2014/08/25 - 2014/08/25
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旅遊de美食散歩さん
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『港崎遊廓』が横浜にできたのは幕末の1859年のこと。今の横浜公園に最初の『港崎遊廓』ができ、その後火災によって吉田新田、高島へ移転、そして永楽町・真金町の『永真遊廓』へと変遷の道をたどっていったそうですが・・。
現在は、当時の遊廓にゆかりのあるものだけがひっそりと残されていて、遊廓自体はどこにも残されていません。それでもそれらを眺めているだけでも当時の遊廓の華やかさ、哀しさがしのばれますね。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
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横浜開港とともに、現在横浜公園となっているこの場所に『港崎(みよざき)遊廓』が開業しました。最盛時は18軒の妓楼が建ち並んでいたそうです。
現在の横浜公園は緑あふれる庭園の美しい公園で、子供たちからお年寄りまで市民に愛されていて、とてもここに遊廓があったとは想像できません。 -
数ある遊廓のなかでもひときわ立派だったのが岩亀(がんき)楼という遊廓だったそうです。遊郭の中でも特に豪華だったので、昼間は一般庶民に見物料を取って閲覧させていたんだとか。すごいですね!
現在横浜公園には、「岩亀楼」の刻印のある石灯篭が遺構として残されています。公園内に特に案内表示は見当たりませんでしたが、公園自体も小さいですし、園内の日本庭園を歩いていればすぐみつけられます。灯籠の横には説明書きもありました。 -
灯籠にはっきりと刻まれている『岩亀楼』の文字。港崎遊廓は1866年に火事で全焼してしまい、その後遊廓は移転してしまったので、跡地は横浜公園となり現在に至っています。
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度重なる火事で高島町へと移転した遊廓ですが、高島町界隈には遊廓の跡らしいものはどこにも見受けられず・・・。
残っているのは当時の遊廓の名残を残す岩亀横丁と岩亀稲荷。岩亀楼の遊女たちが
病の時静養した寮がここにあったので『岩亀横丁』と呼ばれるようになったそうです。 -
そして遊女たちの信仰するお稲荷さんが岩亀楼の寮内にあったので、『岩亀稲荷』として現在まで信仰が受け継がれているのだそうです。
現在岩亀楼の寮はありませんが、『岩亀稲荷』は健在。小さなお稲荷様ですがしっかりと大切に受け継がれているのがよくわかりますね。 -
細く狭い入口なのですが、きちんと手入れされてあって小さな鳥居もありました。
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岩亀稲荷には悲しい物語もあります。当時「喜遊」という岩亀楼の中でもとりわけ人気のある遊女がいたのですが、ペリー艦隊の軍人が喜遊にどうしても会いたくて、幕府を通して相手をするよう命じたのだそうです。しかし喜遊は外国人の相手をすることを拒み、自害。
その時残した有名な辞世の句が
”露をだにいとふ倭の女朗花ふるあめりかに袖はぬらさじ”
で、有吉佐和子著の戯曲「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は、この喜遊の物語を描いたものなんだそうです。 -
毎年5月には盛大に例祭が営まれているそうです。このお稲荷様にお願いすると、女性の病が治ると言い伝えられているのだとか。
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岩亀横丁辺りはほんとに昭和の街並みを色濃く残したところで、すぐ近くにランドマークの近代的なビルが見えるのが、なんだか不思議なくらい。
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ここで行ってみたかったのはこちら『開勢堂ベーカリー』。なんともレトロな外観で嬉しくなります。
『開勢堂ベーカリー』
横浜市西区戸部町4-152
?:045-231-5587 -
ガラスのショーケースがなんともいい雰囲気。昔懐かしい定番のパンが並んでいて全部買い占めたくなりますね。笑いろいろ種類があって迷います、ほんと。
お店はお年を召したご夫婦で切り盛りしてるそうですが、こういうお店はずっと続いてほしいものですね。 -
購入したのは、カレーパンにカステラパンなどなど。カステラパンなるのは生まれて初めて食べましたが、絶妙なおいしさ!
パンの上にはお砂糖もかかっていて甘いのだけれど、しっとりとやわらかく、中のカステラも甘すぎないので両者がいい感じに引き立てあっていてまったく喧嘩することなくベストマッチ!こんなに違和感ないなんて思わなかったです! -
お惣菜パンは、焼きそばパンと玉子パン。パンは昔ながらのコッペパン♪柔らかすぎず、しっかりした味わい。
焼きそばも卵もなんだか妙〜に懐かしい味わいで、ちょっと小学生に戻った気分です。笑 -
その後高島町遊廓が火事で焼失したあと、遊廓はここ永楽町・真金町に移転し『永真遊廓』として賑わったそうです。
遊廓の跡はみることはできませんでしたが、遊廓と関わりの深い『金刀比羅・大鷲神社』に行ってきました。
横浜橋商店街にある小さな”参道入口”の案内。 -
こちら金刀比羅・大鷲神社は、港崎遊郭の岩亀楼主人である岩槻屋佐吉が讃岐国象頭山 金比羅大権現を勧請し、祭祀したのだそうです。
遊廓の移転とともに神社も移転され、最後ここ真金町へ遷座し現在に至るそう。
港崎遊廓が高島町に移転した際、この時大鷲神社も祭祀し東京の浅草に倣って酉の市が行われるようになったのだそう。 -
こちらは『すし塚』。お寿司のネタにつかわれる魚介の霊を慰めるために建てられたのだそう。
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こちらは『三社復興』の碑。関東大震災で数多くの遊女が犠牲になったそうです。
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碑の裏には寄付した方の名前が刻まれていましたが、中に『廓』の文字も。
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神社の寄進者一覧が書かれた玉垣には、はっきりと遊廓の文字がはいったものがあり、ここが遊廓と深く関わりがあることを示しています。
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落語家の桂歌丸さんの名前もありました。地元民ですものね。
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遊廓と文字が書かれたものは、ひとつだけ色が違うのですぐわかります。歴史を知らなかったら、完全に見逃してしまいそうですが、それでも遊廓ゆかりのものたちはひっそりとそしてしっかりと存在してました。
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こちらは、何年か前、金毘羅大鷲神社の酉の市に行ったときの写真。
当時はそんな有名なお祭りだなんてしらなかったのですが、地域無形民俗文化財なんだそうです。 -
行ってみたらさすがにものすごい人ごみでした!!横浜橋商店街に「参道入り口」という看板が、上からぶら下がっていてわりとわかりやすい。笑
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一の酉、二の酉とも連日大盛況だというこの『酉の市』。
せっかくきたんだから神社にお参りしていこうと思ってましたが、行ってみたらとんでもない長蛇の列が!!どれくらい待ったらお参りできるのかまったく見当もつかなかったのであっさり断念。 -
商店街もすごい人で、いろんなお店が出店をだしていましたが、神社のある通りにもずらりと屋台が並びます。こういう光景ってみているだけでワクワクしてきますよね〜。
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神社の外から眺めただけですが、提灯がなんとも幻想的!!
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縁起物の熊手もきらびやかで華やか!!こんなの買ってみたいけれどおくところないなあ・・・。
こんなに歴史があって賑わってるなんて全く知らなかったので、これからは毎年酉の市にいってみたいですね。
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