2014/08/02 - 2014/08/04
413位(同エリア1187件中)
倫清堂さん
出雲徹底調査の一環で鳥取へ。
今の視点で見れば島根と鳥取は別な自治体ですが、かつては山陰という大きなくくりで一つの文化圏だったと考えられます。
この鳥取訪問における最大の目的は、青谷上寺地遺跡で発掘された非常に珍しい木製品について調べること。
埋蔵文化財センターに事前に電話して確認したところ、予定の日はちょうど子供向けのイベントと重なっており、対応するのは難しいとのこと。
しかし出雲での調査予定も詰まっていたので、日程を変えることは出来ません。
まずは行くだけ行ってみて、その場で最大限のことをしようと決めました。
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出雲から鳥取までは、一本でつながる高速道路はありません。
整備中の高速道路は途切れ途切れに完成している所もありますが、これには通行料を取られないというメリットもあります。
ただ、基本的に国道6号線という一本の道路でしかつながっていないと考えるべきで、以前に鳥取と島根の間を移動した時は、渋滞が発生した記憶があります。
そこで早めに出発することにしました。
途中、米子市で大神山神社に参拝に。
伯耆国二之宮で、大山の山腹に奥宮が鎮座する、その本社(里宮)です。
御祭神は大国主神ですが、本社では大穴牟遅神、奥宮では大己貴命と称します。 -
もとは大山を御神体としていたのではないでしょうか。
境内には木々が茂っていますが、その境内の外の開けた場所へ抜けると、大山の姿がはっきり認められます。
『出雲国風土記』に記載される国引き神話で有名です。
大昔の出雲は東西に細長い小さな国でしたが、新羅・隠岐島前・越の国から余った土地を引き寄せ、それが島根半島になったという逸話です。
その際に使った綱は弓ヶ浜になり、綱を結んだ山が大山でした。
この壮大な国造り神話は、地形の変化だけではなく、人々の交流があった事実も示していると考えられます。 -
途中に道の駅があったので、朝食をとろうと寄ってみましたが、まだ開店時間前でした。
国道9号線にはレストランどころか、コンビニもほとんどありません。
パンでも買っておけばよかったと後悔してももう遅いので、先を急ぐことにします。
見覚えのある景色に、見覚えのある地名。
3年前にここと通った時、一之宮の参拝が第一の目標だったために立ち寄れなかった白兎神社。
駐車場に車を停めて、石段を上ることにしました。
神話への関心の高まりや、縁結びのご利益があるという宣伝の効果があってか、まだ早い時間にもかかわらず参拝客が多く見られました。
石段を上った先の右側には、白兎が傷ついた体を洗ったとされる身洗ノ池があります。
社殿は大社造風で珍しくはありませんが、その土台石は27弁の菊の御紋が彫刻されており、全国に例はないとのこと。
月に住んでいる兎は餅をついているという伝承は昔から言い伝えられていますが、餅ではなく仙薬をついているという伝説もあります。
意地悪な兄神たちに騙されて苦しんでいた白兎を助けた大国主神は、実は医薬の神という一面もあり、神話のとおりに薬を調合すると実際にやけどに効能があるとされます。
月・兎・薬・餅の結び付きは、実は今回の出雲調査を進める上でとても重要なカギとなっています。白兎神社 寺・神社・教会
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鳥取市内に到着し、鳥取県埋蔵文化財センターに向かうと、隣接する学校に車を停めるよう看板が出ています。
知らされていた通り、そこには親子連れの沢山の来場者の姿がありました。
受付を済ませて館内に入ると、質問など出来る雰囲気ではありません。
子供向けのお土産だけが収穫でした。
仕方がないので調査報告書だけでも閲覧しようと、県立図書館へと向かいました。
ここには調査対象の資料が所蔵されており、コピーを手に入れることも出来ました。
その後、鳥取市歴史博物館で特別展「鳥取のお殿さま」を見学。
見学を終えて鳥取東照宮を参拝しました。鳥取東照宮 寺・神社・教会
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鳥取東照宮はかつては樗谿神社と呼ばれていました。
