庭園まで歩いて、「外交官の家」と「ブラフ18番館」を塀の外からだけ見て石川町からJRに乗って帰りました。
歩く道々、西洋館もびっくりの豪邸をいくつも見ました。鎌倉でもたくさん豪邸を見ましたが、横浜山手地区の豪邸はもっとすごいかも。何百坪の敷地に奥も見えないほどの門、ガレージ。芸能人の家とかそんな感じです。
今日は一日で視野が広がりました。
撮影実習とランチだけでも充実してたのに、港の見える丘公園散策、西洋館巡りまでできてほんとに有意義な一日でした。
脚はかなり疲れたけれど、大満足です。 -
最後に元町商店街で見たフラワーポットの写真を載せておきます。
先に書いたように母に引っ張られてマンション植栽クラブの初期メンバーになった私。
庭の手入れが面倒だからマンションに越して来たというのに、ここまで来て花に関わることになるとは。なーんて、何だかんだボヤキながらも最近NHK趣味の園芸を見始め、どこへ行っても花が気になるようになりました。
センニチコウ(紫の背の高いぼんぼん状の花)って地味な花だと思っていたけど、こうして見るとかわいい。うちの花壇にもあるから大切にしようっと。
さ、はるばる千葉まで帰りましょう。
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