2012/06/21 - 2012/06/25
30位(同エリア248件中)
のまどさん
「休暇でルーマニアだって?君は名実ともに放浪の民になるのかい、ハハハ」
同僚の発言に対して、上等!と思ってしまった。西ヨーロッパの人は南か西に旅することはあっても東に行く人は少ないです。
今回の目的はブラン城訪問です。旅行記ではブラン城と幻想的なペレス城を中心にお届けしたいと思います。ブカレスト、ブラショフ、シナイアには歴史的建造物が多いので、短い日程でしたがなかなか充実した旅になりました。
ドイツとの歴史的なつながりを感じたり、ルーマニア語はベースがラテン言語なのでたまに分かる単語があって面白かったです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
シャルルロワからブカレストまではLCCのWizzairを利用しました。感想、Ryan Airの方がまた乗ってもいいと思う。
ブカレストからブラショフまでは電車で移動。ホームの掲示板にはモスクワ行きの電車の表示もあり、好奇心をそそられます。電車に乗る前に若者に英語で正しい電車か確かめます。 -
景色はこんな感じです。東欧の電車だと実感しますが、乗り心地は問題ありません。
-
今回最大の目的はドラキュラの城として知られるブラン城。ブラショフ駅近くのバスターミナルから直行バスが出ています。
吸血鬼ドラキュラはアイルランドの作家ブラム・ストーカーが19世紀末に書いた小説です。しかし、作家自身はこの辺りのトランシルヴァニアには行ったことがないようです。ハンガリー人の友人から東欧の怪談話を聞いたのをきっかけに長年の調査の上フィクションを書き上げました。 -
フィクションですが、登場人物の日記形式にしているところに臨場感が出ています。ゴシックホラーの幻想、東欧のエキゾチズム、魔性の官能美、ビクトリア朝への風刺などが織り込まれていて素晴らしい作品だと思います。
私は序盤の方で主人公の弁護士が5月の雪が舞う中ドラキュラ城に向かう場面に魅了された思い出があります。 -
敷地内に入り、石段と坂を上ります。丘の上に立つ孤独感はまさにヨーロッパの古城。
この城の前身は1226年に十字軍の一派である騎士団によって建てられた砦だそうです。ブランとはトルコ語で(←なぜか)門を意味します。その後モンゴル帝国によって破壊され、ドイツからの移住者の手で再建されました。
以下、出所。
http://www.bran-castle.com/ -
入り口付近の応接間だったか。ブラン城には70もの部屋があると言われています。
-
執務室の肖像画。歴代の城主の一人ですが、名前は不明。
-
秘密の階段。ドラキュラ城らしいですね、この雰囲気。これは敵から逃げるための通路だと思いますが、地下牢も別の場所にあるようです。
-
ドラキュラのモデルになったヴラド公。進撃してきたオスマン・トルコを撃破したという功績があるものの、敵を串刺しにするなどその残虐な行為の方が広く知れ渡っています。
ですが、実際にヴラド公がブラン城に住んでいたという記録はありません。城のサイトによると一時期幽閉されていたようですが。小説の設定であるトランシルヴァニアにある唯一の城であるが故に、ここがドラキュラ城になりました。更にフランシス・コッポラの映画などのロケで使われたため一躍有名になりました。
出所 Source of the photo
http://www.letsgoexploring.com/blog/2011/09/exploring-the-halls-of-schloss-ambras-castle-ambras/ -
暖炉と本棚の間。
ブラン城は家具や調度があたかも誰かが実際に生活しているように配置されていて温かみを感じる場所でした。 -
音楽室のピアノ。
-
実際に住んでいた王侯貴族の中で最も有名なのがマリー女王。イングランド出身でヴィクトリア女王とロシア皇帝アレクサンドル2世の孫で、従兄弟であったジョージ5世の求婚を断ってルーマニアに嫁ぎました。結婚当初は風習の違いになじめなかったようです。
第一次世界大戦が起こると赤十字の活動を支援し自らも病院を慰問しました。美貌に加え、馬術や文芸にも優れていたと言われ、国民の間で人気がありました。
出所 Source of the photo
http://bahai-library.com/picture_gallery_british_bahais -
マリー女王のドレス。エレガントな雰囲気は本人そのもの。
-
中庭を眺めます。
-
晴れていたのでトゥルク(Turcu)川ほとりがきれいに見えました。
-
洋服箪笥でしょうか。どの家具も高品質です。
-
