2014/09/12 - 2014/09/12
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ヌールッディーンさん
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北海道の日本海沿岸にはたくさんの鰊漁場がありましたが、今では残っていても番屋だけ、ということがほとんどです。余市の福原漁場だけは、唯一、漁場建築群が群として残っており、その点で特に貴重な史跡と言えます。
なお、鰊漁の歴史に興味がある方は、下ヨイチ運上家、余市水産博物館と近距離にあり、セット入場券(さらにフゴッペ洞窟とあわせて880円、各施設の入場料は300円)で3か所とも回るのがお勧めです。
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漁場は、①主家(おもや)、②文書庫、③石蔵、④納屋場、⑤米味噌倉、⑥網倉、⑦雑倉、⑧干場・白子干場から構成されています。
まずは①の主家(番屋)から見ていきましょう。
外観は中央の煙抜きの塔、屋根の形や建物の向きなど、典型的な番屋建築という感じです。
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中央の玄関から入ると、土間があり、これによって左右に区切られています。向って左側が漁夫の居住スペースで、右側は親方家族の居住スペースになっています。
この辺も典型的な番屋建築と言ってよいと思います。
この写真の奥の側にも戸があり、山側の外に出ることができます。そして、山側に様々な蔵や納屋場などが広がっています。
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漁夫の居住空間。コの字型にネダイ(寝る場所)が配置され、ネダイは2階建てになっており、中央のエリア内(建物の中央付近)には囲炉裏があります。その間は土足で入って食事ができるようになっています。こうした配置も典型的な番屋建築という感じです。
印象としては、内部がかなり明るいのが特徴的に思えました。一階部分にも窓が多いほか、二階部分にはガラス窓がはめられています。明治6年の建築当初からガラス窓がこんなにあったとはちょっと思えないので、後代のリフォームによるものなのでしょうか?(この辺りは解説の方もわからないとの答えでした。)
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漁夫の居住空間。上で述べたように明るい空間になっていることが見て取れます。
天井の小屋組みを見ると、トラス構造になっていないのが気になりました。小樽や浜益の大半の番屋よりも、少し古い時代の建物(明治13年?)だからではないか、と考えています。
なお、ここで30人以上の漁夫が寝食を共にしていました。
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漁夫の食事用の設備。他の番屋でもこのようにして食事をしていたというお話や、床が取れるというお話は聞いたことがありましたが、こうして開いているのを見たのは初めてでした。鰊漁は繁忙期は非常に忙しいため、長靴のまま食事をとっていくことができるようになっているわけで、非常に機能的な建築と言えます。
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入口から入ってすぐ右側に帳場があります。4畳ほどと比較的狭いです。
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帳場の隣、土間に面した中央部分に親方家族の部屋があります。神棚や囲炉裏などが備えられています。
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客間。親方家族の部屋の奥側の隣。親方の居住空間は6部屋からなり、土間に接する位置に3つ、その奥にも3つ、という構成になっています。
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仏間?
福原漁場は、明治13年に福原家の方が創業し、明治36年まで同家が所有していましたが、その後、小黒家、大正元年からは川内家と所有者が変わりました。川内家の方は昭和60年までここに住んでおり、そのためこの建物群が保存されたとのことでした。仏壇の上には川内家の方の遺影が飾ってありました。
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仏間に隣接する縁側に川内家の親方が散髪をする際に使っていた散髪椅子がありました。親方ともなると、自ら床屋に出かけるのではなく、床屋の職人を自宅に呼んで、散髪してもらっていたようです。
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立派な屏風が飾られた部屋がありました。欄間の装飾も見事です!
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欄間の装飾。松の木?
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欄間の装飾。富士山?羊蹄山?
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欄間の装飾。
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昔の電話。浜益の白鳥家番屋にも同じような電話があったのを想起しました。親方たちの財力と情報への関心の高さの表れでしょうか?
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主屋の裏口から出ると漁場の全体が見渡せます。出口から出て左側の様子をパノラマで撮影してみました。
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主屋に向って右隣にある②文書庫。漆喰の壁で防火した地上3階、地下1階の倉庫です。重要な書類、衣服、調度品などを納めていたところです。地上3階というのも珍しい(道内には例がない)ですが、さらに地下まであるというのは、この倉庫だけ、とのことです。
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文書庫は鬼瓦まで立派でした。家紋のような印が見えます。
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文書庫。漆喰は雨や潮風に弱い面があるため、保護のため外側を板で覆っています。
ちなみに、確か、記憶ではこの入口の板ガラスは歪みのあるガラス(現在のように平らなガラスが作れなかった時代には歪みが残る)だったと思います。
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文書庫の一階。さすがにしっかりした作りというか、安定性を感じます。
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文書庫の二階。川内家から寄贈された品などが展示されています。昭和22年頃、鰊の不漁を予想して果樹園経営に舵を切ったことが表れている、「林檎園」などと書かれた半纏など、なかなか興味深いものがありました。
なお、床には格子戸があり、大きなものは階段ではなく、そこを通して上げ下げしたとのことです。なるほどと思わされました。
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昭和初期のラジオの番組表。「鰊ニュース」が漁の時期になると、平日は2回、日曜祝日は1回放送されていたことが書かれています。アメリカ製のラジオも所有していたようです。
今日はどこの浜で群来が起こった、などということが報じられていたのでしょうか?
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③石蔵は、鰊粕や身欠き鰊を保管していた蔵です。これは復元ということもあり、石も新しい感じがします。幅21m、奥行3.5m+7mくらいあり、結構大きいです。
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石蔵とは言っても、実は「木骨石造」の倉庫です。見るからに軟石でできており、軟石に付けられた斜め向きの模様なども含めて、小樽の木骨石造倉庫群との共通性が見て取れます。
小屋組みはトラス構造を使っていますが、小屋組みを支える斜めの柱はあまり見たことがないものです。また、木骨を支える基礎が高い位置まで石で持ち上げられているのが気になりました。他の木骨石造倉庫がどうだったか、改めて確認してみたいところです。
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④納屋場。身欠き鰊を作る干場です。果樹園経営に切り替えた後は、ここも果物が栽培されていた時期があるようです。この他に数の子や白子を干す⑧干場・白子干場もありました。
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⑤米味噌倉。米や味噌、醤油などを保存していた蔵です。高床式になっていて湿気を防いだり、火を使う主屋から離して建てたり、ネズミ返しや内壁と外壁の間に小砂利を入れて壁を食い破られないような対策をしたりと、様々な知恵で守られています。
明治13年築と推定されています。
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米味噌倉付近から主屋の方向を望む。
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網倉の付近から主屋の方向を望む。
手前にある建物の基礎は、雑倉の基礎のみを復元したものです。全体を復元しないのはお金が不足しているからなのか、情報が不足しているからなのか、それとも別の理由があるのか、ちょっと気になるところです。
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⑥網倉。漁具を保管するための倉。トタン張りであることに目を引かれましたが、これは当初建てられた木造の倉が倒壊したため、大正3年頃に建て直されたためでした。
網は大切な道具なので、しっかり守るということらしいです。なお、ここも高床式になっています。
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網倉のすぐ隣に小さな川(?)が流れていました。浜益(石狩)の旧白鳥家番屋も同じように水源が非常に近くにあったと記憶しています。やはり、こうした水源があることは、非常に重要な意味をもっていると思われます。
かつては、ここの川を超えて現在駐車場になっているあたりまで漁場だったとの話も伺いました。どのようなスケールで仕事をしていたのかもよくわかる、非常に貴重な史跡だと思います。一見の価値があります。
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