2014/05/02 - 2014/05/05
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jugiさん
奇しくも明日5月2日は、旧暦3月24日。
壇ノ浦決戦の日です。
約800年前のこの日、海は死体だらけだったのかーとか物思いにふけりに行こうと思います。(友人にものすごいイヤな顔された)
栄華の京都、夢の都神戸、そして夢の終焉壇ノ浦へ。
☆5月1日 夜行バス
☆5月2日 京都編1日目
5月3日 京都編2日目
5月4日 神戸福原編
5月5日 壇ノ浦編
☆旅にあたって読んだ本・メディア等☆
平家物語 ビギナーズ・クラシックス
宮尾本平家物語 青龍の巻/白虎の巻/朱雀の巻/玄武の巻 宮尾登美子
源平六花撰 奥山景布子
絵巻 永井路子
子午線の祀り 木下順二
波のかたみ〜清盛の妻〜 永井路子
平家物語の女性たち 永井路子
波舞ふ舞ふ 瀬川貴次
清盛以前 高橋 昌明
平家物語(古典の旅)永井路子
平家物語ー古典を読むー 木下順二
平家物語を歩く―古典文学に出会う旅― 日下力
平家物語―あらすじで楽しむ源平の戦い― 板坂耀子
桜―平家夜話― 早瀬詠一郎
NHK大河ドラマ「義経」(原作・宮尾本平家物語)
遥かなる時空のなかで3&十六夜記
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- タクシー JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて二日目。この日は前半・洛東六波羅付近、後半・宇治。
まずは、蓮華王院、三十三間堂へ。
京都駅付近よりスタート。
いやー、修学旅行で誰もが一度は来たことがあるんじゃないかと誰かが話してましたけど、わたし行ったことなかったんですよねぇー。
後白河のお願いで、清盛が作ってあげたという建物。
まぁ、後年政治方針の違いで疎ましくなった後白河をそのままここに閉じ込めちゃったりとかもしたんだけどね☆
その名の通り、34本の柱があり、33の間がある広ーいお堂の中に、ひな壇があって、ずらあああああああああああああっと仏像が並んでるという、大変壮観な場所だったよ。
仏像を写真に写すことは禁止だったので外から一枚。
海外の観光客が多かった印象。 -
そこから電車で一駅北上し、清水五条駅へ。
連れが弁慶さんのファンだったので、五条大橋の袂にある義経と弁慶の五条の縁のモニュメントをちらっと見て、北上して旧五条大橋(当時の五条通は松原通りと言われてるらしい)を渡り、東進。
このあたりが六波羅。
往時には平家の邸がたくさんあったんだろうナーとか思いながら六波羅蜜寺へ。 -
きれいめなお寺でした。
社殿の奥に宝物庫があり、そこに僧形の清盛の坐像とか、あとは有名な口からちっさい仏sを出してる空也上人の像とかもあったよ。 -
さて、平家がこの辺りを邸に選んだには、清盛の祖先にあたる平氏が伊勢平氏であったことから京都から伊勢へ通じる街道ぞいだったからと言われていて、そしてこの道は同じくして、当時の葬送地である鳥辺野へ続く道でした。
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その道を暫く行くと、六道珍皇寺へ。
平家物語めぐりからはちょっと閑話休題。前回行けなかったので、リベンジマッチ!
こちらは百人一首で知られる小野篁(百人一首では参議篁)ゆかりの寺。
小野篁は、文武両道で身長も高くて血筋もいい、しかも金銭は困ってる仲間に配っちゃって本人はあんまりお金持ちじゃなかった、などという何そのイケメンリア充…みたいな人だったらしく…。
そんな完璧超人だからして閻魔大王のところに夜な夜な通っては、閻魔大王の裁き(死んだあとどこの世界に生まれ変わるか決める的なやつ)の補佐をしていた、という伝説があって、その入り口に使っていたといわれる冥土の井戸が特別拝観中で見ることができました。 -
ちなみに左側の赤いのは篁ママの信仰してた茶吉尼天(≒稲荷)だそうですよ。
ちなみに、お寺の方(ボランティアの方かも?)が丁寧に解説してくれて、ご朱印を書いてくれる方も大変柔らかい物腰で本当に丁寧で気さくでした。
この寺にある篁像は、ご朱印の方曰く、(東京での展覧会の為に)篁くん東下り中だそうで見ることはできなかったんですが、かわりに井戸も見られたし。満足かなー。
最近のアーティストが作った屏風絵のアートなども額に入れて飾ってあったり、なんかの漫画の閻魔大王様のイラストが掛け軸っぽく飾ってあったりして、それでいて萌寺とかやたら多種お守りとか置いてオキャクサマーって感じですり寄る感じでもなく、なんだか自然で柔軟なお寺でした。
今回の旅行で訪れた寺社の中で、一番感じ良いお寺でした。 -
さて次、激コミの祇園四条、祇園社(八坂神社)を若干ウンザリしながら通り抜けて、奥の長楽寺へ。
こちらは、平家物語の最後の方。
都を落ちてついには壇ノ浦で一族滅びた後の世で、生き延びた建礼門院徳子の落飾(尼になる)の寺。
こちらでもタイミング良く春の宝物展示をしていて、徳子が壇ノ浦に入水した息子・安徳帝の供養を願ってお布施にした安徳帝の肌着(を旗に縫い直したもの)、尼姿の建礼門院の姿を描いた掛軸や、安徳天皇の掛軸等、関連本を見てると一度は見たことあるわーという有名なものたち。
それにしても八坂神社からほんの10分くらい歩いただけなのに、この侘しさである。 -
大急ぎで祇園四条駅まで戻り、京阪電車にて宇治へ。
GYAAAAメッチャこんでるううううううううううう。
入場券買うのに並ぶとは思ってなかったよ…。
どうも改修工事終わったばかりのようで。
とりあえず十円玉片手に正面から。
藤原北家の栄華を極めた藤原道長とその息子頼通の別業(別荘)。
平家物語においては、宇治川は2度戦いの舞台になりました。
1度目は以仁王の乱。いわゆる安徳帝の義兄によるクーデター。
ママが平家でなかったが為に、親王にすらなれなかったという背景。
以仁王を担ぎあげた首謀者とされる源三位頼政は、敗けをを悟って自害。
その場所が、平等院入り口の扇の芝。墓とかも有ったヨ。
秘密裡に運んでいたはずの準備が、決起前に漏れてしまうんだけど、ちなみにチクったのが熊野別当湛増。
熊野は熊野で平家とも源氏とも血縁があって、新宮と田辺でモメたという背景があるそうデスヨ。
この戦事態はクーデター側の準備不足と圧倒的な戦力差のもと、あっさりと鎮圧された乱だったけど、源氏へ挙兵を呼びかけた令旨があることは頼朝挙兵へとつながっていったという意味で重要なポイントだったのでしたとさ。
2度目は木曽義仲入京による平家都落ちのとき。(戦ったのは木曽義仲と鎌倉方、遥かの作中の方はこちら)
2度目の方の逸話としては、鎌倉方の武士、梶原景季(景時の息子)とそのライバル?による先陣争い。
要はだれが一番先に、敵方に突っ込んで行って名乗りを上げるかっていう争い。なんで争うかといえば、先陣をやると褒美をもらえるから。
まぁそんな逸話のあった先陣ですが、ゆかりの先陣の碑は整備工事中にて、見られませんでしたとさー。とほほー。 -
本来なら藤も満開のはず、が剪定したら今年は花の房全然つかなかったよっゴメン☆ってHPに言い訳してあったorz残念。
そのあとちらっと宇治上神社を見て、この日は終了。
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