マリー女王には6人子どもがいて、末娘のイレアナ王女の人生が波乱万丈です。
結婚前はガールスカウトや赤十字などの慈善活動に従事し、国民の人気に嫉妬した兄がハプスブルク家の王子との結婚を勧めました。
その後ブラン城に戻り母マリア女王の記念病院を作りましたが、オーストリア人の夫は赤軍に逮捕され、自身も共産国となったルーマニアを逃れ、アルゼンチンを経てアメリカに亡命しました。
アメリカ人博士と再婚し後に離婚し(つまりバツ2)、その後はシスターとして正教会の布教活動に専念しました
写真の出所(Source of the photo)
http://www.tkinter.smig.net/PrincessIleana/ -
この王冠には宝石が埋め込まれています。
-
マリア女王の夫フェルディナンド王のベッド。
-
古時計。サスペンスには重要なアイテムですよね。
-
中庭に下りて見学したところを振り返ります。
ちなみにこの城は2014年9月現在80億円で売りに出されています。個人的にルーマニア政府が買い上げて現在の展示品を引き継いでほしいと思いますが。 -
翌日依頼したガイドはブラン城がドラキュラで有名になったことを毛嫌いしていましたが、小説と映画がなければここを訪れたいと思う人はどれくらいいるでしょうか。ハーメルンの笛吹き男の話やフランダースの犬も同様、脚色が加えられてこそ大衆の心を掴むのだと思います。
怒りを露わにする前に訪れる人が正しい知識を得るように仕向けるのがプロのガイドの仕事です。 -
さて、次の城に着くまでルーマニアでの飲食をご紹介したいと思います。
ビールはブルガリアに比べたらおいしいと思いました。これを飲んでいる時向かいに座った聴覚障碍者の男性が身振り手振りで話しかけてきたので答えていると、ふいに食事をする仕草を見せた。要は食事を奢れと。
高級スポーツブランドに身を包み、既にビールを飲んでいるのでそれ相当なお金があると見て拒否。 -
キュウリシェイク。ビタミンCたっぷり。
-
Ciucと熊のマークのUrsus。ブラショフのステーキ店にて。味はまあまあだったけど、高かった。
-
ブラショフのメキシコ料理屋。メキシコ料理だと思わなければそこそこ。
-
ブカレストの観光客レストランにて頼んだ臓物盛り合わせ。肉は新鮮ではなかった。真ん中のとうもろこしのプリンは問題なく食べられました。ママリガというそうです。どこでも出てきました。
私が毒舌を師事した故米原万里氏(←あくまで本人の脳内の話)の名著「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で主人公の親友のルーマニア人が級友にママリガを振る舞って自分の国を誇るという場面がありました。 -
車窓から撮ったジプシーの村。
西ヨーロッパにも多数流入しているジプシー。インド辺りから10世紀ごろ流れてきたようですが、起源ははっきり分かっていません。移動民族は私の関心のあるテーマの一つですが、多くは定住しないため記録があまりないので謎が多いです。 -
イチオシ
シナイアのペレシュ城に着きました。雨上がり靄が掛かっていてミステリアスです。
ガイドが城について延々と説明していましたが、全く理解できませんでした。恐らく本人も何を言っているのか分かっていなかったでしょう。
以下、出所。
http://visit.peles.ro/ -
チケットを買って中庭から入ります。
ルーマニアの城の木材の使い方は安堵感をもたらしてくれます。
この城は20世紀初めに建てられたものなので、あまり歴史は長くありません。 -
この城を建てのはドイツのホーエンツォレルン家出身カロル1世。肖像画の通り、鉄道などのインフラ整備の他、法制定、社会福祉事業など他分野で辣腕を振るったようです。
写真の出所(Source of the photo)
http://www.descopera.ro/descopera-istoria-romanilor/5163868-carol-i-principele-de-otel-al-romaniei -
新古典主義の城は王の夏宮として建てられたので、カロル1世は忙しい執務の合間に休息を取っていたのでしょう。
中は荘厳かつ優雅です。ノイシュヴァンシュタイン城のように孤独な王の夢想を体現したのかもしれません。 -
階段の上には意匠に凝ったガラス窓。
ウィキピディアによるとこの城は1875年から完成までに40年掛かり、工事費用は約120億円だったそうです。 -
武器コレクション。
-
騎士の鎧はヨーロッパの城に似つかわしいです。
-
床から天井まで隙のない装飾。
-
武器の装飾というのは考えると不思議。
-
バロックのような飾り棚。
-