慶安2年、鳥取藩初代藩主池田光仲公が樗谿の地に徳川家康公を祀ったのが始まりです。
小牧・長久手の戦いで家康公と戦った池田恒興公と長男の元助公が討死し、次男の輝政公が池田家を継ぎます。
輝政公は家康公の娘、良正院を娶り、関ヶ原も東軍について戦ったのでした。
その輝政公の三男、忠雄公が、光仲公の父に当たります。
よって光仲公にとって家康公は曽祖父に当たり、東照宮の社殿も本殿・幣殿・拝殿・唐門などを備え、豪勢な威容を誇っていました。
その後、明治政府による神仏分離令によって衰退し、現在は寂れたたたずまいとなっています。 -
翌日は砂の博物館を訪れました。
前に来た時は砂丘を歩きましたが、時々雨つぶが落ちて来る天気だったので、今回は室内施設で楽しむことにしました。
ちょうど専用駐車場がいっぱいになっていたので、少し先にある土産物屋の駐車場に車を停めます。
事前に調べたわけでもないので期待していなかったのですが、実際に入って見ると砂を使った多くの巨大な像が展示されており、見ごたえがありました。
制作に当たったアーティストは様々な国籍の人たちで、今年はロシアをテーマに、それぞれが腕を振るって砂像を制作しています。鳥取砂丘砂の美術館 美術館・博物館
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こういうテーマ作品を見ると、日本をテーマにしたらどのような作品群になるだろうかと心の中であれこれ企画してしまいます。
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期間が過ぎてしまえば、ただの砂に戻されてしまいます。
もったいない気もしますが、永遠ではなく滅びが待っているからこそ、芸術作品としての価値が高いのだとも言えます。 -
芸術作品というより、建築物と言っても過言ではないスケールです。
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天気が悪くなって来たので、昼過ぎには鳥取を去ることにしました。
その途中、三佛寺へ寄ってみることにしました。
地図上ではそれほど距離があるとは思えなかったのですが、登り坂がきつく、レンタカーがあえいでしまってスピードが出ません。
雨も少し強くなり、空は暗くなってしまいました。
ようやく遥拝所の看板を見付けたので、近くの駐車場に車を停めてそこへ行くと、一人の中年の女性が近づいて来ます。
何の用かと思ったら、その方は役所の方で、観光客を対象にアンケートの聞き取りを行っていたのです。
何日間の滞在ですかと訊かれ、迷った末に約一ヶ月と答えました。
アンケートが終わり、三佛寺へ登りたいと言うと、登山用の服装でなければ許可されたいとのこと。
そこまで厳しい山だとは思いませんでした。
遥拝所も登山道入口ではなく、カメラの望遠を最大にして、ようやく投入堂が小さく見えるポイントなのだそうです。
事前に調べて来なかった自分が悪いので、その姿をなんとか写真に収め、この場を去ることにしました。
後になって、三佛寺は五木寛之の「百寺巡礼」に選ばれていることを知りました。
投入堂に入ろうとして、転落して死んでしまう人もいるとのことです。三佛寺 寺・神社・教会
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この日は出雲のアパートには帰らず、米子のホテルに泊まることにしていました。
米子は夏祭りの期日に当たっており、沢山の若い人の姿が見られました。
駅前で夕食をと思ったのですが、めぼしい店がありません。
少し歩けばコンビニと牛丼屋があるので、そこへ向かうと、途中で中江藤樹先生成長之地の碑を発見。
近江聖人とも呼ばれる陽明学者の藤樹は、琵琶湖西側の高島市に祀られており、過去に参拝したことがあります。
幼い頃に米子藩士であった祖父のもとに引き取られ、短い期間を過ごしたのがこの場所です。 -
米子で一番安いホテルの一番安い部屋を取ったので、窓がなくタバコ臭い部屋で一晩過ごしました。
翌日、いくつかの目的地を巡り歩く途中に境港に寄り、水木しげるロードで一服。
店に飾ってあった鬼太郎ファミリーの七福神がとても気に入ったのですが、もう販売していないとのことでした。
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