2014/09/13 - 2014/09/15
5491位(同エリア9913件中)
jugiさん
9月13日 初日は後白河さん(と清盛さん)
☆9月14日 二日目は木曽義仲さん
9月15日最終日は経正ゆかりの仁和寺
なんとなくわけるとこんな感じ。
わたくし、木曽義仲が結構印象深いのです。
木曽の最期、義仲と兼平の死んでいくところは何とも不条理で(ひどい書かれようで)胸に迫るものがあると思います。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄
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本日は京都駅からJRで琵琶湖方面へ。
京都から大津まで30分やそこらでついてしまいます。
ちかい!
さてまずは石山寺。
平安の本を読むとたびたびご登場の石山詣での石山寺です。
平家物語の中ではホントちょいとしたところででてきたくらいですので(平家政権の間、源氏方の誰かがここに潜伏していたとか)、石山寺でまず有名なのは紫式部でしょうかね。
石山寺駅より琵琶湖沿いを速足で歩いて10分程。
平坦な道で、車どおりはあるものの人はほとんど会いません。
これであってるのか若干不安になるけど迷うべき道すらないという…w
てくてく歩いていくと右手に突如門が登場。湖に対面して建っています。
お店は休憩所が2〜3店舗あるくらいで、にぎやかな参道とはちょっと言い難いかな。 -
中へお邪魔して石段を登ると本堂が。(※本堂は撮影禁止
写真は本堂の脇に小さな部屋。
ここは本来もっと位が上の人用の部屋のところ、破格の扱いで紫式部の執筆室になっていた、と寺の立て看板で説明書きがありました。 -
本堂からさらに登ったところに塔が。
-
石山寺の前のバス停よりバスに乗って義仲寺へ。
名前を見れば大変わかりやすく、義仲さんを祀ったお寺。
規模は本当に小さくさっとみられてしまうのですが、義仲さんと巴・山吹の墓もあります。
ついでにいうと義仲ファンの松尾芭蕉のお墓とそれにひっついていくつかの句碑、それから芭蕉に続く(その道ではたぶん)有名な俳人たちのお墓がいくつかありました。
なんか芭蕉の方がクローズアップされてる感が否めない。 -
こちらは義仲のつれていた美女のひとり、山吹御前の塚。
巴に比べて影の薄さったらない。 -
そして巴塚。
木曽義仲は、頼朝方の義経に追い詰められて粟津まで落ちのびた。
今はこれまでと最後の戦いを覚悟するほどに兵も減ってしまっている良くない戦況。
その中に巴はまだ従っていて、義仲と共に戦って死ぬ覚悟だった所、
お前は女なんだからどこへとも行って生きろと義仲に諌められて、巴は食い下がるも、結局義仲は女をつれて死んだと言われては武士の名折れと言って許さなかった。
それがウラオモテなく本心で男の意地なのか巴を生かしたかったのかはわからないけど、巴は目の前の強そうな敵の首をねじ切ってどこかへと消えていく。
死んだ男の壮絶さは、わかりやすく悲劇だけど、そして死なずに(まして女として生かされたのならなおさら/※尼になって弔った説のほかに頼朝によって嫁がされた説もある)生かされた方も相当悲劇だと思うよ。
余談ですが、この旅行を始める前に昔のNHK大河ドラマ源義経(タッキーのやつ)を全部見ましたが、義仲の討たれたあたりで巴と一緒に泣きました…。
重衡の斬られに次ぐ泣けるポイントだとおもう。 -
そしてすぐ隣には木曽義仲の墓。
首は京都の法観寺というから、こちらには体だけあるということなのでしょうかね
。
上でちょっと触れたとおり、一説には亡骸を巴がこの地で弔ったとも言われています。
まあ巴が巴がと盛り上がりましたが、本当の木曽の最期は、義仲の乳母子の今井兼平とのエピソードですね。
もう、有名すぎるアレですが、
最期にお前に会いたくてここまで来たよ、と再会から始まって、
一緒に戦って果てようという義仲に、兼平は朝日将軍にもなった方が名もなき兵に打ち取られたりしたら無念、わたしがここでわたしが防ぎますからそこの松原で、君は自害してくださいと言い、義仲も了解するけど結局冬の深田(底なし沼化)に義仲の馬ははまっちゃって粟津の松原で自害すらできずに、それも雑魚に顔に矢を射られて死ぬという、惨めな最期を遂げる。
この惨めっていうニュアンスに作者の悪意を感じるけど、何故か心をとらえて離さない。
平家物語の中に人の死の表現なんて何度も出てきているのに、この人だけなんでこんなに鮮やかなのかなと不思議。
そしてあなたが死んだというのに、わたしは何のために戦うというのでしょう。おまえらみとけこれが男の死にざまよ!とばかりに兼平は口に刀加えて馬から飛び降り自害。
ことの顛末はこんなカンジ。
一の谷・生田で乳母子に裏切られて生捕りの憂目な重衡さんとの対比が…切ないね…! -
木曽殿と背中合わせの寒さかな
と詠んだのは芭蕉さんじゃなくて芭蕉さんの弟子だったらしい。
芭蕉さん作だとずっと思ってました。
生前木曽義仲のファンだったらしいよ。
そういえば他にも
夏草や兵どもが夢の跡in平泉とかってありましたね。
平家物語のファンだったんだね…!
しかも木曽殿推しとか意外と理解できる気がしてきました。(すみません江戸まったく興味を持ってませんでした) -
義仲寺の中にある木曽八幡宮。
八幡宮は源氏の守り神さまですね。 -
木曽義仲が京へ入って短い栄華を極めているとき、彼は朝日将軍と呼ばれていました。
だからこちら、義仲さんが祀られているお堂は朝日堂。 -
さて次、寺門と言われた円城寺、通称三井寺へ移動。
三井寺の駅を降りててくてく10分くらい歩く。
三井寺って名前のついた駅があるんですが、えらいノドカ(本日2度目)で若干不安になる。
だってほとんど人と会わないんですもの…。
どれくらいのどかかっていうとこれくらい…。 -
琵琶湖を背後にして山方面に向かって歩いていくと、立派な山門が。
これは結構デカイです。
三井寺・園城寺は源平合戦の頃、源氏方に近いポジションでした。
三井寺といえば以仁王の乱の折、以仁王が初めに退避した場所。
こののち、味方表明をした奈良の興福寺へ逃れる途中、とりあえずの休息場所として宇治の平等院へ向かい、追討軍(平家方)に追いつかれて宇治で戦闘になって殆どそこで決着がついてしまうのですが。 -
三井の晩鐘。
お金払うと撞けます(笑)
丁度家族づれが鳴らしていたので、私は見ていただけですが。 -
こちらは弁慶の鐘。
ご存じ山門(比叡山延暦寺系)と寺門(三井寺系)は当時大変仲が悪かった。
僧が殺す殺されるの戦いやってるんだから、仲が悪いどころの話ではないっていう。
あるときの争いで山門が戦利品として、弁慶が三井寺の鐘を比叡山に持って帰ろうとしたら、いのーいのー(※訳:いやだーいやだー)と言ったので頭にきてぶん投げて捨てたっていうエピソードが残ってるそうな。
てかこれ担ぐって相当だよ。
鐘かつぐといえば須磨寺にも弁慶が持ち運んでいたと言われている鐘が残ってたなー。
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