執務室。持ち主の性格なのか、このお城はとにかく隙がないので見学するにも気が引き締まります。ブラン城のようにゆったりした心境にはなりません。
-
書庫。古典を再現しているかのような造りです。
-
遥か昔に夢の中で見た景色が甦ったような不思議な気がしました。
-
イチオシ
ハープやピアノも心なしか貫禄があります。
-
イチオシ
見とれてしまうシャンデリア。本当に豪華です。
-
螺鈿細工の施された収納棚。
-
ロココ風の鏡に映りこむ天井画。
-
晩餐室。
-
ここは美しいけど、落ち着かない。
-
私設の劇場もあります。
-
カロル1世の像。
共産党が政権を握るとこの城は王室から没収され、チャウシェスクは一般人の立ち入りを禁じたようです。 -
シナイアには他にも城や寺院など美しい歴史的建造物に恵まれているので「カルパチア地方の真珠」と呼ばれています。
写真はペレス城別棟のペリショール城。カロル1世が後継者の甥フェルディナンドとその妻マリアのために建てた城です。既出ブラン城の主です。 -
ブカレストは不評ですが、かつては東欧のパリと呼ばれただけの趣がありました。当時今ほど建築への関心があったらより楽しめたと思います。
-
ブカレストのカフェ、ハヌル・マヌクもしくはマヌク宿。中庭に面したテラスに抜ける風が心地よかったです。アルメニア人の企業家が1808年に建てた由緒ある建物です。宿泊もできるようです。
http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g294458-d523715-Reviews-Manuc_s_Inn_Hanul_lui_Manuc-Bucharest.html -
チャウシェスクの遺産国民の宮殿。時間があれば中に入りたかった。
冒頭の同僚が持つような世評をルーマニア人は知っていて、旅行中会った人の多くはさかんに公正さをアピールしていました。近年旅行した隣国ブルガリアと比べるとルーマニアは垢抜けた感じがするけど、個人的に純朴なブルガリアの方がまた行きたいと思える国です。
二つの国を比べると色々と発見があります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- 森の番人さん 2014/10/05 09:23:08
- ルーマニア
- のまどさん、こんにちは。
いつも、投票してくださってありがとうございます。
もうかれこれ、15年以上前になってしまいますが、ルーマニアに1週間程滞在しました。
当時はチャウシェスク政権が崩壊してから、確か10年くらいで、アジア人観光客も少なく、どこにいてもジロジロと舐めるように見られました。
街はインフレが激しく混沌とした感じでしたが、その頃に比べると、ずっと観光客も増えたのでしょうね。
その頃は、ハンガリーとルーマニアの国境線にある町からブカレストまでの汽車の運賃とビール1本の値段が同じで、アイスクリームがそれよりも高く、びっくりしましたけど、今はどうなのでしょうね?
しかも、汽車に関しては、ブダペストでブカレストまで買うと、USドルにして$70〜80くらいで、ルーマニアに入った所で、駅に出て、ブカレストまで買うと、たったの$3〜4で済んでしまったという…なんとも信じられない値段の差がありました。
ブラショフを案内してくれたルーマニア人の友達が、「あれがレボリューションの時の弾丸跡」と言いながら街中の建物を指差したのが、今でも印象に強く残っています。
のまどさんの旅行記を見て、懐かしく思い出しました。
- のまどさん からの返信 2014/10/07 04:42:35
- RE: ルーマニア
- 森の番人さん、こんにちは。
お返事遅くなって申し訳ありません。
こちらこそいつもフォロー並びにご投票いただきありがとうございます。ご家族と自然を満喫していらっしゃる旅行記をいつも楽しませていただいてます。
ルーマニアは今でも共産圏の臭いがありますが、西ヨーロッパと比べたら物価は随分安いです。森の番人さんがいらした頃とはだいぶ変わったかもしれません。機会があれば是非再訪されると面白いかもしれません。
今後ともよろしくお願いします。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ブラショフ(ルーマニア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ブラショフ(ルーマニア) の人気ホテル
ルーマニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルーマニア最安
311円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
53